18話 いつの間にっ、翻訳アプリが入っていたよっ

 僕は正面の壁面パネルから目を離して、もう一度ダンジョンコアにめをむけた。


 もしかしたら画面の明滅に反射しているだけかもしれない――そんな思いでダンジョンコアに目を向けると、黄色く透き通ったダンジョンコアが、淡い光を放ちながら明滅しているように見えた。

 よく見ると、画面の文字と明滅のリズムは一緒でも、発色している色が違っている。ということは、連動はしているけれどモニターに書かれている文字は、やっぱり文字自体が明滅しているんだ。

 そうするとこの機械が、ダンジョンマスターの役割を担っている、ということなのかな?


 再び機械に目を向けてみると、魔術文字が表示されているモニターとは別のモニターには、工場の図形が表示されている。もう一つ、反対側のモニターにも魔術文字の後に数字が表示されていて、工場の状態が数値で表されているようだった。

 これはつまり、目の前の機械がここの倉庫棟を一括管理していて、さらに部屋の真ん中にあるダンジョンコアに連動していることなんだって、はっきりと確認することができた。


 ただ、操作言語に魔術文字が使われていることまでは想定していなかったので、僕も壁面パネルの文字列がどんな意味なのかまではわからなかった。

 喜んでシートに腰掛けたレイジにしても、車いすで横に並んだアンジェリーナにしても、さっそく動かすことができないようだった。


「うん、わからないぞ……これ、どうすればいいんだ? それっぽいところを触ってみても、何も起きないんだけどな」

「わたしもさ、魔道具とかも機械仕掛けなら何とかなるんだけど、魔術はほとんど理解できないよ。

 レイジ君じゃないけど、大半が理解不能だね。一応、上の画面で点滅している文字が『警告』だってことだけは分かるんだけど……」

 レイジとアンジェリーナが、操作パネルにあちこち触れながら、同じような向きに首を捻っている。

 僕も気になって横から覗き込むと、操作パネルに書かれている文字も、全てが魔術文字だった。

 上のモニターと同じように、パネルの真ん中あたりに『warning!』の文字が点滅していた。


 あそこに書かれている『warning』は『警告』っていう意味なんだ……とすると、普段僕たちが使っている文字に対応する魔術文字が分かれば、解読できるってことなのかな?

 でも、どうやって解読すればいいんだろう。


 考えながらじっと見つめていたら、何となく操作パネルの文字が滲んできたような気がした。慌てて目をこすってもう一度見てみるも、書かれている文字が二重に見えているままだった。

 僕は首を傾げながら、何度も目を瞬かせてみたけれど、見えている文字はずっと変わらなかった。

 やがて重なっていた文字が、ゆっくりと上下に分離していった。


Enter a name to start the operation.


 落ち着いて見てみると、ちょうど目を向けていたこの文字列の上に、僕がよく知っている共通文字で『操作を開始する場合は名前を入力してください。』と書かれている。

 これって、意味がわかるってこと?


「……はっ? なにこれ?」

 思わず声に出していて、その声に反応して前にいたレイジとアンジェリーナが、僕の方に顔を向けてきた。


「どうしたの、イブキちゃん? 何かあったのかな?」

「大丈夫かイブキっ……って、また顔の横にスマートフォンを浮かべて、いったい何をやってるんだよ」

「えっ、顔の横?」

 言われて横を見ると、腰元にあったはずのスマートフォンが、いつの間にか顔の横に浮かんでいた。

 スマートフォンは僕が見ている前で、まるで役目が終わったと言わんばかりにゆっくりと下に下りていって、腰元のいつもの定位置にそっと収まった。


「その様子だと、スマートフォンを顔の横に浮かんでいたのは、そのスマートフォンが勝手に移動したのであって、イブキの意思じゃないんだな?」

「う、うん。僕も今気がついたし」

「つまり、その状況はさっきの倉庫の時と一緒ってことか……」

 レイジは俯き、顎に手を当てて少し考えた後で、再び僕の方に顔を向けてきた。


「もしかしてイブキには、何か違う視界が見えていたってことか?」

「えっ……うんちょっとだけ、違う物が見えていたかな。

 最初はそこのパネルに書かれていた文字が、何だか滲んだように見えていたんだよ。でもしばらくそのまま文字を見ていたら、その文字が上下に分かれて、上側に僕が知っている文字が書かれていたんだ」

