体育祭――前編

 いよいよ体育祭当日になった。

 雨天の場合は中止になるらしいが、その日は快晴だった。



 校門をくぐると、中庭や校庭ではたくさんの生徒が競技の練習を行っている。

 学校行事にはあまり興味はなかったけれど、皆でリレーの練習をしたこともあって今年は少しワクワクしていた。



「皆さん、おはようございます! 本日は待ちに待った体育祭です。木々の緑が目にしみる今日この頃、吹く風も次第に夏めいてまいりましたが――」



 開会式で、雫会長が全校生徒の前で挨拶をしていた。生徒会長としては満点の仕事ぶりだ。みっちーに聞いた話だが、雫会長は体育祭の挨拶をインターネットで検索してそのままノートに書き写して暗記していたらしい。自分の言葉じゃないんだって思ったけど、そういう努力も時には必要だと思う。お疲れ様です。

 5クラスあるので色は5色。1~3年のA組の色は赤だったので私たちは赤いハチマキを額にしている。1位になるための倍率は5倍。なかなか難しい道かもしれない。でも別に順位なんてどうだって良い。何位になったって良い。



 スターティングピストルの音が聞こえる。早速競技が始まっている中、私は校門を目指していた。風紀委員の警備のためである。

 自身の出番がない時は、2人1組で定められた場所を警備することになっている。このようなイベントになると、不審者が学校に入ってきたり、テンションの上がった生徒たちが色々とやらかしたりするそうで、それを取り締まらなければならないのだ。風紀委員にはトランシーバーが渡されていて、いざとなったら生徒会や風紀委員のメンバーに繋ぐことができるようになっている。



 最初の校門前の警備は1年の洋子と、昼の校庭の外周まわりの警備は千夏先輩と、部対抗リレーを挟んで、終盤の校舎の中の警備は玲華先輩と行うことになっている。1番楽しみなのはもちろん、玲華先輩との警備である。



 校門前に着くと、既に洋子は立っていた。風紀委員の腕章を体育着に着ける。



「未来さん、おはよう」


「おはよう」



 くせ毛のボブ。私を見ると洋子はニコっと笑った。



「なんか今日は楽しそうだね。体育祭だからテンション上がってる?」


「今日楽しみにしてた乙女ゲームの発売日なんだ」



 乙女ゲーム。女主人公が複数の男性キャラクターと恋愛をしていくゲームである。

 洋子はアニメや漫画、こういったゲームが好きな子だった。風紀委員に入ったのも、好きなキャラクターが風紀委員だったからだという。



「何ていうゲーム?」


「羊飼いの執事~セコンド~」


「なにその噛みそうな名前」



 乙女ゲームだよね? 牧場で何かする話なのだろうか。

 略して「ひつしつ」らしい。言い辛すぎない? もっと他の略し方なかったの?



「英国が舞台でね、執事の信夫との絆を深めていくゲームなんだ」


「英国が舞台なんだよね? なんで執事の名前が信夫なの?」



 攻略キャラの名前が、信夫っていうのもレアな気がする。



「信夫は日本とイギリスのハーフなんだよ」



 ハーフなのは分かるけど、英国に住んでるならもっと洋風の名前にできなかったのか。ゲーム名と攻略キャラの名前で、ギャグゲームなのだと察した。



「そ……そうなんだ。ギャグ系なの?」


「ギャグ要素はないかな、基本シリアスだよ。信夫がとにかくかっこ良くってさ……」



 ギャグじゃなかった。



「攻略対象はその信夫だけ?」



 乙女ゲームというのは基本、攻略対象が複数いるはずである。

 一度攻略したら、他のキャラクターの攻略に移る。そう考えると、私はリアル版の乙女ゲームを今までプレイしていたように思う。落としたら、すぐにターゲットを切り替えていたのだから。

