文化祭――打ち上げ

 

 月曜日は文化祭の代休。生徒会と風紀委員で合同打ち上げの予定だった。これも雫会長の提案である。うちの生徒会長はみんなでワイワイするのが好きなようだ。打ち上げは場所は学院の駅近のカラオケで、フリータイム制で予約を入れている。

 合同打ち上げということもあって今回は大人数になる。雫会長が幹事で打ち上げを取りまとめてくれたこともあって、私たちの中に不参加の人はいなかった。



 カラオケのパーティールームに入り、適当な場所に座る。隣は洋子だった。

 雫会長のお疲れ様でしたという掛け声と共にみんなでジュースを乾杯する。



 タブレットを操作して皆はそれぞれ好きな曲を入れて歌っていた。大人数だしここでは聞き専かな。ライブをしたこともあってかなんか歌ってよ、とタブレットを何人かに渡されたけれど、大丈夫と言って隣にパスをした。玲華先輩の歌を聞いてみたいと思ったけれど、私と同じようにただ皆が歌っている姿を見ているだけだった。



「未来さんそういえば土曜日最高だった。ひつしつの布教もありがとう。信夫推しが増えるといいなぁ」



 カラオケが大音量で流れているので、洋子は若干声を張り上げて話しかけてきた。



「洋子が教えてくれなかったら歌ってなかったからね、感謝してる。私の推しは信夫じゃなくて勘兵衛だけどね」


「勘兵衛はかっこいいけどちょっととっつき難くない?」


「そういうところが良いんだよー! 周回させてもらった」


「続編、まだ買ってないよね?」


「うん、やってない。面白かった?」


「めちゃ甘だった! やる?」


「いいの? ありがとう! 中間テスト終わったあたりに貸してくれると嬉しい」


「いつでもいいよー」



 夏休み明けはメンタルが最悪だったこともあって、洋子にひつしつを返したのだが、続編は借りていなかった。でも今は、ゲームを楽しむ心の余裕があるし、テスト後なら時間ができるので是非とも借りたい。



「未来さん未来さん君が羊羊歌ってよぉ」


「え、いいよ私は。なんか自己主張強い人みたいになっちゃいそうだし」



 もうライブで歌ったし……。こういうのは、たまにやるから良いんだと思う。



「えーじゃあラップもだめ?」


「ここで? ……てか洋子途中照明さぼったでしょ?」


「ごめん、なんかいきなり豹変したからビックリしちゃって。未来さんって豹変系ラッパーだよね。風紀委員にはラッパーが2人いるってすごくない? 羽山先輩とコラボしたら……グフフフフフッッうふふふ――」



 いつから私はラッパーになったのか。肩書みたいに言わないでほしい。

 洋子はツボに入ったようでお腹を抱えて笑い始めた。洋子はこうなると会話にならないし、次にみっちーが歌おうとマイクを持っていたので私は席を立ってトイレに向かった。



 トイレのドアを開けると千夏先輩が手を洗っていた。



「おーフューチャー」


「未来です」


「お疲れー」



 千夏先輩は手についた水滴を私にふっかけてきた。



「わ、ちょっと! 何するんですか!」


「清めの水のおすそ分け」


「ただの水道水でしょう……? 適当なこと言わないでください!」


「あは」


「そういえば千夏先輩、デビューの話どうするんですか?」



 この前のライブで千夏先輩はプロデューサーにスカウトされていた。結局どうするのか聞けていなかったので気になっていたのだ。



「……趣味だって思ってたから声かけられた時はちょっとビックリしたかなー。挑戦したいって思いがないわけじゃないよ。迷ってる部分がある」


「どうして迷ってるんですか……?」


「あのステージを実現できたのはバンドメンバーのおかげだし。それであたしだけデビューするのは違うんじゃないかって」


「そんなことない。千夏先輩の実力だと思います。由紀先輩や有紗先輩も褒めてましたよ」


「ふーん……」



 千夏先輩は遠い目をしていた。あの時と同じ顔。どこか引っかかる違和感に私は言葉を続けた。



「2人とも千夏先輩のこと好きですし、いざデビューするって聞いたらきっと喜んでくれるはずです。2人以外でもそうです、千夏先輩は人気者ですし皆から好かれてますから」



 私がそう言うと千夏先輩から笑顔が消えた。



「未来は良い子だからそう思うだけだよ。人間ってのはそう単純じゃない」


「そんなぁ……」



 千夏先輩がそんなこと言うなんて意外だった。先輩は手についた水滴をハンカチで拭うと、息をふっと吐いてこちらを見た。

 いつもと違う空気に私は唾を飲み込むのがやっとだった。



「……あの2人の夢は何か知ってる?」


「知らないです……」


「プロのミュージシャンだよ。2人とも学校の外でもバンドを組んでてバイト代つぎ込んで練習して、努力してる」


「そうだったんですね……。でも千夏先輩だって一生懸命――」


「万人に好かれるなんてそもそも無理な話で。……影ってさ、光があってはじめてできるでしょ。万人に好かれている人がいたって、そんな人を良く思わない人が影のように必ず出てくる。人ってのは基本的に嫉妬する生き物だから」


