5月

叶恵先生の料理教室

 5月に入った。早いものでもう入学してから1か月が経った。



「よし、材料は一通り買ってきたから早速作っちゃおっか」



 ここは私の家。

 叶恵、みっちー、私はエプロンをつけて狭いキッチンの前に立っていた。



 本日は土曜日。昼下がり。

 我が校では寄り道禁止というこれまた面倒な校則がある。放課後に遊ぶために、一度家に帰り着替えれば外出は可能なのだが、手間である。

 寄り道が極論バレなければ良い話だが、私は風紀委員に所属しているし、みっちーは生徒会である。もしバレたら、その後の玲華先輩が怖すぎる。リスクのあることはしたくない。でないと好感度はだだ下がりだ。



 叶恵も叶恵で平日は部活もあるので、土曜日開催ということになった。



 スーパーに行き、叶恵の指示に従ってカレーに必要な材料を買った。

 作ったカレーは3人で食べる予定なので3人分だ。

 学校以外で友達と会うのはなんだかワクワクするし、一人暮らしの家に誰かを招待するのは初めてのことだった。



 がちゃがちゃと音を立てながら棚をあさる叶恵。

 料理器具は前に住んでいたマンションにあったものを一通り持ってきたものの、使ったことは1度もない。母がたまに家に来て何か作ってくれることはあったがもうだいぶ昔の話だ。



「まずは埃かぶってる鍋と調理器具を洗うところからだね」


「はーい」



 鍋とおたま、包丁、ピーラー、菜箸を洗うため準備にとりかかる。



「わたし鍋洗うから、未来は調理器具洗ってくれるかな」


「うん。ありがとみっちー」


「じゃあうちは野菜、袋から出してるね」



 調理器具を洗おうとするがスポンジは既にみっちーに奪われていた。なすすべがなくその場に立ち尽くすしかない。

 いや、やってくれるという気持ちはすごく嬉しいんだけどね。



「どうしたの未来……?」


「みっちー。シンク1つしかないし、スポンジも1つしかないでしょ? 2人だと洗えないよね」


「あ、ホントだ、洗えないね!」



 笑顔で言われても……。



「うん、洗えない」



 洗いはもうみっちーに任せちゃっていいかな。



「……あのさ、どっちかが泡つけてどっちかが流せばいいんじゃないの?」


「叶恵頭いいね! じゃあ泡つけるから未来流してくれる?」


「分かった」



 ナイスアイデアである。



「この2人と料理するの不安しかないんだけど」



 叶恵はため息交じりに言った。



「みっちーは分かるけど、私まで?」


「調理道具が埃かぶってる時点で嫌な予感しかしないから」



 みっちーと協力して鍋と調理器具を洗い終わった。

 まな板の上には玉ねぎ、にんじん、じゃがいも、お肉が置かれている。



「それじゃあまずは野菜切っちゃおうか。ピーラーでにんじんとじゃがいもの皮むいちゃって。うちはその間に玉ねぎ切っとくから」



 ピーラーと包丁は2つずつあった。

 私はじゃがいもを、みっちーはにんじんの皮を剥くことになった。うん、楽勝。ピーラーを作った人は天才だと思う。りんごの皮とかも包丁じゃなくてピーラー使えば余裕じゃん。



「皮むきは大丈夫そうだね。未来、じゃがいもの芽取っちゃうからちょうだい」


「うん」



 じゃがいものへこんでいる部分には毒があって、包丁の角を使って取らなくてはいけないという。これを叶恵はやってくれるらしい。ありがたい。

 器用にじゃがいもの芽を取る叶恵は涙を流していた。その横顔を真顔で見つめる。

 じゃがいもに何か思い入れがあるのだろうか。前世がじゃがいもだったとか?

 さすがに心配になり声をかけようとして思いとどまる。玉ねぎは既に切られている。玉ねぎって切ると涙出るっていうけどまさかそれかな……



「叶恵、なんで泣いてるの? どうしたの?」



 心配そうにみっちーが尋ねた。



「たまねぎ切ったから。本当は冷やしておけばちょっとマシになるんだけど」


「私もなんで泣いてるのか気になってた。じゃがいもに何か思い入れがあるのかと思ったよ」


「どんな思い入れだよ、ないから」



 やはり玉ねぎが原因だった。私たちの代わりに涙を流しながら玉ねぎを切ってくれて感謝しかない。叶恵の包丁さばきは見事だった。料理に慣れているのが分かるし、切られている玉ねぎの形も綺麗だ。



 そうこうしているうちにじゃがいもの芽は取れていた。あっという間だ。



「おっけー、芽取れた。後はそれぞれ食べやすい大きさに切るだけ。じゃがいも切っとくから2人で協力してにんじんお願い」


「「分かった」」


「待って……包丁の使い方はさすがに分かるよね?」


「猫の手だよね?」



 指を切らないように手先は曲げる、ということは知識として知っている。



「未来は分かってそうだね。みっちーヤバそうだったら教えてあげて」


「分かった」


「わたしだって包丁くらいは使えるから!」



 たどたどしい手つきではあったけれど、なんとか協力してにんじんを切ることができた。やればできるじゃん、私たち。

 その後、お肉も食べやすい大きさに切って、一通り切り終わることができた。連携プレーも悪くないかもしれない。



「にんじんだけ形が凄い歪だけど、まぁいっか! 手切らなくて良かった。

 そしたら肉と野菜炒めるから鍋に油ひいちゃおう。油ってどこにある?」



「どこだったっけな。どっかにあったと思うんだけど……ちょっと待ってね」



 引っ越した当初、何となく買った覚えはあるんだけれどどこに置いたのか忘れてしまっていた。

 上の棚を開ける。食器などがごちゃごちゃしていた。ここのどこかにあったと思うんだけど……。

 棚をあさっていると、みっちーは玄関の方に歩いて行った。トイレかな?



