校則がなぜ必要なのか
「……給食があるのはどうしてか知ってるかしら?」
先輩に校則を何故そこまで重視するかを聞いたのに、いきなり給食の話が出てきた。先輩なりの意図があるのだろうと思い、その質問に答えることにした。
「知らないです……親の負担を減らすために学校が良心的にやってくれてるとかですか?」
「ちょっと違うわね。正解は、差別をなくすため。親の作る料理によって差が出てしまうから。お弁当の中身によって生徒が無用な劣等感を持つことがないようにと配慮されたものよ」
深く考えたことはなかったけれど、そういう理由があるのだとすれば納得はいく。だって私は弁当を作ってもらったことが1度もないから。お弁当の代わりに、お金がリビングのテーブルに置かれているだけの環境だった。
「私も中学校は給食でした。私はお弁当を作ってくれる人がいなかったので、そういう意味では給食は確かにありがたいものだったかもしれないです。
でもどうしていきなり給食の話が出てくるんですか? 先輩が校則を重視することと何か関係があるんですか?」
「この学校では給食はないけれど、校則に関しては給食と似たような原理で作られている。有名ブランドや高価なコートが買えなくても安心して学校に来られる環境を作れるようにと。平等を守るためのものよ」
「……先輩は平等を守りたいんですか」
「劣等感を感じる生徒がいるということは、優越感を感じる生徒がいるということ。人間は自分より弱い人間をいじめることで快楽を得る生き物よ。何が言いたいか分かるかしら」
「平等を守っていじめをなくすと?」
「そうよ」
RPGゲームに人がハマる理由を男友達は、地位や名誉を手に入れて人から英雄扱いされ、称えられることが嬉しいからと言っていた。
全てのゲームプレイヤーの剣や防具を同じ種類に統一すれば確かに強さに差は出にくくなるだろう。しかし、1種類しか武器や防具を装備できないRPGゲームの何が面白いというのか。そんな世界を先輩は作り上げようとしていることに若干の違和感を感じずにはいられない。
色んな人がいて、個性があるからこそゲームは面白くなる。これまでたくさんの男子を落としてきたけれど、私がゲームを楽しめていたのは皆違った個性があったからだ。
「人間は自分より弱い人間をいじめることで快楽を得るという原理なら、どこに行ってもいじめは起こりますよね。校則を厳しくしたところで弱い人間は弱いですし、強い人間は強いです。テレビをつければ分かります。いじめがなくなることなんてない。きっと社会に出てからも起こると思います。
平等、なんて言ってますけど見方を変えれば先輩がしていることは個性をなくすことと一緒です。皆が決められたルールに乗っ取ってロボットのように生きることが正解なんでしょうか」
羽山先輩は目を下に伏せ、一瞬間を置いてから粛々と告げた。
「あなたの言いたいことも分かるわ。でも、守れるものもある。
6年前に2番目の兄が亡くなったの。中学でのいじめが原因の自殺だった」
「……」
いきなりのヘビーな話に息が詰まった。6年前というと私が小学生の頃だ。
私は自分の身内の死を経験したことはない。他人と深い関わりになってこなかった私からすると、人の死の重みは分からない。きっと父が死んでも私は涙を流さない。
でも、みっちーや叶恵がそういうことになったらとてつもなく悲しむと思う。
「きっかけは、兄の誕生日に私が星のついたピンをあげたから。それを頭につけて登校した。それだけよ」
「そんな理由で……」
羽山先輩の目は悲しげだった。きっとお兄さんのことが好きだったんだろう。
私はいじめの現場を見たこともなかったし経験したこともなかった。ドラマでいじめの一部始終を見たことはあるけれど、あれはフィクションだと思っていた。
私は今回、竹内からいじめのようなものを受けた。確かにつらかった。いたたまれない気分にもなった。あれがずっと続けば自分の心がはきっと病んでいったと思う。そうなったら私も自分の死を選ぶ選択をしていたのだろうか。そう考えると恐ろしくなる。
「男子が星のついたピンをしている。それだけで十分いじめの対象になりえたの。
でも兄は私を責めることは一切しなかった。いじめられていることさえも亡くなるまで知らなかったのだから。ショックだった。責任を感じた。誕生日の日にピンを渡さなければ良かったと何度も悔やんだ。
個性を出すことで出た杭が打たれて兄のようになってしまうなら、最初から個性なんて出さない方が良い。私が校則の厳しいこの学校を選んで風紀委員になったのは罪滅ぼしのためでもある。だから校則を重視している。これで回答になったかしら」
亡くなった兄のために校則を重視している。厳しい校則の学校であれば、兄のいじめは防げたと先輩は思っている。それは分かった。でも、私には違和感があった。
「先輩が校則を重視する理由は分かりました。でも本当にそれが本心ですか?」
「どういうこと?」
灰色の目がこちらに向いた。その瞳はわずかに左右に小刻みに揺れている。
「厳しい校則で生徒を縛り上げることが本心なんですか」
