文化祭に向けて
今日はバンドの初合わせの日だった。カラオケと違って生の楽器の演奏の中で歌うことになる。上手く歌えるだろうか。千夏先輩以外とは顔合わせも初めてなこともあって少し緊張する。
放課後、学院のスタジオに向かう廊下の途中で偶然、千夏先輩に会った。やっぱり千夏先輩がいると安心する。
「YO! ちなっさん」
「おー、未来。気合入ってんじゃん。練習は順調?」
ニカっと眩しい笑顔が向けられる。
「まあまあですよ」
「ラップできそう?」
満面の笑みから意味深な笑みに変わった千夏先輩。やっぱりこの人は私の反応を見て楽しもうとしている。
「どうして選曲をラップにしたのか教えてくれますか? 千夏先輩のせいで私の生活の大部分はラップ漬けなんですけど」
英語だし覚えづらいフレーズばかり。ラップは普通の歌と違って音程というよりは枠の中にフレーズを収めていくイメージなので、リズムゲーに近いと思う。音程を気にしなくて良いのは楽だと思う人もいるかもしれないが、それがまた難しくて大変なのだ。空いた時間を見つけては、絶対に誰もいないところで1人フレーズを口ずさんでいた。
「へぇ、そんな頑張って練習してくれてるんだー。もう1回言ってよ、YO! ちなっさんって」
「そういうことは掘り返さないでください」
スタジオに着いて、ギターの
演奏前の準備。それぞれが楽器の音量や弦のチューニングを調節をする中、私はマイクの高さと音量の調節をするだけなのですぐに準備が整った。千夏先輩もドラムセットの配置を軽く調整しただけで、スティックを回して暇そうにしている。
こうして見ると、ライブで見たあの千夏先輩と一緒にバンドをやるなんて夢のようである。これから合わせるんだ……。
「なんか緊張します……」
千夏先輩の方に寄って話しかけた。
「未来はいつも通り歌ってくれれば大丈夫だよ」
「はい、頑張ります」
「それにしてもさー」
「何ですか?」
「スカートでドラム叩かせるのって拷問じゃない? めっちゃ足開かないといけないんだよ? みんなふつーに見るじゃん、やんなっちゃう」
千夏先輩は開かれた足と足の間を埋めるようにスカートを上から押した。
ドラムを叩くには多少足を開かなくてはいけないようで、スカートでは確かにキツいかもしれない。見えるか見えないかくらいのギリギリのラインになりそうだ。
夏休みのライブの時は千夏先輩は金髪にパンツスタイルだったけれど、文化祭となると生徒は制服着用が必須なのだ。少し気の毒になる。
体育祭では胸揺れが気になるとか言ってたし色々災難だな。
「確かに……下に体育着のズボンでもはけば良いんじゃないですかね」
「そこをあえてノーパンでチャレンジしたら刺激的じゃないー? ドラム叩くこっちもスリル満点」
「どこの痴女ですか……ライブどころじゃなくなるのでやめてくださいよ……」
それこそ大騒ぎだ。風紀委員の副委員長が何やってるんだって話になる。
「じょーだんだよ」
「冗談じゃなかったら困りますよ。そんなくだらないことでスリル味わうのやめてください」
仮に、ノーパンプレイなんてされたら私はノーパンの所属しているバンドのボーカルという位置づけになって人々の記憶に残ることになってしまう。勘弁して欲しい。
何はともあれ千夏先輩の冗談のおかげで多少緊張が緩んだのが分かった。
「それにしてもさ、制服の下に体操着を着なきゃだめなんて、それもやっぱ拷問だよねークソださいじゃん。他のドラマーはどうしてんのかねぇ」
「皆の前で私にラップ歌わせる千夏先輩も、私に拷問してるようなもんだと思いますけど」
「たくさん練習したんでしょ? 無理そうなら全然曲変えるけど」
にやりと笑ってみせた千夏先輩。非常に腹立たしい顔だ。
「私が出来ないことを期待してたかもしれないですけど、そうはいきませんから」
