19話 いやだっ、寝ていないのにまたあの空間だよっ
「どどど、どういうことなの?」
受け取ったばかりのスマートフォンが、僕の手から滑り落ちて行った。
僕の前では、再び椅子に座ったレイジと、隣で車いすに座りなおしたアンジェリーナが、腕を組んで難しい顔をしている。
「いやな、どうやら俺たちだと操作すらできないらしいんだ」
「名前を入力してください、ってあったから入力してみたけど、その名前は登録されていませんだって。魔術文字はよくわからなくて、共通文字で書いたからかもしれないけれど」
一瞬、頭が真っ白になった。
えっと……どういうことなんだろう。
操作ができないということは、ダンジョンになっているここの工場から出られないってことなんだよね?
それに、この制御端末に名前で認証しないといけないんだって。
そもそもだよ、何で名前なのさ。
これだけすごい設備で、大きなダンジョンコアがある工場なのに、管理端末を使うために名前を入力するなんて、どうしてこんな原始的な方法をとっているんだよっ。
普通はカードとか、そういった物で認証するよね?
よりによって名前の、それも手入力なんて……。
僕がふらふらと制御パネルに近付くと、慌ててレイジとアンジェリーナが横に動いた。
パネルにタップする。
文字入力のための一覧が表示されて……待って、どこに共通文字で『書く』ような項目があるの?
「お母さん、どうやってここに書き込んだの?」
「あ。それはね、ここを翻訳すると、手入力って読めるからここを押して――」
じっと目をこらすと再び文字が滲んだあとに、重なって意味が表示された。確かにアンジェリーナが押したアイコンには『手入力』と書かれている。
画面が切り替わって、確かに指先で書き込めるようにはなったけれど、これ絶対に僕たちが使ってる文字を書いても意味ない奴じゃん。
たまに、アンジェリーナって天然ボケする時があるんだよな……。
「えっと……それじゃあ僕たちは……ここから出られないって……こと? ふわあああっ」
あれから僕は、一気に疲れが襲ってきたこともあって、レイジにベンチを取りだして貰ってダンジョンコアの側で横になって休んでいた。夜も更けてきたこともあって、正直言って眠い。
喋りながら、大きなあくびが出た。
腰元からスマートフォンをたぐり寄せて時間を確認すると、時刻は既に十時を回っていた。いつもなら僕は、眠りに落ちている時間だ。
「待っててねイブキちゃん。今、色々試してみてるところだから。まだわたしたちは諦めていないよ。絶対にクレーンを動かすんだから」
「まああれだ、ダンジョンを基軸にしているから、ダンジョンコアが掌握できれば何とかなるとは思うんだけどな……で、ダンジョンコアはそれか」
再び操作パネルを操作していたレイジとアンジェリーナが、同時に振り返ったので、つられて僕もベンチに横になったまま、ぼんやりとダンジョンコアを見上げた。
部屋の真ん中にある台座の上には、僕の頭くらいの大きさの丸い石が乗っていた。黄色く透き通ったそのダンジョンコアは、今もゆっくりと明滅している。
これってダンジョンが正常に稼働しているってことなんだと思う。でも画面に『警告』が点滅しているから、異常な状態なのかも知れないけど。
何だか、考えがまとまらない。
車いすに乗ったアンジェリーナが、大きい車輪を転がしてダンジョンコアに近付いてきた。座ったまましばらく眺めて、そっと表面に手を触れる。
僕はその様子をぼんやりと見ていた。
アンジェリーナはそのまましばらくダンジョンコアに触っていたけれど、やがてため息とともに手を離した。
「駄目だね、やっぱり何も反応しないね。
いくら魔力を流しても、弾かれる感じがするよ。きっとダンジョンマスターが生きているから、書き換えができないんだろうね」
そう言ってアンジェリーナは、後ろの機械に振り返った。つられるように僕もゆっくりと機械に目を向けた。未だに壁のモニターには魔術文字が書かれたままだ。
焦点が合っていないから、今なら目をこらさなくても何が書かれているのかが分かる。
……何でだろ?
『警告!
