呪縛
11月の終わり。
玲華先輩に久しぶりにメッセージを送った。
『明日のお昼休みか放課後、時間ありますか?
仕事の件でちょっと・・・。
最近うまくいってないので相談に乗ってほしいです』
しばらくしてから返事の通知が来た。
『どうしたの? 放課後で良ければ』
『分かりました。では風紀室で待ってます』
明日――金曜日は玲華先輩の誕生日だった。
ようやく私にもアクセスの許可がおりた生徒の個人情報ページ。玲華先輩が11月に誕生日だということは知っていたが、日付までは知らなかった。日付をしっかり確認した私はカレンダーにメモをしておいたのだ。それが明日。
私がこのタイミングでメッセージを送るのも、誕生日の件だと思われたらサプライズ感がないので、用件を委員会の仕事のことにすり替えておいた。
いきなり私に祝われたらどんな顔をするだろうか。少し楽しみだ。
翌日になり、授業が終わってからすぐ私は早足で風紀室に向かった。先に着いて待機していたい。
2階へと続く階段をかけ上がると、なんと玲華先輩と偶然鉢合わせてしまった。速攻向かったつもりだったのに……!
玲華先輩は紙袋に入った大量のお菓子を抱えていた。恐らく取り巻きからもらった誕生日プレゼントだろう。
玲華先輩は私を見ると足早にこちらまで来た。
「相談って何? 何かあったの?」
「あ、えっと……風紀室についたら話します」
授業が終わってからすぐに教室から出たつもりだったのに、玲華先輩も早かった。
相談があるなんて私が言ったからきっと心配してくれていたんだろう。優しさが身に染みるが、種明かしは風紀室に入ってからだ。
扉を開けて玲華先輩が風紀室に入ったのを振り返って確認すると、私は満面の笑みを作って言った。
「玲華先輩、お誕生日おめでとうございます!!」
「え……」
玲華先輩は目を丸くしてこちらを見ている。
「ごめんなさい、相談があるっていう件は嘘です。個人的にどうしても祝いたくってこの場をお借りしました」
「……どうして私の誕生日を知っているの?」
「パソコンでデータにアクセスして調べました。千夏先輩から玲華先輩は11月に誕生日だってことは聞いてたんですよ。だから……。いや、その……誕生日の欄しか見てませんから!」
こそこそと玲華先輩の個人情報ページにアクセスしていたなんて、印象悪くなりそうだ。でも本当に誕生日を確認するためにしか使用してないしそこは信じてほしい……。
「そう……別に見られて困ることなんかないわ。正直あなたに祝われるなんて思っていなかったから少し驚いてる」
玲華先輩は少し嬉しそうだった。
好きな人の誕生日なんだし、祝わないわけがないじゃん。私も舐められたものだなぁ。
「千夏先輩の誕生日を祝ったのに玲華先輩の誕生日を祝わないはずがないじゃないですか……。あ、千夏先輩からは祝ってもらいましたか?」
「ええ。バナナのケースをもらったわ」
「何ですかそれ……」
玲華先輩は紙袋の中から、バナナ型をした黄色のプラスチックのケースを取り出した。
「ケースに入れると移動中でもつぶれなくなるらしい」
私玲華先輩がバナナ食べてるの見たことないんだけどな。使い道なくない?