 奥の方にあったサラダ油を見つけたので手に取った。



「あったあったこれだ。賞味期限も大丈夫そう」


「良かった。油使わないと焦げ付いちゃったりするからさ」


「みっちーはどこ行ったの? トイレ?」



 玄関の方から声が聞こえた。



「油あったよ」



 みっちーは赤いボトルに入った灯油を持ってきた。

 ここは賃貸マンションにしては珍しく石油ストーブの使用が可能だった。引っ越した当初は明け方はまだ冷えることもあって、以前購入したものを玄関に置いていたのだ。



 何してんのこの子。



「いやそれ灯油だから!! 正気かよお前!! さすがにウケ狙いだよね? そうだと言ってくれ!!」



 凄まじい勢いで叶恵がつっこみを入れる。私も全く同じことを思ったので代弁してくれてありがたい。



「鍋あたためられればいいんでしょ?」


「灯油の入った食べ物をお前は食べるのか? そうなのか?」


「食べないかもしれない。ごめん」



 みっちーは残念そうに灯油を玄関の方に戻しに行った。是非とも反省してほしい。



「叶恵、つっこみがキレッキレだね」


「多少アレなところは中学から見てきたつもりだけど、今回のはさすがに怖すぎるわ。みっちーの将来の旦那が死んだら、絶対あいつの料理のせいじゃん」


「少なくとも料理に灯油を使っちゃダメっていうのは今回で学べて良かったかもね」


「そうだね……」



 野菜と肉を炒めて、水、カレールーを入れてしばらく煮込むとグツグツと良い匂いが立ち込めてきた。

 野菜と肉がカレールーに馴染んできてトロトロに輝いているのが分かる。



「美味しそうだね」


「意外と簡単でしょ?」


「うん」



 このくらいなら私にもできそうだ。包丁の使い方に慣れたいところではあるけれど。



「ここに温泉卵とか半熟卵入れたら美味しいんだけどね」



 叶恵はへへっと笑いながら言った。



「たまに卵かけご飯食べるし、卵なら冷蔵庫にあるよ」


「使っちゃっていいの?」


「うん、ちょっと待ってて」



 カレーに半熟卵はかけたことはないけれど、まろやかになりそうだ。

 少しでも美味しくなった方が良いに決まっている。冷蔵庫から卵を3つ取り出すと、深皿に移して電子レンジに入れた。



「1分くらいあたためたら半熟になるかな?」


「おい! 今すぐ卵を電子レンジから出せ!」



 血相を変えて叶恵が突っ込んできた。

 無理やり電子レンジから卵を引き抜かれる。



「なんで?」


「いや、そのままあたためたら地獄を見ることになるから、まじで」


「未来、卵を電子レンジに入れると爆発しちゃうの知らなかった?」


「そうなの?」



 鍋に灯油を入れようとした女でさえも知っていたようで不覚だ。



「ホント油断も隙もない……未来、もう一つ鍋使っていい?」


「うん、いいよ」



 叶恵は手際よく鍋にお湯を入れるとコンロに火をつけて卵を3つ中に入れ、茹で始めた。これが半熟卵の正規の作り方のようだ。

 後ろ姿を見ていると、叶恵が面倒見の良いお姉さんであることは想像できる。家庭的な人って良いな。私にも母がいたらこんな感じだったのだろうか。叶恵は彼氏さんにもこうやって作ってあげてるのかな。



 半熟卵ができあがると、お皿にご飯をよそい、カレールーをかけた。湯気がでていて、できたてホクホクだ。そこに半熟卵を福神漬けと共に添える。



 3人で1つのテーブルを囲った。



「「「いただきます」」」



 一口すくって食べると、ぴりっとしたカレーの風味が口に広がり、野菜や肉の甘味が後から追いかけてくる。



「美味しい」



 思わず声が出た。

 カレーってこんなに美味しかったっけ。



「ね!」


「レトルトでチンすれば良いだけっていうのも楽だけど、こうやって一手間かけるとやっぱ違うよね」



 2人も美味しそうにカレーを食べている。その姿を見て、自分の心もホカホカしてくるのを感じる。私の家で、友達とご飯を作って一緒に食べているのがなんだか信じられない。



「これみっちーが切ったにんじんでしょ? デカすぎ」



 大きなにんじんの塊を持ち上げる。



「そうかも。これは多分未来のだね。小さすぎるから。うん、でも味は美味しいよ」



 みっちーは小ぶりなニンジンを食べると笑った。私もそれを見て笑みがこぼれた。なんて平和な時間なんだ。



「にんじん組お疲れ様」



 みっちーと目を見合わせてハイタッチをした。



 叶恵の切ったじゃがいもと玉ねぎは丁度良かったのは言うまでもない。

 なんだか幸せだった。にんじんの形はいびつだったけれど、みんなで一緒に作って食べるカレーは美味しさが倍増しているように感じた。温かい家庭を想像させた。私はこういうことがずっとしたかったのかもしれない。



「叶恵もいろいろ手伝ってくれてありがとね」


「うちも楽しかったからいいよ。1人で作れそう?」


「うん、手順は覚えた。練習するよ」


「また分からないことあったら聞いて」



 食べ終わった後は、一緒に食器を洗って解散した。



 2人を駅まで送っていき、部屋に戻るとまだわずかにカレーの匂いが部屋に残っていて、余韻に浸る。

 楽しかった。少し寂しい気持ちになる。



 玲華先輩にも美味しいって言ってもらいたいな。

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