恨みは突然に
「おはようございます!」
今日は千夏先輩と一緒に挨拶運動を行っていた。
お気楽な先輩だが、仕事はいっちょまえにこなしている姿がかっこ良い。よく授業中に寝ているのにテストの成績は良いなんて人がいるけれど、そういうタイプだ。
交友関係も広いようで、数々の生徒と笑顔で挨拶を交わしている。嫌われ仕事の風紀委員だけれど、それを微塵も感じさせない。
千夏先輩にも羽山先輩ほどではないが取り巻きがいるというのは、何回か仕事を一緒にするうちに分かった。本人は「副委員長としての役得」と言っていたが、間違いなく顔面は美人の部類に入ることもあり、取り巻きがいるのは納得ができる。
入学式からはや3週間目、桜の花も枯れて、新入生も学校に馴染んで来ているようだった。
風紀委員の仕事としては朝の挨拶運動と、放課後の見回りくらいしかしていないけれど、だいぶ慣れてきたように思う。でも校則違反を注意するのは未だに慣れない。
「すいません、ネックレスは外していただけると」
黄色のネクタイをしているから3年生だった。年上の生徒にもこのように注意しなければならないのは辛い。生まれるのが少し早いだけで偉くなるようだから、日本は。いっそのことネクタイの色で学年を区別するのは辞めてほしいとさえ思う。
「あーはいはい」
めんどくさそうに立ち止まってネックレスを外す先輩。
ここで注意されるのを察して校門前で外しておいてくれるとこっちも注意せずに済むんだけどな。
「あんた……清水未来?」
先輩は私の顔を凝視していた。
知られている。
しかし、私はその人に全く見覚えがない。
「そうですけど……なんで知ってるんですか?」
「プリクラで見た顔まんまだったから驚いた。伊勢崎雄也って言えば分かる?」
伊勢崎雄也。私が中学1年生の頃にゲームのターゲットにした当時中学3年生の先輩だった。
嫌な予感がした。
「伊勢崎雄也さんが何か?」
「うち元カノの竹内」
「そうなんですね」
「人の男、散々たぶらかしといてそれ? あんたのせいで別れたんだけど」
もう3年前の話だ。伊勢崎に彼女がいることは知らなかったし、私のせいで別れたことも知らなかった。それをここで言われても正直困ってしまう。恨まれていたようだけれど、昔の話を今になって掘り返されてもという感じだ。
「もうだいぶ昔の話ですよね。伊勢崎くんに彼女がいるなんて知りませんでした」
「ずっと引きずってて、思い出すだけで悲しくなるこっちの気持ち全く考えてないじゃん。
でも男好きのあんたが女子校に入るなんて意外。盾になってくれる男子がいないから好都合だわ。覚えてなさいよ」
竹内と名乗る3年生はキッと睨みつけるとそのまま校舎に向かっていった。
私は女子に嫌われていたけれど、いじめを受けたことはなかった。それは、守ってくれる男子がいたからだ。私の好意が自分に向くかもしれないと期待を寄せた男子たちはいつも自分の周りにいた。
しかし、ここは女子校である以上、私を守ってくれるものはいない。
手首に巻かれたテープを見た。
ちょっとやばいかもしれない。近々痛い目を見るだろうということは察しがついた。
「どうしたー? 絡まれてたけど」
千夏先輩が心配そうに話かけてきた。先輩を巻き込むわけにはいかない。
「いいえ、なんでもないです」
先輩は無言のまま首を僅かに傾けてこっちを見たので、笑顔で返した。
「本当に大丈夫ですから」
自分が過去に犯したことは良くないことだという自覚はある。人の心を弄んでいるのだから。
だからこそ、誰かが自分を傷つけようとするのはしょうがないこと。手首の傷も自分の罪を身体に刻んでいると思っている。この先、手首以外にも傷が増えるかもしれないがやむを得ない。
今回は竹内が明確に動くという予告があった。
仕掛けてくるのは時間の問題だろう。私が傷ついて終わるならそれで良い。受け止める覚悟はできている。
