12.1話 Nobility

『イブキ様、起きてください。本日は陞爵式典ですよ。準備に時間がかかるのです、早く起きてください』

 微睡みの中、イブキの意識はゆっくりと浮上していく。


「急いで起きてくださいイブキ様。もう既に着付けの準備は整っております。あとはイブキ様だけなのです」

 目を開けると、知らない天井があった。

 確か昨日は、魔動機の工場を探索していたはずなんだけど、でも僕は――私は、本日陛下より子爵位を賜う予定だったか。

 おかしいな、何だか記憶が交錯している。


「シェルネス、すまんが教えてくれ。今日はいったい何時なのだ?」

「はい。耀王歴千二百五十二年、十一月十七日ですイブキ様。本日は陞爵式典の日となっております。登城は午後一時を予定しています。

 起床の後、まずお体をお清めさせていただきます。その後お食事を召し上がっていただいてから、衣装部屋に移動していていただき、陞爵用の正装に着替えていただきます」

「そうか、それで工場の探索はどうなっている?」

「工場……ですか? 現在は太古の工場史跡を含めて、新規の遺跡は発掘されておりません。直近の予定といたしましては、陞爵式典の五日後に、フェノワール地方の暁の塔に挑まれる予定となっています」

「わかった。準備の方を頼む」


 起き上がる素振りだけで、体の上にかかっていた布団が取り払われる。ベッドから下りて立ち上がり、侍女により広げられたガウンに腕を通した。


 質素な寝室だ。

 地方領主としては、例え貴族とは言え贅沢が許されるわけではない。寝具にしても、領民と比べて多少いい程度の物しか使っていない。ここ、王都にある屋敷も、同じ貴族の中でも一番小さい屋敷を使っているくらいだ。

 贅沢をしている暇はない。国のため――魔動機の設計図をお母さんが天皇の所に届けるんだよね。だから――新たな魔道具を……おかしい。何であろうか、この違和感は。

 顔を上げると、侍女のシェルネスの心配そうな顔が目に入ってきた。


「すまん、少し考え事をしていた。母上の容態は、あれから変化は見られたのか?」

「はい。今朝方の通信では、アンジェリーナ様の容態は半年前と同じで、ほとんど変わっていないとのことです。ただ恐らく、もって数日なのではないかと、アルゼンシュから言付かっています」

「そうか……長く病に伏せっていたからな。私が屋敷に戻るまでというのは、無理な話なのかも知れんな……」

「イブキ様、心中お察しいたします……」

 窓の外に目を向けると、庭の楓の木が葉を真っ赤に染めていた。

 もうじき寒い冬が到来する。今期の収穫では、何とか領民が生活していけるだけの食糧は確保できた。

 ただ税収は芳しくなく、先日苦肉の策で探索した遺跡から、前史時代の宝剣が出土した。


 それを今年の納税とともに王家に奉納した。その宝剣が思いの外、陛下より高く評価されて流れで陞爵する話になった。

 結果的に来年の納税は免除されることになったが、その次の年からは爵位が上がったため納税額が上がることになる。同時に国から支給される給金は上がるものの、それとは反対に再来年以降の領民への負担は増える。

 差し引きマイナスだ。何とか穀物の収穫量を上げなければ、また領地が飢饉に陥ってしまうだろうが……国全体の土地が、疲弊しているのか一様に収穫量が落ち込んでいる。だが国土を保つため、税金は同じように必要になる。

 どうみてもイタチごっこなのだが、それに対してどうしても有効な手がないのが王国の現状だった。


 何とも、ままならないものだな。


 浴室から出て、再びガウンを羽織った。

 水気が拭き取られた後、軽く魔法で乾かした後、普段着る衣装にに着替えて食堂に向かった。




 城から王都の屋敷に戻る馬車に揺られながら、イブキは今日もう既に何度目か分からないため息をついた。


 陞爵式典は滞りなく進み、式典で件の宝剣も披露された。

 意匠が施された鞘と、風をイメージしたような流動的な装飾が鍔に施された剣だ。緑色の剣身には、燃えさかる炎のような模様が浮かび上がっている。


 国王が剣を掲げると、謁見の間に清涼な風が吹き抜けた。式典に出席していた貴族からは、一斉に感嘆の声が漏れ出る。

 その後、無事に陞爵は終わり、王の御前より私は退出した。

 そこまでは良かった。特に問題は起きなかった。


 ただ今日一日は、意識の混濁が酷かった。

 式典中に無性に違和感を感じ、立ち上がろうとする意識を、自我でもって抑え続けていた。はっきり言って、自分でも異常だと思った。

 アンジェリーナのもとに行かなければ、レイジのもとに行かなければいけない――そんな思いが、ずっと胸中に湧き上がって来ていた。


 領地にて療養中の母アンジェリーナのもとへ、ならわかる。けれども、先代領主であり父でもある『レイジ・ガムバレス男爵』にはもう会うことができない。既に十年ほど前にロイクォード戦線で殉死しているからだ。