千夏先輩らしいっちゃらしいけど……。
「使う時が来るといいですね。……私からはこれを」
「……?」
私が差し出したのはプレゼント用のリボンがついた小包だった。学校が休みの日に隣駅の大型ショッピングモールに電車を走らせて買いに行った物。
「開けてみてください」
「……ストラップ?」
「はい。夏休みに千夏先輩の誕生日プレゼント一緒に見に行った時、玲華先輩が見てたやつ……欲しかったのかなって」
玲華先輩は小袋から犬と猫の肉球のストラップを取り出した。
「……覚えていたのね」
興味深そうに眺めている。
好きな人の誕生日にストラップなんて味気ないと思うけれど、このストラップをじっと見ている玲華先輩の横顔を忘れることができなかったのだ。
それに学校に関係のないものを持っていくと校則違反になってしまうし、ストラップくらいなら許容範囲だろう。取り巻き達みたいに校則違反にはならない定番のお菓子という手もあったけれど、やはりプレゼントするなら形に残るものが良かったし。
「プレゼント、どうしようか悩んだんですけど……。気に入ってくれたら嬉しいです」
「……ありがとう。あなたの分はあるの?」
玲華先輩はストラップを胸の位置で握ると、そう聞いてきた。
「私の分は買ってないです……。こういうの、お揃いでも先輩は嫌じゃないですか?」
「あなたが欲しければいいと思う」
お揃いだなんて照れ臭いけれど、玲華先輩となら大歓迎である。学校が休みの日にでも買いに行こうかな。
少し照れた様に言いながら、玲華先輩はまたストラップを胸の位置で見ている。時折、ぷにぷにと肉球の部分を指でつついていた。うん、これは気に入ってくれている反応だ。良かった。
「本当はこういうかわいいもの、好きなんですよね?」
「……っ!」
玲華先輩はビクっとしてこちらを見た。
2番目のお兄さんの亡くなった原因は自分が星のついたピンを渡したことにあると玲華先輩は思っている。だから、本当は興味のあるはずのこういったものにあえて手を出そうとしていないんだろう。
私はお兄さんが亡くなった原因は、そのせいだけではないと思う。周りの環境にもきっと問題はあった。でも玲華先輩は全て自分のせいだと抱え込んでしまっている。
好きなものを好きだと言えない。自分の感情を押し殺すなんて辛いに決まってる。そんな先輩を少しでも解放してあげたいという思いもあってそのストラップを私は選んだ。誰かからプレゼントされたものなら受け取ってくれるんじゃないかと思った。正直、これが吉と出るか凶と出るか不安な部分はあったけれど。
「やっぱりお兄さんのこと、思い出しちゃいますか?」
「……そうね」
そう言うと、玲華先輩は溜息をついてストラップを小袋に戻した。
短い返事ではあったが、玲華先輩の本音が聞けたようで少し嬉しくなった。
「私、どんな先輩でも好きですよ。かわいいもの好きな先輩だって好きです」
「……」
ゆっくりと視線がこちらに向くのが分かった。
澄んだ灰色の目。私はそれをしっかりを捉えて気持ちを込めて言った。伝わって欲しい、この気持ち。
「すごく努力家で、負けず嫌いで、責任感が強くて、でも意外と恥ずかしがり屋で……優しくて、不器用なところも。全部好きです」
私が好きになったのは、玲華先輩が完璧じゃないって分かったから。完璧なままだったらきっと好きになってなかった。
完璧じゃない、人間らしい部分が見えてきたからこそ好きになったんだと思う。だからそこも含めて私は玲華先輩を受け入れたい。
「未来……」
「茶髪の先輩だって好きですよ」
「……! どうして髪のことを知っているの?」
玲華先輩は目を見開いた。
「先輩が髪の毛染めてるって文化祭の時にお兄さんから聞きました。私はどんな先輩でも好きなんです。黒髪じゃなくたって良い。だから私の前では……」
伝わって欲しい。
もう無理なんてしないで欲しい。
「……そんなに……言わないで」
玲華先輩は苦しそうな顔をしながらも、頬を紅潮させて顔を手で押さえた。
「いやだ。何度だって言いますよ。好きです、先輩」
「やめて……」
