賭け

 初めてキスをしてから私たちは少し恥ずかしいような、ぎこちないような、そんな距離感だった。思い出すだけで、どこかくすぐったさを感じてしまう。

 今思えば一方的なキスだった。攻略しないつもりだったのに玲華先輩が可愛すぎて歯止めが利かなくなってしまったことは反省しなければいけないかもしれない。怒られに風紀室には行ったはずが、まさかあのタイミングで身体が自然と動いてしまうとは思ってもいなかった……。

 でも、友達とはキスはできないと言った玲華先輩は、確かに私の唇を受け入れたんだ。それが救いだ。大丈夫、友達以上にはなれている。欲を言えば言葉で好きだと言ってくれたらすごく嬉しい。玲華先輩がそんなことを言うのは想像できないけれど。



 風紀委員の一員として、先輩たちから少しずつ私にも仕事が振られるようになった。朝の挨拶運動、放課後の見回り、行事などでの先輩方の補佐、生徒会室で行われる合同会議の出席に加え、最近では校則違反者の名簿一覧の作成や学院長への活動報告文書の作成も行っていた。この報告文書は本来は2年生の仕事なのだが、2年生は11月の上旬に2泊3日の修学旅行で学校を留守にしていたこともあり、私が代わりにやることになったのだ。



 報告文書が完成し次第、風紀室にあるファイルの中に入れて欲しいとのことだったので、昼休みの時間に出来上がった報告文書を提出しに風紀室のドアの前に立った。

 昨日、修学旅行から帰ってきた2年生。玲華先輩はいつも高確率で中にいるのでドアを開く前はうきうきする。今日はいるかな。

 ゆっくりドアを開ける。……中には玲華先輩はおらず、千夏先輩が座っていた。珍しい。一瞬スマホの画面が光るのが見えたけど、見なかったことにしておこう。



「千夏先輩、お疲れ様です」


「おーフューちゃん」



 満面の笑みで迎え入れられた。



「何ですかフューちゃんって……いつから私の名前はフューになったんですか」


「フューチャーのフュー」


「そんな気はしてましたけど……。ちゃん付けして微妙にフューチャーと被せてくるの何とかなりませんか……」


「えーかわいいじゃんフューちゃん」



 千夏先輩は上機嫌に持っているペンをクルクルと回し始めた。

 ペン回しと言えば……先輩はあれから、プロデューサーの河合さんと話し、事務所に所属するアーティストになった。ただ、学業や風紀委員の仕事もあるので、高校卒業までは籍だけ入れて、時折アーティストのサポートをするドラマーとしてのポジションになったそう。音楽仲間からの嫉妬で居場所がなくなることを恐れていたみたいだけれど、相変わらず由紀先輩や有紗先輩とも仲良くやっているみたいだし、何を躊躇していたんだと今となっては思う。

 未来の言葉がなければすぐに動けなかったと千夏先輩には感謝された。叶恵の元彼の件もそうだが、自分ではたいしたことをしていないつもりでも、人から感謝されるのは悪い気分ではない。こんな自分でも誰かの役に立てたことがただ嬉しかった。



「……ところでここで何してるんです?」


「あー。放課後巡回と挨拶運動の当番表作ったから見てもらおうと思って玲華待ちー。フューちゃんは?」


「……昨日帰ってきたばっかりなのに頑張りますね。私は報告文書作ったので提出に」


「あぁ、頼まれてたやつね。偉いじゃーん。なんかフューチャーも風紀委員っぽくなっちゃったよねー」



 どことなく残念そうな表情の千夏先輩。



「いや、風紀委員ですから…………あとフューちゃんなのかフューチャーなのかハッキリしてくれますかね。呼び方ぶれぶれじゃないですか」



 千夏先輩はふふっと笑うとペンを上に放り投げ、それをキャッチしてまた再び一段と高く上に放り投げてキャッチした。無事キャッチして、よし、と声を漏らした。

 千夏先輩っていつも動きが予測不可能なんだよな……。ペンがいきなりこちらに飛んで来たらどうしよう。この前みたいに襲われかけたらどうしよう。



 私は棚を開けてファイルを取り出すと、報告文書を入れて元の位置に戻す。



「呼び方、そこはあえて清水さんでいこうかな」


「そんないきなり苗字呼びはなんか距離感じるので嫌です……」


「おぉ、今の顔なんかいいね」



 いじわるな表情で笑っている。いじりモード全開だ。早くこの場を離れよう。



「……提出済んだので私もう行きますね」


「ちょい待ちー。玲華来るまで暇だからここにいてよー。ほら、これでも食べなさい」



 差し出されたのは修学旅行のお土産である激辛苦げきからにがまんじゅうだった。

 風紀室にはそれぞれの先輩が買ってきたお土産が机に置いてあった。昨日か、今日の朝に置いたんだろう。千夏先輩が風紀委員に買ってきたのは激辛苦まんじゅうというものだった。他の先輩のお土産は取られた形跡がちょいちょいあるのだが、激辛苦まんじゅうはまったく減っていない状況だった。そりゃそうだ。

