ゲームオーバー?
「ちょっとこれはキツいな」
私は机の上に置かれた大量の宿題と向き合っていた。
宿題の存在なんか忘れていた。私の中で無かったことにしようとしていたこともあって、宿題の存在に気が付いたのが夏休みが終わる3日前だった。どう考えたって今からやって終わる量じゃない。
思い出すきっかけは、叶恵からトークグループへ投稿された一言だった。
『英語の宿題、34ページの訳できた? ちょっとうまくできないから、終わってたら教えてー><』
みっちーはすぐさま返信していたが、私はしばらく無になっていた。
宿題……。そういえばあった……。完全に忘れていた。私は考えることを放棄して瞬きを繰り返すだけのロボットと化した。が、いつまでも感情を無にしている訳にもいかず、スマホを操作して文字を打ち込んだ。
『今から宿題始めるんじゃ遅い?』
『え!? 今からって……全くやってなかったの( ゚Д゚)?』
叶恵から驚いたような顔のスタンプが連打されてくる。不快な通知音が響き渡る中、私の顔は青ざめていった。このスタンプの連打は精神的にキツいものがある。お願い、通知鳴り止んで!
中学の頃は宿題なんて微量だった。最悪前日頑張れば出来る量だったのだが、今回はさすがに進学校ということもあってボリュームが違う。どうすんのこれ。
『去年は宿題やってきてない生徒集めて罰掃除あったらしいよ……。わたしの宿題写しても良いけど、バレたら罰掃除どころじゃなさそうだよね(汗)』
みっちーからもメッセージが飛んできた。
自力でやるしかないのか。
『なんとか頑張る……』
『まぁ写すのは最終手段だね。本当無理そうだったら遠慮しないで言って。うちも全然見せるから』
ありがとう、と打ってスマホをベッドに放った。私の心は一気に暗くなった。さっきまであんなにウキウキしていたのに。
というのも、叶恵からのメッセージを受け取る前までは玲華先輩のことを考えていたのである。夏休み中も2回会うことができたし、良い感じのスキンシップまでとれた。千夏先輩よりも好感度が高い疑惑もあるし、私のゲームも本格的にクリアのクの字が見えてきたところだと確信していたからだ。やはり頑張ったことに対する見返りがあるとモチベーションが上がるし、早く手に入れたいと強く思ってしまう。押しに弱いのが椿だった。椿=玲華先輩という訳ではないけれど、このまま押せば本当に落とせるんじゃないかと思ってしまう。ラストスパートでどう撃ち落とそうかと考えていた。
そんなこんなでニヤニヤしていたのにこの有様だ。一気に現実に引き戻される。
宿題を改めてバッグから出してテーブルに並べる。まず手に持った瞬間、重いもんなぁ。
罰掃除で済むならそれで良いと思ってしまうが、私は風紀委員なのだ。いつも風紀委員の腕章を付けている私が罰掃除なんかしていたら、先生や生徒たち、そして玲華先輩に失望されてしまうだろう。いつも肝心な時に私はやらかすのなんでだろう。せっかくここまで上げた好感度を下げるわけにはいかない。どれくらい集中して取り組めるかがミソだろう。最悪、写すという手段もある。なんとか終わらせなければ。
時計を見ると昼過ぎ。この時期は学校の図書室が確か夜まで開放されていた。大量の宿題をこなす生徒や、勉強をしたい生徒に向けた学院側の配慮である。今日は日曜日だが、図書室には入ることができる。
家にいると、ゲームをやりたくなってしまうので、学院の図書室を使って宿題を片付けようと決めた。徒歩5分で着く距離なのだ。行かない理由はない。宿題をどっさりバッグに詰め込んだ。
学院に入るには制服着用が必須だったので着替えてから向かった。
丁度校門が見えてきたあたり、長身でサラサラの茶髪を後ろに流した男性が校門の前に立っているのが見えた。漂うオーラ。芸能人か?
校門にだんだん近づいて来ると、その男性がすごく整った顔立ちをしているというのが分かる。見た感じ20代後半といったところだろうか。堀が深くて外国人のような風貌だ。眼鏡をかけている。その出で立ちは羊飼いの執事の勘兵衛を思わせる。イケメンすぎる……。ハーフかな。こんなイケメンが私の学校の前で何をしているのか。誰かを待っているのだろうか。勘兵衛推しの私はついつい彼をチラ見をしてしまう。
イケメンを意識しながら歩みを進めていると玲華先輩が校舎から出てきたのが見えた。今日来てたんだ、ラッキー。まだこちらには気づいていないようなので校門前で驚かそうかと近くの物陰に隠れた。
玲華先輩が校門をくぐると、イケメンは玲華先輩に話しかけた。あの2人もしかして知り合いなのか。驚かすタイミングを見失ってしまったので、私は2人のやり取りを物陰から見ていた。
一言二言交わした後、男は玲華先輩が持っていた荷物を持つと、そのまま2人で駅の方に向かって歩き始めたのである。一瞬ナンパを疑ったが後ろ姿から仲むつまじい様子が伝わってくる。
はぁ……?
