1学期――4月

入学式

 校門の前には「入学式」と大きく書道の字で縦に書かれたプレートが立てかけられていて、親御さんと記念撮影をする生徒がちらほらといた。



 桜が舞い、春のさわやかな日差しの中で皺の1つもない制服に身を包んだ新入生が眩しかった。これからの学校生活に期待を寄せるような、そんな曇りのない瞳。

 対して自分は、学校には何も期待していない。光沢のない目をただ瞬きさせていた。どうせ適当に勉強して適当に卒業するんだろう。慣れない女子だらけの環境でこれからどうなるんだという不安しかなかった。



 校門をくぐり少し進んだところ、校舎へと続く道を挟んで両側に縦並びになっている生徒の集団を見つける。



 右側には「生徒会」と書かれた腕章をつけた人たちが数名、左側には「風紀委員」と書かれた腕章をつけた人たちが数名並んで、おはようございます、ご入学おめでとうございます、と声を張り上げていた。



 1年生は赤ネクタイ、2年生は青ネクタイ、3年生は黄色ネクタイだ。見事に信号の色。

 挨拶をしているこの生徒たちは2、3年生であることがネクタイの色から分かった。



 うわぁと低い声が出てしまった。

 こういう意識の高い感じは少し苦手だった。勉強や規律、学校行事なんてどうでも良いと思っていた私とは相容れない種類の人間だ。



 生徒会は中学の時にもあった。与えられた権限を良いことに威張り散らしていたクラスメイトがいて良い印象が全くない。私の中で彼らは「うるさい奴ら」だった。

 なんとなく、生徒会側を避けて左側に寄って校舎を目指した。



「あなた、待ちなさい」



 声をかけられた。嫌な予感がして声の方を見ると、やや背丈の高い黒髪のロングの女がこちらを見ていた。風が吹いて桜の花びらをバックに細い黒髪を揺らしている。

 真っ白な肌に灰色の瞳は透き通っていて、無表情なのにどこか艶っぽさを感じる影のある美人だった。黒タイツに伸びた背筋、腕章には風紀委員の文字、そして青のネクタイ。



「なんですか?」


「そのリストバンドは校則違反よ。外しなさい」



 傷を隠すための黒いリストバンドを早速指摘されてしまった。中学の頃、事の発端を知っていた先生は私のリストバンドを見て見ぬ振りをしてくれていたが、この学校の校則はそれなりに厳しかった気がする。生徒手帳にごちゃごちゃ書いてあった。



「……どうしてもだめですか?」


「この学校の生徒として入学するのなら、校則には従うべきよ」



 ネクタイの色から私が新入生であることを把握したようだ。



「……」


「外せないというのなら……」


「分かりました」



 入学式早々、面倒なことになるのは嫌だったので、思いっきりリストバンドを手から引き抜いて、むき出しになった痛々しい傷跡を黒髪の先輩の前に晒した。



「これで良いですか?」


「……!」



 先輩はわずかに目を見開いて、息を飲んでいた。



「これ、ひどい傷ですよね。よくグロいって陰口叩かれてたんです。だから隠してました。

 でも校則なら仕方ありませんね。いじめが起こらないことを願うしかないです」



 先輩は神妙な面持ちで私の傷をただ見ていた。



「……」



 何を考えているのか表情からは読めないが、先輩も私の傷のことをグロいって思ってたりして。でもしょうがないよね、自分の悪癖が原因でできた傷なんだ。そんな自分がみすぼらしく思えて嘲笑した笑みが漏れる。



 沈黙。



このままいても意味のない時間が過ぎていくだけだったので、そのまま校舎を目指すことにした。



「待ちなさい」


「……なんですか?」


「あなた、名前は」


「清水未来です」



 急に名前を聞かれたから答えた。何か意味があったのかは知らない。

 名乗られたら名乗り返すものというが、別に先輩の名前には興味がなかったから聞き返さなかった。



 名前の分からないその先輩のことは、女性的な話し方をする真面目で厳しそうな美人という印象だけが残った。ネクタイの色から2年生だというのは分かった。



 教室に入り、席に着いて周りを見渡すと女子、女子、女子。本当に女子しかいない。

 この学校は中高一貫校なこともあって、中学から上がってきた子たちは複数のグループを作り、 駄弁っていた。私のように席について大人しくしている生徒は恐らく高校から入った人たちだろう。比率で言うと半々くらいといったところだろうか。