 まず、辛いのか苦いのかハッキリして欲しい。辛い方がまだ良いけれど、名前からして美味しさを微塵も感じさせない。こんなものを風紀委員の皆に食べさせようとする千夏先輩は1回どこかで天罰を受けるべきだと思う。



「これって罰ゲームとかで食べるやつじゃないですか。パッケージに書かれてるおじさん死にそうな顔してるし、こんなもの笑顔で食べさせようとしないでくださいよ!」


「意外と美味しいよー?」


「え、食べたんですか?」


「食べてない」


「……どの口が意外と美味しいなんて言ってるんでしょうか」


「ほらー、誰にも食べられないお土産の気持ちになってみてよー。未来に食べてもらいたいってさ」


「い、や、で、す!」



 そもそも誰にも食べられないお土産を買ってきた千夏先輩が悪いじゃん。

 私はまだ死ぬわけにはいかない。



「じゃあ勝負しよう。あたしが勝ったら未来がそれ食べること」


「はぁ? まためちゃくちゃな。じゃあ私が勝ったらどうしてくれるんです?」



 激辛苦まんじゅうと天秤にかけられるくらい良い報酬ならやってやらなくもない……。



「未来があたしに手料理を作る」


「待って……それ私が勝っても負けても千夏先輩が得してるじゃないですか!」


「あは、バレたー?」


「もう! そんなのに騙されませんから!」


「じゃあ……未来が勝ったらドキドキする時間をプレゼントするっていうのでどう?」


「千夏先輩が言うと嫌な予感しかしないんですけど……」



 この前みたいに襲われるとかいうオチは勘弁して欲しい。

 あの空気に再び飲み込まれてしまったら大変だ。悪い意味で心臓がドキドキする。



「なにー? 警戒してんのー?」



 千夏先輩はニヤリと八重歯をのぞかせた。



「警戒しかしないです!」


「今回は大丈夫だから信じてよー。これ本当」


「まぁいいですけど……」



 今回は、っていうのがちょっと気になるけれど……。



「よっしゃー。じゃあ何で勝負しようかな」



 結局勝負にのる流れになってしまった。 

 我ながら流されやすい性格だ。



「何がいいですか?」


「うーんそうだなー。手押し相撲とか指相撲とか」


「圧倒的にリーチの長さで私が不利なんで却下です」



 千夏先輩は167cmとか言ってたから15cm近く差のある私では無理だ。手押し相撲、指相撲は手の長さ、指の長さが勝敗に大きく影響してくる。この勝負を軽い気持ちで引き受けて、まんまと激辛苦まんじゅうを食べるはめにはなりたくない。



「んーじゃあ腕相撲!」


「なんで相撲ってつくやつばっかセレクトするんです? ……千夏先輩ドラムやってるから力強そうだし力使う系はなぁ……」


「いやードラムはあんまり筋肉関係ないよー。同じ体勢で腰痛めやすいから体幹は鍛えてるけど」



 千夏先輩はちらっと制服をめくって舌を出した。一瞬見えたお腹の中央には一本の縦線がくっきりと入っていた。見事な腹筋に口が半開きになってしまう。

 戦闘力が高い。無理だこれ。



「……腕相撲もなしでお願いします。あと相撲もなしです」


「うーん。じゃあ未来決めてよー」


「……じゃんけんで」


「いいよ」



 身体を使った勝負だと無理だし、頭脳戦も無理。私が千夏先輩に勝てる希望があることといったら、もはや運しかない。



 拳を構える。



「「じゃんけんぽん!」」



 千夏先輩はチョキを出して私はグーを出した。



 勝った……!

