連鎖
生徒の過半数の票が集まったため、生徒会は学院長への直談判の準備に向けて動いた。
男女交際禁止の校則が改定される可能性に、生徒達も期待を寄せているからか教室で、廊下で時折その話題を口にしていた。
みっちーの立候補虚しく、このような交渉は生徒会長が行う決まりがあり、雫会長が交渉役を担うことになった。
そして、とうとう学院長と1対1で話す正式な場が設けられたのだった。
高校の校舎から少し離れた場所には、別館があり、そこに学院長専用の部屋がある。そこで話し合いが行われるらしい。
みっちーから雫会長の談判日の日程を知らされた私は、いてもたってもいられず放課後に別館の玄関口に立っていた。霧のように染み透る冬の重い冷気の中、雫会長が出てくるのを落ち着かない気持ちのまま待っていた。中の様子がとても気になるが、私に今できることはただ雫会長の帰りを待つことだけである。
しばらくしてから、雫会長が姿を現した。
「雫会長!」
姿を見て、雫会長の元まで一目散に駆け寄る。
「おぉ、未来ちゃん、来てたんだ! 戦ってきたよ!」
雫会長は力こぶを作って笑った。
「お疲れ様でした! どうでした?」
「うーん……やっぱりちょっと難しいみたいなことは言われたけど、出来ることはしてきた、かな。後は学院長がどう判断するかにかかってくるね。望みが無いわけじゃないと思う!」
「そうですか……やっぱり一筋縄ではいかないんですね。ありがとうございました」
「返事は期末テスト明けにするって言われたよ。ドキドキだね……」
やはり千夏先輩の言う通り、校則改定は簡単なことではないみたいだ。
でも過半数の生徒が恋愛禁止に対して反対しているという事実を前にして、考えを改める可能性が無いわけではないだろう。
「あの、学院長には何て言ったんですか?」
交渉の中身について改めて聞いてみたくなった。話し合いの内容は雫会長と学院長しか知らないことだから。雫会長のことだしうまくやってくれたとは思うんだけど……。
「えっとね、カリギュラ効果について話してきた」
「カリギュラ効果?」
「禁止するとかえってやりたくなっちゃうってやつ。ボタンがあって、絶対押すなって言われたら逆に押しちゃうみたいなあれ! 心理学用語だよ。テレビでやっててこれだー! って思ったんだよね」
「なるほど……カリギュラ効果っていう名前がついているんですね」
自分の行動が制御されると人はストレスを感じる生き物だと思う。だから、反発してしまう気持ちはとても分かる。よくテレビなどで「絶対に観てはいけません」などと宣伝されているものがあるけれど、禁止されるとかえって見たくなってしまう心理学を利用していたんだ。
叶恵が、親から宿題をやれと言われた途端、やる気をなくしたという話をしていたっけ。
「縛りつけすぎると逆に反発しちゃうでしょ? それって校則にも同じことが言えると思って。実際ね、校則を緩めたほうが品行が良くなって、遅刻とかいじめが減ったっていうデータもあるんだよ」
「そうなんですか。知らなかった……」
私もこの学院に入学したての頃、校則に疑問を持って玲華先輩に生意気なこと言っちゃったっけ……。
いじめをなくすために、厳しい校則で縛ることが玲華先輩は正だと思っているみたいだけど、それはかえって逆効果ということだろうか。
イソップ寓話に「北風と太陽」という話がある。これは、旅人の上着をどちらが脱がせられるかを北風と太陽で勝負するといった内容で、結果的には太陽が勝った。この物語の教訓は、人を動かすためには北風のように物理的に強制するよりも、太陽のように優しく照らしてあげることが効果的だというものだった。
このカリギュラ効果というものは、「北風と太陽」に通ずるものがあるような気がして妙に納得してしまった。雫会長はこのカリギュラ効果を用いて、生徒を縛りつけすぎるのは良くないと学院長に話してくれたんだろう。
