セカンドタイム

 ある日の土曜日。

 部屋には、私と玲華先輩の2がいた。



 時は遡ること数分前。

 待ち合わせ時間になってもなかなか現れない千夏先輩から届いた1件のメッセージ――。



『あらやだ!(汗)

 これから事務所のミーティングなの

 忘れちゃってた(^з^)

 ごめん、今日は2人で楽しんでー。


 賭けの約束は果たしたぞっ☆』



 なんなんだこのわざとらしい文章は。文末の星マークが妙に腹が立つ……。



 基本的に約束や時間にルーズな人は風紀委員にはいない。それは千夏先輩も同じだ。一見適当そうに見えるけれど仕事はちゃんとこなしているし、約束や時間に関しても意外と守る。じゃなかったら副委員長なんて務まらない。そんな千夏先輩がドタキャンをした。

 音楽事務所に所属になった千夏先輩だけど、当分本格的な活動はしないみたいだったし、書いてあることは恐らく嘘だろう。こんなギリギリになって送ってくるあたり、最初から来る気なんてなかったんだ。

 ……まさか、言ってたプラン変更ってそういうことだったのだろうか。あの時、私と玲華先輩に何かあるって思ったんだろうな。やられた。



 好きな人と家で2人きりなんてドキドキしないわけもなく……。

 賭けの代償は「ドキドキする時間」とのことだったけれど、こういう形で実現するとは思ってもいなかった。少なくともホラー映画を観るよりは幾分もマシだが、落ち着かないったらありゃしない。



 この状況になって、女子を家に入れる男子の気持ちが少し分かった。相手はキスも初めての超ウブな女子なのだし、理性には働いてもらわないと困る。がんばれ私……。



 落ち着かない空気の中、とりあえずお茶を出して適当に座ってもらった。



 隣に座ったら近い距離感にもっとドキドキしてしまいそうだったから、私は玲華先輩の向かい側に腰を下ろして乾いた喉にお茶を流し込んだ。



「……多分千夏先輩、最初から来る気なかったんだと思います」



 私のコップのお茶はすでに空だった。



「あんな誘い方をしてきた上に来ないなんて許さないわ」


「千夏先輩ってスイッチ入るとなんかすごいですよね……飲み込まれるというか……」



 後ろから抱きついて胸やら首やら耳やらに触れた上に、言葉攻めをして無理やり約束を取り付けた。

 こうして言葉にすると妙にリアルでいやらしい感じがするが、これを慣れた手つきで自然とやっちゃうんだから千夏先輩はやはりやり手だなと思う。玲華先輩をあんな風にさせるなんて。

 ぎゅっと下唇を噛みしめているあの顔は今まで見たことがなかった。千夏先輩に負けたみたいでちょっと悔しい。



「あなたはされたことあるの……?」


「いや……えと……私は未遂っていうか……玲華先輩みたいにガッツリって訳じゃないというか……」



 文化祭打ち上げの日、あくまで未遂で終わっただけで、あのタイミングで玲華先輩が来てくれなかったらきっと……奪われていた。

 でも結果的に何もされなかったわけだし、私はまだ玲華先輩みたいな直接的な被害を受けたわけではない。

 もはや犬じゃなくて狼だな、千夏先輩は。



「……」



 玲華先輩はそっぽを向いて黙ってしまった。

 学校と違って家で2人だと、この沈黙もなんだかソワソワしてしまう。

 コップのお茶は空だ。何か気を紛らわす方法はないだろうかと考えて立ち上がり、自分の分のお茶を注いでそれをテーブルに置いた。



「あの、ゲームでもやります?」



 そのままの足で棚の方へ行き、並べられているゲームのパッケージに手をかけた。

 そう。こういう時のためのゲームだ。

 玲華先輩はゲームやるイメージないけれど、アクションゲームとか好きかな。



「あなたのやり込んでいる恋愛ゲームは遠慮しておくわ」



 文化祭のライブで、皆の前で私が羊飼いの執事をやりこんでいるなんて千夏先輩が言うから多くの人に知れ渡ってしまった。いけないことしてる訳じゃないし良いんだけどやっぱり少し恥ずかしい……。



「ひつしつのことですね。このゲームは1人用なんで……。あ、見てくださいこの人。玲華先輩のお兄さんに似てると思いませんか?」



 私がそう言ってパッケージを指差すと、玲華先輩は立ち上がって私の隣まで来た。フワッと石鹸の香りに包まれる。これ、いつも思うんだけど何の匂いなのかな。柔軟剤?



