リレー練習

「また練習?」


「ごめん叶恵、また1人にしちゃって」


「まぁしょうがないっしょ。適当に時間潰してるわ」



 6月の終わりに体育祭がある。生徒会と風紀委員の合同チームで部対抗リレーに出場することが決まっていた。なぜ部対抗リレーに委員会である私たちが参加しなければいけないかは謎だが、そもそも部活みたいなものなのでしょうがないのかもしれない。足の速い生徒5名が出場することになっており、上から玲華先輩、みっちー、千夏先輩、雫会長、私という順番で足が速かったため、私も選手に抜擢されてしまった。そこそこ足の速い自覚はあったけれどまさか、合同チームに抜擢されるとは正直思っていなかった。

 みっちーは元陸上部というだけあって玲華先輩に続いて2位だ。聞いたところ、短距離専門だったそうで、現役ではないにしろとにかく速い。クラス順位でも叶恵に続いて2位だった。さすがだ。



 みっちーや、全校1位の玲華先輩がいたとしても、現役の運動部の連中には勝てないだろう。各部活でも上位5名が選ばれるのだ。普段から体を動かしている連中が相手なのだ。決して甘い戦いではない。出場する部の数的に2部制で部対抗リレーは行われるらしいが、陸上部なんかと当たった場合は悲惨だ。

 どうせ1位にはなれないのだから、そこまで練習に力を入れなくても良いと思うのだけれど、雫会長がノリノリで毎日のようにお昼休みに私たちを招集するのだ。生徒会長なだけあって、学院の行事には関心が深いそう。会長の指示なので断るわけにもいかず、こうして着替えて校庭でリレーのバトン練習をしていた。玲華先輩やみっちーと一緒に練習できるのは良いのだが、叶恵が気の毒だ。今日も1人、教室に残してきてしまった。叶恵も部対抗リレーの選手らしいが、プロなだけあって昼休みを潰してまで練習はしないらしい。



 校庭には、体育祭に向けて各自競技の練習をしている生徒たちの姿が見て取れた。皆気合が入っているようだ。



 バトンの順番的には千夏先輩からスタートして、私、雫会長、みっちー、玲華先輩の順だった。

 私たちは50mを走り、最後の玲華先輩は100mを走ることになっている。

 みっちー曰く、最初は周りに離されないように、最後の方に速い人を入れて追い打ちをかける方が良いとのことでこの走順になったようだ。



「羽山先輩にバトン渡すの緊張するよ……毎回のことだけど。ミスしたらどうしようって思う」


「大丈夫だよ、意外と優しいから。校則さえ守っていればね」


「わたしの今の恰好校則違反になってないよね?」


「うん。体育着なんだから違反しようがないよね」



 私のリストバンドは校則違反ではないのでセーフだ。みっちーと着替えて校庭に向かっていた。



 みっちーは玲華先輩にバトンを渡す立場で緊張しているようだった。確かにいきなりは怖いかもしれない。でも、2か月以上一緒に仕事をした私としては玲華先輩は本当は優しい人だっていうことは分かっている。無意味に人を叱りつけたりする人じゃない。

 本当は私がみっちーのポジションになりたかったな、なんて思えるくらいには私は玲華先輩を慕っている。今思えば第一印象は最悪だったけれど、不思議なものだ。



 今日は私と千夏先輩で、雫会長とみっちーと玲華先輩で2つのグループに別れてバトン渡しの練習をしていた。



「ゴー!!」

「あたしの仇を……仇を討ってくれぇええええ!」

「このバトンを君に託す! あとは頼んだぞ」

「行きなさい!」



「千夏先輩、毎回バリエーション変えてバトン渡すのやめてください! 集中できません」



 毎回のことながら、ふざけてくる千夏先輩。先輩の走りに合わせて私も助走をつけるのだが、毎回変な掛け声をしてくるので力が抜けてしまう。



「バトンから生まれるドラマもある」


「勝手にドラマを始めないでください、そういうのいいですから」


「ちなみに最後のは玲華の真似したんだけどどうだった?」


「……本番は玲華先輩風でお願いします」


「玲華大好きかよー」



 相変わらずのニコニコ顔。今日も千夏先輩は白い歯を覗かせている。いつも笑顔すぎて、みっちーには某カードゲームの「貪欲な壺みたいな人だね」と言われていた。貪欲な壺とは、カードを1枚追加で山札から引くことのできるカードで、某カードゲームをプレイしている人たちの中ではかなりメジャーなカードである。私やみっちーも知っているくらいには有名だ。カードに描かれた壺は、口角を思いっきり上げながら不敵な笑みを浮かべている。もし、私が貪欲な壺に似てるなんて言われた時には迷わず頭を電柱に打ち付けるだろう。

