24話 どうしてっ、ちゃんと僕すぐに起きたのにっ
「すごいっ、こんなに綺麗なの私、初めて見た」
「綺麗だろう、ミモザ。それが昼間俺が言った海鮮丼だな」
ミモザがキラキラした笑顔で、目の前に出された海鮮丼を見つめていた。
丼にご飯を盛って、その上に色とりどりの刺身をのせた、見た目も綺麗な丼に、僕も思わず唾を飲み込んだ。
やがて僕の丼が来て、レイジとアンジェリーナの丼も来た。
「それじゃあ、いただくとするか。いただきます」
『いただきます』
レイジに倣って、わさびを少しずつ刺身にのせて、上から醤油を満遍なくかけてから刺身とご飯を口に運んだ。
あまりの美味しさに、僕は大きく目を見開いた。
すごいよこれ。刺身の甘さに醤油が絡みついて、ご飯と一緒に口に入れると幸せな味が口一杯に広るんだよ。少し遅れて、わさびの辛さが舌を刺激してくる。
僕が初めて食べた大人の味……。
「う、うまいっ」
思わず口から言葉が漏れる。
それをにこやかに見ていたアンジェリーナが、丼に乗った刺身を一旦醤油皿の醤油に付けて、再び丼に戻してから白ご飯と一緒に口に運んでいた。
「イブキちゃん、この食べ方が一応正しい食べ方だよ。レイジ君の食べ方も美味しいけれど、私の食べ方もちゃんと見て覚えておいてね」
「あ、私はママと同じ食べ方にするっ」
じっと海鮮丼を見つめていたミモザが、アンジェリーナの真似をして、醤油皿に刺身を付けてから食べ始めた。
僕も次からあの食べ方にしよう――そんなことを考えながら、まるでレイジと競うかのように海鮮丼にがっつき始めた。
僕たちは昔のビルを改造した宿で、少し遅めの夕飯を食べていた。
竜峰フジにあるドラゴンの縄張りが廃都トミジ側に戻ったことによって、海沿いにあった小さな宿場町は多大な恩恵を受けていたみたい。
もともとが宿場町があった直径二百メートル範囲は、そこだけ魔獣の支配域から外れていたんだって。その周りに強固な壁を作って、街道の旅人に宿と料理を提供していた。もちろん、廃都トミジに探索に向かう探索者の重要な拠点にもなっているみたいだよ。
希にスタンピードもあったけれど、それらは強力な魔獣の餌として消費されていたたため、長らく近郊のバランスはとれていたって、道中レイジが説明してくれた。
変化が訪れたのは、数年前だって。
魔道具の『魂樹』が広まって、それまで魔法が使えなかった人族が魔法を使えるようになって、それに呼応するかのように廃都トミジの魔獣勢力図が変わった。お互いに睨みをきかせていた強力な魔獣が、廃都トミジから軒並み撤退していったって、海辺の宿屋で教えてくれた。
この間アンジェリーナが説明してくれた、かつて『トミジ皇国』だった頃と同じ状態になったわけだね。
小さな宿場町は、かつてない活気に包まれたみたい。
「でもお父さん。宿を取るためだけに、また来た道を戻ることになるなんて、さすがに僕もびっくりしたよ」
「俺も想定外だったからな。ここの奴らが昔の廃ビルを綺麗に改装して、宿として使っているとは思ってもいなかったんだ。知っていたら、海まで行かずに宿を取っていたんだけどな……」
「仕方がないよレイジ君。ここには久しぶりに来たんだろう?」
海沿いの宿が全部満室だったから、僕たちは車で三十分くらい来た道を戻って、来る途中にあったに入った。海鮮丼ののぼりも立っていたし、実際に出てきた海鮮丼は新鮮そのものだったよ。
さらに街道から離れているから、使うのはもっぱら探索者だけみたいで、部屋も空いていたから助かったかな。そうじゃなかったら、すこし大通りから離れた場所にある廃ビルで野宿するところだった。
「あー、ここに来るのは半年ぶり……くらいか。
俺が前回来た時も、街道沿いの宿が一杯だったんだよ。あの時は少し廃都トミジに入ると道が木の根っこに覆われていてな、下手すれば街道からこの宿のある場所まで来るのに、二時間くらいかかっていたかもしれないんだ」
「何しにここまで来たの?」
「アンジェに頼まれてな、もう少し南西にあった車の修理工場跡に、修理工具を探しに来たんだ。残念ながら、既に探索された後だったけどな。
その時に、南側は街道から近いから、探索先としては駄目だって認識したのさ」
「だからレイジ君はあえて旧道を経由して、東側から廃都トミジに入ったんだね」
「そうなんだけど……さすがに、ここまで廃都トミジの南側の開発が進んでいるとは思ってもいなかったよ。車もたくさん走っているしな」
廃都トミジが近くにあるから、車の発掘が進んでいるのかな。通りにはたくさんの車が走っていた。
バンやトラックに混じって、珍しい乗用タイプの車もあった。タイヤが小さくて悪路に弱いから、都市部で使うしか需要がない車だね。
僕の住んでいる国では確か皇族しか使っていなかったと思う。
「でも車のおかげで僕たちは、こんな内陸でも新鮮なお魚が食べられるんだよ。車ってすごい道具なんだね」
「分かるかいイブキちゃんっ! 車の数が今よりもっと増えれば、流通が変わって世界がもっと広がるはずなんだ。私も頑張って車を作らないとだな」
「ママ、車作ってるの?」
「そうだよミモザちゃん。帰ったらさっそくエンジンの載せ替えだよ」
そうやって楽しくお喋りをしながら、僕たちは海鮮丼をしっかりと食べた。
