2学期――9月

不調

 9月になり、学校が始まった。2学期の幕開けである。



 今日は水曜日。私の心は沈んだままだった。宿題も間に合わすことができず、宿題未提出者は放課後に生徒会室に行くよう呼び出しを受けた。叱られるんだろう。きっと罰掃除の件だ。

 机に突っ伏した。学校に行くのが初めて嫌だと思った。頑張って登校したけれど放課後のことを考えると憂鬱になる。休んだ方が良かったかもしれない。



「未来、大丈夫? 一緒に宿題やる?」


「うちも今日なら時間作れるけど」



 みっちーと叶恵は心配して私の顔を覗き込む。



「大丈夫。あと少しで終わるから……もっと早くやっておけば良かったな、はは」



 あと少しで終わるというのは嘘だ。

 玲華先輩が彼氏と歩いていた。ゲームがクリアできない。それは私にとってはすごいストレスのかかることだった。メンタルは全然回復しない。勝手に1人でゲームを始めて、クリアできないと分かった瞬間のこの落ち込み。どう考えても自分に光が向かない状況の中で、宿題もろくに手が付かなかった。

 気分の下がり様の根本は玲華先輩の件にあるわけだが、2人の前では宿題ができず呼び出しを食らってしまったことのせいにするしかなかった。

 この2人に自己満ゲームのことを知られたくない。私のせいで彼女たちの時間を奪ってしまうのが嫌だった。



「本当未来って極端だよね。急に連絡とれなくなるし……。宿題無理すぎてどっか旅に出たのか心配だったよ」



 叶恵は頬杖をつきながら言った。

 玲華先輩とその彼氏を目撃してからは誰かと関わる気になれずSNSの通知を切っていた。今朝ようやくSNSを開いたが画面は2人の心配メッセージで埋め尽くされていた。



「スマホの電源切って一生懸命頑張ってたんだよ。結局終わらせられなかったけど……心配かけてごめんね」



 私これからどうすれば良いんだろう。確実にこれから待ち受けているのは私にとってマイナスなものばかりだという想像がつく。やっぱり休めば良かったのかもしれない。



 放課後になって進まぬ足取りで生徒会室に向かう。風紀委員の人には会いたくないな……。

 生徒会室に入ると、生徒指導の先生が1人、生徒会長である雫会長と副会長、玲華先輩、髪の毛を真っ黒に染めた千夏先輩がホワイトボードの前に立っていた。いるじゃん、最悪だ。思わず目を伏せた。



 教室の中心には宿題を提出しなかったであろう生徒が私を入れて10人集まった。ネクタイの色を見るに1、2年生が中心だった。3年生は受験があるため学校からの宿題は少量だそうで、提出しない生徒はいないようだった。

 時間になり、先生は私たちを見ると腕を組み険しい表情で告げた。



「皆が同じ様にしていることを何故君たちはできないんだ。

 宿題を提出するまでは毎日掃除だ。部活や委員会より掃除を優先するように。君たちが掃除をサボらないよう生徒会長と風紀委員が監視をする。嫌なら早く宿題を提出するように。分かったか?」



 偉そうな先生の問いかけに、はいという声がぽつぽつと聞こえる。私は返事をする心の余裕がなかった。ついに監視する側から監視される側になってしまった。



「君は風紀委員だろう。こんなことになって恥ずかしいと思わないのか?」



 先生は私に言い放った。周りの生徒から同情の目が向けられる。

 風紀委員や生徒会は目立つ存在なので先生や生徒には名前までとはいかなくても、顔は覚えられているのだ。

 玲華先輩は無表情だ。千夏先輩は顎に手を当ててこちらを見ていて、目が合うとウインクされた。千夏先輩はともかく、玲華先輩はきっと失望しているんだろうな。宿題を出さなければこういうことになると分かっていた。自業自得だ。



 心の余裕があれば、ここに立っていることもなかったのだろうか。みっちーや叶恵に頼って無理にでも宿題を提出していたのだろうか。虚しさで一杯になる。私はすいませんと小さく呟いて頭を下げた。



「申し訳ございません。私の責任です」

「すいませんでした」



 玲華先輩と千夏先輩は、私に続いて先生に頭を下げた。私のために……。その姿を見るだけでいたたまれない気分になる。泣きっ面に蜂だ。気分がこれ以上ないくらい低下する。自己嫌悪でおかしくなりそうだ。私はもう一度すいませんと頭を下げた。この謝罪は玲華先輩と千夏先輩に対してである。



 早速今日から掃除をしなければならない。2人1組になるように掃除場所が割り当てられた。私は逃げるように掃除場所に向かおうと動いた。この場に居続けたら精神的にどうにかなりそうだ。



「未来、何かあったの」



 玲華先輩はそんな私に後ろから声をかけた。ズキンと胸が痛んだ。今一番会いたくない人に話しかけられて唇を噛む。



「何もないですよ。ただ忘れてたんです。風紀委員なのにごめんなさい」



 私は振り返らず答えた。素っ気ない言い方になってしまう。目を合わせてしまうとだめだ。きっと涙が溢れてきてしまう。今はそっとしておいて欲しい。



「……本当に忘れていただけなの?」


「忘れてただけです」


「……」


「近いうちに宿題は出しますんで、すいません。もう掃除行かないとなんで失礼します」


「未来――」


「もう行きますね」



 呼び止められたが、振り切って掃除場所に向かった。とにかく玲華先輩から離れて楽になりたかった。

 掃除場所は小さな多目的ルームだった。後ろを振り返り、誰もついてきていないことを確認してほっと息を吐いた。もうすでに罰掃除の1人は着いていて、掃き掃除を始めている。