「今は?」

「え、待って……」

 慌てて操作パネルに視線を戻すと、最初見た時のように、画面にはただ魔術文字が表示されているだけだった。

 いったん目をこすってからもう一度見てみたけれど、やっぱり魔術文字しか書かれていない。


「……うん、今はもう見えていないよ。その難しい文字……魔術文字だったっけ? それだけしか見えないよ」

 僕の言葉に、レイジとアンジェリーナが顔を見合わせてうなずき合った。

 待って、今ので何らかの意思疎通ができたってこと?


「状況的にイブキには、その目に映った景色と、スマートフォンのレンズに映った景色が同時に見えていたと言うことになるかもしれん」

「つまりその、イブキちゃんのスマートフォンに何らかの仕掛けがあるってことなんだね。ちょっと、イブキちゃんのスマートフォンを見せて貰ってもいいかな?」

「うん、いいよ。はい」

 僕が腰元のスマートフォンを手渡すと、二人は僕のスマートフォンの画面をじっと見つめる。アンジェリーナが車いすに座っているから、レイジは膝を曲げて視線の高さを合わせた。

 そして再び、同じタイミングで顔を見合わす。


「うん、アプリが増えているな」

「わたしのスマートフォンにないアプリがあるね」

 二人同時に顔を向けてきたので、とっさに僕は頷いた。たぶん、起動してもいいかってことだよね?


 僕が頷いたのを確認して、僕のスマートフォンがアンジェリーナの手からレイジの手に移った。画面がタップされてアプリが起動したようだ。僕も気になって、二人の間から顔をのぞかせた。


 画面にはいつもの待ち受けじゃなくて、アプリが起動していた。

 画面の上部には『魔術文字翻訳』と書かれていて、画面が上下に分かれていた。上段には魔術文字、下段には共通文字の表記がある。

 っていうか、いつの間にこのアプリ入っていたの? 僕、これ初めて見るんだけど。


「魔術文字の翻訳か……」

「これすごいね、魔術文字と共通文字の相互翻訳ができるのんだね。あ、ここにカメラアイコンがあるんだ……へぇ、実際の文字をリアルタイムで翻訳できるってことなのかな」

「ああ、なるほど。これはすごいな」

 カメラアイコンをタップすると、画面がカメラモードに切り替わったようだ。

 レイジが操作パネルに僕のスマートフォンを向けると、カメラ越しに表示された『warning!』の文字ががちゃんと共通文字の『警告!』に翻訳された。


 それを見て、レイジとアンジェリーナは再び同時に顔を見合わせた。

 っていうか、この二人息が合いすぎなんだけど。


 そして、レイジとアンジェリーナが同時に立ち上がった。片足立ちのアンジェリーナは、レイジがそっと腰を支えている。

 支え合っている二人の姿がすっごく自然で、ちょっとだけ見とれた。


 ただ、二人が立ち上がったことで、僕の視線から画面が見えなくなってしまった。

 僕も翻訳結果が気になったけれど、さすがに五歳児の身長で大人の身長に勝てるはずがなく、諦めてため息をつくしかなかった。

 やっぱり子どもって、不便だよね。僕も早く大きくなりたい。


 その後しばらく、二人でスマートフォンを覗いたまま、カメラをあちこちに向けて一通り納得したのか、レイジがスマートフォンを僕に手渡してきた。


「イブキ助かった、おかげでここに書かれていることがだいたい理解できたぞ」

「えっ、ほんとうに?」

「これ凄いね、わたしのスマートフォンにも入れられるのかな……イブキちゃん知ってる?」

「ごめんね、さすがに僕も知らないんだよ。そんなアプリが追加されているなんて、今の今まで知らなかったんだもん。

 ただ、昨日お母さんたちのスマートフォンが、僕のと同じモデルにアップグレードできたみたいだから、もしかしたらアプリが何処かにあるかもしれないよ。

 それで、どうだったの? 何が分かったの?」

「ああイブキ。俺たちここから出られないぞ」

「……えっ? はっ?」


 レイジの言葉に、僕はその場に固まった。

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