12月

味方

 土日で月をまたぎ12月になった。

 また休んでしまいたいと思った学校だけれど、頑張って登校した。友達と話していた方がまだ気が紛れるから。



「未来、どうした? なんか元気なくない……?」



 昼休みに3人で一緒にご飯を食べていると、みっちーに声をかけられた。この子はいつもそう。顔に出してるつもりはなかったけれど、こうして些細な変化に気がついて声をかけてくれる。



「……ちょっと……あの……」


「うん」

「どした?」



 叶恵もこちらを向いた。

 もう言ってしまおうと思う。やはり好きな人に選ばれないというのはダメージが大きい。この感覚になるのは2回目だ。

 今回はこちらに好意は向いているとは分かったのだが、結果的に振られてしまったことには変わりない。この思いを自分の中で抱えるには重すぎる。

 この2人になら言っても良い。親友の前で、私も隠し事はもうしたくないから。

 


 今回はゲームなんか関係ない。



 本気で恋をして――。



「失恋しちゃった……」


「え……」

「……まじ?」


「うん……」



 場の空気が凍りついたのが分かった。

 2人とも持っていた箸を置いた。



「……好きな人ってあの人?」



 叶恵はそう聞いてきた。叶恵が思っている人で間違いないと思う。



「そう」


「誰? なんで叶恵だけ知ってるの?」



 みっちーは驚いて私たちを交互に見ている。



「結構分かりやすく顔に出てたと思うけど……みっちー気がつかなかった?」


「えー、分かんない! 誰? なんで私だけ仲間外れなの!?」



 みっちーは落ち込んでるのにはすぐ気が付くのに、こういうとこは鈍いよね。



「叶恵とはそういう話になったことが1回あって……。みっちーにも言うね。私が好きだった人、玲華先輩」



 私は力なく言った。この名前を口に出してしまうと、やはり心に刺さるものがある。



「ふぇっ……!? 仲良いとは思ってたけど……まじか……え、告ったの?」



 みっちーが驚きのあまり両足で床を蹴ったので、クラスの視線が一気にこちらに向いた。

 やめてくれ。公開処刑か。



 みっちーは、ハッとした顔をしてばつが悪そうに口を押えてごめんと謝った。

 一瞬クラスの時が止まったが、いつもの日常に戻るのを待ち、口を開く。



「告った。でも振られちゃった……」


「付き合えないって?」


「付き合って欲しいって言った訳じゃないんだけど……。玲華先輩には気持ちに応えたいって思ったけど応えられないって言われちゃった……」


「気持ちに応えたいと思うのに何でだめなの?」



 みっちーは眉を八の字にしている。



「風紀委員長なのにこんなことしてたらダメだって泣いて言ってたよ……色々抱えてるものがあるんだと思う」



 私は玲華先輩のような人生を歩んできた訳じゃないから、どんな心境でこのようなことを言ったのかは想像でしか分からない。ただ、1つ分かっていることは亡くなったお兄さんのことを今も引きずっているということだ。

 叶恵は少し考えた後に口を開いた。



「気持ちには応えたいけど応えられないなんて、一見好きじゃない人を振る言い訳のようにも聞こえるけど、あの羽山先輩が泣きながらそんなこと言ったんでしょ……。それ完全に未来のこと好きじゃん」



 好き……。その言葉は最後まで玲華先輩の口からは聞けなかったけれど、好意は確かにあった。



「うん。好かれてはいたと思う。でもだめだった。振られたことには変わりないから」


「未来……」


 

 みっちーに手を握られた。私はその手を握り返した。途端に涙がこぼれそうになるのをグッと堪える。



「一応男女交際禁止なわけだけど、女子と付き合うってのも羽山先輩にとっちゃ校則違反みたいなものなのかもね。陸部のタメが羽山先輩に告ったんだけど、気持ちは嬉しいけど風紀委員長は校則を破れないから付き合えないって言われたらしいし。今思い出したけど」



 校則のこと気にしてたんだ……。

 入学したての時、玲華先輩に男女交際禁止という校則について、女子同士の恋愛は良いのかと聞いたことがある。その答えは「文字通り」というものだった。今思えば、きっとそうとしか言えなかったんだろう。だから、女子同士で付き合っている人に対しては注意することはしなかった。文字通りであれば、「男女交際」が禁止なのだから。

 しかし、玲華先輩自身は模範生徒として、女子同士の恋愛も禁止だと解釈して飲み込んでいたんだと今になって思う。校則は捉えよう。自分に厳しすぎる玲華先輩は、自分にだけ厳しい校則を課していた。



