ブレークスルー


「こうやってテスト前に3人で勉強するの、初めてだよね!」


「未来は羽山先輩と勉強してたからね。うちらはたまに集まって2人で勉強してたけど」


「今回は……うん。一緒に勉強してくれてありがとう本当」


「校則、改正すると良いね」


「そうだね」



 テスト1週間前を切り、放課後の教室で机をくっつけてみっちーと叶恵と勉強をしていた。何気ない日常の些細な温かさの中に私はいた。



 ふとシャーペンを動かす手を止めて窓から外を見る。弱い光の日が淡く中庭を照らしている。テスト前だからか校庭の方で遊んでいる生徒も少ないようで、冬の風に吹かれて騒めく木々の音がはっきりと聞こえた。

 玲華先輩は今どこで何をしているのだろう。勉強しているのだろうか。私と同じ景色を見ているのだろうか。何を思っているのだろうか。我ながら、どこかの歌の歌詞でありそうなフレーズだ、なんて思いながら視線の先に映る景色をただ見ていた。

 テスト勉強に集中できれば良いものの、校則改正のことや玲華先輩のことを考えてしまってなかなか集中することができなかった。



「未来、見て。ねりけし作った」



 みっちーは丸めたねりけしを渡してきた。



「うん、いらないかな」



何の気遣いか分からないけれど、2人とも私のことを気にかけてくれるようだった。ねりけしはいらないけれど。



「ねぇ、誰が1番大きなねりけし作れるか勝負しない?」


「いや勉強しろよ」



 叶恵がすかさず突っ込む。



「勉強した分、消しゴム使うじゃん! 良い勝負になるよきっと」


「ねりけしで楽しめたのも中学生までだわ。手垢つきまくりで汚いっしょ。ね、未来」


「うん……。勝負するなら他のことが良いかも」


「じゃあシャーペンの芯何本消費したかで勝負は?」


「そんなことで勝負するなら普通にテストの点数で勝負した方が良くないか?」



 叶恵の意見はごもっともだ。



「確かに……」



 みっちーはこれでもなんだかんだいつも上位だからな。帰ってからも、雫会長と一緒に勉強してるんだろう。大きなねりけしができると良いね。



 特に用事がない日はこうして3人で集まって教室で、時には図書室で勉強した。

 1日1日は長く感じるのに、1週間はあっという間に過ぎる感覚になるのはどうしてだろう。



 気がつけばあっという間に時が過ぎて、とうとうテスト期間に入った。



 学院に入学してから4回目のテストになる。基礎はそれなりにできていたこともあって、解答用紙は一通り埋めることができたが、前回ほどの手ごたえを感じることはなかった。

 感触としてはまずまずといったところだろう。前回は30位以内という具体的な目標があったから気合も入ったけれど、今回は私のモチベーションを上げてくれるものが何もなかった。風紀委員としてそれなりの順位をとる。そんな漠然とした目標を前に手を動かすだけだった。



 1日目、2日目、3日目、4日目。

 無難にこなした。

 


 そして――。



 全てのテストが終わった後のことだった。担任の先生が教室に入ってきて徐にプリントを配り始めた。途端に生徒達がザワザワとしだす。まさか……。



 前の子からプリントを受け取り1枚取って、後ろの席の子に回す。私は改めて自席に向き合うとプリントに目をやった。

 そのプリントの冒頭には「男女交際禁止の校則改定について」と書かれていた。……ついに来たか。



 無心でプリントを読み進める。

 内容は、「男女交際禁止」から「不純異性交遊禁止」に変更するといったものであった。この不順異性交遊とはいわゆる性交渉のことを指していて、男女間でのセックスは子供ができるリスクがあるのと、生徒が良からぬ小遣い稼ぎに手を染めることを考えると、こればかりはやはり禁止せざるを得ないということだった。

