好きの証明

 授業が終わると私は足早に風紀室に向かった。

 怒られると分かっている手前、なかなか平常心を保つことができない。呼吸を整えて扉を開けたが誰もいなかった。少し早く来すぎてしまったかもしれない。ソファーに腰掛けた。落ち着かない。

 今回、私は悪いことはしていない……と思う。どう伝えればいいのか考えては、何度も頭の中でシミュレーションを繰り返す。



 間もなくして風紀室のドアが開いた。



「あ……お疲れ様です」


「お疲れ様」



 玲華先輩は無表情のまま、テーブルを挟んで向かい側のソファーに腰掛けた。

 ノートを取り出して開きボールペンを握ると、玲華先輩はこちらを視界に捉えた。

 いつもより緊張感のある雰囲気で背筋が伸びる。



「どうして呼び出されたのか分かるわね」



 叶恵の元彼の対応を行った。結果的に運良くその場をうまく収めることができたのだが、校門前で叶恵の元彼が声を張り上げたこともあって玲華先輩や他の生徒の不安を煽ってしまった。だからこうして今、風紀室で羽山玲華風紀委員長に取り調べを受けているという状況だ。

 落ち着け。少々心配をかけてしまった部分はあるかもしれないが、しっかりと正直に受け答えをすれば大丈夫なはずだ。



「……昨日の放課後のことですよね。ご迷惑をおかけしました」


「……そうよ。あの人は誰?」


「ただの顔見知りです」


「ただの顔見知り……?」


「はい」


「本当?」


「本当です」



 玲華先輩は目を閉じて溜息をつくと、ゆっくりと目を開いた。



「……喧嘩をしていると他の生徒は言っていたわ。また男性関係の揉め事?」


 

 1学期、私は竹内たちからいじめを受けたが、元を辿れば私の男関係が原因だった。しかし今回は違う。ただの顔見知りだということも恐らく信じられていない。

 私は誤解を解きたくて、焦り口調になっていた。



「彼と私には何もありません! これは本当です!」



 玲華先輩の表情は変わらない。



「こちらを見て慌てて男性の手を引いていた。それは校則に違反していると自覚しているから……。見つかるとまずいことだと分かっていたから逃げたのでしょう」


「違います!」


「証拠はあるの?」



 この会話で玲華先輩は私があの男と男女の関係にあると踏んでいたということが分かった。ただ、怒鳴られていただけならば良かったが、私が男の手を引いてしまったことで、ただの顔見知りではないと結論付けたのだろう。

 男女交際禁止の我が校にとって、風紀委員が人目のつく場所で彼氏と会っていたら問題になる。だから玲華先輩はこんなに緊迫した空気で話しているんだ。



 しかし、交際の事実はもちろんない。単に私は男と少し話したかっただけで、別にやましい気持ちがあった訳でもない。しかし、状況も状況なだけあってそう捉えられてしまってもおかしくはないのかもしれない。なんとかして納得してもらいたい。



 証拠……。玲華先輩は私に証拠を求めているようだが、付き合っていない証拠なんてどう出せば良いというのだ。必死に頭を働かせて考える。



「本当に付き合ってないし、そういう関係でもありません。証拠にはならないかもしれないですけど、連絡先も知らないですから私」



 昨日聞かれたけど、ちゃんと断ったし……。



「連絡先も知らないのに、どうしてあの人は校門前であなたのことを待っていたのかしら」



 灰色の目が少し細まる。



「あれは私のことを待ってたんじゃないです!」


「……じゃあ誰のことを?」


「せんぱい……お願いです、信じてくださいよ……」


「……証拠が必要よ」



 ここで叶恵の名前は出したくない。少しやけになる。 



 そうではないと信じてもらいたいのに、うまい言葉が出てこないことがもどかしい。必死の訴えも空しく断ち切られてしまった。

 証拠……。再度考える。 

 例えばここで、私の好きな人は玲華先輩だと言えば信じてもらえるだろうか……。でも玲華先輩の気持ちが分からないのにそれを言うのはリスクがある。そもそも、私が必死で弁明しているのに信じようとせず証拠にここまでこだわることが何だか不自然だった。