 でも今の攻略対象は玲華先輩だから乙女ゲームというよりは違うジャンルになりそうだけれど……。



「太郎と勘兵衛かんべえもいるよ」


「舞台英国なんだよね??」


「一応セバスチャンとかもいるけど」


「あ、いるんだ。安心した。でも、信夫と太郎と勘兵衛がいるんだから攻略キャラはいっそのこと日本名貫いて欲しかったな」



 中途半端なところでセバスチャン出してくるの辞めて欲しい。

 聞いたところによると、貴族令嬢の主人公が何者かによって外出中に屋敷を燃やされることから物語は始まる。残されたのは牧場にいる羊と、一緒に外出していた執事達。羊の羊毛を売って生計を立てつつ、屋敷を燃やした犯人を執事たちと一緒に暴いていくというストーリーである。

 羊毛を売るためには羊の世話を欠かすことはできない。羊の繁殖にも力を入れなくてはならず、より良い羊毛を作るために、良い質の毛を持った羊同士を掛け合わせて遺伝子操作を行っていく。お見合いタイムというものもあって、そこで雄と雌の相性を見極める。相思相愛になれなければ子供を産むことはできないため、毛の質だけを考えて遺伝子操作していくことは難しいという。気に入った羊には名前を付けることもできるそうだ。



 乙女ゲームというよりただの羊の世話するゲームじゃん。



 この体育祭が終わってから洋子は羊の世話をしに家に帰るのか。なんだか気の毒だ。良い羊毛がとれると良いね。

 しかしながらタイトルに「セコンド」とあるようにシリーズものの続編らしい。前作である1作目がヒットしたんだそう。育成ゲームとしての質を買われたのかな。



「確認なんだけど乙女ゲームなんだよね?」


「そうだよ。もちろん恋愛するよ」


「楽しいの……?」


「うん、楽しいよ! 乙女ゲームは校則にひっかからないし理想のイケメンと恋できるのが良いよね」


「色んなキャラがいると思うけど、攻略対象が多いゲームの方が私的には良いな。ひつひ……ひつしつは何人いるの?」



 ほら、噛んじゃったじゃん。



 乙女ゲームはやったことはないけれど、リアル版では私は落とすまでを楽しんでいた。今もだ。最初からキャラが自分にデレデレしていてもつまらないと思ってしまいそう。

 落とすまでが楽しいのだ。キャラクターの数分そこまでの道のりの数が増えるとすると、キャラは多い方が良い。



「攻略キャラは5人だよ。私は信夫一筋だからあんまり他のキャラには興味ないかも。他キャラルートで信夫の話題になったりするから、そこを回収するためにプレイしてる感じ」


「信夫が推しなんだね」


「うん。あー早く家に帰りたい」



 画面上であっても、恋は恋なのだろうか。惚けた顔をしている洋子。そんな彼女がうらやましく思えた。



「プレイし終わったらで良いから今度貸してよ」


「良いよ! 今日買うのは続編だから最初のやつ貸してあげる」



 人を好きになるってどういう感覚なんだろう。

 乙女ゲームはやったことはないけれど、画面上の理想のイケメンとの恋を通じて洋子の気持ちが分かったりするのかな。なに、ちょっとした好奇心だ。



 ――――――――――――――



 私は今、千夏先輩と校舎の外周を歩いている。昼すぎのこと。



 この時間は3年生の障害物競走の時間だ。生徒たちの盛り上がる声が遠くに聞こえる。こうしてパトロールをしているけれど、特に異常はない。平和だ。どことない安心感があって、千夏先輩と仕事していると気が抜けてしまいがちである。



 体育倉庫の近くまで歩いて来た。竹内たちの一件があったからここには良い思い出がない。できればあまり近づきたくなかった。



「おやおや。未来、ちょっとここで待っててー」



 千夏先輩はそういう言うと、体育倉庫の入り口まで忍び足で近づき、僅かに開かれた扉から中の様子を伺っていた。

 もしかして誰かいる?



