お弁当
4月の終わり。もうすぐ5月に差し掛かろうとしていた。
あれから竹内たちは本当に何もしてこなかった。廊下ですれ違ったりすると軽く会釈をされるくらいだ。
玲華先輩、玲華先輩……。もう何回心の中で唱えたことだろう。
頬を僅かに染めて「玲華でいいわ」と言った先輩の顔を思い出してはニヤニヤしてしまう。ギャップだ。本当にかわいい。
他の1年生はみんな羽山先輩と呼んでいるし、私だけ特別な感じがしてそれも嬉しい。男癖が悪いことがバレた上に生意気なことを言ってしまった後だったから、どうなることかと思っていたけれど、少しは心を開いてくれたと思っていいのだろうか。
ただ名前呼びができたくらいでここまで嬉しくなるなんてどうかしている。他の先輩に名前で呼ぶよう言われても何も感じないのに、それが風紀委員長だと威力がまるで違う。
まだまだ先は長そうだけれど、少しは進歩している。過去に兄を亡くしていることを知ったし、校則にこだわる理由も理解はできた。色んな表情も見ることができた。ただ、まだ私は先輩の笑顔を見ることができていない。だからいつしか私の手で――
玲華先輩は恐らく自分で自分を苦しめている。亡くなった兄の存在がやはり大きいのだろう。責任感の強い玲華先輩のことだ。自分は先輩のために何ができるだろうか。それを知るためにはもう少し深く彼女に踏み込みたいところだが、まだ好感度が足りないのは分かる。実際、こんなに浮かれてしまっているけれど名前呼びを許可されたくらいだ。しかしながら、1年生の中では私が一番距離が近いのではと思うとやはり頬が自然と緩んでしまう。
「未来、なんか良いことでもあった?」
みっちーがお弁当を食べながら尋ねてきた。
「うん、まぁね……」
隙の無い完璧な先輩と言われている人が頬を染めて、名前で呼ぶよう私に言ってきたんですよ。良いことあったに決まってるじゃない。
「彼氏でもできた?」
と叶恵。
「そんなわけないじゃん! 私、一応風紀委員だよ?」
「いても言わないかそりゃ」
叶恵はじと目でこちらを見てきた。
そう、私は風紀委員。男女交際が禁止である我が校で、彼氏ができたとしても堂々と宣言できる立場ではないのだ。実際いないけれど。
「叶恵こそ彼氏いるの?」
「未来っていつもパンだけどお弁当つくらないの?」
話題を逸らされてしまった。叶恵は……きっとそういうことなんだろうと思う。玲華先輩も恋愛に関しては多少は譲歩する姿勢だったけれど……。彼氏がいたとしても、目の前に風紀委員の私と生徒会のみっちーがいるから肩身の狭い思いなんだろうな。
でも他のクラスの生徒会や風紀委員に比べたらだいぶ意識の低い2コンビだと思っている。みっちーは姉に言われるがまま流されてるだけだし私は玲華先輩狙いだし。恋愛したければ好きにすれば良いと思う。
みっちーの方を見ると、弁当に入っている苺の種を箸でつまもうと奮闘していた。いや、何やってんの。
なんの意味があるの。苺の皮がえぐれてぐちゃぐちゃになってんじゃん。苺が可哀そうじゃん。やめたげてよもう。私は苺の気持ちを考えながら切ない顔になる。
ていうか私に「なんか良いことでもあった?」って最初に聞いてきたのあなただよね? 人の話聞いてないじゃん。興味ないかよ! ただ聞いただけかよ! もういい、叶恵と話すもん。あぁ、そうだ、私がパンばっかり食べてる話だったね。
「あぁ……うん。お弁当はあんま作る気になれなくて」
「パンばっかだと栄養偏っちゃうんじゃない? タンパク質が足りてないと思うよ。肉たべよう肉」
「分かってるんだけどね……。料理するのがなぁ。肉って焼かないとだめ?」
「生肉食べたいならどうぞ」
「遠慮しとくね」
