仕事の開始
翌週から早速、風紀委員の仕事にとりかかった。
まずは朝の挨拶運動からだ。家から学校まで徒歩5分ということで多少の早起きは苦ではなかったが、慣れない時間に起きることもあって眠さはやはり引きずってしまう。
「おはようございます」
「おはようございます、羽山先輩」
直近の仕事は朝の挨拶運動は羽山先輩と一緒に、下校時間の巡回は神薙先輩と一緒にする予定だった。
今日は羽山先輩と一緒に仕事をすると思うと、テンションが上がる。
「腕章を付けて」
先輩から風紀委員の腕章が渡される。
まさか自分がこれを付けて挨拶することになるなんて入学当初は全く思っていなかった。
でもこれを付けると、自分が風紀委員になったということを再認識する。
「風紀委員は生徒の鏡よ。堂々と胸を張って挨拶を。頭髪、服装、装飾品、校則違反者は注意して。1年生だから聞いてもらえない場合もあると思うわ。もしそうなったら私を呼んで」
「はい」
眠そうにしていたらだめだと思い、手で自分の頬をパンパンと叩いた。
なってしまった以上は、最低限仕事はこなさないと好感度は下がってしまう。
自分みたいなのが生徒の鏡だなんてちゃんちゃらおかしな話だけれど。
羽山先輩は私と少し離れたところで、立っていた。
「おはようございます」
校門をくぐる生徒に挨拶を交わす。
意外にも皆、こちらの挨拶に対して返してくれていた。気持ち良い生徒が多い。
そして校則の違反者は全く見当たらない、平和すぎる朝のひと時だった。
「未来ー! おはよー!」
「おはよう、朝から頑張ってるね」
みっちーと叶恵も登校してきた。こうして知り合いに会うと少し嬉しい。
生徒会も朝の挨拶運動はあるみたいだが、たまに行うくらいで今日はないようだった。風紀委員も毎日あるわけではないが、不定期に朝の挨拶運動を開催している。
不定期の理由は、曜日が決まっていると生徒がその曜日だけ校則違反をしていない装備で登校してくるからだそうだ。
「誰あの子、かわいい」
「新入生だね」
「何組だろ」
ちらほらと自分のことを言っているであろう声が聞こえてくる。
同性からそんな風に噂をされるのは悪い気はしなかった。中学時代は私の容姿が同性からの恨みを買うことの方が多かったから。
印象良くしておこう、と思い人一倍明るい笑顔で挨拶を続けた。羽山先輩、私頑張ってます!
程なくして、こちらをチラチラと見てくる10人弱の集団がいることに気が付いた。ネクタイの色はバラバラだが1、2年生が中心のようだ。
どうしたんだろうと思い目をやると、その熱い視線は私ではなく羽山先輩に注がれていることが分かった。蕩けた顔でじっと羽山先輩を見つめている。時折、仲間内で耳打ちしてきゃっきゃと騒いでいた。分かりやすすぎるし目立つ。
いわゆる取り巻きというやつだ。女子に対して女子の取り巻きがいる。
漫画でしか見ない光景が目の前に繰り広げられていて唖然としてしまう。本当にこういう感じの人たちっているんだ。
確かに同性の私から見ても羽山先輩はかっこいいし綺麗だと思うけれど、あからさますぎるし本人は嫌じゃないのだろうか。
羽山先輩に目をやると、特に気にしていないようだった。
「先輩モテますね。あの集団すごい見てますよ」
「いつものことよ」
「気にならないんですか?」
「仕事の邪魔にならない分は無害だわ」
「仕事が全てなんですね、本当」
どこからそんなモチベーションが沸いてくるのだろうか、つくづく思う。
私のモチベーションは羽山先輩から来ているけれど、そこまで仕事に執着する何か理由があるというのだろうか。そう思いながら、自分の配置に戻って挨拶を続けた。
「朝礼5分前になったから切り上げて、自分の教室に向かっていいわ」
「分かりました。お疲れ様でした、失礼します」
腕章を外して教室に向かった。
羽山先輩は、難しい。過去一だ。
風紀委員の顔合わせの時に少しだけ人間っぽい顔を見られたけれど、基本仕事以外のことに全く興味がなさそうで、かろうじて聞けた趣味は読書。完璧と言われているだけあって、学院にはファンも多い=ライバルも多い。
自分の生まれ持ったスキルにあたる容姿は全く生きず、名前は覚えられている程度。