 今、洋子に借りている羊飼いの執事のセカンドバージョンのパッケージを玲華先輩に見せた。全キャラクターと羊たちがヒロインを取り囲んで笑っている。



「……似てない」


「えぇ、そうですか? 私初めて玲華先輩のお兄さん見た時、すごくこのキャラクターに似てるって思ってなんかドキドキしちゃいました」



 勘兵衛。私が羊飼いの執事で最も推しているキャラクター。オールマイティに何でもこなす、イケメン執事である。

 推している理由は、玲華先輩に雰囲気が似てたから。



「あなたはゲームのキャラクターにも恋をするの?」


「さすがにそれはないかな……。洋子はそうみたいですけど。私はあくまでキャラクターを攻略する過程を客観的に見て楽しんでます。実際、私にはもう好きな人いますし……」


「……」



 そう言いながら横に立っている玲華先輩の顔を見る。目が何秒か合ったが、玲華先輩は口に手を当てながら目を逸らした。

 目を逸らしたら負け。ポッキーゲームをやってたら今のは私の勝ちかな。なんてね。



「これは玲華先輩に似てますよね」



 親切な先生は今日も新設手術室しんせつしゅじゅつしつ施術中せじゅつちゅう。これは夏休みの最初に私が買ったギャルゲーム。

 タイトルを見て買うことを躊躇したが、攻略キャラの椿が玲華先輩にとても似てたから買ってしまった。序盤のレースゲームには苦しめられたっけ。

 玲華先輩本人に見てもらう日が来るなんて思わなかった。



「……あなたは私を不機嫌にさせるのが得意ね」



 玲華先輩がそう呟いたので私は一瞬固まる。



「え、なんで……! やだ! 嫌わないでください!」


「ゲームなんてくだらないわ」


「玲華先輩ゲーム嫌いなんですか? ……ごめんなさい、じゃあもうゲームはやりませんから嫌わないで」


「そういう意味じゃない」



 玲華先輩の顔は赤かった。

 どうしてこのタイミングで顔を赤くしているんだろう。



「……まさか嫉妬してるんですか?」


「そんなことないっ……」



 玲華先輩は私の好意が他に向いてしまうのが気になるんだ。だからこういう話をするのはゲームであってもやっぱり嫌なのかもしれない。

 強がっちゃってかわいいな。恋愛ゲームにも嫉妬しちゃうなんて。



「このゲーム、すごくストーリーもよく出来てて、ネットでも好評だったんです。でももうプレイしなくても良いかなって思ってます。だって目の前に本物の攻略対象がいるんですもん」


「……」



 玲華先輩は俯いてしまった。



「私、このキャラクターのハッピーエンドはまだ見れていないんですけど……でも玲華先輩とのハッピーエンドは見たいな、なんて」



 序盤のレースゲームをクリアした人が少なすぎて攻略情報が出回ってなかったし、玲華先輩に彼氏がいる説が浮上したタイミングでこのゲームには手を付けていなかったこともあって、未だに椿のハッピーエンドは見られていなかった。



「……」



 玲華先輩は俯いたまま、私の服の袖の部分をギュッと掴んだ。

 


 え、なに……。



 とりあえずその手を拾うようにして手で下から包みこんでみた。玲華先輩の手は温かかった。



 どうしたんだろう。身体ごと玲華先輩に向き合うように体勢を変えて、顔を下から覗く。

 顔を真っ赤にしながら口をまごまごとさせていて、その姿は普段の冷徹な玲華先輩とは似ても似つかなかった。なんでこんなにかわいい顔してんの……。こちらの理性が徐々におかしくなるのを感じた。