ただ、他の人は絶対に巻き込みたくはないし、私の別の顔はこの学院の人には知られたくはない。父に連絡がいくくらいの大けがにならないことをただ祈る。
誰にも竹内のことは言わず、日々警戒しながら学校生活を過ごしていたが、その日がやってくるのはあっという間だった。
「ちょっと来い」
放課後に帰る支度をしていると、竹内に腕を引かれて人気の少ない体育倉庫に連れていかれた。みっちーと叶恵は不思議そうにこちらを見ていたが、笑顔で手を振っておいた。
腕をつかむ手の力はすごく強かった。別に逃げたりはしないのに。抵抗する気はなかった。ついに来たかという感じだ。ただ、どんなことをされるのか予想がつかず、恐怖心が身体を強張らせている。
体育館倉庫の中は薄暗く、網目の小さなガラス窓から微かな光が差し込んでいるだけだった。
壁の方に放り投げられて尻餅をついた。
「あの時の落とし前つけてほしいんだけど」
竹内の両サイドには女子生徒2名が立っている。いずれも3年生だ。
「どうすればいいですか」
「まずは土下座」
「分かりました」
ホントに土下座しちゃったよ、と乾いた笑い声が聞こえた。
冷たいコンクリートに頭を打ち付けると、頭を強く踏まれた。
ここでむきになって反抗すれば火に油を注ぐだけだ。従ってしまった方が早い。
「本当に謝る気あんの」
「許してもらえないんですか」
踏んでいる足に力が込められた。コンクリートの床の硬さをもろにおでこに感じて痛い。クっと上あごから声が漏れた。
「ねぇ、なんで抵抗してこないの? 素直すぎて全然面白くないんだけど」
「抵抗した方が良かったですか」
「はぁ? なんだそれ。イライラすんなぁ。ちょっと一発殴るから両肩抑えててもらっていい?」
両脇の女子は私を立たせて腕の下に手を回して肩を抑えた。
思ったんだけどこの2人関係なくない? 竹内ならまだしもどうして関係のない人に押さえつけられてるんだろう。弱い人ほど群れたがるとはいうけれど、こいつらも同じだ。恐怖で体は僅かに震えているのに、馬鹿にしたような笑いが鼻から漏れてしまった。
その瞬間、左頬に衝撃が走る。身体が後ろに吹っ飛び、視界がゆがんだ。
倒れこみ頭を後ろから打った。キーンとした耳鳴りが脳内を支配した。視界がはっきりしてくる頃には体育倉庫の天井が見下ろしていた。
意識が少しずつ戻ってくると頬と唇にじんじんとした痛みを感じる。かなり痛さにうめき声が漏れた。まさか女にグーで殴られるとは。
「調子のんなよ!」
「うぐっ……」
倒れた後も数回腹部を蹴られ、その場で息を殺して耐えるしかなかった。
「はぁ、はぁ……今回はこんなもんでしょ。チクったら殺すから。いこ」
先輩たちは倉庫から出て行った。
それに安堵しつつも、痛さが引くまでその場で動けずにいた。
手でゆっくりと頬に触れると感覚がないくらいに痺れていて熱を持っていた。これは痕になってしまうだろう。でも、殴られて蹴られただけで済んで良かったと思う自分もいた。シャーペンで手首を刺されたあの時に比べれば。
恐怖で緊張した身体を落ち着けるように、その場で深呼吸を繰り返した。床のコンクリートの模様がだんだんはっきりと見えてくる。頭を持ち上げようとすると激しい頭痛に襲われたので回復するまでしばらく目を閉じて待った。
どれくらい時間が経っただろうか。少し眠ってしまっていたかもしれない。
殴られたり蹴られたりした箇所は痛いが、先ほどより治まってきた。
身体を起こす。頭痛は先ほどよりもマシになっていた。
「ふう……」
ふらふらと立ち上がり、なんとか体育倉庫のドアに手をかけて外に出る。カギをかけられていなかったのは不幸中の幸いだったかもしれない。
荷物は教室に置いたままだから戻らなければならない。きっとひどい顔をしているだろう。制服も汚れている。誰にも会いませんように。
時計を見ると部活をやっていない生徒の下校時間なこともあり、生徒はほとんどいなかった。
教室に着いて荷物をとる。手鏡で顔を確認すると左頬が赤く腫れており、殴られた瞬間に唇を噛んだこともあり、唇が切れて血が出ていた。