「学生って学ぶに生きるって書いて学生じゃん? 恋愛から学べるものもきっとあると思うんだよね。彼氏持ちの他校の友達が大人びて見える時があるんだぁ。きっと色々悩んで考えて成長してるんだろうなぁって思って。だからね、禁止にするのは違うんじゃないかってことも言っておいた! 学院長も結婚してるし、これ話した時は結構渋い顔してたよ」
「誰かを想うことで学べることは確かにあるかもしれませんね。……という私も恋したの最近なんですけど」
相手のことを考えること。相手がどうしたら喜んでくれるかを考えることで、自分の中のホスピタリティは磨かれてきたと思う。
ゲームの戦略ではない、純粋な恋心で私は玲華先輩のことを想っていたからこそ分かる。
「未来ちゃんの好きな人、どんな人なんだろ。きっと素敵な人なんだろうね! いいなぁ。私も恋愛禁止がなくなったら、男子校の文化祭とか行ってみたい」
みっちー、私が誰が好きなのかは雫会長には言ってないんだね……。
生徒を代表して雫会長は学院長に交渉してくれたわけだけれど、雫会長自身がこのことについてどう思っているのか気になっていた。恋愛禁止のままで良いじゃんなんて思っていたら、気の毒だと思うから。でも、そんなことはなかったようで安心した。
「その時はぜひみっちーも連れて行ってあげてください」
キスしたがってたし……。今回すごく頑張ってくれたから。
「連れて行ってあげたいところだけど、みーちゃんの部屋になんか如何わしい本置いてあって姉としてはちょっと心配かも……。それにしても、みーちゃんがあんな頑張るなんてちょっと意外だったなぁ……私にやらせてって言って聞かないんだもん」
「私も驚いてます」
前半の部分は聞かなかったことにしておくとして――みっちーの行動がなければこうして今、私と雫会長が別館の玄関口で話していることもなかっただろう。
生徒会でもメインの仕事は雫会長の補佐だったみたいだし、みっちーの活躍っぷりに驚いているのは私だけではなかったようだ。
「みーちゃんね、家で言ってたんだ。友達の為に頑張る未来ちゃんのことすごいって。で、今回は自分の番って。優しさって連鎖するんだなぁって感心しちゃった。だから私も誰かのために頑張ろうって改めて思えたよ。生徒会長やってて良かった! うん!」
人が頑張る姿を見て、自分も頑張ろうと思えるのは雫会長やみっちーだから、な気はするけれど、みっちーの行動のきっかけが私なのだとしたらそれは嬉しいことかもしれない。あの時、叶恵の元彼に立ち向かって行ってある意味良かったと思う。
誰かのために頑張る、というと雫会長が生徒会長になったきっかけもみっちーのためだったっけ。
いじめっ子からみっちーを守るために雫会長は生徒会長になった。
私はそれを聞いた時に感心した。その時、自分も誰かのために動きたいって思ったんだった。そういう意味では私も雫会長から少なからず影響を受けているのかもしれない。
「雫会長が生徒会長やるきっかけって、みっちーだったんですよね?」
「あぁ、最初はね。でも今は違うかな。みーちゃんは私が生徒会長じゃなくたって、もうきっとやっていけると思うし」
雫会長は何かを懐かしむようなしみじみとした顔で言った。
「そうなんですね。みっちー、その件では雫会長にすごい感謝してましたよ。でもそれと同時に無理させちゃってるとも言ってました」
学院長と1対1なんて私ならすごく緊張してしまうと思う。でも雫会長はいつも明るくて堂々としていて立派だ。誰もが雫会長のことを認めている。
でも家だと汚部屋に裸族な会長だから、外では自分を飾っている部分は少なからずあるんだと思う。
そんな雫会長のことをみっちーは心配していた。自分のために生徒会長になって無理をさせているのが申し訳ないと。