 この顔は反則……。あぁ、ダメだ。前回みたいに無理やりはやっぱり良くないのは分かっている。



「そんな顔しないでください、またキスしたくなっちゃうじゃないですか……」



 非常によろしくない状況だ。震えそうな声で言う。

 玲華先輩が許可をくれたら私は迷わずに――。



「……好きにしたら」



 目を伏せて玲華先輩はそう小さな声で言った。



「……して良いんですね」



 ゆっくりと顔を近づけた。

 しかし玲華先輩の手が震えているのが分かって止まる。やっぱり怖いのかな。安心させようと石を包む紙のように握っていた手を解いて先輩の指に自分の指を絡める。

 怯えたような、どこか恥ずかしいようなそんな表情をしていたので、少し不安になりながら様子を伺った。許可は下りたけど、震えてる人にはそんなことできないから。



「早くして。私は待たされるのが嫌いなの」



 玲華先輩は平然を装いつつ伏せていた目をこちらに向けた。

 手は震えてるくせに……緊張してるだけかな。じゃあもう本当にしちゃいますよ。



 背伸びをして顔を更に近づけるが、高さが微妙に足りない……。

 玲華先輩背筋のばしすぎ……。



「すいません、もう少し下向くか少ししゃがんでくれますか」



 玲華先輩は少し咳払いをして素直に少しだけ膝を曲げてくれた。

 そんな先輩の首に両手を回して固定し、唇に狙いを定める。今回も玲華先輩はガチガチに硬直していて、全身に力が入っていた。顔を傾けて唇を近づけると目がギュッと閉じられた。

 一瞬唇を合わせてから、至近距離で見つめる。玲華先輩もゆっくりと瞳を開けてお互い見つめ合った。玲華先輩の良い匂いがする。これで終わりにしたくないな。



「先輩。もっと力抜いてくれませんか。キスってガチガチになってするものじゃないです」


「……どうすれば良いの」



 困ったような、蚊の鳴くような声でそう返答される。



「深呼吸しましょう。吸ってー、吐いてー」



 私の指示に玲華先輩は従ってゆっくりと深呼吸してくれた。

 いつも指示されるのは私の方なのに。なんだこのかわいさは。



「上手です。顔の力も抜いてください。ここにまだ力が入ってます」



 玲華先輩の唇に自分の人差し指の腹を当てた。

 灰色の目を見つめながら私は玲華先輩の唇の力が抜けるのを待った。



「……そうです。そのままですよ」



 先輩の唇が徐々に柔らかくなるのを指の腹で感じたので、ゆっくりと唇から手を離して人差し指と入れ替わりに自分の唇を押し当てた。フニュっとした感覚を口先で感じる。

 玲華先輩の頬に手を添えて軽く撫でてみた。よし、力が入ってない。この調子だ。

 


 女子の唇ってこんなに柔らかいんだ。初めて知った。しかも良い匂い。



 力の抜けた玲華先輩の唇は柔らかくて心地よかった。まだ離れたくない。つい時間を忘れて長く唇を合わせてしまう。唇を合わせるだけのキス。

 目を僅かに開けて細目で見ると、玲華先輩の目はしっかり閉じられていた。溢れ出てこようとする笑みを押し殺して私は再び目を閉じた。



 しばらくして玲華先輩は私の肩をバッと押して顔を離すと、肩で息をしながら乱れた呼吸を整えた。



「先輩、息止めてたんですか……?」


「はぁ……はぁ……どうしてあなたは……こんなに余裕なの……」


「私だってドキドキしてますよ。でも玲華先輩がウブなだけです」


「悔しい……」



 玲華先輩が悔しがってる。負けず嫌いなんだろうなとは思っていたけれど。

 いつも1番だし完璧だから、悔しがってる姿を滅多に見たことがなかった。そういえば体育祭の部対抗リレーの時に陸上部に負けた時は悔しがってたっけ。でもあの敗因は私たちにあるようなもので玲華先輩個人の問題じゃないしな……。



 私でも玲華先輩に勝てること、あったんだね。

 


「勉強とか運動とか委員会の仕事とかは玲華先輩の方が断然上ですけど……こういうのは私の方ができるみたいですね、ふふ」


「……」


「玲華先輩、キスする時は鼻で息するんですよ」


「鼻で……」



 そう、少し高くて細いその形の良い鼻で。



「練習してみますか?」


「結構よ……あなたの力がなくたって……」


「分かりました。じゃあ練習したかったら言ってください」


「……」



 私はそう言いながら玲華先輩から離れた。

 これ以上は良くない。本当に我慢できなくなりそうになる。先輩のことは大事にしたい。

 玲華先輩の気持ちが私に向いてくれてるって分かってたらこんな気持ちにはならないのに……。



「玲華先輩……私のこと好きか分かりましたか?」


「それは………………」



 沈黙が続く。



「ごめんなさい、また聞いちゃって。何回も私に自分のことが好きなのか聞いてきた玲華先輩の気持ち、ちょっぴり分かっちゃいました……。でも待ちますから。だからもう聞かないようにします」



 その時の玲華先輩は少し悲しそうな目をしていた。



 これが私と玲華先輩との2回目のキスだった。

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