中間テスト
その後、私はカレーを1人で作る練習をし続けた。時期はもう5月の中旬に差し掛かろうとしている。
包丁にも慣れてきて、野菜も均等に、速く切ることができている。玉ねぎを切る時はゴーグルを着用すれば目は痛くならないということも発見した。肉の種類によってカレーの味もわずかに変わるということも。
カレーを食べると、3人で一緒に作ったことや一緒に1つのテーブル囲んだことを思い出して、それがまた満たされる感じがして楽しくなる。
「未来、今日もカレーなの?」
叶恵はあきれ顔で尋ねる。
カレーをたくさん作ることもあって、私のお弁当もパンからカレーになった。学食の近くに電子レンジがあるので、タッパーに入れたカレーを温めては食べていた。
カレーはたくさん作っても物持ちが良いし、時間が経てばコクも出る最強の食べ物だ。
「うん。だめかな?」
「パンの次はカレーですか。そればっかっていうのもねぇ」
「お肉入ってるからタンパク質もとれるよ」
「そうだけどさ……」
体調も心なしが良い気がする。料理の楽しさに気づいてしまった。また皆で何か作れたら良いなと思っている。
「また皆で作りたいな。包丁もわりと使いなれてきて良い感じだよ。まだ叶恵ほど上手くはないけど」
「ホントだ。にんじん上手く切れてるね。……あの時楽しかったよね。わたしも家で作ってみたよ! みんな美味しいって食べてくれて嬉しかった」
みっちーも家でカレーを作ったようだ。家族大丈夫だったかな。雫会長の笑顔が浮かんだ。普通に登校してるっぽいし大丈夫か。
「みっちー1人で作れたの?」
「作れるよ! なんでそんな心配するの? 大丈夫だから!」
「だって灯油じゃん」
「灯油だよね」
「……」
みっちーは言い返すことができないようで、しゅんと悲しそうな顔になった。
鍋に灯油入れようとしたからな。多分これ私たちが覚えてる限りしばらく言われ続けると思う。
「でもさ、なんでカレー作りたいって思ったの? そんな好き?」
ブルーモードのみっちーをよそに、叶恵はそう聞いてきた。
「……食べてもらいたい人がいるんだよね」
一口でも食べてくれたらそれだけで嬉しい。先輩の胃袋を掴みたい。そういう意味では自分は女子に生まれて良かったとさえ思う。
私はあの日以来、カレーを作ること自身も楽しんでいるけれど、根本的な目的は玲華先輩に食べてもらうことだ。勝手に食べてもらえること前提で動いているけれど努力は無駄にはならないと信じている。
「やっぱ未来好きな人いるでしょ? もう顔が恋する少女のソレだよ」
「え、そういうわけじゃ……」
私は玲華先輩の好感度を上げるために頑張っているのであって、別に恋をしているわけではない……え、そうだよね?
その時、校内放送がかかった。
『テスト一週間前になりました。本日から図書室が18:00まで開放されます。生徒の皆さんは――』
放送委員によるものだ。
「そういえばもうすぐ中間テストじゃんね」
「あっという間だね。この前入学したばっかなのに」
「高校1年生が一番科目多いからね。カレー作るのも良いけど勉強もしないとだよ? 未来」
「うん、分かってるよ。2人は勉強得意なんだっけ?」
「うちは別に。無難に平均くらいかな。高校から入ってくる人たちは頭良いみたいだし、今回はどうなるか分からないけど」
叶恵は平均くらいの成績のようだ。失礼かもしれないがそういう感じがする。納得。
私は親のコネでこの学院に入った。つまり入試は受けていないのだけれど、ここのレベルはそれなりに高いことは知っている。ここで平均くらいなら、世間一般的にはきっと頭は良い方だろう。
「そっか。みっちーは?」
「うーん。勉強はまあまあかな」
「何言ってんの? みっちーずっと学年上位だったじゃん」
「そうなの?」
「うーん。……一応ね」
みっちーは意外にも頭が良いみたいだった。
私は進学に支障が出ない程度に今まで頑張ってきたけれど、この学校ではどうなることか分からない。それなりの進学校だが、授業についていけないという訳ではないので、これまでの要領でなんとかなるとは思うのだけれど……。分からないところがあったら、みっちーに聞けば解決しそうだし。