 千夏先輩は美人だから、貪欲な壺に例えるのは違う気がするけれど、みっちーの言いたいことは分かる気はする。決してみっちーは悪意があってそれを言っているわけではない。あくまで例えなのだ。

 


「……ちょっと休憩しよっかー。疲れた」



 千夏先輩と校庭の脇に寄って、練習する3人を見る。玲華先輩は長い髪をポニーテールにしていて凛としているのに綺麗でかっこ良かった。なんだか武士っぽい。そんな玲華先輩を見て、チームメイトに全校1位がいるのが心強いと改めて思った。

 雫先輩が走り出して、みっちーにバトンを渡そうとするが、みっちーの助走が速すぎてなかなかバトンが渡らない。



「みーちゃん、スピード落としてって何回も言ったよね? もー! やり直すよ」



 雫会長はぷんすかしている。そんな彼女たちの練習風景をぼうっと見つめる。



「あたし最初に走るの嫌なんだよねー」



 持ってきた水筒をぐびっと飲みながら千夏先輩は言った。



「確かに最初だと緊張しますよね。注目されますし」



 最初に走る人は注目されやすいし少し気の毒だなと思う。でも恥をかくのは遅い人に限っての話だ。千夏先輩は私より速いんだし大丈夫。きっとそれなりの順位で私にバトンを渡してくれることだろう。



「そうそう、注目されるから胸揺れるの嫌だわぁ」


「……」



 そっちかよ……と心の中で呟く。

 体育着を着ている千夏先輩を見て思ったのだが、確かに胸はある。でも張りがあるし、形も良い。誰もが羨む程よい大きさだと思う。

 自分の胸を見て悲しくなった。みっちーもそれなりにあるし、玲華先輩もみっちーに続いて意外とある。勉強も運動も胸も彼女たちに負けている。勝てる要素なんて何もない。雫会長は私と同じくらいの大きさで残念な感じだ。制服じゃ分からないけれど、体育着だと分かることもある。

 何を見ているんだろう私は。決していやらしい目で見ている訳ではない。ただ、女性として、それなりにあった方が良いとは思っている。そんな私から見て千夏先輩の胸は理想だった。



「羨ましいですよ、その胸は」


「走り出した瞬間、みんな胸を見るんだよ? あたしが頑張って走ってる顔とか、振り回す腕とか、回転する脚じゃなくてバウンドする胸をただ見てるんだよ? この気持ちが未来に分かるかねー」



 そういえば中学の時、胸の発育が早くて、徒競走の時に男子にじろじろ見られていた子いたな。たしかにあそこまで大きくなくても良いかもしれない。胸があってもそれなりに悩むことってあるんだね。



「ここ女子校ですから大丈夫ですよ」


「いや女子も見るからね?」


「それは羨ましいという目で見てるんで大丈夫です」



 フォローになったか分からないけれど。少なくとも千夏先輩に言われるまで胸の揺れは意識してなかったし、そこまで気にすることじゃないと思う……。



「未来も羨ましいって思ってたりするん?」



 ほっぺをつつかれた。どんな気持ちでこんな質問してきているのだろうか。そりゃ羨ましいに決まっているじゃないか。



「……多少は」


「触ってみる?」


「……」



 千夏先輩は意地悪な笑みを浮かべている。絶対私の反応見て楽しんでるよこの人。

 よし、良いだろう。そこまで言うなら触ってやろう。某マジシャンのハンドパワーの手を作り、いざ膨らむ体育着に手を伸ばそうとすると、どこからか視線を感じた。

 雫会長とみっちーがバトン練習をしていたので手持無沙汰な状態だった玲華先輩が呆れ顔でこちらを見ていた。ちょっと絵的にまずいなこれは。辞めておこう。

 手を下すと、いいのー? と千夏先輩に顔を覗き込まれた。



「玲華先輩が見てます」


「胸に触れるのは校則違反じゃないじゃーん」


「そういう問題じゃないです!」



 校則違反ではないけれど、さすがにこの姿は見られたくはない。練習サボって何してんだこいつらはって思われそうだ。

 千夏先輩は名残惜しそうな雰囲気を醸し出していた。そんなに触って欲しかったの? 巨乳の気持ちは私には分からない。でも胸揺れを嫌がる人が、胸を触ってみるかなんて普通は聞いてこないだろう。



