頼み事
仄かな暖かさの漂う3月の上旬。期末テストの時期になった。このテストをもって我が校は春休みに突入する。
3学期は定期試験は1度だけ。年度末の最後のテストである。
横で勉強している玲華先輩に視線を向けた。髪を耳にかけながらノートにすらすらと文字を書き込んでいる。
テスト前に風紀室で勉強するのは、すっかり私たちの恒例行事だ。2学期の期末テストの時は色々あって一緒に勉強できなかったけど、今こうしてまた勉強できているので良しとする。
玲華先輩が視線に気づいてこちらをちらっと見たので私は目を反射的に逸らして、自分のノートに目をやった。
あれ、何で目を逸らしてしまったんだろう。やましい事はしてないのに。再び玲華先輩を見る。
顎にシャーペンの頭をつけて首を少し傾げている。何か考え事をしているようだ。こんな自然な表情もできるんだ、かわいい。考えてる時の仕草もかわいい。玲華先輩はしばらくそのまま固まっていたがついに閃いたようで、ふっと息を吐くと長い睫毛を瞬かせてノートに文字を走らせた。
あぁ……こうして見ていると無性に構いたくなってしまうなぁ。頬杖をついて、視線を送り続けていると再び玲華先輩がこちらを見たのでまた視線を逸らした。いかんいかん、見すぎだ。勉強に集中しなくては。
と、思いつつもやはり玲華先輩のことが気になる。
構いたい。ちょっとだけなら――。
人差し指で玲華先輩の制服を軽くつつくと、玲華先輩は今度はシャーペンを止めてこちらを見た。私はサッと手を引いて笑いを堪えながらも何事もなかったかのように自分の教科書をめくった。こういうの楽しいな。
少しの間の後、玲華先輩がまたシャーペンを動かしたのを確認して、再び人差し指でちょんとつつく。
「未来、やめなさい」
玲華先輩は溜息をついて少し困ったような顔をして言った。
「……すいません」
やっぱり、だめだったか。
勉強の邪魔をされたらそりゃ嫌だよね……。
私は肩を落として俯いた。
「ただでさえ、あなたを意識してしまって集中できないのに、そういうかわいいことをされると余計集中できないわ。触れたくなってしまうでしょう」
玲華先輩は眉間の部分に手の甲を置いて再度、溜息を吐き出した。
そっち?
落胆していたのも束の間、自分のテンションが途端に上がっていくのを感じた。
嫌がられていなかった。玲華先輩も私と同じ気持ちだったんだ。
「どーぞどーぞ! 触れてください!」
私は手を広げて玲華先輩を迎え入れる体勢を作った。どうぞどうぞどこでも好きなところに触れてくださいな。抱きしめてくれたりしないかな。
玲華先輩は椅子ごと一歩こっちに近づくと両手で私の頬をむにむにと指先で触り始めた。
「あーそっちですかっ……ほっぺ好きですね」
最近よくこれされるんだよね。相当気に入ってくれたようだ。私としては少し複雑だけど、別に頬を触られるのは嫌ではない。
「あなたの頬は最高よ」
玲華先輩はこちらをまっすぐ見ながら真面目な表情で言い切った。
「あはは……ありがとうございます」
こんな感じで頬を称賛されたことはないんだけど、とりあえず喜んでおいて良いのかな。
手はまだ動いている。いつまでこうしているつもりなんだろ……いや、別に良いんだけどね。もっとスキンシップらしいスキンシップがしたいなと思うだけで。
「んー」
思ったよりも玲華先輩と近い距離間になっていることに気が付いたので唇をすぼめて突き出してみた。
「……」
ピクッとして頬に触れる手の動きが止まった。
「はやくー」
「……っ」
玲華先輩は頬を染めながらもソフトにキスをしてくれた。
「えへへ……」
おねだり、してみるものだな。
キスしてもらったので笑顔になってしまう。
玲華先輩は私に釣られて少し微笑んだかと思うと、急に真面目な表情になって頬から手を離して私の肩に両手を置いた。
「未来。私が今回のテストで1位を取ったらお願いを聞いてほしい」
「ん? なんですか?」
急に改まってどうしたんだろ。椅子に座りなおして姿勢を正した。
「3月の終わりは兄の誕生日なの」
「おぉ、そうなんですね! おめでたい! 誕プレ迷ってるとかですか?」
いや、学年で1位取ったのに、誕プレ一緒に選ぶのがお願いごとだったらさすがに軽すぎだから違うか……。
「違う。……兄の誕生日に兄の彼女が家に泊まりに来るわ。だから……」
玲華先輩は私から目を逸らした。
恥ずかしがってる……?