 中を確認した先輩が苦笑いしながら戻ってくる。



「あの中でいけないことしてる生徒がいるっぽい」


「いけないことって何ですか?」



 千夏先輩は急に真剣な顔になると、ゆっくりと顔を近づけてきた。いつもニコニコしているのに、真顔な先輩の顔は妙に綺麗で戸惑う。こんな顔してたんだ、と思う間にどんどん近づいてくる顔。唇が――



「ちょっと! 先輩!」



 思わず肩に手を当ててこれ以上近づけないように制する。このままだとキスしてしまうところだ。

 千夏先輩は顔を離すと、いつも通りのニコニコ顔に戻った。



「こういうことしてた。びっくりしたー?」



 体育倉庫で恐らく生徒同士でキスをしているということだろう。それにしても、いきなりで少し驚いた。私が止めなければ本当にしていたかもしれないと思わせる距離感だった。



「実践しなくていいですから! 驚きましたよ」



 千夏先輩は八重歯を覗かせると、再び体育倉庫の方を向いた。



「それにしても参ったねー。このままにしときたいとこだけど、放置したらパトロールしてる意味ないしなー。知らないふりしてバレたら玲華にぶっ殺されるだろうし」


「ぶっ殺すってそんな物騒な……」



 ガミガミ言われそうな気はするけれど。



 千夏先輩は少し考えた後に、体育倉庫の前から数歩下がって息を整えた。



「もうすぐ障害物競走終わるから、備品は体育倉庫に運んどくね!」



 そう叫ぶと、千夏先輩は私の手を引いて物陰に隠れた。



「多分出てくるからとりあえずここで待機ね」


「はい」



 千夏先輩の手は優しく肩にまわされている。

 先ほどの叫びは、もうすぐ体育倉庫を開けるから今のうちに出ろという千夏先輩のメッセージだったのだ。



「出てこなかったら公開プレーを望んでるってことだから、その時は一緒に観戦しよう」


「そうならないことを願います」



 身を潜めてこそこそと話す。



 少しすると、2人の生徒が体育倉庫から出てきた。あたりを伺った後、校庭の方へ戻っていく姿が見えた。



「行った行ったー。あー良かった」



 緊張が解けたのか、千夏先輩は大きく伸びをした。私もそれにつられて伸びる。



「それにしても……こういうの多いんですかね。入学式の日も見たんです。木陰で女子同士でキスしてるところ」


「女子校だからねー」


「校則的には違反にはならないんですか?」



 以前同じ質問を玲華先輩に聞いた。わが校の校則――男女交際禁止。

 その時は生徒手帳の文面に書かれている通りと言われてしまった。実際のところ、千夏先輩はどう思っているのだろう。



「グレーゾーンすぎるからあたしは首突っ込まないようにしてるかな。捉えようだし。というか、別れろってこっちが言っても無理じゃない? 絶対別れないっしょー。二股かけられた女みたいな気分になるから注意するのも嫌だわー」


「あはは……確かに。じゃあ女子同士だと一応セーフってことで良いですかね」


「うーん。もうね、男でも女でも恋愛関係は好きなようにしてもらって良いってあたしは思ってるけどね。これ玲華には内緒でお願い」



 私も極力、他の生徒の恋愛事情に首を突っ込んだりはしたくない。千夏先輩が黙認しているなら、私もそのスタンスでいきたい。



「分かりました、言いません」


「仮に女同士でも交際禁止だとするじゃん? でも本人たちが交際してませんーって言ったらそれまでじゃない? 恋愛感情と性欲を明確に区別してる人もいるし、今回のはただの好奇心かもしんないしさ。いけないことしてるっていう背徳感で自分たちを満たしてるだけだったりしてね。どこからが浮気って線引きって人それぞれ違うのと同じで、恋愛感情ほど不確実なものってないと思うんよ」



 千夏先輩はあくび交じりに言った。

 確かに好意にも種類があるとは思う。家族としての好意、友達としての好意、尊敬の好意、そして恋人への好意。愛情表現であるキスも、友達とでもできる人もいるだろう。千夏先輩は多分そのタイプ。だってさっき止めなかったらしてた勢いだった。本人は冗談のつもりだったのかもしれないけれど。