「あの、先輩本当に自分の胸が揺れるの気にしてます?」


「あは」



 この人は最初から自分の胸をコンプレックスなんて思っていなかったんだ。確信した。結局は胸の自慢かよ! と心の中で突っ込みを入れた。



 玲華先輩の方を見ると、みっちーからスムーズにバトンを受け取って走っていた。速い。先輩の動きにつれて首が横に動いていく。速すぎる。

 ふと隣を見た。胸自慢してきたこの人だってそれなりだ。胸の揺れにも負けず。



「なんで千夏先輩はそんな足速いんですか? 運動とかしてました?」



 みっちーみたいに元陸上部とかだったりするのだろうか。



「運動は全然」


「……じゃあなんでそんな足速いんですか」


「未来だって速いじゃーん」


「それはたまたまですよ。千夏先輩よりは速くないですし」



 勉強はそこそこ。運動もそこそこだった。中学までは。

 高校に入った今は、勉強は底辺、運動に限ってはまだそこそこをキープできていた。足の速さくらいだ、私が誇れるのは。後、カレーの美味しさ選手権たるものがあったらそれもそこそこ良い成績だと思う。そんな選手権はないと思うけど。



「会長の妹さんも速いよねー。満ちゃんだっけ。リスみたいで本当会長そっくり」



 みっちー、安心してね。千夏先輩のことを「貪欲な壺」に例えていた話は絶対しないから。



「みっちーは元陸上部ですから速いですよ。でも雫会長や玲華先輩も運動してこなかったんですよね? なんでみんなあんな速いんだろう。しかも頭も良いし。チートですよ」



 千夏先輩はテストでもちゃっかり学年5位だったし。後々聞いたけれど、全然勉強してなくてこの順位らしい。意味が分からない。

 今回のリレーの選抜メンバーは私以外、皆成績が貼り出されるくらいには優秀な人達だ。私はたまたまこのメンバーに入れたけれど、運動も勉強も両方できる人がいるなんて世の中不公平だなと思う。千夏先輩なんかは特に。大した努力もしないで何でもできちゃう人種なんだ。1位を目指さない私だけれど、この学院に入ってから劣等感というものを知った。



「玲華は毎日走りこんでたらしいよー。風紀委員の威厳とかなんちゃらで」


「走りこむだけで、他の運動部抑えて全校1位になれるんです? 元から運動神経良かったんですよきっと」


「あの人は人に言ってないだけで影でかなり努力してるからねー。スポーツテストの前、何気なく風紀室に入ったらソファで腹筋してるの見ちゃって、そっとドアを閉めた記憶ある。

 未来も走りこめば抜かせるんじゃない?」



 玲華先輩が腹筋してるの見たら笑っちゃいそうだな。

 


 努力すればスキルは伸ばせる。それは本当にその通りだと思う。だって実際、料理を全くやったことがなかった私が、練習してそれなりにカレーを美味しく作れるようになったのだから。

 玲華先輩を攻略したいという思いから、私は自分の料理のスキルを伸ばした。だからもし、玲華先輩の好きなタイプが「自分よりも足の速い人」とかであれば自分もそれなりに頑張っていたかもしれない。でも何の理由もなしに走りこもうなんてとてもじゃないが思えない。



「そういうところに労力を割くモチベーションがあれば良いんですけどね」



 モチベーション。玲華先輩は自分の役割を全うするために、周りからの見え方を気にして努力を重ねてきたんだ。

 玲華先輩は血の滲むような努力して、完璧を作っている。仕事ぶりからも明らかだ。千夏先輩のように特に何もしなくてもある程度何でもできちゃう人はいる。けれど彼女は違う。風紀委員の威厳のため、兄のため。責任感が強くて真面目で、努力家。

 でも、それに抗えない優しさを持ち合わせていることを私は知っている。その優しさゆえに、とっても可愛い反応を見せてくれるということも。こんな顔を知っているのは私だけで良い。

 知れば知るほど、玲華先輩のことがもっと知りたくなる。もっと隠れた優しさを引き出していきたい。改めて玲華先輩のことを考えるけれど、それは今まで誰に対しても感じたことのない不思議な感覚だった。



「おーい、そこの2人! ちゃんと練習して!」



 雫会長の声がこちらに向けて発せられる。ギクっとなって千夏先輩と目を見合わせた。



「会長がうるさいからそれなりにやっとくか」


「そうですね」



 私たちは持ち場について、練習を再開した。

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