「はいはい。それで?」
何をお願いされるのか検討がつかないので続きを促した。
「兄の彼女は良い人よ。何をするにも私に気を使って、気まずくならないよう、嫌な思いをしないようにと配慮してくれている。でもそれが逆に無理をさせているような気がして心苦しい気持ちになることも多いわ」
「なるほど。あの素晴らしいお兄さんが選んだ人だからそりゃ良い人なんでしょうね。私もなんとなくその気持ちは分かりますよ。申し訳ないって思っちゃいますよね」
「そうでしょう。……だから誕生日の日くらい、兄と彼女には2人でゆっくり家で過ごしてもらいたいと思っている。私のことは気にせずに」
「うんうん」
「未来……」
「はい」
玲華先輩は何か決心したように、キリッとした顔でこちらを見たので目が合った。しかし心境的に落ち着かないようで先輩が何度もシャーペンの頭をカチカチと押すのでその度に芯が出ている。
「だから……そ、その……」
少し言いかけてまた目を逸らされてしまった。顔を真っ赤にした玲華先輩がどもってる。
『カチカチカチカチ――』
シャーペンの芯はもうずいぶんと長くなって出ている。出しすぎでしょ……。
私は玲華先輩のシャーペンを奪って芯をもとに戻した。
「うちに泊まりたいんですか?」
そっとシャーペンを玲華先輩の手に返した。
返されたシャーペンを握りこんで目を伏せている様子がなんとも愛らしい。
「……1日だけで良いわ」
ビンゴだ! 顔が綻んだ。お泊まりのお願いだったからあんなに照れてたんだ。本当かわいいなぁ。3月の終わりだから時期的には春休み中だろう。
断るわけがないし、こんなことテストの点数で左右させなくて良いのに。
「1位じゃなくたって泊まって良いですし、1日だけじゃなくたって良いですよ」
玲華先輩ならずっと泊まったって良い。むしろそうしてくれた方が嬉しかったりしてね。
「良かった……。いいえ、泊りは私が1位をとれた時だけよ。私は……そう。兄のため、兄の彼女のために尽力するのよ。でないと勉強をするモチベーションが保てない」
以前の玲華先輩は「風紀委員長として」勉強を頑張っていたけれど、今は「泊まるため」か。
泊まりのために学年1位を取るなんて天秤にかけるべきことじゃないと思うんだけどな。本人がそうしたいなら止めはしないけど……。
「玲華先輩にとっては私の家に泊まるのがモチベーションなんですね。そっかぁ」
「……。コホン、とにかく……交渉はこれで成立よ」
「分かりました」
交渉って言うほど大げさなものでもない気がするけど、これも先輩らしいな。ふふっと笑い声を漏らした。
「奥寺会長にはもう負けるわけにはいかないわ」
「頑張ってください!」
私としてもぜひ1位を取って欲しいと思う! 玲華先輩にガッツポーズを送った。
先輩は再び自分のノートに向かい合った。気合が入ったのか真剣な表情だ。
私も勉強しないと……。玲華先輩は特に私にこれくらいの順位は取って欲しいということは期待していないようだ。
風紀委員として恥じないよう平均以上は目指したいところではある。よし、頑張ろう。ノートを開いてシャーペンを構えた。
しばらくお互い無言でそれぞれの勉強に集中した。
こんなもんかな。だいぶ時間が経った。下校時間まで後少しだ。自分の勉強がひと段落したので玲華先輩の方を見た。まだ集中しているようでシャーペンを走らせる手は止まっていなかった。すごい集中力だ。これが学年1位の実力か。
とりあえず息抜きに私は頬杖をついて玲華先輩を観察することにした。
こうも真剣な表情を見せられるとまた邪魔したくなってしまう。良いよね? 嫌ではないってことがさっき分かったわけだし。
先程と同じように人差し指でつついてみた。
「邪魔をしないで。私は1位をとらなければいけないのよ」
ちょっとムキになったような顔でこちらを見られた。この顔は本気で怒っている顔ではない。それが分かるから尚、面白い。
「1位じゃなくたって泊まって良いですよー?」
「静かにして」
パシッと言われてしまった。
「んもー」
「あまり見つめられると気が散るわ」
「えー、いいじゃないですかー」
玲華先輩はこちらに背を向けるようにして座り直してしまった。どんだけ燃えてるの……。
「玲華先輩ー」
「……」
「おーいせんぱーい」
「……」
背中に向かって声を発するが無視を決められてしまった。
本当はちょっかい出されるの嫌いじゃないくせに強がっちゃってさ。
「れいぴーひどい。 ……あっ」
私は禁断の言葉を発してしまった。
本人の前でれいぴー呼びをしてしまった! やばい!