「お? 楽しみだなぁ」
そうこうしているうちに、ギターとベースの先輩たちは準備が整ったようで、いよいよ初合わせの開始である。
今日は合わせる曲は2曲。最初の1曲目は「君が
「羊の曲ねー。ギターから入ると思うから好きなタイミングで始めちゃってー」
千夏先輩がそう言うと、ギターを刻みはじめた由紀先輩。それに合わせてドラムとベースが入り、前奏が演奏された。
わぁ、すごい。楽器隊は忠実に原曲を再現してくれていて、生の楽器の音に感動してしまった。この曲は歌い慣れていることもあって、楽器にのせてボーカルを入れるのは容易いことだった。
千夏先輩のスティック回しは健在で、相変わらず楽しそうにドラムを叩いていた。私の好きな曲を、こんなノリノリでリズムを刻んでくれたら嫌な気は全くしない。むしろそんな姿を見るとこちらも自然と体が揺れてしまう。4分弱の曲だが一瞬に感じられた。
「良いじゃーん」
歌い終わると千夏先輩を始め、由紀先輩や有紗先輩も好感触な反応を見せた。
良かった、どうなるかと思ったけど上手くいったようだ。
「次、ビッグディックやっちゃう?」
ベースの有紗先輩は言った。
これはラップの曲名である。ディックって何だろうと思って検索をかけたが、その数秒後、調べてしまったことを後悔した。
「そーね。未来も練習してきたみたいだし、とりあえずやっちゃいましょー」
千夏先輩が笑いを堪えているのが分かる。
「そうなんだ、楽しみ。曲はかっこいいけどこれ歌えるのかなってちょっと心配だったんだよね」
「ね、男性ボーカルのラップはきついかなってうちも思ってた。あんまり後輩いじめちゃだめじゃん千夏」
由紀先輩や有紗先輩も苦笑いでこちらを見ている。
「未来はやる時はやってくれる子だからー」
「難しかったですけど、結構練習しました。頑張ります」
出だしはドラムのビートに合わせて「YO!」である。
千夏先輩は、きりの良いところで入ってきてーと言って、ドラムを叩き始めた。
恥ずかしい……でもやるしかない。心を落ち着けてビートに合わせてラップを刻む。君が
正確に、乱れのないよう心掛けた。難しい曲なので私は周りを見ずに、ただ自分の世界に入って枠の中にフレーズを収められるよう歌に集中した。こちらの曲も4分弱。君が羊羊よりもだいぶ長く感じられた。歌い終わって振り返る。バンドメンバー全員が笑顔だった。
「良いねー良いねー最高すぎるよ未来!」
「未来ちゃんやばい……これはやばい……」
「思ったよりすごかったね」
この感じから私は期待されている成果以上のものを出せたのだと確信した。
そんな私に千夏先輩は言った。
「めっちゃ良すぎるんだけど棒立ちなのがちょっともったいないかなぁ。少し動きつけてみよっか。それでもって、内側から溢れ出る何かをこう――伝えるような感じで」
「わ、分かりました。やってみます」
千夏先輩や他の先輩の指導のもと、歌い方やしぐさ、身体の動きをブラッシュアップしていった。
今回のバンド練習の時間の大半はこのラップの曲に消えた。
「ククク……未来は本当素直で良い子だよね。最高すぎる」
「ちょっと馬鹿にしてません?」
「そんなことない。こりゃ早く皆に見せるべきだなぁ」
1回目のバンド練習が終了した。
先輩方は私のラップを絶賛してくれた。素人なのでボーカルの私がライブでどのようにパフォーマンスすべきなのかは分からない。だから、先輩たちが良いと思うパフォーマンスが私にとっての正なのである。今回は先輩たちの意見に耳を傾けて、自分に出来る限りのことをした。結果、皆満足してくれたようで良かったと思う。
あと数回、みんなで合わせる機会がある。その時までにしっかり仕上げていきたい。玲華先輩も見てくれるんだし。
――――――――――――――
