期末テストに向けて

「あのさ」


「ん?」


「うち彼氏いる」


「……ふぇ!?」



 お昼、お弁当を食べていたら叶恵は突然のカミングアウトをした。みっちーは驚いて地面を脚で蹴った。



「え、誰!? いつから!?」


「他校の男子。4月から」


「まじか……知らなかった。え、なんで言ってくれなかったの!?」



 みっちーは前かがみになって身を乗り出している。相当驚いているようだ。



「2人とも生徒会と風紀委員だったから言いづらくて……あんま隠し事はしたくなかったよ、うちも。

 でもこの前の土曜に一緒に歩いてるとこ未来に見つかっちゃって。もう吹っ切れたというか」


「そうなんだ。叶恵、教えてくれてありがとう。勇気出してくれたんだね。大丈夫だよ、わたし言ったりしない。未来も言わないよね?」



 みっちーは叶恵の手を握りながら、こちらに目を向けた。みっちーならそう言うと私も思ってたよ。



「もちろん。叶恵が本気なら応援する」


「2人共ありがとう……ちょっと楽になった。良い友達持てて良かったホント」



 叶恵はふぅっと息を吐いた。

 7月の中旬。もう入学してから3か月半になった。今思えば私たち、結構仲良くなれたよね。恋愛トークできれば仲良くなった証拠だって千夏先輩も言ってたし。



『テスト一週間前になりました。本日から図書室が18:00まで開放されます。生徒の皆さんは――』



 感慨にふけっていると放送委員からの放送が教室内に響いた。



「体育祭の次は期末試験かぁ。ホントあっという間だね。未来、勉強してる? 一緒にする?」


「みっちーと一緒に勉強してくれた方が、うち的にも安心なんだけど」



 私の中間テストがボロクソだったのでみっちーと、叶恵が私を心配してくれている。ありがたい。中間テストの成績のままだと進級さえも危うくなるラインだし。



 でも――



「あぁ、今回は先輩に勉強教わるから大丈夫。ありがとね。挽回するから期待してて」


「先輩って誰?」


「羽山先輩」


「え、羽山先輩に頼んだの? すごい怖そうじゃん!」


「意外と怖くないよ? 一緒に打ち上げだってしたじゃん」


「打ち上げはしたけど全然話してくれなかったし、やっぱり怖いよ」



 みっちーは信じられないといった顔をしている。叶恵は口角だけ上げてこちらを見ていた。



「スパルタの方がやる気出るから。しかも学年1位に教えてもらえるのは大きいよ。どんな方法で勉強すれば良いのか聞いたら教えてあげるね」



「それは気になるかも! ……頑張ってね、未来。先輩が怖くなったらいつでも一緒に勉強するから」


「ありがとう」



 先輩がどんな教え方をするのかは分からないけれど、どんな教え方でも私はついていくつもりだ。



 ――――――――――――――



 今、私は風紀室の机に玲華先輩と横並びになって座っている。

 当初は、図書室で勉強するという話だったのだが、テスト前だけあって座る席が空いてなかった。いつもテスト前座る席ないじゃん。席を増設するべきだと思う。みっちーに今度お願いしよう。



 風紀室であれば確実に場所はとれるし、いっそここで勉強しようという流れになった。

 部屋に2人きりだ。緊張する。でもそれが逆に嬉しいしワクワクする。

 バッグから筆記用具とノート、教科書を取り出した。今日は現代文を教えてくれることになっていた。



「いい? 学期ごとに各教科同じ先生が問題を作っているの。つまり、中間テストの問題を作った先生が今回の期末テストの問題を作るということよ。どんな問題が出題されるかは、出題傾向の癖から判断することができるわ。……要するに中間テストの問題を見ればある程度は出題される問題を予想することができるということよ。それが顕著に表れる科目が現代文。中間テストの問題用紙は持ってる?」