「そんな大好きな人が今日生まれてきてくれたんですよ……。祝わないわけないじゃないですか。今日ちゃんと言えて良かった。誕生日おめでとうございますって」
溢れる気持ちが止まらない。
玲華先輩は荷物を下に置くと、こちらに歩みよって来た。
「プレゼントも受け取ってもらえてうれしかった。私が玲華先輩のことどれくらい好きか分かっ――んんっ!」
私は玲華先輩に唇を奪われていた。
先輩が勢いをつけすぎたこともあって、私の背中は壁に打ち付けられたが背中の痛みなんてどうでも良かった。
キスされた……。
いきなりのことに頭が真っ白になる。
唇が離れてから、脳内の処理が追い付くと私は堪えきれなくなって笑いが溢れた。
「ふふふっ……あははっ」
「……何が面白いの?」
口を手の甲で押さえながら玲華先輩は顔を真っ赤にしている。
灰色の目は少し潤んでいた。
「初めて自分からしてくれましたね、嬉しいです。でも……」
「でも……?」
「……へたくそです」
「なっ……!」
私は玲華先輩の手を引き、こちらに誘導して再度唇を重ねた。
自分からしてくれて嬉しかったけど、勢いつけすぎだし、不器用全開だった。
こんなかわいいことされて我慢なんてできるわけがない。ごめんね、玲華先輩。舌は入れないから許してね。
玲華先輩の上唇をゆっくりと甘噛みして、その後に下唇を自分の唇で挟む。玲華先輩の唇の力は抜けて柔らかかった。一度学習したらしっかりと実行してくれるのが玲華先輩なんだ。
一度唇を離して今度は唇全体をついばむようにしてキスをした。んっとくぐもった声が玲華先輩から漏れる。私は柔らかく甘い果実に夢中だった。ゆっくりと背中に手が回されたのが分かった。
何度も唇全体を挟むように口づけをしていると塩味が混じったので、唇を離して玲華先輩の顔をまじまじと見た。蕩けたような、悲しいような、そんな表情をしている玲華先輩は泣いていた。両目から雫が一筋垂れていた。
「玲華先輩、なんで泣いてるの……」
「っ……」
玲華先輩は俯いている。
肩を押されて身体が離れた。
先輩は震えた声で言った。
「私は風紀委員長なのに、こんなことをしていては……幸福を感じていてはっ…………。あなたを求めてしまうのが辛い」
「先輩……」
私は制服の袖で玲華先輩の涙をぬぐった。こんなことを言われてどうして良いのか分からない。
心臓がバクバクと鳴っている。求めてしまうのが辛いって……。そんな先輩を前にして私は、なす術がなかった。
何かを堪えるような、苦し気な表情で玲華先輩は言った。
「あなたの気持ちには応えたいと何度も思った。でも、だめ……。私がこんなことをしていては今まで何のために風紀委員長としてやってきたのか、意味がなくなってしまう」
「そんなっ……」
玲華先輩は私から離れてそっと自分の荷物を持った。
「未来、ごめんなさい。あなたのせいじゃない。全て私のせいよ」
「待ってくださいっ……!」
嘘……。
行かないで……!
「……未来。あなたの気持ちには応えられない。私には応える資格がない」
後ろを向いた玲華先輩はそう言った。
全身に力が入る。
「告白の返事がそれですか……!」
「……そうよ」
「そうですか……」
玲華先輩は私の返答を聞くと風紀室のカギを机に置いて、そのまま背を向けて出て行ってしまった。
1人取り残された。
叶わなかった。
私は玲華先輩のためなら何だってしたいし、力になりたかった。少しでも楽になって欲しかった。無理をしていると分かっていたから。
自分ならどうにかできるのではないかと心のどこかで思っていたのかもしれない。
でも、無理だったんだ………。
私じゃどうすることもできなかった。無力だった。
玲華先輩だって色々と葛藤していたんだ。自分が幸福を感じることでさえも拒否してしまうくらい自分を追い込んでいた。
私のことでも悩んでいたんだろう。先輩が私に好きだと言ってくれなかった原因もきっとそう。時折悲しそうな顔をするのもそう。
「先輩……。どうして……」
……どうしてそこまで自分を追い込んでしまうの。
私は誰もいない風紀室の中で1人、立ち尽くしていた。
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