 浮かび上がった1つの疑問。

 



「……玲華先輩が私をここに呼び出したのって校則違反を注意するためですか?」


「……何を言っているの。そうに決まっているでしょう、きちんと事実関係を確認して対応するためよ」 



 玲華先輩は少し驚いたような顔を一瞬したが、すぐ元に戻った。

 少し前屈みになって玲華先輩の顔を覗き込んだ。私の動きに合わせて玲華先輩は頭をやや後ろに引いたかと思うと、顔を背けた。目を合わせてくれない。それはどこか悲しんでいるような表情だった。



「私のことが信じられないんですか」


「……信じていないわけじゃない。不安だから聞いているの」



 この感情、知ってる。

 確信に近いものを感じた私は切り出した。



「もしかして私の好意が他に向いてるんじゃないかって心配だったんですか……? だから自分のことが好きなのかっていつも確認してきた。違いますか?」


「……っ!」



 玲華先輩は目を見開いて一瞬こちらを見たが、またすぐに逸らされてしまった。

 頬がじわじわと赤く染まっていく。そんな先輩の表情に、私はどうしようもない気持ちの昂りを感じていた。



「私が他の人に話しかけられたり貰い物をしたりすると、玲華先輩はいつもその顔をするんですよ。今回だってそうです……。先輩は私の好意がどこに向いているのか知りたい。そうじゃないんですか?」


「……」



 さっきの強気の姿勢とは打って変わって黙りこんでしまった。ボールペンを持つ手は完全に止まっている。



 言って欲しい。

 


 口に出して言って欲しい。

 じゃないと分からない。



「先輩。違うなら違うって、そう言ってくれませんか」



 玲華先輩は何かを堪えているように唇を閉じて少し震わせていた。私はただその顔を見て応答を待った。いつもどこかはぐらかされてきたけれど、今回はちゃんと言ってもらいたい。それがどんな答えであっても良い。玲華先輩の口から聞きたい。



「……そうよ」


「え……」



 それは消え入るような小さな声だった。

 玲華先輩は、小さな声のまま吐き捨てるように言った。



「あんな告白のされ方をされたら気にならないわけないでしょう。……私のことを……惑わさないでっ……」



 校則違反を取締るというのは建前で、これが先輩の本音……?

 ずいぶんと弱々しい表情の玲華先輩の顔を見ていると、胸が締め付けられた。



「こっちを見てください……」



 ゆっくりと灰色の瞳がこちらに向くのを確認した。少し潤んでいて、瞳はキラキラと輝いていた。



「先輩……。じゃあ私も質問に答えます。私、玲華先輩のこと今でも好きですよ。だから他の人を好きになったりなんてしてないです。これは証拠になりますか、私が誰かと付き合ってないっていう」


「……そんなの証拠にならないわ」



 玲華先輩はそう言いながらも安堵したように大きく息を吐いた。



「私、玲華先輩がお兄さんと一緒に歩いてるところを初めて見た時すごく苦しかった……。玲華先輩には彼氏がいるんだって思った私の気持ち、先輩には分かりますか? 私があの男と一緒にいるところを見て、先輩はどういう気持ちになりましたか……?」



 私と同じ気持ちだったら良いな。



「……あなたの気持ちは……分かったわ」



 私はその言葉を聞いて、今まで抑えてきたものが溢れてくるのを感じた。



 自分の気持ちを再度告白したのに、そんなの証拠にならないと言われてしまった私は提示できる更なる証拠を探した。

 玲華先輩に彼氏がいるって思いこんで1人落ち込んでた私の気持ち、先輩には分かるんでしょう? 