ひどい顔だ。さっさと帰ろう。
教室から出て校舎の出入り口に向かうと羽山先輩と1年生の風紀委員、
今日の巡回はこの2人だった。
逃げようと来た道を引き返そうとするが遅かった。
「待ちなさい」
見つかってしまった。呼び止められたのでもうこれ以上は逃げることはできない。
振り返る。
先輩は目を見開くと、速足でこちらに向かってきた。まじまじと顔面を見られる。私は先輩の目を直視することができなかった。
「……どういうことか説明して」
「ちょっと校庭で遊んでたら転んじゃって……。もう下校時間なんで帰りますね」
羽山先輩は溜息をつくと一緒にいた1年生の洋子に帰るように言った。
洋子は心配そうに私の顔を覗き込んだ後に、先輩の指示に従って遠慮がちに帰っていった。
「転んでできる痕じゃないわ」
傷跡にそっと手の甲の指先で触れられて、その冷たさと痺れにも似た痛みで顔をしかめた。
「いっ……」
何か誤魔化せないかと言葉を探すけれど、なんて言えばいいのか分からずに黙っていることしかできなかった。とにかくもう帰らせて欲しかった。
「誰にやられたのか言いなさい」
「……誰にもやられてないですってば。もう帰らせてもらえませんか」
羽山先輩はまっすぐこちらの目を見ていた。
相手は3年生だ。私が言うことできっと何かしらのアクションを起こして先輩が逆に痛い目を見てしまうかもしれない。人を平気で殴るような人だ。自分だけならまだしも被害はこれ以上増やすわけにはいかない。
「私が信用できない?」
「そういうわけじゃないです。これは私の問題なので」
「風紀委員に所属している以上、あなたの問題は私の問題よ」
「先輩、お願いです。本当もう大丈夫ですから」
「私の仕事を手伝いたいのなら、誰にやられたのか言って。これが今のあなたの仕事」
もう転んだという言い訳は通用しないようだ。何者かによって私が傷つけられたという点はバレてしまっているようだった。一刻も早く帰ってベッドに横になりたいが、どう考えても先輩は私を逃がしてくれる様子ではない。前は、私を頑なに帰らせようとしたくせにこんな時だけなんで……。
「先輩に迷惑かけたくないです」
「あなたが口を開かないことが迷惑」
「誰にやられたのか言ったら、どうするつもりですか」
「風紀委員長として取るべき対応をとるわ」
「目をつけられて私と同じ目に合うかもしれません。それは嫌です」
「はぁ……。私を傷つけようと思っている人は大勢いるの。もう今更、恐れるものなんてない。だから言って」
そう私に言う先輩の表情はどこか悲しそうだった。
「……」
「信じて」
羽山先輩は少しかがんで目線を合わせてきた。灰色の透き通った瞳がしっかりと、確実に私の目を捉えている。仕事一筋の先輩からのお願い。これは本人の意思ではなく、仕事を遂行するために聞いているだけとは分かっているけれど、それでも心配してくれているのは伝わってくる。そんな真剣な瞳に吸い込まれてしまうように自然と口をついて言葉が出た。
「……3年生の竹内さんです。下の名前は分からないです。他にも3年生の生徒が2名いました」
「やっぱりね、分かったわ。今日は帰ってすぐに病院へ。応急処置として保健室で保冷剤をもらってくるから待ってて」
やっぱりってどういうことだろう。竹内は普段から問題児だったのだろうか。
回らない頭でそう考えながら先輩が保健室から戻ってくるのを待った。
戻ってきた先輩から保冷剤を受け取って、頬に当てた。
「後ろを向いて」
頭についた靴の泥と、制服を軽くはらわれる。
結局、羽山先輩は誰にやられたのかしか聞いてこなかった。
チクったら殺す、と捨て台詞を吐かれたこともあり不安が募る。
強く頭を打ったこともあって、自分のことで精いっぱいだった。痛みに耐えながら歩みをすすめて自宅へ戻った。
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