 しかし、「恋愛」自体は生徒に任せるといった意図の記述がされており、特定の誰かと付き合い、恋人関係になること自体は校則違反にはしないそうだ。

 校則改定は数日後の終業式の日に正式に施行となり、このプリントはそれを事前にお知らせするものだった。冬休みが始まったその時から生徒は自由に恋愛ができるようになるということだ。

 クラスはこのお知らせに騒めいた。歓喜をあげてハイタッチしている生徒も何人もいた。先生はそんなクラスの様子を体の内側から灯がともったような温かな表情で見ていた。校則が緩んだ。男女交際禁止に関する全てを取っ払うことは難しかったが、それでも十分だろう。



 生徒の力で学院の歴史を塗り替えた瞬間だった。



「帰ったら速攻、マッチングアプリいれちゃう」



 前に座っていた子は舌を出しながら何かを企むような顔をして振り返った。私はそれに笑顔で返した。



「変な人に当たらないようにね」


「うふふ、風紀委員を前に堂々とこんなこと言えるなんて夢みたい」



 私はもともと恋愛に関してはスルーするって決めてたから別に良いんだけどね。素敵な恋ができると良いねと返事をするとピースを返された。



「未来! やったね!」



 テスト期間中の座席のため、隣にはみっちーが座っている。プリントを一通り読んだようで、みっちーはガッツポーズではにかんだ。



「みっちー本当にありがとう! すごいよ!」


「これで付き合える?」


「あのね……まだ分からないんだ」


「え、なんで?」



 みっちーの表情は途端に不安げになった。



 私には1つ引っかかっていることがある。それは玲華先輩が、自分の幸福を拒否しているということだ。確かに校則が改定されて玲華先輩を縛る呪縛は1つ消えたわけだけれど、これだけでは玲華先輩のことを救うことは出来ない気がしている。

 根本にある「それ」を取り除いてあげないことにはきっと前に進めない。

 玲華先輩が今回の校則改定を受けてどう動くのかはまだ読めない。手に入れたくないといったら嘘になる。でも仮にこれで付き合えたところで本当にハッピーエンドになりえるのだろうか。私にはまだ分からない。



 だからと言って、みっちーがしたことが無駄になるわけではない。みっちーの活躍は多くの生徒に希望を与えたのだ。それだけでも価値のあることだろう。

 みっちーが動くきっかけは私にあったけれど、結局は皆にとってプラスになる大きなことを果たした。それを伝えたかった。



「玲華先輩にも色々と思うことがあるみたいだから……。でもみっちーのおかげで皆が気持ち良く学校生活を過ごせるようになったのは確実だよ。やってくれたことは絶対無駄になんかならない。本当にかっこよかった。ありがとう」


「そっか……。うん、そう言ってくれてありがとう。うまくいくよう願ってるから」



 みっちーは優し気にそう言った。



「みっちーすごい! 会長が交渉したんでしょ? 姉妹で見せてくれるじゃん、感動した!」

「過去に前例がないのにねー! 歴史作ったね!」



 あっという間にみっちーはクラスメイトに取り囲まれた。嬉しそうに笑っている。私も親友として誇りに思う。



 私はプリントを折りたたんでバッグにしまった。



 今日から終業式までの間は土日を入れて5日間ある。この期間は基本的に午前授業で、テスト返却や補講といったものが中心になる。通常授業はなく、あったとしても自習のような軽いものになる。もうほぼほぼ学校は終わったものだと考えて良いだろう。



 テスト勉強から解放されたは良いけれど、その分時間に空きができてしまったので、頭の中で考えることも必然的に増える。

 やはり私の頭の中には玲華先輩がいた。



 校舎の玄関口に順位表が貼り出されたのは、テスト最終日から土日を挟んだ月曜日のことだった。

 


 私の名前は順位表には載っていなかった。あまり好感触じゃなかったししょうがない。返却されたテストの点数を見るからに分かっているのは平均よりは上だということだけだ。みっちーは相変わらずの順位だった。どれくらい大きなねりけしができたのかは知らない。