じゃあさ……。



「玲華先輩は友達とキスできますか?」


「は……? できるわけないでしょう」


「じゃあ私とは……?」


「……っ!」


 

 先輩は息を呑んだ。あぁ、この顔。



 止まらない。



「試してみませんか。私とキスできるか」



 止まらない。



「な、何を言っているの」


「嫌だったらそう言ってください」



 テーブルに片足の膝を乗せて更に身を乗り出す。行儀の悪い体勢かもしれないけれど、止めることができなかった。玲華先輩は私の動きに合わせて少し後退りしたが、これ以上後ろに下がらない距離までくると止まった。私の手は先輩の顔にすぐに追いついた。両手を頬に添える。しっとりとしていて艶のある白い肌を包むようにして優しく撫でる。

 


「……やめ……なさいっ」



 私は玲華先輩の言葉を無視して顔を近づけた。

 鼻先が触れる距離になる。一瞬玲華先輩特有の石鹸の匂いが鼻をかすめたが、そんなことを感じられないくらい私の胸は高鳴っていた。



「抵抗しないんですね……」



 口では辞めるよう言っているのに身体ではまるで抵抗してこない。

 顔を少し傾けて更に近づくと、カチャンと床にボールペンが落ちた音が聞こえた。



 灰色の瞳に私の瞳を映すと玲華先輩は諦めたかのように目を閉じた。ぎゅっと閉じられた目と、緊張しているのか力の入っていて少し震えている唇。片手を肩のあたりまで滑らせる。

 全身が硬直してガチガチになっているのが分かった。そんなウブな反応に可愛すぎてため息が漏れそうになるのを堪えて、震えている唇にゆっくりと自身のものを重ねてすぐに離した。



 一瞬。



 一瞬のことではあったが、私はひどく満たされるのを感じた。じわじわと胸の中で温かい何かが広がる。



「……嫌でしたか」



 近い距離感で尋ねる。



「……聞かないで」


「教えてください」


「……嫌では……な……い」



 控えめに発せられたその言葉に安心する。これで嫌だと言われてしまったら悲しかったから。



 私とのキスが嫌じゃないってことは――。



「私は好きな人とじゃないとキスしたいって思いませんよ。先輩は私のこと、好きですか……?」


「……」



 唇を離した後の距離感に戸惑っているようで、玲華先輩は目を背けて口元を手で覆った。

 顔が真っ赤である。



「恥ずかしいんですか? それとも好きじゃない?」


「…………っ」


「好きだって分かったら、あるいは好きじゃないって分かったらその時は教えてください。言ってくれないと分からないです、私……。それまで、待ってますから」



 私も最初は自分の気持ちに気がつかなかった。千夏先輩に言われて初めて自分の気持ちに気がついたんだ。だから結論は急がなくて良い。



 恋愛対象じゃない人とのキスにそこまで抵抗のない人はいる。例えば千夏先輩とか。攻略対象に唇を許してきた自分もそうだと思っていた。でも――

 キスは皮膚と皮膚の接触だと割り切っていた私にそれは初めて意味をもたらした。先程の一瞬の時間で私は自分の気持ちを再確認した。

 玲華先輩の気持ちが同じなのか分からない。あの一瞬の時間に先輩は何を感じたのだろうか。



 ゆっくり先輩から離れて、テーブルについていた膝を戻した。玲華先輩は未だに手で口を覆って、目を潤ませていた。

 いつまでこんな可愛い姿を私の前で晒しているのだろうか。落ちているボールペンを拾って渡した。



「もしかして、ファーストキスだったりしますか」



 キスした時、ガチガチに緊張しているからか、力が入っていて触れた唇は固かった。いつも何でも完璧にこなす先輩なのに余裕がない様子が伝わってきて、いけないことをしている気分になる。

 こんな状態の先輩を見ると、やはりこういった経験がなかったのかと思ってしまう。



「……うるさいわ」



 小さく呟いた先輩。

 その返事は初めてだということを察するのには十分だった。

 ……やっぱりそうだったんだ。



「最初が私なんかでごめんなさい」


「だまって……」



 とある放課後の風紀室。難攻不落の風紀委員長の唇を奪ってしまった瞬間だった。

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