「ねぇ、名前なんていうの?」



 席で頬杖をついてぼうっとしていると、隣の席の子に話かけられた。

 ゆるふわミディアムヘアの笑顔が愛らしい子だった。笑った時に目が細くなり愛嬌がある。好奇心に満ちた表情で、裏表のなさそうな人だ。



「私? 清水未来っていいます」


「そうなんだ、未来って呼んでもいい?」


「あーうん。私は何て呼べばいいかな?」


「わたしは奥寺満おくでら みちるっていうんだ。皆からは、みっちーとかって呼ばれてるけど好きに呼んでいいよ!」


「分かった。じゃあみっちーって呼ぶね」



 この感覚はなんだか新鮮だった。中学に入学した時も同じような会話をした記憶がある。私の悪癖のせいで、その友達とはすぐに絡まなくなったけれど……。

 しかし、またこうして友達ができたような感覚に少し嬉しくなる。話を聞いてみると、みっちーは中学からエスカレーターで上がってきたようだった。



「未来、めっちゃ可愛いからつい声かけちゃった!」


「ありがとう、友達全然いないから嬉しいよ」


「絶対この先できるから! こんな可愛いんだし」


「そんなことないよ、でもありがとね」



 容姿が良いと友達ができるなんて、これが女子校というものなのだろうか。

 自分がいた環境とは違った世界があって、なんともいえない気持ちになる。

 ニッコリ笑って手を差し出してきたので、それに応じた。柔らかい手の感覚。女の子の手の柔らかさを認識した。



「その傷どうしたの?」


「あぁ、中学の時にやんちゃしちゃって……消えないんだよね」


「うぅ……痛くない?」


「うん、痛くはないよ」



 握手をしたことで手首の傷がバレてしまった。みっちーは控えめに私の傷を撫でた。この子良い子だ、確信。

 本当はリストバンドで隠したかったけれど、あの風紀委員にまた見つかったら面倒なことになりそうだし我慢するしかない。

 この傷を見ても、気持ち悪がって避けないでくれる子と付き合っていければ良いや。みっちーのように。



 時間になり、出席をとった担任の先生から、入学式のため講堂に向かうよう案内を受ける。



「未来、一緒に講堂まで行こう! あ、紹介するね。この子、叶恵かのえ


「本当だ、めっちゃかわいいね。よろしく、叶恵です。みっちーとは中学から一緒で同じ部活だったんだ」



 パーマのかかったようなこげ茶のロングヘア。切れ長の目を持っていて少し大人びている印象だ。

 中学で、みっちーと一緒に陸上部に所属していたようだ。



「よろしくね。高校も陸上部?」


「うちは続けるけど、みっちーはやらないんでしょ?」


「うん。もう陸上は良いかな……。走るの疲れちゃうし。未来はどっか入る?」



 走るの疲れるって陸上部だった人がそれ言うのかよ!と横から叶恵のつっこみが入った。



「うーん。部活は入らないと思う」


「陸上部は?」


「いやぁ……」


「叶恵、早速勧誘しないの!」



 まだ友達ができず、とぼとぼと1人で講堂に向かう生徒を見ると、しょっぱなから2人と友達になることができてラッキーだと思った。

 男が絡まなければ私は普通に女友達とやっていけるんだ。友達がいるのといないのとでは学園生活の過ごし方が全然変わってくるだろう。

 特に何か学校生活に期待しているわけではないが、いかに退屈せずに過ごすかの部分では重要な要素ではある。



 入学式が始まり、新入生の入場、というアナウンスと共に行動に入り座席に腰掛けた。



 私の隣にはみっちーが、みっちーの隣には叶恵が座っている。

 正直退屈だった。入学式に退屈を求めないのがそもそも無理な話なのかもしれない。頭のハゲた学院長の話もたいして面白くない。さっさと終わってほしい。

 幸いにも座れる席があったのでそれは良かった。そうでなかったら今頃貧血で倒れているかもしれない。



「――では続いては生徒会長から新入生に向けてメッセージをお願いします」



 学院長の合図で生徒会長が登壇した。

 眠ってしまいそうだったが、新たな登場人物に眠気が緩やかに去っていった。



「生徒会長の奥寺雫おくでら しずくです。まずは新入生の皆さん、ご入学おめでとうございます――」



 ショートヘアーに整った出で立ち。青ネクタイ。キリっとした表情の中に見え隠れする、笑うと目が細まるその面影はどこかみっちーと重なる部分があった。




「みっちー、あの生徒会長って……」



 小声でみっちーに呼びかける。



「お姉ちゃんだよ。似てた?」


「やっぱり……苗字が同じだし似てたから、もしかしてって思ったんだけど」


「うん。あんな風に胸張って話してるけど、家じゃ結構だらしないよ。あ、これ秘密ね」


「そうなんだ、お姉ちゃんが生徒会長とかすごいね。今朝知ったんだけど、この学校って生徒会と風紀委員がいるんだね。うちの中学には風紀委員はなかったから新鮮だった」


「あー今朝、校門前に立ってたよね。うちの学校はちょっと特殊だから……例えると内閣が生徒会で、警察が風紀委員って感じかな。役割的にかぶる部分も多いけど、風紀委員は色々と注意する立場だから嫌われ仕事だね」



