文化祭――2日目①
文化祭2日目になった。今日は昨日と比べて外部のお客さんが多い。
今まで頑張って練習してきたバンドのライブは、夕方に講堂で行われることになっている。その日、目覚めた時からライブのことを考えて私は落ち着かなかった。あんまり緊張するタイプじゃなかったはずなんだけどな……。緊張するのは、それくらい一生懸命頑張ってきたからだろう。
ライブまでの時間、今日も私は高校の校舎の巡回をしていた。昨日より人が多いからか混んでいて騒がしい。そんな人でいっぱいの廊下を無心で歩く。私の頭の中はライブのことでいっぱいだった。
「あの人超イケメンだったよね?」
「目の保養だわー……やっぱ共学に入れば良かったー」
美術室から出てきた生徒たちは口々にそうつぶやいていた。美術室には、美術部の人たちが描いた絵が展示してある。
この中にイケメンがいる……。我が校が平和すぎることもあって正直巡回も暇なのである。何か気の紛れることがあると嬉しい。私は好奇心で美術室の中を覗くと、なんとそこには玲華先輩のお兄さんが立っていた。お兄さんは、壁に飾られた絵画をじっと見ていた。
その横顔はまさに勘兵衛とそっくりで思わずため息が漏れる。絵になる男が絵を見ている。いい機会だし少し話してみたいな……。唾を飲み込んだ。千夏先輩のコミュニケーション能力を見習って――頑張れ私。
「あのー……」
思い切って声をかけてみる。
お兄さんは少し驚いたような顔でこちらを見た。
「はい……?」
玲華先輩のお兄さんの声はダンディで低音が程よく伸びていて腰にきそうな声をしていた。どこまでも完璧すぎる。さすが玲華先輩の兄だ。
「玲華せ……玲華さんのお兄さんです……よね?」
お兄さんに向かって玲華先輩と言うのも少し変だなと思って、さん付けで呼ぶことにした。これも少し照れるけど。
「はい……そうですが……」
「この前玲華さんと一緒にいるところを見ました」
私がそう言うと、玲華先輩のお兄さんは微笑んで柔らかい雰囲気で尋ねてきた。
「あなたは玲華のお友達ですか?」
「友達と言うか……後輩です、風紀委員の」
私は腕に取り付けている風紀委員の腕章を指差して笑った。
「あぁ、いつも妹がお世話になっています。お名前を聞いても良いですか?」
昨日も言われたけど、お世話になっていますって言われるとどう返していいか分からないな……。でも、玲華先輩のお兄さんにそう言われることがなんとなく嬉しかった。
「そんなお世話だなんて……私の方がお世話になってますから。未来っていいます。清水未来です」
「あぁ、あなたが……。妹からはよく話を聞いてますよ」
玲華先輩のお兄さんはふふ、と上品に大人の余裕を醸し出しながら笑った。
よく聞いてるって……家で私のこと話しているんだ……悪く言われてたりしていないだろうか。
「あの……玲華さんは私のことをなんて?」
「世話の焼ける後輩だって」
「あー……そうですよね……」
やっぱり……。今までやらかした事を考えるとそう言われても仕方ないんだけど……。
「でもそう言いながらも玲華はどこか嬉しそうにしてたものですから、僕も一度お会いしたいと思っていたんですよ」
「ご兄妹で仲が良いんですね」
仲は良いんだろうと思っていた。一緒に歩いてる姿を見る限りすごく親密そうだったし、玲華先輩はお兄さんの前では笑うんだもん。
「僕は親みたいなものですからね……」
「親……ですか?」
「家庭がうまくいってなくて、僕が社会人になる頃に実家を出て一緒に暮らしてるんです」
「2人で暮らしているんですか?」
「はい。ご存じなかったですか。年が離れていることもあって、兄妹には見えないようでよく勘違いされるんですけどね」
そう苦笑いしたお兄さんのメガネのレンズ越しに見える目は灰色をしていた。玲華先輩と同じ色だ……。
確かに年齢でいうと20代後半くらいに見えるし、私もあの時は恋人だと勘違いしてしまった。でもやっぱりこうして近くで見ると似ていると思う。
「……でも目の色が同じですし近くで見ると似てるなって思いました」
「そうですね、目は僕に似ているかもしれません」
「灰色っていうかグレーっていうか……その色の目は日本人で珍しいですよね。とても綺麗です」
いつも綺麗な瞳に吸い込まれそうになってしまう。見惚れると言う感覚を玲華先輩を見てから初めて知った。それくらい魅力的な目だと思う。そんな目を持っているからか分からないが、お兄さんの方は見た目はハーフっぽい感じがする。
玲華先輩のお兄さんはそんな灰色の瞳に私を映すと口を開いた。
「祖母がイギリス人だったものですから。僕と玲華は生まれた時から特別色素が薄かったこともあってこんな感じになってます。夏は太陽の光が眩しくて少し大変なんですよ」
そう言ってから玲華先輩のお兄さんは息をふっと吐いて髪の毛を後ろにかきあげた。
「え……!?」