文化祭に向けての準備はバンドだけではない。風紀委員として、運営にも関わってもいくので会議や仕事の量も増える。クラスの出し物だってある。
私はそれなりに忙しい日々を送っていた。
私たちのクラスではお化け屋敷をやるようで、クラスの子が考えたレイアウトに沿ってパネルを配置して段ボールをいたるところに張り付けていた。
「最近忙しそうだよねー」
「うん。風紀委員に加えてバンドもあるからね」
今日は珍しくクラスの出し物の手伝いをする時間があった。私は叶恵と一緒に作業をしていた。みっちーは生徒会の仕事があるため不在だった。
「練習良い感じ?」
「うん、今ラストスパートかけてる」
現在は4曲通しで合わせている。最終仕上げといったところだ。
「あーそうだ、何の曲やるの? 観る前に予習したいから曲名教えてよ」
私のライブのことは叶恵やみっちーにも話していて、2人とも見に来てくれるという。ありがたい話だ。
「君が
「あー、あれやるんだ! いいね!」
「うん」
「後は?」
「えっとね――」
私は他の2曲を教えたが、ラップの曲名を言うことに躊躇してしまう。一応乙女だから。
「後は?」
「ごめん、曲名は言えないんだけどラップの曲」
「なんで曲名言えないんだよ……。あぁ、ラップやるって言ってたよね。できんの?」
「おかげ様でずっとラップばっかりしてるよ。それがまた結構難しくてさ」
私が話していると、隣にみっちーがちょこんと座った。生徒会の仕事が終わったようだ。
「分かるー! ラップ難しいよね。ぐしゃぐしゃになっちゃうし」
会話に入ってきたみっちーに同意された。
「え、やったことあるの?」
「え、ない人いるの?」
「は……?」
全人類はラップ経験者だった…?
「ラップは生活必需品じゃん。食べ物腐っちゃうし」
「いやサランラップじゃねーから!」
叶恵がいると、私の分まで突っ込んでくれるから楽だ。
千夏先輩にも同じ要領で突っ込んでほしい。
「あ、音楽のラップのことか!」
「そうだよ、未来が文化祭でやるラップの話。で、みっちーは生徒会の仕事は終わったの?」
「今終わったとこ。ごめん叶恵、さっき会議で担当決まって文化祭は生徒会の活動で一緒に回る時間とれなさそう……」
「あぁ、私も風紀委員あって厳しいかも……」
「まあしょうがないっしょ。陸部の人とまわるから大丈夫だよ」
行事になると、私とみっちーは忙しくなるから叶恵には申し訳ない。今回はクラスの出し物を手伝う時間もろくに取れなかったし、みっちーも忙しそうだ。体育祭の時も寂しい思いをさせてしまったと思う。
でも叶恵には彼氏がいるから大丈夫か。
「叶恵は文化祭に彼氏招待したりしないの?」
「……しない」
叶恵の顔は途端に暗くなった。
「なんで?」
「交際禁止の学校の文化祭に普通呼ばないでしょ? ていうか最近本当にやばいし……」
「何が?」
「束縛が強すぎてもう無理かも。別れたい……」
「叶恵……」
「なにがあったの叶恵!?」
校則があるので学校ではスマホを堂々と使うことができず、寄り道も禁止。平日は彼氏と会う時間を作ることがそもそも難しいという。それもあってか、彼氏はだんだん叶恵に執着するようになった。
学校が終わってからスマホを見ると何件もメッセージが入っていて、返事をしないと着信が何度も入る。夏休み、みっちーの家で叶恵は彼氏と喧嘩していたと言っていたが、それが原因だったらしい。
最近は、怒鳴られたりすることも多く、彼は一方的に自分の要求を押し付けるという。今回は結構深刻に悩んでいるようだった。
私は今の叶恵の心境をなんとなく理解することができる。叶恵には私と同じ目にあってほしくないな。私はリストバンドを見ながらそう思った。なんとなく嫌な予感がする。
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