 それにもかかわらず、会って、合流する。そして工場の探索に向かうんだ。そんな思いがずっと胸中に燻っていた。


 今も僕の心の中には、ここじゃない何処かに、気持ちが引っ張られていた。

 まただ。『私』ではなく『僕』という一人称が頭に浮かぶ。

 貴族の子息として生を受け、一度として『僕』などという言葉は使ったことがなかったはずだ。だが、時折私の中に『僕』がいるような、そんな違和感を感じていた。

 

 馬車が止まる。どうやら屋敷に到着したようだ。僕は――違うな、私は頭を軽く振ると、開いた扉から地面に降り立った。

 王都の屋敷で働いている侍女が四人、玄関前で出迎えてくれていた。


「イブキ様、お帰りなさいませ。ずいぶんとお疲れの様子ですが」

「ああ。顔に出ていたか……」

 侍女長のフェルネスに、羽織っていた上衣を手渡した。厩舎に向かう馬車を横目で眺めながら、屋敷の玄関をくぐった。




「状況がな、少しだけ悪くなったのだよ」

「何か陞爵の手続きで、問題でも発生されたのですか?」

 寝間着に着替え、ベッドに向かう途中で私は立ち止まった。深くため息をつくと、踵を返してテーブルに向かった。椅子が引かれたのでそのまま腰を落とす。

 フェルネスがポットを持ち出して、カップにお茶を注いだ。紅茶の爽やかな香りが湯気とともに立ち上った。


「陞爵の際に身体検査を行ったのだが、そこで私の魔人化が確定された。今までも微弱な魔力は確認されていたが、魔人認定するほどの強さできなかった。

 だから予備としての貴族のままだったのだが、ここにきて保有魔力量が一気に増えたようなのだ」

「そうすると、イブキ様は……」

「ああ、せっかく陞爵されたが、恐らく近いうちに棄爵されることになるのだろうな」

 紅茶を口に運ぶ。

 顔を横に向けると、フェルネスが心配そうな顔で私の方を見つめていた。カップをテーブルに置くと、すぐにポットのお茶を注いでくれた。

 思わず、今日何度目か分からないため息が漏れる。

 ため息をつくと、魔力を失う。そんな言い伝えが昔からあるのだが、多少失ったところで増えた魔力は無くなりはしないだろう。


「私が独身だったのが仇になったようだな。陞爵式典の後、直接王に呼ばれて別室で話をした。

 王の正室の三番目の子、第八王女の伴侶として、登城することになるそうだ。既に決定事項らしい」

「第八王女と言えば、まだ九歳ではないですか」

「王女には申し訳ないと思っている。だが、魔人化は王族の証として、代々引き継がれてきた大切な習わしだ。

 過去にも、伯爵家の長子が第五王女の伴侶として王族入りしている。魔力量だけ見れば、次期国王の筆頭だろう」

 人は魔力を持っていない。

 そんな人にも、時折魔力を持って生まれてくる者がいる。そして微弱でも魔力が確認された時点で、貴族として叙爵されるわけだが。なぜな力を持って生まれてくるのかは解明されていない。


 そして魔力がある一定量を超えると、魔人と呼ばれ人とは区別される。それがこの国の王族の始まりだった。

 魔人と呼ばれる王族だけが、強大な魔力を持っていて、その力で国を平定している。魔人は王城に匿われて、有事の際には王を筆頭に率先して戦いの前線に飛んでいく。

 幸い、ここ百年余りは隣国とは友好的な関係を築いているため、魔人となってもほとんど王城に籠もっているだけらしいが。

 正直、無駄な慣習だと思う。


 戦がなくなれば、王族の価値が無くなるというのに。


「それではアンジェリーナ様が住まう領地は……」

「領地は王国に返還され、そのまま王国の直轄地になるはずだ。

 詳細は追って通知されるだろうが、私は結局このまま領地には戻れぬのだろうな……」

 窓の外に広がる深い闇を見ながら、イブキは今日何度目か分からない深いため息をついた。

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