訪問者

「で、終わってない宿題どれ?」



 千夏先輩は部屋に上がると早速、部屋着に着替えて私に尋ねた。本当に泊まる気なんだ。学校帰りに弾丸で突撃してきて泊まるなんて普通に考えたらあり得ないでしょ。でもそれをやっちゃうのが千夏先輩。

 泊まることに関しては構わないのだけれど、この状況の中で何を話せば良いんだろうと思う。とりあえずは宿題を手伝ってくれるそうなので、千夏先輩の問いに答えた。



「数学の問題集です。全然手つかずで……」



 バッグに入っていた問題集を取り出した。約30ページ分ある。難易度は低くはないので1問1問解いていたら結構時間はかかるだろう。



「お、これだけ?」


「これだけです……けど結構量ありますよ。1ページ5問ですし」



 そこそこ難しい問題が1ページ5問で30ページ。合計で150問解かなければならないのだ。数学は得意ではないし骨が折れる。

 


「そなたにこちらを託そう」



 千夏先輩は手提げ袋から何かを取り出して笑顔で渡してきた。



「これは……」


「去年の夏休みの宿題。数学は同じだから写して良いよ」



 千夏先輩から受け取ったのは、少しくたびれた見慣れた数学の問題集だった。

 ページを開くと採点が済んでいて、赤文字で丸がたくさん書かれている。ぺらぺらとページをめくるが、丸しかない。



「全問正解じゃないですか……」



 千夏先輩が成績上位者だということをどこか信じていなかったが、こうして直筆で書かれた文字を見ると思い知らされる。



「全問正解だと怪しまれるってんなら少し間違えておいても良いかもねー」



 千夏先輩が間違えないのは納得だけれど私が全問正解だと確かに先生に怪しまれる可能性がある。



「あえて間違えた解答書くのって逆に結構大変ですよね」



 解答は、答えにたどり着くまでの式も見られるのだ。適当に書くわけにもいかない。



「おっけー。じゃああたしが間違えた解答作るから、その間に未来は写す感じでいこう」


「なんか……ありがとうございます。分かりました」



 あらかじめ間違える問題を決めて、千夏先輩はケアレスミスに見せるような解答を作っていった。不正&不正。見つかったらただじゃすまないことを風紀委員の副委員長がしてるって……。ちょっと罪悪感を感じるが、ありがたい。

 それにしても去年も同じ問題なら、みっちーは雫会長に答え見せてもらったりしたのかな。さすがにそれはないか……。

 私は速攻で解答を写して、千夏先輩が作ってくれた誤解答を書き込んだ。この計算でいくと、7割正解になるはずだ。私の実力的には丁度良いだろう。

 ページをめくって抜け漏れがないことを確認する。



「宿題全部終わりました……千夏先輩は神ですね、本当にありがとうございます」


「終わった? よっしゃーお疲れ様ー。頑張ったね、うりゃうりゃ」



 無造作に頭を撫でられた。頑張ったね、と言われたけれどただ写しただけだ。

 一瞬で宿題が終わってしまった。なんだか呆気ない。こんな終わり方をして喜んで良いのか分からないが素直に嬉しい。

 時計を見ると20時になろうとしていた。



「ご飯まだだよねー、何食べたい?」


「何か作りますよ。あ、でも食材ないんだった……」



 ここ一週間料理もする気になれず、冷蔵庫はほぼ空っぽだった。

 宿題のお礼に何か作って千夏先輩に食べてもらいたいところだけれど買い出しに行かないといけないのは面倒だな。この時間にスーパーに行ってから作るのもなんだか……。



「ピザ頼んで良い?」


「ピザですか、良いですよ」


「ピザもパンだから。未来の好きな」


「まぁそうかもしれないですけど……」



 千夏先輩はスマホで何やら操作をすると、30分後に自宅にピザが届いた。

 とても速い。デリバリーって便利だ。

 箱を開けるととても大きいピザが1枚入っていた。



「お金いくらでした?」


「泊めてくれるお礼ってことでおごりで良いよー」


「そんなぁ……」



 宿題手伝いに来ただけなら、もう終わったのだから食べてから帰っても良い気はするけれど……やはり泊まる気満々なようだ。宿題を手伝ってもらった上に夕飯もごちそうになるなんて何だか申し訳ない。