「はい、もちろんです、教室に置いてあるのですぐ取りに行ってきます」



 さすがは玲華先輩だ。各学期ごとにテストを同じ先生が作っているのは知らなかったな。風紀委員長だけあって学院の裏事情には詳しそうだ。

 風紀室を出て、階段を下りA組の教室に入った。自分の席に行き机の下から透明のファイルを取り出す。確かここに中間テストの問題はまとめている。中を開いて、現代文の過去問がしっかり入っていることを確認してすぐに青ざめた。先生の顔の落書きが大きく描いてある。これ玲華先輩に見られたらまずいんじゃ……。

 消しゴムで消そうと紙の一部をごしごししたが、だいぶ描き込んだこともあって綺麗に消えてはくれなかった。終わった。

 私は真顔で風紀室に向かった。ドアを開けて玲華先輩の隣に腰掛ける。



「問題用紙は?」


「ないです」


「……その手に持ってるファイルから「三園女子学院1年生・中間テスト」と書いてあるのが見えるのだけれど」


「……ごめんなさい、あります」



 仕方なく現代文の問題を先輩の前に広げた。この絵はなかったことにしよう。平然を装うんだ私。

 しかし絵は隠れてくれるわけでもなく、テスト用紙に刻まれた顔がこちらを見ていた。その絵を見て玲華先輩は口を開いた。



「これは寺島先生?」


「あ、そうです! よく分かりましたね。似てました?」


「目元と口元の特徴をよく捉えられていると思うわ」


「やった! 玲華先輩に褒められた。嬉しい!」



 怒られると思ったのに……。



「テスト中に描いたの?」


「ごめんなさい。問題が分からなさ過ぎて……」


「……絵は上手だけれど、これは美術のテストじゃないのよ」



 玲華はため息をついた。

 そうですよね。やっぱそうなりますよね。



「はい……。そういえば玲華先輩も絵がお上手なんですよね? 見てみたいです。私の顔とか描けたりしますか?」



 勉強も運動も芸術も、全部できちゃうのが玲華先輩。



「……今は現代文に集中して」


「はーい……」



 その日は玲華先輩はずっと私の勉強をつきっきりで見てくれた。自分の分の勉強時間が減ってしまうのを心配して大丈夫かと尋ねたけれど、私のために前もって自分の分の勉強は終わらせておいたそうだ。頭が上がらない。

 正直、一緒に勉強できるだけで良かったのに……。分からないところだけ教えてもらう感じかと思ってたのに、家庭教師のようにつきっきりなスタイルだった。

 説明はとても丁寧で分かりやすくて、私のために一生懸命に説明してくれているのが伝わってきた。ここまでしてくれているのだ。今回は期待に応えなければならない。その日から私は勉強を始めたが、1週間前から勉強を始めても遅いということが分かった。いや、でも体育祭とかあったししょうがなくなくない? というのは私の言い訳である。なんとかしなくては。寝る時間を削って問題を解いていった。

 ハイレベルな戦いなのだ。油断はできない。



「クマ」


「熊?」


「目の下のクマ。ちゃんと寝てる?」


「あぁ、これくらい大丈夫ですよ」


「あなたはいつも大丈夫じゃないのに大丈夫と言うわ」



 寝る間を惜しんで勉強した。ノートにひたすら単語や公式を書きなぐって暗記するやり方をとった。それは玲華先輩からの期待に応えるためだ。日中の授業は睡魔に負けて寝てしまうことが多かったけれど、テスト前のこの時期はテスト範囲の授業というよりは自習の時間がメインだったので問題はない。



「大丈夫ですってば。これくらいしないとダメなんです。……ねぇ、玲華先輩。私、今すごく頑張ってます。でも、ご褒美があるともっと頑張れると思うんですよね」


「……ご褒美?」


「はい。もし私が今回77位以上の順位がとれたら、1つお願い聞いてくれませんか」


「なに」



 玲華先輩は手を止めて少し身構えた。



「私のこと、下の名前で呼んでくれませんか。1回だけ、じゃなくてこれからずっとです。……打ち上げの時に、名前呼んでくれたのがすごく嬉しかったんです。だからまた玲華先輩に名前で呼ばれたいなって。ダメですか?」