 今朝、生徒会側に寄って歩いていたら、あの風紀委員に注意されることもなかったんだろうか。

 講堂の横に何気なく目をやると、今朝の黒髪の風紀委員が立っていた。まっすぐな眼差しで、生徒会長が話す姿をただ見ていた。華奢な体型ながらすらっと伸びた身長。立ちっぱなしなのに凛とした姿勢を崩さないあたりがすごい。

 お偉いさんたちのいる場所と同じ場所に立っているあたりから、風紀委員の中でも権力があるというのは想像に難くない。

 


 嫌われ仕事である風紀委員。皆に注意して何が面白いのだろうか。仕事をいくらこなしたって、お金がもらえるわけではないんでしょ? わざわざ嫌われに行く仕事を率先して行う気がしれない。やっぱり理解ができない人種だ。



 入学式が終わり、教室に戻ってみっちー達とお話していると、教室のドアの前に先ほどの黒髪の風紀委員の先輩が立っていた。



「あなた」


「あ……」



 私に気が付くと、教室の中に入り、こちらまでやってくる。教室が途端に静かになった。

 みっちーや叶恵は唖然として固まったままこちらを見ていた。



「よかったらこれを」



 渡されたのは肌色のテープだった。



「テープ……?」


「医療用のテープよ。怪我の治療ということなら校則違反にならないわ」


「ありがとうございます」



 私の手首のことだろうと察した。恐る恐る巻いた。傷は綺麗に隠れた。



「要件は以上よ」



 腕に巻かれたテープを確認すると、そそくさと先輩は去っていった。

 一瞬の出来事だった。



「なに今の……未来って羽山先輩の知り合いなの?」



 叶恵の一言で沈黙が断ち切られる。



「今朝、傷を隠すためのリストバンドを校則違反だって注意されただけだよ」


「うわぁ……そうだったんだ、初日からお疲れ。でもわざわざ教室まで来てテープ渡してくれるなんて優しいところあるんだね。ちょっと意外だった」


「名前聞かれたけど、クラスまで来るとは思わなかったよ。そこまでするなら最初から注意なんてしないで欲しかったけど……あの人、羽山っていう名前なんだね」


「風紀委員長だね。内部進学組は皆知ってると思う。いつも無表情だしなんか怖いよね。中学の時から風紀委員やってて、お姉ちゃんからも話は聞いてたけど、完璧すぎて怖いって。成績はいつも1位だし、スポーツテストは満点。美術や書道もいつも入賞。おまけに綺麗だし隙がないし、同じ人間とは思えないって」



 みっちーのお姉さんも中学の頃から生徒会だったそうだ。

 仕事柄、生徒会と風紀委員は一緒に行動することが多いようで、たまに話に出てくるという。



 羽山玲華はやま れいか。あの黒髪の先輩はそういう名前らしい。

 彼女も中学の頃からこの学校で風紀委員を務めていて、冷徹ですきのない眼差や、全てを完璧にこなす姿から生徒や先生からも一目を置かれる存在だったようだ。



 手首に巻かれたテープを見る。



 羽山玲華、ね。

 中学時代、落とすのに一番時間のかかった完璧男子ともてはやされていた学級委員を思い出す。どこか羽山先輩はその男子と重なる部分があった。



 真面目でクールな姿がウリの彼が、私を前にして緊張で拳を震わせていたのを思い出す。

 

 

 ばかみたい。

 完璧な人間なんているわけないじゃん。


 

 ――帰り道。

 


 学院から徒歩5分で家に着くため、少し寄り道でもしようかと学院内を散策していた。



 校庭では運動部員たちが準備体操を行っていた。私は部活に入る予定はなかった。特に運動が苦手というわけではなかったが、仲間と一緒に頑張るというあの空気は受け入れがたいものがあったし、集団で何かをするということが、そもそも好きではない。それは文化部も例外ではなかった。

 みんなはそれを青春、なんていうんだろうけど自分とは無縁だ。



 学院内の通路を進んだ場所の一角、木陰で人影がもぞもぞしているのが見えた。興味本位で少し覗いてみると、生徒同士で手を取り合ってキスをしていた。



 よくもまぁこんなところで……お盛んですね。

 女子校とか男子校ってこういうこと結構あるって話では聞いていたけれど、本当にあるんだ。同性との恋愛なんて今まで考えてきたことなかったけれど目の当たりにして思い知る。別に大して驚いたりもしなかった。



 しかしその光景は一筋の可能性を与えた。私のゲームも、ここでならできるかもしれない。

 まだ女性をターゲットにするのは想像が追い付かないところがある。何事もまずは距離を縮めて仲良くなるところからだろう。

 

 

 みっちーと叶恵の顔が過った。

 だめだ、あの2人は大事にしたい。拗らせたくはない。



 やっぱり気になるのは――羽山玲華先輩だ。

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