 同じ赤いネクタイをしているので1年生だ。何度か挨拶運動で見かけたっけな。私も彼女に倣ってホウキを取り出してはき始める。



「まさか風紀委員と一緒に罰掃除するなんてね」



 その子はこちらを見て笑った。

 敵意はないようだ。



「本当だよね、笑える」


「なんで宿題やらなかったの?」


「存在忘れてたんだ…。気がついたのが3日前で……。あなたはどうして提出しなかったの? ごめん、名前なんだっけ?」


「舞だよ。3日前じゃ確かに無理だね。私は家に宿題忘れちゃった……実際はやってたよ。なんかごめん」



 舞と名乗ったその子はぎこちなく答えた。

 宿題を忘れた仲間だと思っていたのにこれだ……。



「そっか……じゃあほぼやったようなもんだね。ここの生徒は真面目な人ばっかりで尊敬するよ」


「風紀委員がそんなこと言っちゃうんだ。なんか親近感。

 私は全然だよ、面倒くさいことは後回しにしたくなくてさ。でも、まさかここがこんなに厳しい学校だとは思ってなかった。それなりに偏差値高いとこ入って浮かれてたけど、もう少し緩くてもいいのにって思う。女子校なのは最高なんだけどね」



 受験組か。どうして女子校入りたいなんて思ったんだろう。自ら女子校を志望する理由が気になった。



「舞ちゃんは何で女子校を志望したの?」


「あー聞いちゃう? 実は中2の終わりに大好きだった彼氏に振られて、もう男なんていいやって思ったから。悔しすぎてそこそこ頭の良い女子校入ってやろうって思って頑張った」


「そうだったんだ。ショックなことがあったのをバネにして頑張ったんだね」



 とてもじゃないが今の私は、この感情をバネにする気力なんてない。略奪愛という文字が一瞬頭をよぎったがあのイケメンに叶うわけがない。

 以前は彼女のいる男子を落としたこともあったが今回は、さすがに厳しいだろう。そもそも同性に落ちるなんてこと自体難しいことだ。



「未来ちゃんも今置かれてる状況を屈辱だって思って宿題頑張れば良いんじゃない? 意外と上手くいくかも」


「うん……そうだね……少なくとも今週いっぱいはかかりそうだけど。舞ちゃんは明日からもういなくなっちゃうんだよね?」


「そうだね、さすがに毎日掃除は勘弁してほしいから」



 私も掃除をするのは好きではないが、何も考えず無心で作業することができる。その時間は辛さが自然と軽減されると分かった。だから今の私にとって掃除はナシではなかった。



 今日掃除をした箇所は雫会長の管轄らしく、掃除終了の報告をしに行くと「ちゃんと宿題やらないとだめだぞー」と優しく言われた。

 あと何日くらいかかるのだろうか。舞ちゃんに言ったように少なくとも今週中に提出するのは無理だろう。宿題を提出できないうちは罰掃除で委員会にも行かなくて済む。ただひたすら手を動かす掃除というルーチンは玲華先輩と会うより何倍も心が楽だ。



 明日は文化祭に向けた会議が放課後にある。書記として出席予定だったが無理そうなので代理で出てくれるよう洋子にお願いメッセージを入れた。



 掃除を終えて、その足で図書室に入る。ここで宿題をやろう。家にいると精神的に辛い。下校時間まであと1時間ちょっとだが誰かいるところで勉強した方がメンタル的に良い。

 図書室に入ると席が増設されていた。夏休み中に増やしたんだろう。テスト期間中でもないので比較的空いていた。

 適当な席に座って、宿題を机に広げる。早く終わらせたいけれど、委員会には行きたくない。狭間で揺れる感情。苦しい。

 下校時間まで頑張ったが結局、宿題は微量しか進まなかった。



 木曜日、金曜日と1人で罰掃除の後に図書室で勉強をし、家に帰っても問題に手をつけた。嫌なことを後回しにする私の癖で、数学の問題集だけが残ってしまった。あとはこれを片付ければ良いだけだが、量が結構多い。土日潰して1日漬けでやって終わるか終わらないかという量だ。憂鬱な気分で自室に戻る。

 この2日でどれくらいメンタルが回復してくれるだろうか。できれば来週から気分を切り替えていきたい。いつまでも、くよくよしてられない。時計を見ると17:00だった。あの光景を目撃した日から精神は少しずつ安定してきているとは思う。ただ、玲華先輩と会うのはやはり辛い。こういう心の問題は過ぎ行く時がきっと解決してくれる、そう信じている。



 これからのことを考えよう。一度入ってしまった風紀委員は1年は続けなければならない。あと半年か、長いな。無難に仕事をして、任期を終える。きっと私が引退してからは先輩は私のことを忘れていく。あんな後輩いたなぁなんて数年後に思われる程度の存在になるんだろう。切ないけれどしょうがないことだと思う。



『ピンポーン』



 そう考えているとインターホンが鳴った。



「はい」


『宅急便です』



 いや、だから何も頼んでないって。ドアを開ける。きっとあの人だろう。



「千夏先輩……」


「よー。宿題手伝いにきたぞー」


「いつも唐突ですね……ありがとうございます、でも大丈夫ですから。もうすぐ終わるんで。それに私の家にあがっちゃったら寄り道になっちゃいます。時間も時間ですし気を使わなくて良いですから」


「んー泊まれば校則違反じゃないっしょ」


「え、泊まる?……」


「うん、荷物持ってきたし泊めてー」



 見ると大きな荷物を手にぶら下げていた。

 千夏先輩は唖然とする私の横をするりと抜けて玄関にあがった。



「ちょっと! 私の予定無視ですか!?」


「何か予定あったのー?」


「な、ないですけど……」


「んじゃ良いじゃーん。ということでお邪魔しまーす」


「えーうそー……」



 お願いだから前もって言ってよ……

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