「……そんなことで良いの?」



 少しの沈黙の後に玲華先輩はそう言った。身構えた割にはって感じなのかな。私が突拍子もないことを言うとでも思ったのだろうか。



「もっとハードルの高いお願いして良いんですか?」


「そのお願いでいいわ」


「……ありがとうございます。先輩が私のこと名前で呼んでくれるなら、きっと今以上に頑張れますから」



 これで頑張れる。モチベーションが1つ増えた。名前で呼んでくれたこと、どれくらい嬉しかったのか先輩は知らないでしょう? これだけで十分頑張れるんだよ、私。



 玲華先輩は顔を赤らめながらも戸惑いの表情を見せた。



「頑張るのは良いけれど、睡眠不足は勉強の効率を落とすわ。集中力低下、論理的思考能力の低下、意欲の低下、免疫機能の低下。ここで体調を崩すリスクを考えると最低でも6、7時間以上の睡眠はとって欲しい」


「分かりました。気を付けます」


「何か勉強で分からないところはある?」


「あります。数学教えてくれませんか?」



 私のお願いに、玲華先輩は頷くと数学の解説を始めてくれた。



「あなたはノートに公式を書いて暗記しようとしているようだけれど、数学は暗記ものと違って、実際に問題を解くことが大事よ。公式だけ覚えておけば良いということではないの。ケアレスミスを防ぐためにも実際に手を動かさないと――」



 一生懸命教えてくれている。説明を聞きつつも眠気から玲華先輩をじっと見てしまう。こんなに美人だと見惚れちゃうじゃん。



「玲華先輩って美人ですよね」


「は? ……私の話を聞いてた?」


「……ごめんなさい、自分から頼んでおいて。……でも本当に美人だなって思って。特に目が綺麗ですよね」


「何を言って……」



 先輩は目を逸らしてしまった。残念。もっと見てたかったのに。



 その時、風紀室のドアが開いた。



「おやおや……抜け駆けは良くないかなー」



 千夏先輩が笑顔で立っていた。



「何の用?」



 玲華先輩はいつもの調子に戻って千夏先輩に聞いた。



「その言い方はちょっとそっけないなぁ。未来が好きなのは分かるけどさぁ」


「っ……。私は、あなたがどうして風紀室に来たのか聞いているだけ」


「忘れ物しちゃって取りに来たんだよ。その辺にスマホ置いてなかった?」


「えっと……見てないです」


「うーん、どこ置いたっけなぁ……あーあったあった、良かった」



 千夏先輩はホワイトボードの下に置かれているスマホを手にとった。



「千夏、あなた――」


「使ってないってー。ほら、電源切ってあるでしょ?」



 黒い画面のスマホをチラっと見せてはにかんだ。



「使用しないのにどうして、ここで取り出したのか教えてくれる?」


「んーじゃあ玲華はあたし省いて未来と2人で何してたか教えてくれるー?」


「……先に私の質問に答えて」



 千夏先輩が引きつった笑顔を見せながらも私に助けを求めてきたのが分かった。

 私も見えないところでスマホ使ってるから気持ちは分かる。千夏先輩を助けなくては……。



「あの、玲華先輩とは勉強してたんですけど千夏先輩もどうですか?」



 2人の話をぶった切る。

 空気悪かったし許してください、玲華先輩。



「勉強かぁ」

 