 2年生の順位に目をやってポカンとする。なんと1位は雫会長で2位が玲華先輩だった。玲華先輩が1位じゃない……。この順位は他の生徒にとっても意外だったようで周りはそのことで小言を漏らしていた。雫会長、今回テスト頑張るって言ってたなそういえば……。本当に玲華先輩抜かしちゃった。

 全校生徒を代表して校則改正に携わり、おまけにテストも1位だときたので雫会長は英雄のように称えられていた。



 私はそんな様子を温かい気持ちで見守りながらも、どこか憂鬱に乾く心が彷徨っていた。

 玲華先輩のことが気になるのだ。今回の2位を受けて、どんな心境でいるのだろうか。完璧主義な先輩のことだ。きっと絶望しているだろう。でも今の私は先輩に何かしてあげることはできない。無力だ。気持ちに応えられないという言葉は、私では無理だと言われたようなものだから。もどかしさに唇を噛む。



 その日の放課後、すぐに家に帰れば良いものを、意味もなく私は校舎の周りを歩いていた。温もりのある日差しが気持ち良くて風に揺られながら歩きたくなったのだ。家の中のどんよりとした空気の中にいるよりはずっと良い。

 午前授業だったこともあって冬の空は太陽の光を取り入れて白く明るかった。

 校庭には人がいて、バレーボールで遊んでいる生徒たちが見える。下校時間までもうすぐだが、テストも終わったことで解放されて、時間いっぱいまで思い切り遊びたいんだろうなと思う。笑い声を上げながら思いっきり楽しんでいる様子が私の瞳に映し出される。そんな様子を見ても私の心は鮮やかではいられなかった。



「1人になりたいな」



 そう思った。



 私は誰もいない校庭を前に、感じた謎の心地よさを思い出していた。また1人になりたい。誰もいないような場所に行きたい。まるで学校に私1人しかいないと錯覚させてくれるような空間に行きたい。

 ただでさえ目立つ風紀委員だ。こうして人目のつく場所にいると、視線を感じるし誰かしらに声をかけられてしまう。普段ならそんなことは思わないけれど、今日はそれを鬱陶しく感じてしまっていた。

 教室、図書室、屋上――様々な場所を思い浮かべるけれど、どこも人がいそうだ。



 消去法で消して行った先に1つ候補が残った。



 私が向かったのは地下にある資料室だった。暗いのは嫌いだし、埃っぽいのも苦手だ。でもあの空間を求めてしまうくらいには私の心情はおかしくなっているんだと思う。とにかく落ち着きたい。邪念を追い払って心を無にしたい。

 地下へと続く階段を降りて薄暗い道を進む。一度行っただけのわずかに残る記憶を頼りに扉の前までたどり着いた。ここだ。

 扉に手をかけて一歩中に踏み込むと、すでに誰かがいたようで息を飲む。



「あっ……」


「……!」



 先客がいたことに驚いて思わず声が出てしまった。中にいたのはなんと玲華先輩だった。私が声を上げてしまったことで気が付かれてしまった。驚いた顔でこちらを見ている。まずい。玲華先輩も1人になりたい時にここに来ることがあると言っていた。文字通り、1人になりたかったんだろう。私がいてはきっと邪魔だ。



「すいません、まさかいるとは思わなくて……すぐ出ていきますから」



 カシャンと音を立てて扉は自動的に閉まってしまった。

 踵を返してドアノブを握った。



「いいわ。ここにいても」



 私の背中に玲華先輩の声が届き、ピクッと動きを止める。

 振り返って先輩の方を見た。



「……。私がいてもいいんですか」


「あなたが良ければ」



 玲華先輩は力なくそう言うと目線をずらして少し伏し目がちに下の方を見た。その仕草から、なんとなくここにいてと言われているような気になってしまい、ドアノブにかけた手を下に下ろした。

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