「ほら、食べなさい」



 小皿にピザを載せて渡された。



「ありがとうございます」



 できたてなようで、湯気がほんのり出ている。食欲をそそる匂いに包まれた。生地の上のチーズとトマトソースがテカテカと光っていて、上に載っているサラミが肉汁を溢れさせている。

 美味しそうだ。手を伸ばす――



「未来、待て」


「へ?」



 千夏先輩は手の平をこちらに向けてきた。



「……よしって言ったら食べて良いよ」


「私は犬ですか?」


「そう。これは餌付け。顔色悪すぎだから少しは栄養とらないとねー。ペットの健康管理も飼い主の責任だから」


「いつから私は千夏先輩のペットになったんですか。早く食べたいんですけど」



 よく考えれば私のこと撫でる時も、髪の毛ぐしゃぐしゃにされるし本当にペットって思ってそう。人懐っこさとか八重歯とか犬っぽいのは千夏先輩の方なのに。

 栄養をとれって言うけれどピザってそんな栄養あったっけ。でも、玲華先輩の彼氏を見てからまともな食事をしていなかったな。宿題も終わって安心した今、こうして目の前に置かれているピザを見るととても美味しそうで早く食べたいと思ってしまう。早くよこせと私の胃袋が叫んでいる。

 そんな私をよそに千夏先輩はピザを食べ始めた。チーズがびろんと伸びている。



「うーん。うま」


「美味しそうですね」



 千夏先輩の食べる姿をただ見つめる。

 一応千夏先輩のおごりのピザだし、許可もらうまで待たないと……。

 「待て」って結構きついな。無言で自分の前に置かれたピザを見つめる。



「なんで食べないの?」


「はい? 千夏先輩が待てって言ったんじゃないですか!」


「あー忘れてた」


「もういいです、食べますから!」


「あっはーごめんごめん。よし。食べて良いよー」



 絶対わざとだ。千夏先輩の言葉を無視して口にピザを押し込んだ。舌の上でチーズが蕩ける。咀嚼するとサラミの塩っけが口内に充満していく。うまい。私は夢中でピザを貪った。思ったよりお腹空いていたようだ。