「そうなんだ……。校則か。もうこればっかりは私じゃどうしようもないというか……」



 校則と私を天秤にかけた時に校則をとった。悔しいがそれまでだろう。



「未来、ジュースおごる」



 叶恵は財布を持って立ち上がった。

 叶恵の手を掴む。



「いいよそんなの! 話聞いてくれただけで十分だし」


「わたしはアイスおごる!」



 みっちーも財布を持って立ち上がった。

 みっちーの手を掴む。



「寒いからアイスは大丈夫かな……」



 2人の気持ちが乾いた私の心を少し潤した。



――――――――――――――



 みっちーと叶恵に相談して吐き出したことで私の心は幾分か晴れた。

 でも1人になると、やはり辛い気持ちになる。



 虚無。


 

 何かの抜け殻のように、ただ存在しているだけ。そんな私を無視して無情にも時間だけが過ぎていく。



 あれからなんとなく風紀室に行きづらくて、特に用事がない時は訪れていなかった。委員会の仕事も最近は落ち着いているので幸いにも玲華先輩と顔を合わせずに済んでいる。

 でも、私と顔を合わせなくて良かったと思っているのは玲華先輩も同じなんだろうなと思う。



 私は放課後の見まわりを終えた後、手すりに肘を乗せて校庭を見下ろしながらぼうっとしていた。冷たい風が髪を揺らしている。普段見ている風景とは違って静かだった。

 今日は部活動をしている生徒が校庭にいない。部活をしている生徒は風紀委員の見回りの対象外となるため、私は放課後に見回りがある日は、部活動に勤しむ生徒達の声を聞きながら下校していた。



 校庭に人がいないなんて滅多にないことだった。まるでこの学校に私1人だけみたいな感覚になる。謎の心地良さに包まれた。

 誰もいない校庭を眺めては、音楽の授業で習った歌を口ずさむ。曲名は「マリーゴールド」。失恋ソングだ。失恋したら失恋ソングを聞きたいって思うのどうしてかな。音楽に共感性を求めているのだろうか。

 冬の空気に吸い込まれていく儚く小さな歌声。



 パンパンと何かを叩いてリズムを刻む音が聞こえた。歌に合わせて刻まれるそれによって、私の歌は一気にポップ調になった。

 振り返ると、千夏先輩が太ももの部分を叩いてリズムをとってくれていた。



「千夏先輩……」


「こらー。見回り終わったらすぐ帰らなきゃじゃーん」


「すいません……」



 千夏先輩まだ帰ってなかったんだ。

 何かやり残していたことでもあったのだろうか。



「こんなとこずっといたら風邪ひくぞー」



 千夏先輩は隣まで来ると、肩にかけていたバッグを下に置いて私と同じように肘を手すりに乗せた。

 タイミング的に今だ。言おう。千夏先輩にも。



「千夏先輩……あの……」


「うん」



 千夏先輩の声は驚くほど優しかった。

 その声のトーンに私の涙腺は緩んだ。



「私……玲華先輩と……その……」


「うん」


「振られました。……ヒック……うぅ……」



 千夏先輩は手を広げて私を迎えいれる体勢を作ったのでそこに飛び込んだ。

 包み込むように抱きしめられて涙が止まらなくなる。



「でっかい赤ちゃんだなぁ」


「赤ちゃんじゃないです……うぅ」


「泣き虫赤ちゃん」



 私が落ち着くまで千夏先輩は背中をトントンとしながら抱きしめてくれていた。

 呼吸が落ち着いてきたタイミングで千夏先輩は言った。



「自分からこういうことちゃんと話してくれるようになったね」


「はい……信用してますから」



 失恋したなんて皆に言うようなことじゃないと思う。でもみっちーや叶恵、千夏先輩は私にとっては特別。人に自分の悩みを話すことにはまだあまり慣れないけれど、隠し事はしたくないからちゃんと言えて良かったと思う。



 抱きしめていた手を解いた後、千夏先輩は私と並ぶように校庭の方を見ながら肩に手を回してきた。



「あのさー。今日休み時間にみっちーがうちのクラスに来た」


「……え、みっちーが?」



 びっくりして千夏先輩の横顔を見る。

 長い睫毛が風に揺れている。



「うん。校則改定したいから署名をお願いしますって1人1人聞いて回ってた」


「え……校則改定……」


「恋愛禁止の校則を改正したいって。何でか聞いたら友達のために頑張りたいんだって言ってた」


「そうなんですか……」



 その友達って私のこと……だよね……。



「あたしもそのみっちーののこと、応援したいなーって思ったから知り合いに片っ端から声かけて書かせたよ、名前」


「千夏先輩……」


「ホント困ったもんだよねー。困ったもんだ。うちの堅物風紀委員長は」



 千夏先輩はふっと息を吐きながら、私の肩に回したその手で肩をトントンと叩いた。



「……。千夏先輩はもう分かってるんですね」



 きっと私が言わなくてももう全部分かってる。



「どうせ校則がなんちゃらとか言われたんでしょー?」


「風紀委員長なのに、みたいなことは言われました」


「めんどくさい女だわーホント」



 千夏先輩は、ぐっと上に伸びをするとこちらを見た。



「……みっちーがうちのクラスに来てちょっとしてから、叶恵ちゃんも合流して陸上部に署名してもらいに行ってたよ。見た感じ、みっちーは1つ1つのクラス回ってるみたいだった。上級生相手なのに怖気づかないで頑張っててちょっと心配になったから様子見てたんだけどさ、会長の妹だし文化祭でデスボイス披露したせいか2、3年生には結構可愛がられてるみたいで安心したよ」