レイジが夕飯で確認するとは言っていたけれど驚いたのが、ミモザが普通に食べ物が食べられたことかな。
ダンジョンコアが生体化した体だったから、心配はしていた。
後でミモザに聞いたら、初めて食べたのがお刺身は幸せの味だって言ってた。
ただ残念なことに、食事をしてもミモザの魔力は回復しなかったみたいで、失った魔力に関してはやっぱり僕が補充してあげないといけないみたい。
でも食事を取ったら、動くのに消費していた魔力が消費されなくなったみたいだから、食事が全く無駄ではない事には安堵したけれど。
一緒に生活していて、一人だけ食事が取れないのは寂しいから、良かったと思う。
食事を終えて、今日泊まる部屋に上がってきた。
広い部屋で、ベッドが五台あるよ。
僕は何だか嬉しくなっちゃって、走って行ってベッドに飛び込んだ。ふわっとした柔らかい弾力と、暖かいお日様の香りが鼻一杯に入ってくる。
隣のベッドには僕のまねをしたミモザがね同じようにベッドに飛び込んでいた。
「こら、イブキ。ミモザ。ちゃんと着替えてからベッドに載らないと駄目だぞ」
『はーい』
二人してベッドから飛び降りて、レイジが出してくれたパジャマに着替えて、再びベッドにダイブした。ミモザは、僕の予備に持ってきたパジャマがぴったりだったから、二人して色違いのパジャマを着た。
僕はミモザと顔を見合わせて、何だか嬉しくなって大声で笑った。
一日歩いて疲れたんだと思う。
ベッドに横になると僕の意識はあっという間に沈んでいった。
夢を見ていた。
いつもと違って、夢の中にいたのは僕だった。
草原の真ん中にぽつんと立っていて、いつもの夢と違って僕が僕自身だって事が分かった。空を見上げると、見慣れた太陽があって暖かい日差しが僕を包んでいる。
遠くには森があって、山があった。首を回すと、少し離れた場所に湖があって水面を魚が飛び跳ねたのか、水面に波紋が広がった。
「えっと……ここ、どこ?」
草原を抜けていく風を感じる。
草の匂いも、水面に反射する日の光も、すごく自然なはずなのに、何だか心の底から湧き出てくる不安な気持ちが拭えない。
慌てて服を見ると、着ているのは見慣れたパジャマだった。今日は赤い狸、間違いなくさっき寝る時に着替えたパジャマだ。
水面に顔を映せば自分の顔が分かるのに、足は一歩も動かせない。いや、体が首以外動かない。
背中にゾワッとした何かが走るのが分かった。
起きなきゃ。早く、今すぐにっ。
ここは絶対に、何かがおかしい。
気持ちだけが焦るけれど、事態が変わる見込みが見られない。
どうしよう、誰か助けて――。
「イブキっ! 起きて、早く私の手をつかんでっ!」
ミモザの声が聞こえた気がして、僕は声の主を探して必死に唯一動く首を回す。何もない場所から伸びてきた手に、僕は必死で意識を伸ばす。
視界が真っ白に染まっていき、僕は夢から目を覚ます――。
「えっ……まだ夢?」
瞑っていた目を開いて、いつもみたいに意識が切り替わったはずなのに、目が覚めはずなのに僕はいまだ夢の中で、目に入ってきた景色は全く変わっていなかった。
「イブキっ、早く私の手を掴んで。何しているの」
「ミモザ……?」
「いいから、早くしないと二度と戻れなくなっちゃうよっ」
僕は言われるままにミモザに手を伸ばす。今度は体が動いて、『いつの間にか目の前に立っていた』ミモザの手をしっかりとつかんだ。それとほぼ同じタイミングで、僕の足下が崩壊を始めた。
サーッと血の気が引いていく。
今まで立っていた地面が複雑な幾何学模様に光り始めて、少しずつ欠片が抜けてパラパラと暗闇に落ちていった。その幾何学模様の隙間から、何か赤い物が見えた。
「イブキっ!」
「イブキちゃんっ!」
忽然と現れたレイジがもう片方の僕の手を掴んできて、アンジェリーナが前から膝立ちで僕の体をギュッと抱きしめていた。
「えっ、お父さん? お母さん、なんで」
「イブキと一緒に横になっていたミモザがいきなり飛び起きて、俺とアンジェの手を慌てて掴んできたんだ。そうしたら真っ白な光に包まれて、目の前にイブキがいたんだ」
「わたし達もそろそろ寝ようかって話をしていたんだよ。ねえ、イブキちゃん、ここってなんなのかな?」
「たぶん、僕の夢の中だと思う」
そうしている間にも崩壊が進んでいく。
風景にヒビが入っていき、まるでガラスが割れるように上から世界が崩れ落ちていく。空が山が、そして森が落ちていって漆黒の闇が世界を満たしていく。
「イブキ、飛ぶよっ」
「えっ……うわっ、つ……翼っ?」
ミモザが僕の中に魔力を流し込んできた。
背中が熱くなって、僕の背中から大きな翼が生えてきて、無意識のうちに羽ばたいた。全員をつり下げたまま漆黒の空間に舞い上がる。
おぞましい視線を感じて僕は、翼を羽ばたかせて体ごと後ろに振り返った。
僕たちの視界の先で、真っ赤なドレスに身を包んだ女が漆黒の闇の中に浮かんでいた。
「お前は、女帝スカーレットっ!」
レイジが叫ぶ。
女は、顔一杯に狂気にも似た笑みを広げ、腕を大きく広げる。
そして世界が、狂喜に輝き始めた――。
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