 脳が命令するまま、たらふく食べたが頼んだピザが大きすぎたせいか少し残ってしまった。



「すいません、もう満腹です。苦しい……」


「さすがに期間限定特大サイズはきつかったかー。これ明日の朝食にしようよ」


「はい」



 残ったピザはラップに包んで冷凍庫に入れた。

 胃袋が満たされていて、なんともいえない幸福感を感じる。



「すごく美味しかったです……ピザなんて1人で頼むことないから久しぶりで」


「そりゃよかった。ティッシュ貸してー」


「良いですよ」



 千夏先輩は口元をティッシュで拭くとそれを私に渡した。

 あまりに自然に渡されたので思わず受け取ってしまった。



「なんですか? 自分で捨ててくださいよ」


「ティッシュ貸してくれたから返そうと思った」


「今度からはあげます。だから返さなくて良いです」



 私は千夏先輩から受け取ったティッシュをそのままゴミ箱に放った。



「ひっどー。人からもらったものそのままゴミ箱にスルーですかー」


「千夏先輩のファンに売ったらいくらで売れますかね」


「売れるなら捨てない方が良いじゃーん」


「はいはい」



 相変わらずの千夏節。いつものこの感じ。

 風紀委員の人とうまく話せるか心配だったが案外大丈夫なようだった。



「未来ー、シャワー借りていい?」


「良いですよ、お風呂沸かしましょうか」


「いやいいよパパっとシャワーで済ましちゃう」


「そうですか、じゃあ私もシャワーにします」



 千夏先輩はシャワー派か。誕生日プレゼントは入浴剤じゃなくて良かったかも。



「ところでさ、水道代とか家賃ってどうしてんのー?」


「父の振込です」


「ほほぉ。まぁ高校生には無理だよねー」


「はい。本当は父に甘えるべきではないとは思いますけど、仕送りさえも断ったらもう父との接点がなくなってしまう気がして何となく怖いんです」



 私と父を繋ぐ一筋の糸。それはお金の振込だった。毎月の振込を確認し私は安心するのだ、私を見捨ててないと。

 父のことは何とも思っていないはずなのに、どこか気にしてしまうのは何故だろうか。父の面影を思い出して、ため息をついた。



「シャワー、一緒に入る?」


「え……」


「ペットの身体洗うのは飼い主の仕事だからさー」


「狭いですし、さすがに自分で洗うので大丈夫です。早く浴びてきてください」


「へーい」



 千夏先輩が出た後、私は浴室に入った。仄かにボディソープの香りが充満している。蛇口をひねって熱いシャワーを頭から浴びる。頭をつたいお湯が下に伸びて全身が温まっていく。

 パパ……。そう呼んだのはいつだろうか。気が付けば父親に対して敬語を使っていた。直接呼ぶ機会がなかったこともあって、次に会う時に私は父のことを何て呼べば良いのか分からない。何でこんな時に父のことを考えてしまうんだろう。千夏先輩に家賃のこと聞かれたからかも。

 私は早々にシャワーを済ませて部屋に戻った。



「未来、にらめっこしよう」



 髪の毛を乾かし終わると、千夏先輩は私に告げた。



「……にらめっこなんて久しぶりです。いいですけど」



 向かい合って、あっぷっぷというかけ声の後、面白い顔をつくって見せた。

 千夏先輩は手提げからパックを取り出して、顔に装着するとこちらに向き合った。道具ってオーケーなの?