「千夏先輩は勉強しないんですか?」


「あー、しよっかな」


「しましょう」


「誘ってんのー? じゃあお言葉に甘えて」



 千夏先輩は制服を脱ごうと上着に手をかけた。



「勉強を誘っているんです! そっちじゃない!」



 千夏先輩を制した。 

 本当は玲華先輩と2人きりで勉強したかったけれど、千夏先輩のことも慕っている。体育祭の準備段階から3役で一緒に行動することも多かったし、私のことを散歩に誘ってくれたり仲良くなれるよう取り計らってくれたのは千夏先輩である。ここで省くのは違うと思うし、成績優秀者である千夏先輩と勉強も悪くないと思う。

 千夏先輩は私の隣に腰掛けてニコニコとこちらを見ている。スマホの件があったから玲華先輩の隣は避けたんだろうな。私を挟んで両サイドに座る先輩たち。



「千夏先輩、勉強しないんですか?」


「今、勉強道具持ってないんだよねー」


「テスト前なのに?」


「まぁ……玲華、教科書貸してくれるー?」


「どうぞ」



 玲華先輩が渡したのは風紀委員の仕事内容が書かれた冊子だった。



「そういう嫌がらせするのやめてくれるかなー?」


「校則を守れないあなたには立派な教科書でしょう」



 その冊子、私も渡されたことある……。風紀委員の顔合わせの後にだ。



「それにしてもさ。あたしとしては、また未来がぶちかますことを期待していたんだけどなー」



 シャーペンを頭の位置でクルクル回転させながら千夏先輩は言った。机の上には一応冊子が置かれているが開かれる気配はない。

 シャーペン、すごいクルクル回っている。ペン回しは私もたまにするけれど千夏先輩のペン回しは上手だ。なめらかで均等。回転するペンをぼうっと見つめる。そうしているうちに、だんだん視界がぼやけてくる。



「何言ってるの。清水さんが悪い点をとったら委員長である私の責任になるのよ。呑気なこと言わないで」


「未来の言った勉強を教えてくれるあてがあるって――」


「別に隠してたつもりじゃ――」



 先輩たちの会話がとぎれとぎれに聞こえるくらいには私の意識は朦朧としていた。夏の日差し、室内が寝るにはちょうど良い温度だったし、千夏先輩が来たことによる緩い空気と回るペンが私をより眠くさせた。



 夢を見た。



 父の夢だった。お花畑。温かい日差しを感じながら、色とりどりの花を見つめていた。背後に気配を感じると、頭を父に撫でられた。父は無言だったが、優しい表情をしていた。いつも見る夢は悪夢だった。だいたい自分が殺される夢だ。

 でも、こんなに幸せな夢、いつ以来だろうか。



 そう思っていると一瞬夢が途切れて現実に呼び戻された。睡魔は健在だ。目は瞑ったまま自分が今見ていた夢の余韻に浸る。眠たい。また夢の続きを見たい。



 誰かに頭を優しく撫でられている感覚がする。心地よい。少し良い匂いもする。嗅ぎ覚えのある匂い。

 そんな心地よさから私はまた意識を手放した。



 ――――――――――――――



「未来」


「みーらーいー」


「過去」


「あ、起きた」



 千夏先輩の声で私は目覚めた。

 私は机に突っ伏していた。



「過去?」


「未来と過去って対義語だなってふと思って。過去で起きたから、未来はこれから過去ちゃんだね」


「うぅ……今何時ですか」



 目を擦りながら体を起こす。私としたことが、風紀室で寝てしまっていた。



「下校時間だよ。気づいたら寝ちゃっててさ、起こそうかと思ったんだけど玲華がそのまま寝かしておけって」


「すいません」



 外を見ると日は沈もうとしているところだった。



「ちゃんと寝て。いい?」



 玲華先輩の灰色の瞳がまっすぐこちらを向いている。



「はい」



 意識が覚醒してくる中、私は夢のことを思い出していた。

 父に頭を撫でられた。でも、夢から覚めても確かに私は頭を撫でられていたんだ。



 私を撫でていたのは――玲華先輩だ。



 だって、千夏先輩の撫で方とは全然違ったから。

 玲華先輩の石鹸の匂いをその時に感じたから。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る