一応料理道具はあるけれど、使ったことは一度もない。肉焼くくらいなら多分できると思うけれど、洗い物が増えるのはいただけない。
「うち自分の弁当、弟と妹の分と一緒にいつも作ってるから未来の分も作ってあげようか?」
「そ、それは申し訳ないから大丈夫だよ!」
叶恵って弁当手作りだったんだ、知らなかった。しかも兄弟の分も一緒に作っているなんて。
「別に全然良いのに。ついでだし」
「叶恵は料理得意なんだね」
叶恵とみっちーは私が一人暮らしなのを知っているからか、こういうところでいつも気にかけてくれる。初めてできた女友達ではあるけれど、2人と友達になれて本当に良かったと思う。
「まぁね、美味しいって言われると嬉しいし、全部食べてくれるとそれもまた嬉しいから。食べたくなったら遠慮なく言ってよ」
「ありがとね」
「叶恵のお弁当手作りだったんだ! 冷凍食品チンしただけかと思ってた。あ、それくらい見栄えというか出来が良いって言う意味で」
苺の種は諦めたようで、みっちーの弁当箱からは苺はもう消えていた。苺さんはみっちーの胃袋の中で成仏したようだ。
「みっちー……褒められてんのか貶されてんのか分かんないからなそれ。まぁ一部冷凍食品もあるっちゃあるけどさ……」
叶恵は自分のお弁当を見ながら何とも言えないような表情をしている。
乾いた空気が流れる。
「なんか変な雰囲気になっちゃったじゃんこれ」
みっちーの方を見ると何食わぬ顔でお弁当箱を片付けていた。
「聞いてます? みっちー!」
「え、なに?」
「なんでもない」
もうだめだこれ。
――――――――――――――
翌日の昼。
風紀委員では週に1回昼休みに風紀室でお弁当を食べながらミーティングする。
この時期は落ち着いているようで、特に決めることもなくみんな雑談しながら食べている。
私は玲華先輩と千夏先輩の近くの席に座ってパンを食べていた。玲華先輩の近くじゃないとね、そりゃ。
「未来いつもパンだよねー」
「あ、はい。楽なので」
千夏先輩にも叶恵と同じことを言われてしまった。パンは好きでもないけれど手っ取り早いから楽なのだ。朝はたまに卵かけご飯とか食べるし、栄養に関しては大丈夫だと思うのだけれど。
「栄養偏るよー。あたし1週間3食カップラーメン生活したことあるんだけど5日目くらいで倒れたからね? 床を這って親に助け求めたわー」
「なんでそんな無謀なことしたんですか……」
「好奇心? カップラーメン好きすぎるから一途になろうと思って。結果あたしの身体が拒否ったから、やっぱり一途にはなりきれなかった。我ながら罪深い女だわ」
頬杖をつきながらウインクしてきた。無駄に絵になるところがなんとも言えない。
玲華先輩は黙って食べている。
「食べ物相手に何言ってるんですか……」
「未来もパンばっか食べてるとあたしみたいにぶっ倒れるよ?」
「少なくとも地面を這うくらいな状態になったことはないので大丈夫ですよ」
千夏先輩は、ははっと笑うと玲華先輩の方を見る。
「玲華もいつもお菓子じゃん」
「お菓子じゃないわ。必要な栄養が計算されたバランス栄養食よ」
玲華先輩は黄色いパッケージに入ったスティック状のものを食べていた。
そういえばいつも、こんなようなものしか食べていない印象がある。お昼は風紀室で仕事をしていることも多いし。
「玲華先輩はどんな食べ物が好きですか?」
「食べられれば」
興味のなさそうな口調で答える。私と一緒で食にあまり興味はないように見える。玲華先輩の家もお弁当を作らない家庭なのだろうか。
「未来、今度玲華のお弁当に虫入れよっか」
「分かりました」
「虫は食べ物じゃないわ!」
玲華先輩は千夏先輩を睨みつけた。この2人がいるとコントを見せられている気分になる。千夏先輩と一緒にいれば、玲華先輩のムッとした表情が見られるからそれはそれで良いのだけれど。