お兄さんの祖母ということは、すなわち玲華先輩の祖母でもあるということだ。先輩には4分の1、イギリスの血が入っている。こういうのクォーターっていうんだっけ。
玲華先輩がクォーターという事実をここで初めて知った。英語得意なのもイギリスの血が入ってるからだったりして。
かきあげられたお兄さんのさらさらとした髪の毛に目を奪われた。
「その髪の毛も地毛だったりするんですか?」
お兄さんの髪の毛は根本から茶色だった。
「そうですよ。よく染めてるか聞かれるんですけどね」
「でも玲華さんは黒髪なんですね」
「……いいえ。あれは地毛じゃないですよ。染めてるんです」
「そうなんですか!?」
驚きのあまり声が裏返ってしまった。玲華先輩といったら黒髪のイメージだったけれど、わざわざ染めていたなんて……。
これも風紀委員長として、校則を守るため……? どこまでも徹底していて驚く。
「……玲華は学校でうまくやれてますか?」
私の驚いた様子を見てお兄さんは少し悲し気な顔になった。
「はい、少し厳しいところもありますけど、学院にはたくさんファンがいますし、私も大好きです」
「そうですか……なんだか無理しているように見える時があって。髪の毛の件もそうですけど」
「……玲華せん……玲華さんは……責任感が強くて、すごく努力家で自分に厳しいところがあるなって思います。やはり無理してるんでしょうか……」
「昔はもっと伸び伸びしてたんですけどね……。最近は自分の殻にこもることが増えているように思うんです」
「そうなんですか……」
きっと2番目のお兄さんが亡くなってから玲華先輩は変わったんだ。でもその話を会ったばかりの人に話すのも違うと思って相槌を打つだけにとどめた。
「実は、結婚前提にお付き合いしている彼女を待たせてしまっているんです。玲華が大学生になる頃には、そろそろ結婚して引っ越そうかと思ってまして……。でもこんな感じですから玲華が心配なんです。せめて彼氏でもいてくれたら安心なんですけどね。……と言ってもここは交際禁止なんでしたっけ」
お兄さんは、ははっと声だけで笑うと絵に視線を戻した。
やはりイケメンには彼女がいた。年齢も年齢だから結婚を考えていてもおかしくはないだろう。
自分を飾り続けるのはつらい。2番目の兄を亡くした責任感から玲華先輩は今も無理をしているということが分かった。このままずっと、この先もずっと彼女は無理して生きていくのだろうか。
「私で良ければ面倒見たいって言いたいところなんですけどね」
私もお兄さんと同じように、なんとなく玲華先輩のことを放っておけない気持ちになった。本当は完璧なんじゃないって分かっているから。無理しないで楽になって欲しいって思う。
「ははは、それは頼もしいです。玲華は良い後輩を持ちましたね」
「そう言っていただけて嬉しいです。……玲華さんにはもう会いましたか?」
「いいえ。携帯が使えないようで連絡がとれなくて……」
「案内しますよ、この時間には本部にいると思うので」
「いいんですか、ありがとうございます」
私はお兄さんと並んで本部まで歩いた。人が多いこともあっていつも以上に視線を感じる。やっぱり女子校だしイケメンは目を引くようだ。
変に勘違いされたら申し訳ないので、少しお兄さんとは離れて歩くようにした。
本部に着いた。展示作品の前でお兄さんには待ってもらい、玲華先輩に声をかける。
「玲華先輩、お兄さんが来てますよ」
玲華先輩は振り返ると、私と少し離れた場所にいるお兄さんを視界にとらえた。
「……! あなた、兄と話したの?」
「はい、声かけちゃいました。とっても律儀で話しやすくて妹思いでしかもイケメンで良い人ですね」
本当に素敵な人だと思う。それは玲華先輩のお兄さんだから、かな。少しフィルターかかっちゃってる気もするけれど。
「……兄には彼女がいるわ」
玲華先輩の眉間には少ししわが寄っている。
「分かってますよ。別に狙ってるわけじゃないですから」
「……本当?」
「本当です。ほら、お兄さん待ってますよ」
私に促されるまま玲華先輩はお兄さんの元へ歩いて行った。
2人で話している姿はなんだか微笑ましかった。それは2人が兄妹だと知っているから。こうやって見ると玲華先輩はやっぱり妹なんだ。数年後、玲華先輩のお兄さんの隣に立っているのは彼女さんで、玲華先輩の隣には……誰かが立っているんだろうか。それとも1人のままなのだろうか。
私にはまだ隣に立つ権利はない。玲華先輩が私を選んでくれれば良いのに。そう心の中で思うだけだったら良いよね。
――――――――――――――
時刻は夕暮れ。文化祭メインステージがいよいよ始まる。
映画館式の薄暗い講堂にはほぼ全校生徒が集まって座席はギッシリ埋まっていた。
演者は別の控室にいて、舞台をモニタリングすることができる。皆緊張した面持ちだった。講堂にぞくぞくと集まる生徒や外部の客を見て息を飲む。隣でにこにこしている千夏先輩に尋ねた。
「毎年こんなに人来るんですか?」
