千夏先輩のライブ

 ――千夏先輩のライブ当日。



 ライブ会場には夕方から入ることができる。何組かのバンドが演奏するらしいが千夏先輩のバンドは一番最後だった。そのため、千夏先輩のバンドの演奏に合わせて待ち合わせをしたこともあって夜遅めの時間に会場に入った。



 入口でチケットを渡して中に入ると、千夏先輩の前のバンドが最後の曲を演奏し終わったところだった。

 薄暗いライブハウスは多くの客でひしめきあっていて、客層も若い。一番後ろの空いたスペースに私たちは立った。思ったよりもライブハウスって狭いかも。満員電車とまではいかないけれどパーソナルスペースに容赦なく人が入り込んでくる。こういうものなのだろうか。

 バンド系のライブは立って観るということも知った。座る席がどこにもないのだ。私は背は小柄な方なので前に立っている人たちの影でステージがあまり見えない。なんとか人影を避けて見える場所まで移動した。玲華先輩は私についてきてくれた。

 ステージはカーテンで仕切られていて今は見えないが、中でジャキジャキとギター音が聞こえている。準備中なのだろう。ここで千夏先輩が太鼓を叩くのか、楽しみだ。

 非日常的な空気に飲まれて気分は高揚していた。隣に玲華先輩がいること、これから千夏先輩のバンドが見られるということ。胸が高鳴る。



「人多いですね」


「そうね」


「千夏先輩は太鼓叩くみたいですよ」


「太鼓……?」


「はい」



 玲華先輩は千夏先輩が何の楽器を演奏するのか知らない様子だったので、教えてあげた。



『ブーーーー』



 会場からブザーの音が聞こえて、カーテンが徐々に開かれていく。

 金髪の千夏先輩が見えた。ドラムセットの前に腰掛けている。



 あれ、太鼓じゃ……ないだと!?



「みなさんこんばんはー! 暑い夏は元気ですっ飛ばせ―! 今夜も盛り上がっていきましょー!」



 バンドのファン的な人たちは歓声を上げた。可愛らしい容姿をしたボーカルの人の明るい声と共に千夏先輩は持っているドラムスティックをカッカッカと3回鳴らすと、演奏が始まった。

 音量に圧倒された。パソコンやスマホで聞くような音楽と全然迫力が違う。これが生音というやつか。やはりボーカルが1番目立つのはそうなのだが、私は千夏先輩のパフォーマンスにくぎ付けだった。楽器の上手さは素人の私には分からないけれど、本当に楽しそうにドラムを叩いているのだ。時折、ドラムスティックをなめらかにクルクル回しながら叩いている姿を見て、千夏先輩がペン回しが上手い理由に納得する。器用だなぁ。



 あっという間に1曲目が終わって会場から再び歓声が飛ぶ。ピューっと口笛の音も聞こえた。1番最後に演奏するバンドは上手なバンドだと聞いたし、この客数や盛り上がり方を見ていると人気なんだなと実感する。そんな人気バンドのドラムが私の先輩って自慢して良いことかも。

 千夏先輩を呼ぶ声も結構聞こえる。あの姿を見たらファンになるのも納得しちゃうな。ボーカルの人も盛り上げ上手というかライブ慣れしている感じがするし、この2人が特別目立っているように思う。

 1曲目の余韻に浸っていると玲華先輩に話しかけられた。



「未来、あなたは太鼓だと思っているようだけれど、あれはドラムセットといって打楽器の集合体のことを指すわ」


「し、知ってますよ! 千夏先輩が太鼓叩いてるって言ってたので勘違いしてただけで……千夏先輩め……」



 まんまと騙された。ドラムくらい私だって分かるのに。恥ずかしい。



「確かにドラムを直訳すると洋楽に用いられる太鼓という意味になるけれど、あれを太鼓だと言う人は少ないと思う」


「マジレスしないでくださいよ……」



 そうこうしているうちに2曲目が始まった。

 ノリの良いアップテンポな曲で、前の方にいる人は音楽に合わせて跳ねている。

 ジャンプされると後ろから千夏先輩たちが見えない。玲華先輩は背高くて良いなぁ。横顔を見上げた。高めの鼻の先と顎先のラインが一直線に結べる。こういうのEラインっていうんだっけ。整いすぎだ。目が合ったので逸らした。ライブハウスの光を反映した玲華先輩の眼は澄んでいて綺麗だった。この目も反則だと思う。