「……」



 私は嫉妬という感情をあまり感じたことはなかった。それは争うことに興味がなかったから。

 でもその感情も今となっては少しは理解できる。だから千夏先輩の言ってることも理解ができた。



「人気者、人気者って言う人もいるけど、あたしはいつも……何でたいして努力をしていないお前が、とか器用貧乏だとか憎まれ口を叩かれて生きてきた。万人から好かれてるように見えるのは表面上だけだよ。でもそんな、ただふらふら生きてるだけだった自分にもようやく音楽っていう居場所を見つけた。だから音楽仲間は特に大事にしてきた。これまでと同じような事にならないように。……唯一見つけて築き上げてきたあたしの居場所を壊したくないんだよ。時間をかけて築いても壊れる時はあっという間。虚しいくらいに人間関係はモロいから」


「先輩……」


「第一、プロにならなくても、音楽やってればあたしはそれで満足だしさ……」



 千夏先輩の目は悲しげだった。こんな表情を初めて見た。なんとか勇気付けたい、私はそう思った。

 一歩近づく。うまくまとまらないけれど、私は千夏先輩に伝えたいことがある。



「リレーの時に抜かされて2位から一気に4位になったことを思い出しました。体育祭の時に」


「体育祭……なつかしーね」


「はい、部対抗リレーの時です。私は千夏先輩からバトンをもらった後に抜かされまくって4位になったんですよ。覚えてますか? あの時は悔しかった。まぁ……そんな状況になっても悔しくない人なんて、一生懸命やってなかったり本気で向き合ってない人たちだけだと思いますけど。……とてもじゃないけどあの時の私は、私を抜かした人たちにおめでとうなんて声をかけられる心境ではありませんでした。今回の件もそれと同じだと思うんです。由紀先輩や有紗先輩も悔しがってないといったら嘘になると思います。それは2人が音楽に対して一生懸命だから」


「なるほど……リレーで例えるなんて面白いね」


「私の走る区間でダントツの1位は陸上部に所属している友達、叶恵でした。でも、それで私は叶恵を嫌ったりはしないです。あの時は確かに悔しかったけれど、そんなことで友達の縁が簡単に切れるくらいだったら最初からそれまでの関係だったってことだと思います」


「まぁ言いたいことは分かるけど、リレーとは話が違うっていうか……」


「今のは例え話ですけど、同じようなものだと思います。自分の居場所を守るために……表面上の関係を守るために挑戦を諦めるんですか。そういうリスクも含めて人生は楽しむものだと教えてくれたのは千夏先輩じゃないですか……」


「あぁ……」



 千夏先輩はこのことを思い出したようで、口を僅かに開き伏し目がちに呼吸をただ繰り返していた。



 私は千夏先輩より交友関係は広くないけれど、だからこそ言えることがある。



「万人に好かれるのは確かに無理だと思います。でも私は、万人に好かれなくても自分を応援してくれる一番の味方がいればそれで十分だって思ってます。私は、千夏先輩がよく考えて出した結論ならそれが何であったって良いです。どんな選択をしようと応援しますし、喜びは一緒に分かち合いたいです。それは私が千夏先輩の味方だからですよ……。最初に私に味方だって言ってくれたのは千夏先輩でしたよね。……先輩の味方なのは私だって同じです」


「味方ね。確かに言ったわ……」


「私はその時に救われた気分になれました。だから千夏先輩には、誰にも言ってなかったゲームのことも話したんです。正直、軽蔑されて嫌われるかもしれないって思いました。でもこうして今も……いつも私のこと気づかって笑いかけてくれるじゃないですか。味方って言ってくれたのは嘘じゃなかったんだって分かって嬉しかったんです」


「そんなことで嫌いになるわけないじゃんか……」


「音楽仲間の中でも、私と同じように千夏先輩のことを一番の味方だと考えてくれる人はいるかもしれないでしょう? 新しく挑戦した場所が居場所になることだってあるじゃないですか……そこに味方がいなかったとしても少なくとも私は味方です! ……私が先輩の居場所になります。