言ってしまった後で取り消すこともできず私は凍りついた。
「……」
玲華先輩は振り返ってじっと私を見た。
私は視線を下に向けた。顔を見ることができない。
「はぁ……。別にその呼び方でも良いわ。むしろ、恋人になったのにいつまで私を先輩呼びするつもりなの。そっちの方が違和感よ」
え、呼び捨てしろってこと?
玲華先輩からの意外な言葉に私は固まった。
「でも……ずっと先輩付けで呼んでたからいきなり取るのは……」
「なにを今更言っているの。私のことをそう呼んだのは今が初めてではないでしょう?」
「あぁ! やっぱりあの時起きてたんですね!?」
寝たフリ決められていたのが発覚してニヤニヤが止まらない。
「……私は勉強しているの。静かにして」
玲華先輩は振り切るようにして背を私に向けて勉強を再開した。でも耳が赤いので照れているというのが丸わかりだ。
「そうやって都合の悪い時だけ……ふふふ。分かりましたよ、私も自分の勉強に専念しまーす」
下校時間まであと少し。一緒にいられる時間を大事にしよう。
れいぴーかぁ。そう普通に呼んでいる将来を想像して顔の筋肉が緩んで方が半開きになった。
でもやっぱりいきなり呼び捨ては厳しいかもしれない。でも少しずつ。直せていけたら良いな。
私の彼女は日に日にかわいさレベルが上昇している。慣れるものだと思っていたのに何度悶えれば良いんだろう。
付き合ったら徐々に冷めていくものなのかなって思っていたけど逆だった。どんどん好きになっていく。これ以上好きになったらどうなっちゃうんだろう。
玲華先輩がもし1位を取って泊まりに来たら、私、我慢できるのかな……。
いかんいかん。今のうちに敷布団買っておこう。パパが来た時にも使えるだろうし。
――――――――――――――
期末テストが終わり、春の兆しを感じながら登校して来ると、玄関口にテストの順位表が貼り出されていた。深呼吸深呼吸。なんでこんなに緊張しているのか、それはあの人の順位が気になるからだ。
人ごみを書き分けて順位表の前に立つ。まず最初に私が見たのは2年生の順位だ。7位が千夏先輩で3位が雫会長。そして1位は……玲華先輩だった。見慣れた文字。さすがだなぁ。安堵と共に笑みを漏らした。
1年生、私の名前は順位表には載ってなかった。まぁこんなもんだろう。平均点は超えたから多分40~50位台には入ってるんだろうけど。
順位表にのらない風紀委員長がいたって良いよね。またいつか30位以内になれたら良いななんて思うけど。
そうしている間に隣に誰かが来た。匂いで玲華先輩だということはすぐ分かった。
「1位、おめでとうございます。本当にすごいや」
私は順位表に載っている玲華先輩の名前に向かって呟いた。
「当然でしょ」
「いつでも来られるように家綺麗にして待ってますから」
「……」
玲華先輩を見ると、少し照れ臭そうな表情をしていた。
そっと手が絡められる。
握り返す。
人ごみの中で私たちは手をつないでいる。
もう誰かに見られたっていいや。
だってこんなに好きなんだもん。ぬくもりを逃がすまいと更に手に力を込めた。
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