 私は今日もノルマを設定していた。それは、腕を組むことだ。この前と違って足をくじいたという口実はない。ちょっと勇気がいる。最悪、振り払われてしまうこともあるだろうから。タイミングが大事だ。この人数の多さを利用すれば自然に腕を組める気がする。いつ決行しようか……。



 何度か機会を伺ってるうちに2曲目が終わり、メンバーの紹介タイムに入った。

 男女混合バンドなこともあって、客層も男女に偏りがある訳ではない。歓声の大きさでメンバーの人気度がバレてしまうのは、かわいそうだけれど千夏先輩が紹介されると、ひと際大きな声が会場に響いた。千夏先輩は学校でもバンドでも人気者なんだね。



「では次は3曲目ですー! この曲は初めて、ちなっさんとお客さんの前でセッションした曲です。思い出深いよね?」



 千夏先輩はボーカルの女の人から「ちなっさん」と呼ばれているようだ。呼び方的にはこっちの方が確かにしっくりくる部分はあるかもしれない。

 ボーカルの問いかけに応えるかのように千夏先輩はシャーンと音を出した。そういえばいつから音楽やってるんだろう、結構長いのかな。両手両足違う動きをしながらドラムを叩いていて神経がどうなってるんだろうと思う。

 そう考えている間に音楽がスタートした。少ししんみりとしたバラード系の曲だった。自然と体が揺れた。会場の皆も一緒に揺れている。すごい一体感だ。

 音楽は、すごい。映画なんかでもそうだが、感動する場面では感動する音楽が流れて、人の感情をより引き立てている。多分音楽がないと泣けない。それくらい人の感情にダイレクトに影響を及ぼすことができる力がある。

 千夏先輩の思い出の曲と聞くとそれなりにこちらも聞き入ってしまうものがあって心に響いた。心地良いビートが心の奥に届いてくる。ゆっくり息を吐きながら、音楽を肌で感じた。私、今感動してるんだ。

 曲が終わり、拍手が響く。私も思わず千夏先輩の名前を呼んでしまった。



 「ちなっさん人気ー! 後輩来てるの?」



 いつも通り「先輩」と語尾に付けたこともあって、ボーカルの人に拾われてしまった。



「未来と玲華ー! 見てるー?」



 千夏先輩はステージから叫んだ。うわぁ、皆の前でこれは恥ずかしい。でも嬉しい。

 ライブに来ていた人の中にはうちの学校の生徒も何人かいたようで、玲華先輩の名前を聞いて会場が少しざわついた。



「なんか恥ずかしいですね」


「本当に余計なことを……」



 玲華先輩はやれやれと溜息をついた。

 風紀委員長が会場に来てるなんて意外だってきっと皆思ってるんだろう。



「玲華先輩は楽器とか何か弾けますか?」



 感動的な音楽に加えて、先ほど名前を千夏先輩にステージから呼ばれたこともあって興奮気味に尋ねた。



「小学生の頃にピアノを」


「ピアノですか。私は楽器弾けないので羨ましいです。音楽って良いですよね」



 カラオケの時も結構楽しかった。こういう大勢が見てくれている環境で音楽を披露するのはすごく緊張しそうだけれど楽しそうだ。



「何か練習すれば良いんじゃない」


「今からでも間に合いますかね」



 そう言いながらステージの方を見ると、もう次の曲が始まろうとしていた。



「では最後に4、5曲続けていっちゃいます! みなさん今日はありがとうございました! 最後まで楽しんでいってくださーい!」



 4、5曲連続だから長く音楽を楽しめる。玲華先輩の手を見つめる。やるなら今だ。

 多少気分は玲華先輩も高揚していると思うし、音楽が爆音で会場で流れているからライブ中は話すことはできない。だから私から腕を組んでも、その行動に対して何かを問われることはライブが終わるまでないだろう。