男女交際禁止という校則の元、恋愛には関心がなさそうだし、おまけに私は同性というオプション付きだ。
恐らく彼女にとって今の私は「風紀委員の少し生意気な後輩」であってそれ以上でもそれ以下でもないだろう。
女子校が舞台なこともあって、同性をターゲットにした時の難易度は共学と比べると下がっているかもしれないが……。
落とすうんぬんよりもまずは距離を縮める方法を見つけなければ……。
――――――――――――――
――放課後。
「よっしゃー、じゃあ巡回行きますか。腕章つけた?」
「つけました」
「ばっちりだね。書記にも立候補してくれたし頼もしい後輩持てて最高」
ニコニコ顔の神薙先輩と校内を一緒に回っていく。部活をしていない生徒の下校時間の取り締まりを行うためだ。
羽山先輩と違ってとても気楽だ。こうして歩いていると、取り締まりをしているというよりは、先輩と一緒に散歩をしている気分になる。
「清水さんは何で風紀委員に入ろうと思ったん?」
「今年は無理してでも頑張ってみようかと思いまして」
「へぇー、今年はってことは来年はやらない感じか」
「はい。あんまりこういうの向いてないって分かってるので」
「ははーん、内申が欲しかったんだ?」
「……そうですね。神薙先輩はどうして風紀委員に?」
羽山先輩に近づきたいだけだけれど、そんなこと言ったらドン引きされそうだから内申が欲しいということにしておく。
神薙先輩はフランクすぎて全然風紀委員って感じがしないから、どうして立候補したのか気になっていたしこの際聞いてみよう。
「これ言うと笑われるんだけど、クラスに立候補する人がいなくて、じゃんけんで負けちゃったんだよねー。本当は1年でやめるつもりだったんだけど、副委員長に推薦されちゃって逃げ場がなくなっちゃってさ」
「断りづらいですよね。でも神薙先輩は仕事ができたんでしょうね。じゃないと推薦なんてきっとされませんから」
「あたし見ての通りこんなに緩い性格だから、きっと委員長とのバランスとっただけだと思うけどね。玲華が委員長になるのはほぼ確定だったし」
「バランスって……飴と鞭の飴担当ってそういう意味だったんですか?」
「そうそう。1年の時から玲華はあんな感じで、風紀委員全体の空気が重くなりがちだったんよ。だから何とかならないかなって考えて、色々動いたんだよね。それが良かったみたい」
「確かに神薙先輩が話すと空気変わった感じしました。考えられてたんですね」
「せっかく風紀委員に入ったんなら楽しんで仕事してもらいたいじゃん。あたしみたいにじゃんけんで負けて無理やりって人もいるかもしれないしさー。恐怖政治じゃ1年生も身が持たないでしょー」
「羽山先輩、仕事人間ですよね。真面目すぎるというか……」
「そうだねー。あたしは高校からここだから、中学の時の玲華は知らないけど。
感情が表にあんまり出ないだけで、悪い奴じゃないと思うからそこを皆に知ってもらいたいと思ってるんだけどね」
1年間一緒に羽山先輩と仕事をしてきたんだ。私が知らない羽山先輩を神薙先輩は知っていると思うし、それなりに扱い方は分かっているんだろう。
「神薙先輩の羽山先輩いじり、面白かったです」
「あの後、怒られたけどね。後輩にラッパー先輩って呼ばれたって。それに爆笑しちゃってさらに怒られたよ」
そのラッパー先輩って呼んだのきっと私だ……。
「神薙先輩が韻踏んだって指摘しなかったら、誰も指摘できなかったと思います」
「わざとでしょってレベルで踏んでたよねあれは。
あ、そういえば呼び方、良かったら名前で呼んでよ。あとタメ口で良いよ」
「風紀委員なのにそんな緩くて良いんですか? タメ口はいきなりは難しいですけど、呼び方くらいは……千夏先輩って呼ばせてください」
「1年生みんなそう言うよねー。分かった、じゃああたしは未来って呼ぼーっと」
「はい。お好きに呼んでください」
もうすぐ校内を1周する。千夏先輩とのお散歩タイムももう終わりが見えてきた。
「もうそろそろ終わりかな。もし、誰か校内に残ってたら帰れって言うだけの仕事だから楽でしょ? どうしても帰らない人がいたら、全校生徒の前で成績表を校内放送するって言えば大抵帰るから」
「ちょっ……職権乱用ですよそれ!」