 真顔で見つめてくるパックの女。誰ですか。何で私の目の前にはパックをした女がいるんだろう。シュールすぎる光景に思わず噴き出した。



「う……ははははっ!」


「はい未来の負け―」


「いきなりパック取り出すなんてずるいです!」


「勝つためには手段は選ばない」


「シュールすぎます」


「にらめっこって面白い顔作るよりも、真顔の方が強かったりするよねー」


「そうですね……千夏先輩のパックって私がプレゼントしたやつですか?」


「そうだよ。保湿効果抜群で最高。

 砂漠の中に見つけた一つのオアシス……あぁ、この水全部あたしが飲んで良いんだなって肌が喜んでいるのが分かる」


「その例えは良く分からないけど気に入ってくれたなら良かったです」



 面白い人だなぁ。顔が緩んだ。

 千夏先輩と話していると辛いことを忘れてしまう。



「やっと笑ってくれたよね。笑顔を見るまでは寝ないって決めてた。にらめっこして良かったなー」



 千夏先輩はパックを顔に張ったままのけ反った。

 そんな笑ってなかったっけ。確かに心境的にはここ一週間最悪だったこともあって頬の筋肉に力が入らなかった。



「千夏先輩ってよく人のこと見てますよね」


「よく言われる。満腹だし笑ったし? あとは美しくなれば完璧。未来も一緒にパックして砂漠のオアシスを手に入れよう」



 私は千夏先輩にもらったパックを顔に装着した。顔がスース―する。水分がしみ込んでいる証拠だろうか。先輩と横並びになるように座ってテレビをつけた。



「未来さ、テレビネットつなげる?」


「繋げますよ」



 千夏先輩は映画やドラマの見放題サイトの会員らしく、ログインして画面を開いた。たくさんのパッケージが画面の中で並んでいる。



「よし、なんか映画観よー」


「良いですよ。何が良いですか?」


「ホラー」


「え……千夏先輩ホラー好きなんですか」


「なんだろ、こう……刺激が欲しいというかさ」



 千夏先輩はそう言いながらパックを外して舌なめずりした。つやつやの肌の千夏先輩が現れたので私もそれに倣ってパックを外した。



「私は苦手なんですけど……」


「良かったー」


「何で良かった、なんですか?」


「未来の怖がる顔見たかったしー」


「……さいてー」



 千夏先輩がセレクトした映画は殺人ピエロを題材にしたものだった。ピエロが恐ろしい笑みを浮かべながらナイフを舐めている画面が表示される。

 私のことは問答無用で、再生ボタンを押す千夏先輩。おい、ちょっと待て。本当に再生しやがった。



「怖い? ほら、おいで」



 千夏先輩は体育座りの足を広げて床をトントンと叩いた。



「もぅ……」



 私は指示された場所に座ると体重を千夏先輩の方にかけた。

 後ろから手を回される。あったか……人肌が妙に心地良く感じる。まだ序盤だから怖くはない。画面は若干暗いけれど。これから映し出されるであろう恐ろしい光景を想像する。それに抗うかのように私はそのまま頭を千夏先輩の肩に落とした。良い匂いがする。



「ちょっとは甘え上手になった? 宿題も最初から頼ってくれれば満点なんだけど」


「別に甘えてなんてないです。千夏先輩が怖い映画再生するからしょうがなくです」



 そう、これは千夏先輩のせいだ。

 お腹に回された腕に自分の手を絡めた。



「あは、なるほどねぇ。玲華の気持ち分かるなーこりゃ」


「え?」


「何でもなーい」



 私たちはその体勢のまま映画の鑑賞をした。

 怖いところは目を瞑った。残像が脳裏に残ったらどうしてくれるんだ。眠れなくなる。でも千夏先輩の体温を感じているからか、不思議とそこまで恐怖を感じなかった。



 結末はホラーでありがちなビターエンド。なんかスッキリしないなぁ。映画の鑑賞が終わり、時計を見ると12時を上回っていた。

 そろそろ寝る時間だ。千夏先輩どこで寝るつもりだろう。人を泊めたことなんてないから当然布団とかはない。



「あの……ベッド1つしかないんで千夏先輩はベッドに寝てください。私は毛布とか下に敷いて適当に寝ますから」


「寝袋持ってきたから大丈夫だよー」


「寝袋……?」


「兄貴がキャンプ好きでさ」


「寝袋なんて初めて見ました」



 千夏先輩は小さい袋から寝袋を出すと広げた。寝袋って丸めるとこんなコンパクトになるものなんだ。

 先輩は寝袋の中に入った。



「なんかタラコみたいですね」


「美味しそうだからって襲っちゃいやよっ」


「あいにく今お腹いっぱいなんで……。毛布下に敷きますか? 大丈夫ですか?」


「ん―大丈夫」


「分かりました。じゃあ電気消しますね」


「んー」



 私は自分のベッドに潜った。



「千夏先輩が私の部屋で寝るなんてなんか変な感じ」


「ホラー見た後で怖かったら一緒に寝てあげても良いけど」


「それは大丈夫です。おやすみなさい」


「おやすみー」



 眠気はあったのですぐに眠ることができたがホラーの影響からか、私は今夜も悪夢を見た。殺される夢だ。ピエロに扮した男。追いかけられて必死で逃げている私。しかし進む先は行き止まりで後ろを振り返るとナイフがこちらに向けられた。

 ピエロの男は布巾で顔をぬぐうと素顔を晒した。それは私の手首に傷をつけた男の顔だった。狂気の笑みを浮かべたその男にめった刺しにされる。色んな場所を刺されて痛みに耐えながら死ぬのをただ待っている。特に痛むのは手首だった。手首を押さえて痛みに耐えていると場面が切り替わって父が私を見下ろしているのが見えた。殺されたはずの私は生きていた。

 朦朧とする意識の中、「お前には失望した」と父は言い残して私から離れようとする。

 あのまま私は死んだ方が良かったのかもしれない。



「1人に……しないで……」



 涙が溢れた。怖い。怖い。



「未来……大丈夫だよ。あたしはここにいるから」



 聞きなれた声が耳から聞こえた。私はゆっくりと瞳を開けて夢から覚めた。



「先輩……」



 千夏先輩は私のベッドにあがって私を抱きしめてくれていた。縋りつくように洋服を掴んだ。人肌に触れて私の心は平常を取り戻していった。

 千夏先輩の上下する呼吸の音に合わせて私も呼吸をして心を落ち着ける。そうしている間に私は意識を手放した。

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