「まじか! 無理させちゃってるっていうのは誤解かな。帰ったらみーちゃんにちゃんと言わなきゃ。さっき優しさが連鎖するって話したけど、人のためにやったことって巡り巡っていつか自分に返ってくると思うんだよね。そう思うと俄然やる気になるっていうか……! 私が好きでやってるだけだし!」
優しさの連鎖、か。
今回、みっちーを始めとして叶恵や千夏先輩も生徒の署名に協力してくれた。それは過去に私が彼女たちのためにしたことが、今になって返ってきたと思っても良いことなのだろうか。
見返りを求めているわけではないけれど雫会長の言っている、人にしたことはいつか巡り巡って自分に返ってくるというのは頷ける部分があるかもしれない。
「今回の件、結果的に過半数の生徒が男女交際禁止に反対したとは思うんですけど、ことの発端は私だから……こうして雫会長に動いてもらってるのがなんだか申し訳ない気持ちになります」
少し俯いて私はそう言った。
雫会長が好きでこの仕事をやっていたとしても、やはり申し訳なさが勝ってしまう。そう思ったからいてもたってもいられず雫会長を玄関口で待ったし、改めてお礼を言いたいと思っていた。
雫会長はこちらまで来ると、私の両肩に手をバッと置いた。
「ぶっちゃけ生徒会の仕事はめんどくさいことも多いけど、人に感謝される仕事ってやってて気持ち良いし楽しいよ! だから、そんな申し訳なさそうな顔しないでよ。今回の件、生徒の為に戦えて私は嬉しいんだから! むしろこういう機会をくれてありがとうって思ってるよ」
雫会長は照れ臭そうに笑った。その表情はみっちーに少し似ていた。
多少、癖はあるものの、奥寺姉妹の真っ直ぐな性格にはとても好感が持てる。雫会長が生徒会長になったのもそういう真っ直ぐなところが生徒からの支持を集めたからだと思う。
私は少しほっこりとした気持ちになった。
「……ありがとうございます。なんか元気出ました」
「うんうん! 良かった!」
雫会長は私の肩から手を離すと、そろそろ帰ろうかと私に言った。
校門を一緒に目指す。雫会長と並んで帰ることなんて今までなかったから新鮮だ。
「あー寒い。結果は気になるけど、とりあえずは期末テスト頑張らなきゃだね!」
雫会長はこちらに笑いかけた。
「あ……そういえばもうすぐテストでしたね。雫会長はいつも上位ですごいなって思って見てます」
みっちーと同じく雫会長はいつも順位表に張り出されているし、結構頑張っているんだろうなと思う。だいたい順位も一桁だし、すごい。
「本当あっという間だよねー! 勉強は昔から好きなんだけど、私今回すっごく頑張れると思う。羽山さん抜きたいなぁ!」
雫会長は握り拳を両手に構えるとぴょんと跳ねた。勉強が好きだなんて羨ましい限りだ。
「いいなぁ。勉強が好きだなんて思ったこと私はないです。……今回頑張れるのはどうしてですか?」
「優しさの連鎖、目の前で見させてもらったから。未来ちゃんのおかげ。テスト、お互い頑張ろうね!」
「はい。本当にお疲れ様でした」
性格が明るい。
雫会長と話して私も元気をもらえた。
自分がやってきたことが無駄じゃなかったということ、人のために動くことの素晴らしさを再認識することができたから。
憎悪、嫌悪、嫉妬。人間である限り、こういった負の感情は必ず付き纏う。
人のために今まで頑張ってきたことがなかった私は、負の感情が支配する世界の中で生きていた。でも今は違う。良いところだってたくさんあると思えた。人間の良い部分――それを見ようとするかしないかで世界の見え方は変わってくるのかもしれない。
空を見上げる。日は落ちてきているけれど、外は十分明るかった。
今回の件を経て、学院長がどのような結論を出すのかは分からない。上手くいかない可能性だってある。でも、意味がないことなんてきっとない。
今はとりあえずは目の前のことに向き合おう。
まずは期末テストだ。
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