7月

渇望――???視点

 <???視点>



 人生は比較的イージーモードだった。

 特に努力をしなくても何でも人並み以上にこなすことができた。勉強も、運動も、他のことも。好奇心はあったので何か新しいことに手を出すことは多かったけれど、大抵のことは少しの努力で簡単にできてしまうのだ。



 そんな人生が――



 退屈だった。



 そんな自分を多くの人は羨ましがったり尊敬の目を向けてきたが、一部の人は指をさしながら「器用貧乏」だと罵った。我ながらその通りだと思う。

 何かに一途にハマることはなく、何でも要領良くこなしては、ただただ同じ毎日を繰り返す日々。やりがい、努力、そんな言葉はどこにもなかった。少しやって飽きて終わる。その繰り返し。何か面白いことを見つけようと、試みてはみるものの、何かが変わることはなかった。



 中学に入ってから瞳の輝きはだんだんと薄れていった。小学生から中学生になる、この変化によって日常生活の何かが変わると信じていた。学校生活に期待していた。しかし、中学に入っても何も変わらないことが分かってしまった。つまらない。つまらない。

 そんな中、人間にだけは飽きなかった。通学の満員電車に揺られながら、人々の姿や表情を観察するのは好きだった。悲しそうな表情をしているサラリーマンを見ては、会社の偉い人に怒られたのかな、とか、買い物袋をぶら下げた若い女性が空をぼうっと眺めている様子を見て、これから夕飯に何を作ろうか考えてるのかな、とか。いろんな想像をしていた。この想像が合っているかは分からない。だって電車の中、目の前に立っている人が実は殺人鬼だってこともあり得るのだから。予想外なのが人。人は分からない。でも分からないからこそ面白いし、飽きないのだ。



 中学2年生になる頃には、自己紹介シートの趣味枠に「人間観察」と書くほどまでになった。人の表情や雰囲気、しぐさの些細な変化に敏感になった。それでもまだ完全には人のことは分からない。一目見ただけで全てが分かってしまったらつまらない。だからそれで良い。



 人から「空気が読めるね」とか、「意外と周り見てるよね」と言われるようになったのはこの頃からだった。



 しかし、人間観察をしたからといって毎日が退屈なことには変わりはなかった。自分の生活はこれまでと一緒なのだ。

 実に毎日は平和だ。何か悩み事があるわけではない。家族には愛されている。兄弟との仲も良い。友達もたくさんいるし、人間関係の揉め事は一切ない。もちろんいじめもない。周りにいじめられている人もいない。成績優秀。それなりにモテたりもした。

 でも、どこか満たされなかった。何かに渇望していた。誰もが幸せな環境だと口を揃えて言うだろう。でも自分にとってはそんなことはなかった。皆は退屈の辛さを知らないだけだ。痛みや苦しみのない人生が幸せではないと知った。



 訳もなく涙が出てくる程にまで何かに飢えていた。その度に思うのだ、なんで自分は泣いているのだと。その答えが分からないから余計に辛かった。そしてそんな自分が周りに理解されないことも。そういう意味では、心の中では孤独を感じていたのだと思う。



 輝きを失った目から見える世界に色なんてなかった。灰色。白黒テレビのように。子供たちが遊ぶ声や、飛び交う歓声、車の走る音、電車の音、人々の足音。全てが雑音だった。



 もういつ死んでもいいとさえ思っていた。

 きっと自分が死んだら周りの人たちは悲しむだろう。でもそんなのどうでも良いと思えるほどに弱っていた。



 そんな時のことだった。通学の帰り道、路上ライブで歌う1人の女性を目撃する。ギターを持ちながら一生懸命歌うその姿に何故か引き込まれた自分がいた。路上ライブなんて何度も目にしたことはあるけれど、彼女は違った。芯のある声、そして表情。生き生きしていた。音楽を心から楽しんでいた。足を止めて彼女のライブを聞いた。自分とはまるで目の輝きが違うその女性は、あきという名前で、5つ年上の大学生だった。



 ――今日はいる。通学帰りに彼女を見つけると、必ず最後まで曲を聞いた。彼女のライブを見ると自然と心が躍るのだ。その時間は退屈な日常を忘れることができた。渇望から逃れることができた。何度も足を止めて観賞しているうちに、秋さんにも顔は覚えられ、会話もするくらいの仲にはなっていった。



「これ叩いてみない?」



 そう言われて秋さんから渡されたのはカホンと呼ばれる楽器だった。

 箱型で椅子のような形をしていて、叩くと音が出る打楽器だ。これでリズムを刻む。一緒に音楽をしてみないかと秋さんはこの時に誘ってくれたのだった。突然の申し出に驚きながらも、カホンを借りて、動画サイトを見て練習した。身に着けるまでには時間はかからなかった。



 ――路上ライブ。



 秋さんが歌う横でカホンを叩いた。観る側から演奏する側になったのだ。いつも聞いていた秋さんの歌声に合わせてリズムを刻む。体が自然と揺れる。秋さんが微笑みながらアイコンタクトをしてきた。



 幸せだとその時に思った。



 楽しかった。あっという間にその日の路上ライブは終了した。いろんな人に聞いてもらえることもできた。お客さんと一体になって音楽を楽しんだのだ。こんなに楽しいと思えたのは生まれて初めてのことだった。