「……何を言っているの。そうだと言っているでしょう」
「じゃあどうして校則に疑問を持つ私に生徒会を勧めたんですか。本当にこの学校の校則を重視して尊重したいと思っているならそんなこと言わないはずです」
「それはっ……」
先輩は表情を崩した。
だってそうでしょう。まるで私に校則を変えてくれるよう応援しているようなものだ。本当に校則を重視しているなら最初からそんなこと勧めたりしないはずだ。
まだ私の中で違和感はある。先輩が校則を重視して生徒を縛り上げることについてだ。本当にそれを望んでいるとは思えない理由がまだある。
「自分を傷つけようと思っている人が大勢いるって昨日言いましたよね。羽山先輩はその時悲しそうな顔をしていました。
先輩はお兄さんのことで責任を感じて、本当はやりたくない仕事をして自分で自分を縛りつけている、そうじゃないんですか? 生徒に嫌われるのが本望じゃないですよね?」
「……だまって」
ハっとした顔をした後に、うつむいて握りこぶしを震わせている。何かを堪えているようだった。
まだ違和感がある。それをぶつける。
「私のためにリストバンドの件、生徒会長に聞いてくれたって会長の妹経由で聞きました。
入学式の時、羽山先輩に言われてリストバンドを外した時に、いじめが起こらないことを願うしかないですって私が言ったから心配してくれたんですよね。嬉しかったです。
でも、矛盾しています。本当に校則を重視したい人は会長にそんなこと聞かないと思います」
「――だまって!」
声が張りあげられる。その声に背筋が思わず伸びた。先輩の目には涙が溜まっていた。
先輩は本心じゃない。自分を偽って仕事をしているんだ、それは確信が持てた。それでいいのか? そのままでいいのか? 先輩は罪滅ぼしのためにこの仕事をしている。それは分かった。でもこれが正解なのか。彼女にとって本当に正解なのか分からない。助けてあげたい。我慢なんてしないで欲しい。
でも、羽山先輩は誰にも邪魔されず、自分の任務を果たすことをただ望んでいるんだ。私には今何もできない――。だって私はただの後輩だから。それがもどかしい。
私は悔しさに奥歯を噛みしめた。
「ガラガラ」
その時、風紀室のドアが勢いよく開いた。
「おっつー。あれ、痴話喧嘩中?」
千夏先輩だった。テーブルを挟んで向かいあっている私たちを見ている。
先輩の笑顔が引きつってきている。私たちのただならぬ空気を察知したようだった。
「……なんの用?」
玲華先輩は目に涙を溜めながら千夏先輩を睨む。
「えーと体育祭の企画書見てもらおうと思って。でも別に急ぎじゃないから大丈夫。痴話喧嘩どうぞ続けてー」
千夏先輩はそのまま引きつった笑顔でドアをシャっと閉めた。
「千夏!」
「千夏先輩!」
私たちの呼び声に千夏先輩は答えることはなかった。登場時間わすか10秒ほど。
再び沈黙が流れる。
「すいませんさっきは。生意気でした。でも悪気はないです。力になりたいって思います。本当です」
「私も大きな声を出してごめんなさい」
先輩の目の涙はもう引いていた。
いじめを二度と起こさない。その決心の元、私のために上級生に立ち向かっていった羽山先輩。きっと怖かったと思う。だって完璧で何もかも淡々と仕事をこなす、皆が知っている「羽山先輩」はこんなところで涙を堪えたりなんてしない。感情的になったりなんてしない。私の前に座っている先輩は紛れもない、一人の人間なんだ。
「羽山先輩……」
「……」
「羽山先輩」
彼女の手に触れようと身を乗り出そうとした。
「……玲華でいいわ」
「え?」
予想外の言葉が発せられて思わず体の動きが止まった。
「呼び方。前に聞いてきたでしょう。
あなたが千夏を名前で呼んでいるなら私も同じでいいわ」
先輩は顔を背けているが、僅かに頬が赤くなっているのが分かる。照れている。
この程度で顔が顕著に赤くなるタイプの人はあまり見ないけれど、羽山先輩は肌が白いこともあって分かりやすい。
泣いたり、照れたり、忙しい人だ。
「玲華……先輩」
「……」
心の中で何度か唱えていた言葉を改めて本人の前で言うことになるとは思っていなかった。こちらも少し照れ臭い気分になる。先輩はうつむいている。もっと先輩の名前を呼びたい。
「玲華先輩」
「……なに」
一瞬こっちを見たが、再び下を向いてしまった。私の呼びかけに反応してくれる先輩が愛おしく思えた。
「呼んだだけです」
「……もうすぐ時間よ。授業に遅れる前にもう行きなさい」
「はい。竹内さんの件、ありがとうございました」
立ち上がって風紀室のドアに手をかけた。振り返って先輩を見る。
「あの! 私風紀委員辞める気ありませんから」
さっきの話を聞いてそう思った。もっともっと先輩のことが知りたいし、支えになりたい。本気でそう思った。私は風紀委員を辞めたりなんかしない。
「……そう」
先輩のその返答はどこか温かさがあった。
私は風紀室を後にした。
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