 頼りないかもしれないけど、悩んでいることがあったら何でも話してほしいし少しでも力になりたいんです。千夏先輩の悲しんでる顔は見たくないから」


「未来……」


「私は千夏先輩が大きなステージでドラム叩いてる姿が見たいなぁ……。それでテンション上がって叫んじゃうんです、千夏先輩の名前を……」


「未来――」


「――っ!」



 手を引かれて一気に千夏先輩の胸に引き込まれて抱きしめられた。いきなりのことに驚いて千夏先輩の腕の中で瞬きを繰り返す。



「その健気な瞳で今まで何人の人を落としてきたのかなぁ」



 耳元でそう言われて思わず体が硬直した。抱きしめられている腕に力がこもり呼吸がしづらい。



「千夏先輩、苦しい」


「未来さー……気づいてないかもしれないけど、あなたかわいすぎる時あるんだよねー。……玲華もおかしくなるわそりゃ」


「そ、そんな」



 腕の中で抵抗するがびくともしない。千夏先輩は私の耳に口を近づけて、ゆっくりと囁いた。



「あんまり煽らないでよ、我慢できなくなりそうになる……」



 息が直に耳にかかり、ゾクゾクとした感覚が一気に全身を駆け巡る。身体がビクッと反応する。思わず距離をとろうと一歩下がると千夏先輩の真っ直ぐな目がこちらを見下ろしていた。



「ち、、、近いです」


「近づけてるんだから近いよ」



 頬に千夏先輩の手が触れてゆっくり輪郭をなぞるように下ると顎を手の指先で上に持ち上げられた。これはちょっとまずい。この人テクニシャンだ……。私の体は緊張で全く動かなかった。

 奪われる……なす術なしだ。もう諦めるしか……。



 その時、トイレのドアが開きかかり千夏先輩は一気に私から離れた。



「何をしているの? 連絡も繋がらないからみんな心配していたのよ」



 来たのは玲華先輩だった。

 私の心臓はバクバクと鳴っている。危なかった。本当に悪ふざけがすぎる……あんなことされるなんて思ってなかったから驚いたし、完全に相手のペースに飲み込まれてしまっていた。玲華先輩が来てくれてある意味助かった。



 トイレで千夏先輩と長話していたせいで、皆心配していたようだった。玲華先輩が様子を見にここまで来たらしい。



「ごめんなさい。通知切ってました」


「ごめーん、ちょっとトイレで思いっきり踏ん張ってたらこんな時間になってた。戻るわー」



 いつも通りになった感じの千夏先輩は玲華先輩という壁をひょいと乗り越えるとそのまま個室に戻って行った。ちょっと千夏先輩、私を置いて行かないでよ!



「あなたは何をしていたの?」


「えーと私は……とりあえずトイレ行ってきて良いですか」



 逃げるようにトイレの個室に入って言い訳を考える。千夏先輩と話してたって言いたいところだけど、千夏先輩は一人で踏ん張ってたていになってるし無理じゃん。どうしよう。個室から出て、深呼吸。手を洗ってからトイレの入り口のドアを開けると玲華先輩が待っていた。



「あ、そこにいたんですね。もう戻ったかと思いました……」


「言い訳は考えたかしら?」


「うっ……」



 私の考えを見通すかのような発言に言葉が詰まった。

 そんな私を見て玲華先輩は続けた。



「私の面倒を見たいと兄に言ったそうね」


「あぁ……言ったかも……しれないです……あはは」



 安易に言ってしまったけれど、玲華先輩はお兄さんと仲が良いことを忘れていた……。家で話したんだろうな。



「ふざけないで」


「ご、ごめんなさい……」


「……あなたの面倒を見てるのは私の方でしょう」 


「そうですよね……。でも玲華先輩のことを何となく放っておけない気がして……。余計なお世話ですよね、すいません」



 面倒を見たいと思ったのは嘘ではない。玲華先輩にとったら良い迷惑かもしれないけれど。



「もう一度聞くわ、私のことを好きだったのは過去形なの?」 



 玲華先輩の顔はほんのりと赤みを帯びてきていた。これは形勢逆転のチャンスかもしれない。



「好きだと言ったらどうなるんです? どうしてそんな質問をするのか教えてください」


「……あなたの気持ちを確かめるためよ」


「なんのために?」


「……」


「……答えが出たら教えてください」



 ちゃんと言ってくれないと分からないから。玲華先輩の口からその言葉を聞くまでは私はその気になったりはしない。



 優勢を勝ち取った私は玲華先輩の横を通り抜けて歩いた。カラオケのパーティールームに戻る途中、スマホを開く。私を心配したであろう打ち上げメンバーからの着信とメッセージが何件か入っていた。

 私とみっちーと叶恵の3人のトークグループにもメッセージが入っていて開くと叶恵だった。



『別れた。心配かけてごめん』



 叶恵が彼氏と別れた。



 学校で話を聞こう。

 パーティールームに戻ってみっちーと顔を見合わせて意思疎通した。

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