風紀委員と生徒会は、生徒の名簿および個人情報、成績表、スポーツテストの結果、所属部活や委員会の情報を確認することができる。
ちなみに中間試験や期末試験の成績上位者をまとめて、玄関口に貼り出すのは生徒会の仕事だ。
一通り巡回が終わったので、腕章を外した。
「お疲れ様。あたしそのまま帰るけど未来は?」
「教室に忘れ物したので先に帰っててください」
「分かった。じゃあまたねー」
教室に戻って、机の中にあった電源OFFのスマホをバックに入れた。校内ではスマホの使用は禁止されている。徒歩5分の距離に家がある私はスマホを学校に持っていく必要はあまりないのだが、持っていると安心感が違うし。たまにトイレでこっそり見るくらいなら許して欲しい。みんなもきっと隠れてこそこそやってると思う。私が風紀委員だから言わないだけで。
外は少し暗い。
ふと気になって階段を上がって2階に行ってみると、風紀室に灯りがついているのが見えた。
ドアを開けると羽山先輩が書類と向き合っていた。
「……どうしたの?」
「いや、灯りがついていたので」
「今日は巡回のはずでしょう。千夏は?」
「はい、さっき終わったところです。先輩は帰りました」
「……後輩を校内にほったらかして帰ったのね」
「いや、私が教室に忘れ物をしただけなんで先輩は悪くないです」
忘れ物が何だったかは聞かないで欲しい。
「そう。あなたも仕事が終わったのならもう帰りなさい」
「はい。羽山先輩は帰らないんですか?」
「まだ終わっていない仕事があるの」
「手伝いましょうか?」
「いいわ。帰って」
「そんな……ひどいです。一応書記なんですし、少しは頼ってくれても良いじゃないですか」
「まだ何も仕事ができない人に何を任せられるというの。帰って風紀委員の冊子でも読んでくれていた方がずっとマシよ」
「そうですか……。じゃあ帰ります。お疲れ様でした」
「お疲れ様」
頑なに帰らせようとする先輩。あんな言い方しなくても良いのになぁ。千夏先輩の優しさとは本当に正反対だ。
こっちから近づこうと頑張って声をかけているけれど現状逆効果のようで辛い。どうしたものか。
帰宅後、家事を一通り終えてベッドに寝転がっていると、着信があった。みっちーだった。
「はい。どうした?」
『未来ー! わたし明日挨拶運動することになったんだけど、もしかしてかぶってたりする?』
「他の1年生とか先輩たちはやるみたいだけど、私は明日じゃないよ」
『そっか、残念……もしかぶってたら嬉しかったんだけど……この前羽山先輩と一緒に挨拶運動してたけどどうだった? 早起ききつかった?』
「家から学校まで近いから、そこは大丈夫。挨拶運動自体は別に大変じゃなかったよ」
『……未来。なんか元気なくない?』
「え、そう?」
『うん、電話だからかな。いつもと違う感じする』
私は羽山先輩との会話を思い出して少し落ち込んでいた。こんなに上手くいかないことは初めてだったからだ。みっちーに見破られてしまった。
「羽山先輩に嫌われてるかもしれない」
『え、なんでよ』
「そっけないんだよね」
『羽山先輩っていつもそっけない感じじゃない?』
「そうなんだけどさ。言い方とか色々あるじゃん……」
『未来に少し良い話あるよ。教えてあげる』
「なに?」
『お姉ちゃんが言ってたんだけど、怪我を隠すためのリストバンドとかフットバンドなら認めてあげられないかって羽山先輩から聞かれたって』
「え、それいつ?」
『今さっき聞いた。これって絶対未来のことだよね? 未来のこと本当に嫌ってたらこんなこと言わないと思うよ』
「生きる希望が生まれたかもしれない」
『死なないでよ! でも元気出たら良かった。一応、学院長にリストバンドの件は聞いてみるってお姉ちゃん言ってたよ』
「本当に? ありがたい。雫会長によろしく伝えといて」
『うん! じゃあそろそろ夕飯だから切るね、また明日』
「早起き頑張ってね!」
羽山先輩、私のリストバンドのことを気にしてくれていた。
千夏先輩の言う通り、やっぱり悪い人じゃないのかもしれない。めげるな私!
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