 4曲目が始まってしばらくしてから私は隙を伺って、そっと腕をとった。布を挟んでいない、直に触れている肌。夏って最高。半そで最高。

 玲華先輩はビクっとこちらを見た。私は平然を装ってステージを見る。組んだ腕に力を込めた。離すものか。

 みっちーや叶恵とはよくこういうことをするけど、玲華先輩とだと緊張感がすごい。普通の女子高生はこれくらいやっているのだから許してよ……。なんてことない、はず。私の様子を伺っていたが玲華先輩はそのままゆっくり視線をステージの方にずらしていったのが分かった。よし、抵抗されなかった。ミッション達成である。



 2曲分の音楽を楽しんだ。曲が全て終わったところで私は玲華先輩の腕を離した。名残惜しい。腕を組んでいたことに対して何かを言われたりすることはなかった。

 これで今日の全てのバンドのライブが終了したようで、演者たちは続々とロビーの方に移動しているのが見える。観客たちもそれに合わせてロビーに移動する。演者と客がここで交流することができるようだ。私たちもロビーを目指した。千夏先輩に会って声をかけたいし、プレゼントも渡したい。すごくステージで輝いていたし、本当にファンになりそうな勢いだ。



 千夏先輩の前には行列ができていた。差し入れみたいなものを渡されているのが見える。私は列の最後尾についた。玲華先輩も一緒だ。

 しばらく待ってようやく私たちの番になる。



「千夏先輩!! すっごくかっこ良かったです!」


「ありがとー、いやぁ良い汗かいたぁ」



 金髪の千夏先輩ははにかんだ。最高にかっこ良かった。どうして今まで言ってくれなかったんだろう。これが我が風紀委員の副委員長なのだと誇らしく思う。



「曲って全部作ったんですか? すごく素敵でした」


「曲はボーカルの秋さんが作ってるよ。あー、紹介するよー」



 千夏先輩はボーカルの人を呼びに行った。私の中で千夏先輩の次に目立つ人。すごくオーラがあった。恐らく年上。大学生くらいかな。

 さっきまで舞台で歌っていたオーラのある人が千夏先輩に連れられて目の前に現れて心が高揚した。



「あー、名前呼んでくれてた例の後輩ちゃんと……委員会の委員長さんだよね! よくちなっさんから話は聞いてるよ。今日は来てくれてありがとう、楽しかった?」


「はい、すっごく! ライブ見るの初めてだったんですけど感動しました! 曲も作ってるなんて凄いです!」


「乱れのない音程とリズム、音量のバランスも丁度良かったと思います。お疲れ様でした」


「わーありがとう! 良かったらまた来てね」



 玲華先輩の感想は少し硬い感じがしたけれど、ニッコリと笑ってくれた。

 そう言っている間にボーカルの秋さんはファンに話しかけられて、どこかに行ってしまった。

 あらためて千夏先輩と向き合う。



「千夏先輩、遅くなったんですけど誕生日プレゼントです、私と玲華先輩から」



 玲華先輩から袋を受け取ると、私は千夏先輩に渡した。



「おー、2人で買ってくれたんだ? 開けても良い?」


「はい」



 千夏先輩は袋の中身を確認し、満面の笑みをこちらに向けた。



「パック……! 良く分かってんじゃーん。スキンケア大事だからねー」


「はい、本当は入浴剤にしようかと思ったんですけど玲華先輩が、千夏先輩は疲れないからいらないって」



 そう言いながら玲華先輩の方を見ると目が合った。私はニッコリといたずらに微笑んだ。玲華先輩はわずかに口をつぐんだ。



「なんだそれー、あたしも人間だから疲れるしー。まぁどっちでも最高に嬉しい誕生日プレゼントだよ、ありがとう」



 そう言うと思いっきり抱きしめられた。千夏先輩は抱きしめるの好きだなー。でもさっきのパフォーマンスを見た後だからか全然悪い気はしないどころかむしろ嬉しい。



「うぅ……苦しい」


「ほら、玲華もー」



 そう言うと私にしたように玲華先輩に手を回す。



「離して」



 千夏先輩からの抱擁を玲華先輩は振り払った。

 私が腕組んだ時はそのままにしてくれたのに……千夏先輩のは嫌がるんだ。

 もしかして千夏先輩よりも私は玲華先輩に好かれてたりする?……。この場で私が玲華先輩を抱きしめたら拒否されないのかな。



 ライブ終了後も私の気分の高揚は収まることはなかった。

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