「初めて笑ってくれたね。笑ってる方が良いよ」



 秋さんは優しく微笑んだ。そうだ、しばらく笑っていなかったんだ。でもこうして素で笑うことができた。

 秋さんのその笑顔を見て自分もその日から極力笑顔で過ごそうと決心した。音楽をしていると自然と笑みがこぼれることもあって、その決心をより助けた。



 その日以降、音楽の楽しさに浸った。夢中になった。

 音楽は灰色だった世界に色をもたらした。



 使うことのなかったお年玉を初めて使って買ったのは電子ドラムだった。カホンはある程度極めた。だから次はもっと高みを目指したい。そう思って同じ打楽器、次のフィールドとしてドラムを選んだのだ。



 高校は家から近くて軽音楽部があるところに行くと決めていた。それなりにバイトをして、音楽活動をしていきたいと思っていた。



 しかし、風紀委員になったことで部活への入部は難しくなってしまった。


 

 今は、学校外での活動を通じて音楽は続けられている。路上ライブはしなくなったけれど、秋さんともセッションは定期的にしている。



 ――――――――――――――



 三園女子学院の入学式。校舎の前に立っていると、リストバンドをつけた子が目についた。赤いネクタイに、胸の位置まであるゆるふわな内巻きの髪。パッチリとした二重で端正な顔立ちでオーラがある。身長は低めなこともあって、美人というよりは可愛い系の女の子だった。



 何故かその子から目を離すことができなかった。それは彼女がひどく整った容姿をしているからという理由だけではない。どこか濁っている彼女のその目が過去の自分と似ていたからだった。長年の人間観察で培われた勘がそう告げている。

 リストバンドが校則違反だということも忘れて見入ってしまっていた。



 ――風紀委員の顔合わせ。



 入学式で見たリストバンドの子が現れた時に目を疑った。まさかと思った。彼女は書記にも自ら立候補した。

 自分から書記に立候補するあたりから、じゃんけんで負けて風紀委員に来た訳ではないということが分かる。意外だった。こういうところに進んで来るタイプには見えなかったからだ。内申目的か。いや恐らく違うだろう。入学式の時に見たあの目は将来に希望を抱いている目ではなかった。内申の為にわざわざこんな大変な仕事を選ぶ様にはとても見えない。何か目的があるのかと勘ぐってしまう。



「書記に立候補してくれた1年生、名前なんていうか知ってる?」


「清水さんよ」


「清水なにさん?」


「未来」


「ふーん」



 彼女の名前は清水未来。



 どうして風紀委員に入ったのか気になった。改めて聞いた時、未来は内申の為だと言ったが、目が泳いでいたあたりから、やはりそうではないと確信した。1年生の中でもなんとなく彼女のことを意識してしまう。それは未来が分からないからだ。何を考えているのか分からない。どうして風紀委員を選んだのか分からない。でもそれが面白い。



 徐々に話していくうちに分かったことはいくつかある。

 まず、親がいるようでいない生活環境だった。高校生で1人暮らしをしているなんて聞いたことがなかった。彼女の話ぶりから両親とも連絡をとっていないことが分かる。家賃などはどうしているのだろうか。とても心配になる。

 幼少期から1人。自分も彼女と同じ立場だったらどうなっていただろうか。考えたくもないほど、それは恐ろしいことだ。寂しかったに違いない。でも、彼女は強く生きていた。



 体育倉庫の前で佇む未来の目は入学式の時に見たものと同じだった。彼女は渇望していた。――人からの愛情に。

 自分とどこか似ているのと初めて見た時から感じたのはそういうところだった。



 渇き。



 自分は人生に楽しさを求めていた。彼女は愛情を求めていた。どこか悲し気な未来の表情に胸が締め付けられた。過去の自分と同じ目をしている彼女の渇きを満たしてあげたいとその時に思った。

 手首の傷、上級生からのいじめの要因。これは彼女が愛情を一方的に求めたことが原因。

 寂しさを紛らわすために、誰かに依存をしないと生きていけないという人も世の中にはいる。しかし甘え下手な未来はそうでもなさそうだったし、特定の人を好きにもならないと言っていた。



 部屋のソファーに横たわりながら考える。



 愛情を求める彼女が女子校に入った理由は分からない。男子であれば誰でも飛びつくほどの容姿を持っていると思う。モテたいのであれば共学を選べば良かったのに、何故ここを選んだのか。そこはまだ謎のまま。



 分かっていること。それは、彼女の愛情を求める矛先が明らかに玲華に向いていることだ。彼女は玲華に執着している。万人に好かれたいタイプなのかと思っていたが、きっと誰でも良い訳ではないのだろう。玲華を「選んだ」のだ。

 これが風紀委員に入る理由と何か繋がりがあるとしたら頷ける。しかし、入学式以前から知り合いでもないのに、何故早々に玲華を選んだのか。



「なーんで玲華なのかねー」



 これほどまでに難易度の高い玲華を何故選んだのか。

 自分であれば、未来に対して愛情を与えるなんてこと容易いのに。愛情がただ欲しいのであれば、もっと簡単な相手を選べば良いものを。彼女の求める「愛情」がどこまでのことを指しているのかは不明だが。



 玲華の方にも徐々に変化が出てきているのは近くにいて分かった。明らかに未来を前にして態度が変だ。玲華らしくない。1年以上一緒に仕事をしてきた。それなりに会話を交わしてきたのに玲華は会った時からずっと変わらなかった。そんな玲華が未来を前にして変化している。彼女たちの変わりゆく関係を観察するのも興味深くて面白かったが、玲華をここまでにさせることができる未来のことがより気になった。



 ルービックキューブを天井にかざしながら、クルクルと回す。



「未来って本当面白いなぁ」



 ここまで興味深い例は今までにない。



「難解ですねぇ」



 ルービックキューブはまだ揃わない。

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