実際、勉強なんかより私の頭はカレーだった。
チョコレートやコーヒー、トマトジュースを入れるとカレーにコクが出て美味しくなると聞いて、それを実際に実験してみたいし、自分なりに美味しくなる方法を研究したい。煮込む時間とか。スパイスからカレーを作る方法にも興味がある。
納得のいくものを玲華先輩に食べてもらいたいから。
テスト一週前になると、部活動や委員会の活動は停止となり、図書室が夜まで開放され、みんなそこで勉強するという。
風紀委員の活動もしばらくない。だから委員会活動のない時間を利用してカレーの研究をして、テスト後の委員会の集まりで、玲華先輩に渡せたら良いなと思っている。受け取ってくれるかは分からないけれど……。
せめてその時までに自分が一番美味しいと感じるカレーに仕上げておきたい。
放課後に好奇心で図書室を覗くと、多くの生徒でひしめき合っていた。普段は閑散としているイメージなのに雰囲気が全然違う。人が多いのは好きではないので、図書室を後にしようとするが、立って本に手を伸ばす玲華先輩を見つけたので挨拶だけしようと彼女の元へ向かった。
「玲華先輩、お疲れ様です。何読んでるんですか?」
玲華先輩の持っている本は英文でぎっしり書かれていた。
変な声が出そうになる。
「心理学の論文」
「これもテスト範囲なんですか?」
「これは違うわ」
玲華先輩はその本を本棚に戻した。テスト前なのに勉強しなくて良いのだろうか。私に言えたことじゃないが……。
「先輩っていつもテスト1位なんですよね? テスト勉強しなくて良いんですか?」
「……あなたこそ大丈夫なの?」
横目で見下ろされる。ギクっとする。
「だ、大丈夫ですよきっと」
「そう、なら良いけど。……そろそろ行くわ」
「もう行っちゃうんですね」
玲華先輩は、図書室を後にした。片手には教科書がぎっしり入った手提げをぶら下げている。座席は既に埋まっていて図書室で勉強することは断念したのだろう。少しだけだけど話せて良かった。
テストはなんとかなるでしょ。それよりもカレーだ。玲華先輩と話したら余計にカレーを作りたくなった。私のスマホの検索履歴はカレーのことだらけだった。
――――――――――――――
そうして1週間は過ぎて、とうとうテスト当日になってしまった。
「勉強した?」
隣の席のみっちーに覗きこまれる。
「あんまできてないかも……」
「えーやばいじゃん」
勉強してるくせに勉強してないとかウソをつく奴はいるけれど、私は本当に勉強をあまりしていない。私が成績が悪くて誰に迷惑をかけるというんだ。父はテストの成績には無関心だし、進学さえしてくれれば良いと思っているだろう。多少はやったから大丈夫だと思う。最低限覚えることは覚えたと思うし。
実際この要領で中学時代は過ごしてきたんだ、高校でもまぁ大丈夫だろう。
前の席の人からテストと答案用紙が配られて、チャイムが鳴りテストがスタートする。一斉にシャーペンを走らせる音が教室中に響いた。
答案用紙と向き合う。
……どうしよう、1問目から分からない。
横目でみっちーに助けを求めるが気が付かれない。彼女のシャーペンはなめらかに動いていた。え、無理じゃんこれ。
時間だけがただ過ぎていく。刻まれていく秒針の音は私を焦らせた。選択問題がいくつかあったので、目をつむり精神を集中させる。頭に浮かんだものが答えだ! よし、この問題は「A」だな。私には超能力がある。嘘だ。
時間は無情にも過ぎていき、終了のチャイムが鳴った。テストはびっくりするくらいできなかった。気を紛らわせるため、テストの問題用紙に試験監督の先生の似顔絵を描いたくらいだ。誰かに見せる予定はないけれど、顔のしわとかわりと特徴を捉えられたのではないかと思っている。
家に帰り今日一日を振り返ったが、どの教科も問題が難しかった。高レベルだった。思ってたのと違う。どうしよう。