 一緒にいることが愛だと言う人や、ハグが愛だと言う人、身体を交えることが愛だという人もいる。

 人を恋愛的に好きになるという気持ちは私にはまだ分からない。何なのか分からない。



「千夏先輩は恋したことあるんですか?」


「あは。一途になれない女だからねー」


「食べ物に恋してるっていうのは、なしでお願いします」



 カップラーメンに恋してるとか言いそうなので釘を刺しておく。



「まぁ未来より1年多く生きてるからねー。なになに、誰かに恋してんの?」


「いいえ。……私には好きって気持ちが分からないんです。だから先輩の好きはどういうものなのかなって気になって」



 自分が人を好きにならないことを悔やんだことはなかった。

 でも、人々が普通にしていることを、自分ができていないということは少し気になる部分がある。特定のパートナーを作らないまま私はずっと1人なのかと漠然とした不安があった。



「へぇ、意外。人を好きになったことないんだ?」


「はい、ないです。……自分は好きにならないくせに、でも人には好かれたいって思うんです……これって我儘ですよね」



 人からの特別な好意が欲しい。それは今も同じ。私は玲華先輩の好意が欲しい。



「モテたいってことかー。人に愛されたいって思うことは普通なことだと思うけどなー」


「普通、世の中はギブ&テイクじゃないですか。愛されることを望むくせに愛せないなんて都合の良い話ですよ」


「あんまり深く考えなさんなってー。きっと時が来たら分かるよ、自分の好きが。人から愛をもらって初めて愛を知ることもあると思うし。とりあえず今は人からもらう好意を素直に受け取っておけばいいんじゃない?」



 確かにそうかもしれない。しかし、私のせいでたくさんの人たちを傷つけてきた。そもそも誰かを一途に愛することができたら、男遊びというゲームに興じることもなかったと思う。きっと今も手首に傷はついていなかった。



「でも……でも……私のせいで多くの人達を傷つけてきました。友達も失いました。今回の竹内さんの件も、この手首の傷も。全部私のせいなんです」



 リストバンドを装着した手首を持ち上げる。この傷は私が死ぬまで消えない。

 体育倉庫をぼんやり眺めた。ここで暴行を受けたことだって私のせい。

 これまでのことを思い出す。私はゲームなんて言葉を使ってかっこつけているだけ。父親に愛されなかった。母親にも愛されなかった。愛が欲しい。ただ愛が欲しかっただけ。でも私は今でも1人。どこまで愛を求めてもずっと1人なのは変わらない。

 


「未来。……どんな時でも味方になってくれる人はきっといる。あたしがその1人になってあげる。だからそんな悲しい顔しないで。大丈夫だよ」



 横を向くと千夏先輩は真剣な顔をしていた。今日でこの顔を見るのは2回目だ。

 一言一言確実に伝えてくるような話し方で、口調もいつもと違った。

 味方という言葉が身に染みた。そんなこと言われたことない。



 味方……か。



「ありがとうございます。千夏先輩は優しいですね」


「はぁー。恋愛トークできるようになったら仲良くなった証だと思ってるから。あたし達も一歩階段進んだね。もっと色んなことして階段上がっていこーね」



 千夏先輩はいつもの話し方に戻っていた。



「言い方がいやらしいです……でもこんなこと相談したの千夏先輩くらいですよ。なんか話しやすくってつい。千夏先輩が甘えて良いって言ってくれたからかもしれません。

 恋愛相談は校則違反じゃないですよね……?」



 いらないことを話してしまったけれど、解決策が欲しいわけではなかった。自分の中に溜まっていた負の気持ちを吐き出しただけだ。千夏先輩に言えて少しすっきりしていた。



「恋愛相談っていうか恋愛できない相談だねー」


「確かにそうですね。別に恋愛したいわけではないですけど。人を好きになれてたら、誰も傷つけたりしなかったのになって思っただけです」


「ほれほれー」



 頭をポンポンとされた後に、わしゃわしゃ撫でられる。大きな手。



「な、なんですかっ」


「あたしなりに愛情を注入している」



 前髪がぐしゃぐしゃになってしまった。せっかく巻いたのに。でもいいや、千夏先輩からの愛を受け取っておこう。

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