ガーディアンが不法侵入者に敗北しました。
できるだけ早く警察に報告してください』
つまり、異常な状態だってことなんだよね。知ってる。
「俺も試してみるか……」
レイジもダンジョンコア触れて魔力を流してみるけれど、アンジェリーナと結果かが同じなのか、じきに手を離して首を横に振った。
そして二人同時に、僕の方に顔を向けてきた。二人とも期待のこもった眼差しで僕の方を見てくる。
ねえ待って、僕もう眠くて仕方がないんだけど……。
それに、僕がやっても結果は同じだと思う……よ……。
「えっと……僕もやってみた方が……いいの?」
「そうだな、眠いところ悪いけど、一応イブキも試してみて貰えるか」
「そっか、そう言えばいい子はもう寝てる時間か」
アンジェリーナが心配そうに僕の顔を覗いてきた。
確かに、まだダンジョンコアに魔力を流すの、試していないのは僕だけだからね。やって、みますか。
ゆっくりと起き上がって、両手で頬を叩いた。ちょっとだけ、目が覚めたような気がする。
「ふわあああぁっ。分かったよ。一応、僕もやってみる」
さっそく大きなあくびが出て、思わず僕は苦笑いを浮かべた。立ち上がって、ダンジョンコアの側まで寄ると、そっと手を触れた。
冷たい、まるで鉱石のような感触だった。
でもそこまで冷たくなくて、触れていると何だかすごく暖かい。不思議と落ち着く温度だ。
目を凝らすと、明滅する光に合わせて、魔力がゆっくりとうねりながら波打っているような、そんな動きがダンジョンコアの中に見える。
僕の手に伝わってくるその魔力は、何だかすごく優しい感じで、僕が触ったことに少し戸惑っているような、はっきりとした『感情』が伝わってくる。
途端に、背筋に衝撃が走った。
それが異常だってことに気が付いて、僕は一気に覚醒した。
なに……これ……?
「……いやちょっと待って、何で感情が伝わってくるのさ?」
「どうしたイブキ、何か分かったのか?」
「さすがイブキちゃんだね、もう解決したのかな」
「おいアンジェ。さすがに解決はしていないだろうよ……」
「いやごめん。ちょっと違和感感じただけで、さすがにまだだよ」
僕は二人の方に顔を向けて首を横に振ると、再びダンジョンコアに集中した。
予測だと、制御主体が機械のはずなんだけど、僕には手に触れているダンジョンコアが、まるで生き物のように感じた。
それに今ならはっきりと分かる。ダンジョンコアから伝わってくの魔力が、僕の手を遠慮がちに突っついてくる。それに応えるように少しだけ僕も手のひらから魔力を伸ばすと、それを待っていたかのように僕の魔力ががっしりと捕まれた。
そのままダンジョンコアの魔力に、僕の魔力がぐいぐいと引っ張られていく。
「ちょっと待って、慌てないで。そっちにちゃんと僕の魔力を伸ばすから――」
引っ張る力に逆らわないように、同じくらいの魔力を送っていくと、やがて僕の魔力は芯にまで到達した。
その芯に僕の魔力が触れた途端に、小さな女の子が顔いっぱいに満面の笑みをたたえた、そんなイメージが頭の中に流れ込んできた。
突然ダンジョンコアが白く輝きだす。
弾けるように光が溢れ出して、一気に制御室を白く染めていく。
「なっ、イブキ――」
「イブキちゃ――」
焦ったようなレイジとアンジェリーナの声が、あっという間に遠ざかっていく。
部屋が白一色に埋め尽くされて、全ての音が消えてなくなった。
「うええっ、またここ……?」
視界が戻ると、そこは何処かで見たことがある、薄紫色の空間だった。
目の前には玄関らしき扉があるんだけれど、その周りに壁がないので中が丸見えだった。ちょうどここからだと、畑と露天風呂が見える。
僕は、この謎の空間に見覚えがある。
『はーい、今そっちに向かいますよー』
案の定というか扉の向こうから、聞きたくない声が聞こえてくる。そもそも呼び鈴ないから押してないし、呼んでもいないんだけど。
程なくして扉が開き、紫色の長い髪に紫色のロングドレスを着た女性――ナナナシアが現れた。
「あれっ? イブキ君じゃん。なんでイブキ君がここにいるの?」
「えっ、知らないよ。光に包まれて気がついたら僕、ここにいたんだけど。
また、おばさんが僕を呼んだんじゃないの?」
「おば……まあいいわ、今のは聞かなかったことにしてあげる。次からはせめて、おばあさまと呼ぶのよ。わかった?」
「ええっ、そっちなのっ?」
唖然とする僕に、ナナナシアは笑顔で頷いた。
ほんとに、何歳なんだろう。全く興味はないけど。
「さあ中にいらっしゃい。また、美味しいお茶を入れるね」
それだけ言うとナナナシアは、踵を返して奥に歩いて行った。
僕はしばらくその場に立っていたんだけど、どうにも先に進まないとだめなことに気づいた。
いや、さっきから気づいてはいたんだけど……。
本心は全力でここから逃げ出したかった。
でもきっと、ナナナシアに送り返してもらわないと、もとの世界には戻れないんだろうね。
諦めてため息を一つつくと、開いたままの扉をくぐって中に入ることにした。
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