「そうだよー。ほぼ全校生徒。去年あたしは客として観たんだけど、楽しすぎたから来年は絶対出ようって決めてたー」
私はこんな人多いなんて知ったら、逆に出たくないって思うのだけれど。
「先輩は緊張とかしないんですか?」
「未来……緊張しないおまじない教えてあげよっか? 耳貸して」
「はい……?」
千夏先輩は私の耳元で囁いた。
「あたし今ノーパンなんだ」
「はぁ!?!? 本当ですか? ……冗談ですよね?」
恐れていた事態が起ころうとしている。
「スカートめくって確かめてみて」
「嫌ですよそんなの……」
千夏先輩は私の手を取ると自分のスカートまで持っていった。
なんでそんなこと私がしなくちゃいけないんだ。
「そしたらこれが冗談か分かるよ」
「……」
やるしかないか……。もし、穿いてなかったら無理にでも何か穿かせよう。おずおずと千夏先輩のスカートを控えめにめくる。
「……やっぱり下にズボン穿いてるじゃないですか」
「ズボンの下はノーパンって落ちでした。面白かった?」
「面白いも何も……ズボン穿くんだったらちゃんと下着もつけてくださいよ……」
本当にこの人は……。
「少しは緊張ほぐれたー?」
こんなことされたら気が緩むに決まっている。
緊張はさっきよりはほぐれたけれど、私は不安だった。今になってあの秋さんの素晴らしいパフォーマンスを思い出す。
「……おかげ様で緊張は少しほぐれました。でも私、秋さんみたいにうまくパフォーマンスできるか分かりません……」
「誰かになる必要はないよ。未来には未来の良さがある」
「先輩……」
「未来、これもチームプレーだよ。だから緊張してどうしようもなくなったら、アイコンタクトしてよ。一緒に楽しもう」
「はい……」
千夏先輩は私の頭をがしがしと撫でた。せっかくライブ前に前髪セットしたのにぐしゃぐしゃにされそうだったので、先輩の手首を掴んで下に持って行った。
「手、繋ぎたいの?」
千夏先輩の温かい手が、私の手を包んだ。
「……違います」
そう言いながらも私は手を離せずにいた。人肌に触れると少し安心する。
ステージの方に目を向ける。1人目のパフォーマンスが始まろうとしていた。幕開けはダンスである。
音楽がかかり、照明がステージを照らすと同時に観客は歓声を上げた。大きな講堂いっぱいに生徒たちの声が響き渡る。いや、ここで歌うの私? しかもラップを?
メインステージが始まった。
緊張しつつも舞台を楽しむ心の余裕はまだあったようで、夢中でパフォーマンスを観ていた。みんなすごい輝いている。
いつも装飾品関係で校則違反してるあの人が、キレッキレのダンスをしていてビックリしたし、地味系の女の子2人の漫才は意外性があって面白かった。
何組かが終わっていよいよバンド演奏の時間になる。
一層生徒の声が大きくなるのが分かった。こんなに盛り上がるものなんだ。ボルテージがすごい。
2年生のボーカルは盛り上げ上手な人で、会場を熱くしていた。やっぱり自分と比較してしまうなぁ。自分らしくってどういうことだろう。
「私と一緒にパフォーマンスしてくれる子いるー? 一緒に歌いましょう!!」
ボーカルの人は挙手している生徒の中から一人を選んで舞台に上がらせた。上がってきたのはみっちーだった。
え……。これは……。だめなやつじゃ……。
「やばい。みっちーステージに上げたら――!」
時すでに遅し。
バックの演奏に合わせてボーカルの人はハモりパートを歌おうとしているようだけれど、みっちーの音程がそもそもずれているので見事な不協和音が響いている。観客たちも妙な雰囲気になっていたが、逆にそれが面白くて笑っている生徒も多くいた。
あーあ。やっちゃった。でもまだ笑ってくれる生徒がいたことが救いだったね、みっちー……。
「はーい、どうもありがとうー! も、もう戻って良いよ~」
ボーカルの人は一瞬で歌を切り上げてみっちーを客席に戻した。
「みっちーよりは未来の方が歌上手いから安心して良いよ」
千夏先輩も苦笑いしている。
「はい……さすがにそれは自覚してます」
「さーて、そろそろあたし達も準備しないとねー」
千夏先輩は私と繋いでいた手を離して伸びをした。ステージに夢中になっていたせいか手を繋いでいたことを忘れていた。何も言わずに長い時間繋いでいてくれたことに感謝だ……
千夏先輩は由紀先輩と有紗先輩の方に視線を向けた。2人もこちらを見た。
「円陣組もうよ!」
ギターの由紀先輩の声かけで私たちは4人で肩を組んだ。わー、これはチームって感じがする。
「千夏、渾身のかけ声お願い」
ベースの有紗先輩に言われて千夏先輩は大きく息を吸った。何を言うんだろう。
「ビッグディック!」
「「ビッグディック!!」」
「……ビッグディック」
ここで言わないと空気が読めない奴になってしまうので、おそるおそる私もつぶやいた。
こんなかけ声あってたまるか!
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