 これで激辛苦まんじゅうを食べなくて済む……。良かった……。



「ふふーん、やるじゃーん」



 何故か千夏先輩は負けたのに機嫌が良さそうだった。



 その時、風紀室の扉が開いて玲華先輩が入ってきた。



「玲華お疲れー」


「お疲れ様です」


「お疲れ様……何をしているのあなたたち」


「戦ってた」


「は?」



 玲華先輩はいぶかし気な顔をして私たちを交互に見た。そんな表情も素敵です。今日も先輩はかわいい。



「じゃんけんして遊んでただけですって……。あの、報告文書ファイルに入れておいたので確認お願いします」


「分かったわ」


「当番表も確認お願いー」



 千夏先輩は立ち上がって玲華先輩の元に行くと、プリントを差し出した。それを受け取った玲華先輩はプリントに目を通した。



「どうー? 問題なさそー?」



 千夏先輩はニヤっと笑うと玲華先輩の背後に回った。玲華先輩より僅かに身長の高い千夏先輩だが一緒にプリントを見るには不自然な位置だった。また千夏先輩が予想外な動きをしている……。



「ええ。問題ないと思う」


「ところでさぁ、玲華」


「なに」


「今度の土日のどこかで未来の家行かないー? 一緒に遊ぼうよ」



 勝手に私の家に来ることになっていることに突っ込む間もなく目の前の光景に息を飲んだ。

 千夏先輩は玲華先輩の胸を両手で後ろから鷲掴みにしたからだ。



「…っ! ちょっとあなた、どこを触っているのっ!」



 プリントで片手が塞がっているからか全力で抵抗できず千夏先輩に抱き抱えられる形で玲華先輩は身をくねらせている。

 友達ならまだしも、風紀委員長にこんなことするなんて普通はあり得ない。千夏先輩何しちゃってんの……。私は目の前で繰り広げられる光景を瞬きを繰り返してただ見ていることしかできなかった。

 玲華先輩は空いている片手でなんとか千夏先輩の腕をずり下した。移動させられた手がお腹の辺りまで下がると千夏先輩は再び力を入れて抱きしめた。うっと息が詰まるような、なんともいやらしい声が玲華先輩から漏れている。

 絶対力強いじゃん千夏先輩。相撲で勝負しなくて良かった……。と思う間もなく千夏先輩は片手で玲華先輩のお腹をガッチリ固定すると、もう片方の手の指先で玲華先輩の首筋を縦にツーっとゆっくりなぞった。



「ほっそい首だよねー」


「や、やめなさいっ……。こんなことをしてただで済むと思っているの?」



 玲華先輩は身体をのけ反らせながら抵抗している。

 千夏先輩の白い八重歯が玲華先輩の背後からキラっと光った。うわぁ……。



「で、どうなの? 遊ばない?」


「どうして私がっ……離して!」



 玲華先輩は余裕のなさそうな声をあげている。私ここにいていいのだろうか。見ちゃいけないものを見てしまっている気がする。

 本当は玲華先輩を助けるべきなのかもしれないが、悶える玲華先輩の顔を見たいと思ってしまう私も同罪だろう。



 客観的に見れば美女2人がじゃれ合っているだけだが、妙に艶っぽい雰囲気で、映画の1シーンを見ているかのような気分だった。



「へぇ、いいんだ? じゃあ未来と2人でけど」



 玲華先輩の耳元で千夏先輩は言うと、首をなぞっていた手を上に移動させて、耳のふちをゆっくり指先で撫でた。



「んんっ……千夏っ……! いい加減にっ……」



 玲華先輩は目を瞑り下唇を噛んだ。顔が真っ赤になっている。



「耳触られるの嫌?」


「嫌に決まっているでしょう。何を考えているの、辞めて!」


「敏感なだけでしょー。うーん、未来ん家に一緒に行くって言うなら辞めてあげるけど」


「行くわっ……行くから早く離して!」


「ふふっ。あたしが言わせたみたいになっちゃってるけどさー……まぁいいや、あたしが言わせたってことにしといてあげる」



 千夏先輩は腕を緩めた。玲華先輩はようやく解放されて、すぐさま千夏先輩と距離をとると乱れた呼吸を整えながら睨みつけている。

 そんなこと気にしない様子で千夏先輩はこちらを見て言った。

 


「ホラー映画みんなで観てドキドキしよう。ね、未来?」


「……ホラー嫌いだって言ったじゃないですか!」



 ドキドキする時間ってホラー映画観ることだったの?

 それって結局千夏先輩が得してるじゃん!



 そんなこんなで私の家に2人が来ることが決まってしまった。あんなやり方で誘うなんて、千夏先輩くらいにしかできないと思う。

 事前に私の許可を取らないで色々と決めるは千夏節で、勝手に決めないでくれとその場で言おうかと思ったが辞めた。それは玲華先輩が家に来ることになったから。学校にいる時と違って家に玲華先輩が来るというのは特別な感じがして胸が高鳴る。なんだかんだ先輩が家に来るのはこれで2回目だ。



 ホラー映画の件は置いておいて、千夏先輩と賭けをして良かったと思うのであった。

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