千夏先輩といい、みっちーといい、私の周りには愉快な人が多い。学校生活は退屈ではなかった。
「虫を食べ物としてる国もあるからねー。なんだっけあの虫。すんごいタンパク質豊富って言われてるやつ……そうだ、コオロギだ。未来、コオロギ捕りにいこ」
「はい、行きます」
「清水さんを巻き込まないで」
「いいじゃーん。初めての共同作業ってやつで風紀委員期待の書記との仲を深めようと思って」
初めての共同作業が虫捕りっていうのもどうかと思うけど……。
玲華先輩は眉間にしわを寄せて目を細めて黙っている。お弁当に虫入れてこようとしてくる同級生と後輩がいたら嫌だよね。私も嫌だもん。でも意地悪したくなっちゃう気持ちも分かるかもしれない。
「……」
「無視ですか? 虫だけに?」
「いい加減にしないと怒るわよ」
「……さーて。そろそろ教室戻ろうかな」
玲華先輩からじわじわとダークなオーラが漏れ始めた。
これ以上はまずいと察したのか、私の腕を引いて少し離れた。
「ちょっといじりすぎたかも。しばらくは玲華には近づけないわ、うん」
「結構オーラやばかったですね」
「なんだかんだいつも許してくれるから、まぁ大丈夫だとは思うけどさ」
もう1年以上の付き合いだ。仲が良いのかと言われれば分からないが、少なくとも悪くはないというのは分かる。2人とも仕事はできるし、もめ事も少なそう。
千夏先輩と一緒に廊下に出た。これからそれぞれのクラスに戻る。1年生は1階、2年生は3階、そして風紀室は2階。私たちは階段を目指して歩く。
「それにしても食べられればいいだなんて、玲華先輩は食べ物に欲がないんですかね」
玲華先輩関係の情報収集は千夏先輩を頼ろう。
「うーん。でもこの前、学食のカレー美味しそうにばくばく食べてたよ」
「カレーですかぁ」
ばくばく食べるっていう言い方には若干の悪意を感じたけど……
「でもカレー嫌いな人なんてそういないよね。あたしも好きだしカレー」
「千夏先輩が好きなのはカップラーメンでしょう?」
「一途になれない女だって言ったじゃーん」
「罪深いですね」
「でしょ? 悪女だから」
階段までたどり着いたので、千夏先輩と別れた。
玲華先輩はカレーが好きという新しい情報が手に入った。
先輩の胃袋をつかめれば好感度を上げることができるかもしれないし、料理上手な女は印象的にもプラスになるだろう。ここは頑張るしかない。
ただ、私は1人でカレーを作ったことがない。小学生の頃に学校行事で皆で作った記憶があるが昔のことすぎて覚えてない。
インターネットで検索すれば作り方なんて簡単に出てきそうだけれど、せっかくなら料理上手な人に教えてもらいたいと思う。そう、叶恵に。
――――――――――――――
教室に戻り、叶恵とみっちーの元へ行く。
「委員会終わった?」
お疲れ様、と2人に迎え入れられる。
「うん。今終わった。あのさ叶恵、料理が得意ならおいしいカレーの作り方教えてくれない?」
「カレー? 別にいいけど急にどうした?」
「どうしてもカレーが作りたくなった。うちのキッチン貸すから教えてほしい」
「お、おう……分かった」
「え、楽しそう!」
みっちーは目を輝かせている。
「みっちーも一緒に作る?」
「是非是非! わたしもあんまり料理しないから作り方覚えたいかも」
「おっけー、じゃあ3人だね。場所は未来の家でいいんだよね?」
「うん。叶恵先生、お願いします」
「はいよ」
叶恵に料理講師をやってもらえそうで良かった。私たちは早速予定を立てるのであった。
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