玲華先輩が勘兵衛と一緒に歩いている……だと……。あの男が待っていたのは玲華先輩だったんだ。後ろ姿を目で追う。――男はポンポンと玲華先輩の頭を軽く叩いた。慣れ慣れしすぎる。しかし、玲華先輩は嫌がる素振りを見せるどころか、笑ったのである。笑った。後ろ姿であったが、しっかり男の方を見て口は閉じたまま微笑んでいるのが見えた。その姿はまさしく、女子であった。
――今まで私が見ることができなかった玲華先輩の顔。私がずっと見たいと思っていた顔。
でもあの男の前で見せた。そして並んで歩く二人の距離はとても近く、親密な関係であることが見て取れた。しかも玲華先輩の頭を……。
嘘だ……嘘だ嘘だ嘘だ……。
ショックを隠すことができず、その場でしばらく立ちすくむしかできなかった。力んでいた身体の力がみるみる抜けていくのが分かる。
まさか……彼氏がいたなんて。
今までその可能性については全く疑ってこなかった。あの完璧な玲華先輩が校則を破るなんて微塵も思っていなかったから。完全に油断していた。
容姿が良すぎて玲華先輩に並んで歩く姿が絵になっていたことにも悔しさを隠し切れない。2人とも高身長だったから丁度良い身長差だった。
とても勉強する気分になんてなれずに引き返す。ローファーが地面を蹴る音がただ聞こえてくる。今日2回目の無の時間を迎えていた。
これからあの男とどこへ行くのだろうか、考えたくもない。
先ほどの光景が脳裏に焼き付いている。美男美女が仲むつまじく歩いていた。玲華先輩も男との恋愛に興味がある普通の女子高生だったということだ。冷めたテンションで考える。同性を落とすなんてことがそもそも無謀だったのかもしれない。苦手な食べ物を好きになれと言われたところで結局無理なのと同じだ。
――『女子校になってからも、この校則(男女交際禁止)は残り続けているけれど、思春期の学生にそれを強要するのはとても難しいことは分かっている。身だしなみや持ち物、時間のルールと違って自分で簡単に制御できるものではないから』
これは玲華先輩が私に言った言葉。こんなことを言えるのは恋する気持ちを知っているからだよね。
結局上手くいったと思っていたのは私だけだったんだ。
――名前で呼ぶ、手をつなぐ、腕を組む、頭を撫でるなんてことは女子同士ではよくやるスキンシップだ。私もみっちーや叶恵とはこれくらい普通にやっていた。
それが玲華先輩にできたからって私は1人舞い上がって浮かれていた。玲華先輩はきっと女子同士のコミュニケーションというくくりでしか見ていなかったんだろう。自分がバカみたいに思える。
入学してから今までの私の努力って何だったんだろうな。全てのモチベーションが奈落の底に落ちていく。宿題に加えてこの仕打ちってあんまりだ……。
家に着いてから制服を脱ぎ捨ててベッドに潜った。何をするのにもやる気が出ない。ゲーム、食事、宿題、全てが面倒だ。
今までに味わったことのない絶望を全身で感じていた。苦しい。
彼氏ではないと信じたい。けれど、親密じゃない人がはたして校門の前で異性を待つだろうか。荷物を持ってあげるだろうか。頭をぽんぽんと叩くだろうか。何より玲華先輩が男に見せた笑顔――。
あの光景を思い返すほど、それは玲華先輩が彼氏がいるという証拠を裏付けるようなもので私の心はどんどんすさんでいく。
クリアのクの字が見えてきたと思った矢先の出来事。見えてきた文字は――
「ゲームオーバーじゃん」
今まで私はゲームに負けたことはなかった。時間をかけても必ず落としてきた。しかし今回は初めて敗北の味を知った。重すぎる味。心がどろどろと溶けて地に落ちていく。
「罰掃除か……もうどうだっていいや」
何もやる気が起きない。こんなにモチベーションって簡単になくなってしまうんだね。私にできる現実逃避はただ寝ることだった。
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