 さすがにデスボイスではないと思うんだけどな……。もう突っ込まなくていいか。



 最近、みっちーは休み時間に姿を消すことが多くなった。今日の昼休みはお弁当も食べずにどこかに行ってしまった。さすがに心配した叶恵が様子を見に行ったが結局2人とも昼休みが終わるまで帰ってくることはなかった。

 後でどこに行ってたのか聞いたのだがはぐらかされてしまって、おかしいなと思っていたのだ。



「……だから叶恵も帰って来なかったんだ……知らなかった」


「良い友達持ったね、未来」



 千夏先輩の声が身体に響いた。



「泣かせないでください……」



 こんなこと裏でされてるなんて思わないじゃん……。なんなんだ……。

 人にここまでしてもらったことなんて、はたして今まであっただろうか。



「校則改定っていうのは過去に事例がないし、学院長もお堅い人だからなかなか難しいことだとは思うけど、これもみっちーの挑戦、だね。あたしは風紀委員だから校則改定には直接は関われないけどさ、できることはしたよ。みっちーのこと信じてみるのも良いかもね」


「……天然で、いつも何言ってるか分からないくせにこういう時だけ……」



 友達思いなことは知ってたけど、こんなのずるい。



「ほれほれ」



 頭をぐしゃぐしゃと撫でられた。



「あぁ、髪がっ」


「みんな未来の味方だってことだ。まぁ、あたしは味方以前に飼い主でもあるんだけどさー」


「誰がペットですか……千夏先輩もこういう時だけずるいです」



 千夏先輩のペットになった覚えはないけれど、また味方という言葉が聞けて胸が熱くなる。



「さて、そろそろ帰らないとねー。ほら、いくぞー」



 お尻をパンと叩かれた。



「ちょっとっ!」


「明日は雨だってよー」


「嫌だな……」



 校門へと続く道を千夏先輩と歩いた。



――――――――――――――



 千夏先輩の言う通り、翌日は雨だった。空は青白くて暗かった。

 水たまりを避けながら学校を目指す。今日はみっちーと叶恵にちゃんとお礼言わなきゃ。私のためにそこまでしなくても良いということも伝えたい。



「署名協力お願いしますー!!」



 校門前、赤い傘をさしてみっちーは声を張っていた。何してんの!? 

 思わず水たまりなど気にせずバシャバシャと音を立てながら駆け寄った。



「何してるのみっちー!?」


「あぁ、未来。もうすぐ過半数署名が集まるから……そうしたら学院長に校則改定の談判ができるよ! 卒業近いこともあって3年生の票が全然集まらなくて……でも叶恵と千夏先輩が協力してくれたから、あとちょっとなの!」



 みっちーは笑った。

 傘をさしていたが、ずいぶんと濡れていた。きっと朝早く来てずっとここにいたんだろう。



「ばか、こんな雨の中そんな頑張らなくても!」


「いいの!」


「なんでよ! 濡れちゃってるじゃん! 私のためにこんな……やめてよ!」



 みっちーの手を引くが、みっちーは動かなかった。



「……未来は叶恵の元彼が校門の前で待ち伏せしてる時に、率先してあの人のところに行ったよね……。あれ見ててすごいなって思った。わたしは正直怖かったから。でも未来は叶恵のために勇気出して行ったんしょ? かっこ良かった……。だからね、次はわたしの番だって思ってた! できることしたいって。未来の悲しんでる顔なんて見たくないし、いつもお姉ちゃんの陰に隠れて甘えてばっかりいるのも嫌なの! わたしだってやればできるんだって証明したい。お願い未来。やらせて」



 みっちーの真っ直ぐな目に私は圧倒された。



「みっちー……私も手伝う」


「だめだよ。こんな目立つ場所で風紀委員が生徒会と一緒に校則改定の署名運動なんてしてたらおかしいでしょ。先生に見つかったら変に思われちゃうよ」


「でも……」


「あともうすぐだから……。少しはかっこつけさせてよ……」



 みっちーは親指を上に立てて笑った。



「……本当ありがとう」



 後ろ髪引かれる思いで校舎を目指す。



 生徒の過半数の署名が集まったのはこの直後のことだった。

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