できなかったことはしょうがないのだが、あのテストの時間が苦痛すぎる。終わった人から退出できる方針にして欲しかった。分からないまま、周りが問題を解いていく音をただ聞いていなければならないのは精神的にきつい。私は先生の似顔絵を描き続けるしかないのだろうか。
初日で全然できなかったので、次の日も同じことにならないようにさすがに帰ってからは勉強したけれど、それでも全然だめだった。今さらだった。
4日間かけて初めての高校の中間テストが終わった。テストのことはもう忘れよう、そうしよう。
テスト後のお昼休みには風紀委員の集まりがあった。
「テストお疲れ様でした。今後の仕事内容についてですが、まずは体育祭があります。3年生はあと少しで引退ですので、1,2年生で協力して運営していかなければなりません――」
玲華先輩がみんなの前で話している。もうすぐ5月も終わる。私が書記として本格的に活動するのも近い。気持ちを切り替えて頑張らなくては。
委員会の解散の後、玲華先輩は最後まで風紀室に残っているようだったので2人になれるタイミングを待った。
今日は私が作った懇親のカレーを渡す日だ。私が1番美味しいと思えるものを持ってきた。少し緊張する。
いつまでそこにいるの、という目を向けてきたので思いきって切り出す。
「先輩、良かったらこれ食べてくれませんか」
「なに……」
カレーの入ったお弁当箱を差し出した。タッパーはさすがに味気ないので可愛い入れ物のお弁当箱を探して買ったのだ。
お昼は何も食べてないようだったので、これが昼食になると嬉しい、なんて思う。
「玲華先輩がカレー好きだって千夏先輩から聞いたので……」
「……」
玲華先輩は無言でお弁当箱を見つめている。
「あの、虫は入れてないですから」
受け取って欲しい……。どうか……。
沈黙の後、先輩はゆっくり口を開いた。
「どうしてそこまでしてくれるの?」
確かにいきなり予告なしに後輩に弁当を渡されることなんて、なかなかないことだと思う。でも事前に作りますと言っても玲華先輩は拒否しそうだったから。
「先輩に栄養を、と思いまして。余計なお世話だったらすいません」
「清水さんもパンばかりだったでしょう」
「私の心配をしてくれてるんですか?」
「別にそういうわけじゃ……」
玲華先輩はそっぽを向いてしまった。
私は受け取ってもらえるよう、言葉をひたすら探した。
「玲華先輩のためにカレー作る練習をいっぱいしたこともあって、カレーばかり食べてましたから私は健康ですよ。それに、竹内さんのことで迷惑かけちゃったのもあって改めてお礼がしたくて。
あの……受け取ってくれませんか?」
お願いします。このために私はテストを犠牲にしたんです。どうか……どうか……。
「ありがとう。後でいただくわ」
玲華先輩はお弁当箱を受け取ってくれた。
やった! と心の中でガッツポーズを決める。
嬉しくなって、テストが全然できなかったことなんてすぐに忘れてしまった。
「温めて食べてくださいね」
その日の翌日、昼休みに玲華先輩は私の教室の入り口付近で顔をのぞかせていた。駆け寄ると、綺麗に洗われた弁当箱を返された。
「味……どうでした?」
「美味しかったわ。すごく。……ありがとう」
少し照れ臭そうな表情だ。食べてくれたというだけでこちらも嬉しい。練習して良かったと思う。
「また作ったら食べてくれますか」
「あなたに心配されないように、もっと色んなものを食べないとだめね」
玲華先輩とずいぶん仲良くなったんだね、とやりとりを遠目に見ていたみっちーと叶恵から言われた。玲華先輩が教室に来ると、教室中が静まり返るから気まずい。でも少なくとも手作り弁当を食べてもらえるような仲にはなれた。ただただ嬉しい。胃袋掴めただろうか。好感度は上がっただろうか。
家に帰り、返却された弁当箱を開ける。綺麗に洗われた容器の中には、先輩がいつも食べている黄色のパッケージの栄養食が入っていた。
これお返しのつもりなのかな。かわいいな。ベッドにダイブして悶えた。
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