5.4話 非日常
「あ、依吹君。気が付いた……よかった」
気が付くと、知らない天井だった。
いや普段目にしていなかったけれど、視界に入っているのはいつも授業を受けている教室の天井なのか。そうか、あのあと俺はそのまま意識を失ったんだ。
依吹の横には志織がいて、心配そうな顔で依吹の顔を覗き込んでいた。
頭には何か柔らかい物が当てられていて、そこから何だかいい香りがした。手を伸ばして触れてみると、何かの袋のようだった。
「おい、依吹。大丈夫なのか? 窓の外が暗くなって、床が光ったと思ったら依吹が倒れていたんだ。クラスメイトも何人かは倒れちまうし、あの一瞬感じたもの凄い違和感は何だったんだ?
いやそれよりも、依吹は身体は何ともないのか?」
志織の反対側では、樹生が難しい顔で依吹の顔を覗き込んできていた。
上体を起こすと、確かに依吹の他にも五人ほどクラスメイトが床に倒れていて、同じように別のクラスメイトに声をかけているところだった。
いつもより、教室がざわついている。
首を回して周りを見回すと、時計の針が八時四十分を指していた。朝のショートホームルームが始まる時間のはずなのに、担任の先生が入って来た様子はなかった。
幸い、倒れた人の中に怪我人はいない感じだ。
「樹生、俺はどれくらい気を失っていたんだ?」
「いや精々が五分位じゃね? あれから俺が廊下に出られることを確認して、依吹んところに駆け付けたら、志織ちゃんがちょうどその水泳袋に、依吹の頭を乗せるとこだったから」
「もう依吹君びっくりしたんだからね。視界が真っ白になったと思ったら、依吹君の姿が見えなくて、慌てて探したら床に倒れているし……香澄と更衣室に行く前で良かったよ。
そうじゃなかったら、わ、わたしの膝枕だったんだからね……」
「あ、うん。ごめん、ありがとう……」
膝枕を想像したら何か顔が熱くなってきた。
いやそもそもだ。頭が乗っていた袋だって、志織の水着が入っているんだから、ある意味刺激的でやばい状況だった。凄くいい匂いがしたし。
依吹は慌てて水泳袋をたぐり寄せると、軽く埃を払って志織に手渡した。
「いや、さっそくイチャイチャするのは別にいいんだけどな、ちょっと異常事態でもあるんだよ」
「い、イチャイチャなんてしてねーし。って待て、異常事態って何だよ」
「そ、そそそうだよ。依吹君と付き合いだしたからって、まだちゃんとイチャイチャできていないんだからね?」
「そっち? えっ、そっちかよ? いや志織ちゃんらしいっちゃらしいけど。
そうじゃなくてな、廊下に出てみて気づいたんだけど、音が聞こえねえんだよ」
「は? 音ってみんな騒いでるから、普通に聞こえてるぞ?」
「ちげーって、外だよ。教室から出た廊下の話だよ」
言われて依吹は、志織と樹生。それから、話をしていたら志織の下に近付いてきた香澄と四人で廊下に出た。
「うわ、何だよこれ。本当に教室の外が静かなんだな……」
廊下に出ると、樹生が言ったように一気に周りが静かになった。
いつもならショートホームルームの直前でも廊下で騒いでいる人がいて、通りがかった先生が教室に入るように声をかけていたはず。それなのに今は、生徒はおろか、先生の姿さえ見えなかった。
「ほんとに誰もいないね。いったいどうなってるのかな?」
「志織見て。隣のクラスに、誰もいないわよ」
「そうそう言い忘れてたけど、人っ子一人いないんだ。おかしいよな?」
そんな馬鹿な――そう思いながら隣のクラスを覗くと、確かに誰もいない。
何だよ。これ、どうなってるんだ?
隣のクラスを見た後、さらにもう一つ隣のクラスを覗くも、そこには朝の時間だというのに、やっぱり人一人としていなかった。
完全に無人の部屋。そりゃあ、音が何も聞こえにないはずだよな。
耳を澄ませば、今も自分たちのクラスがある教室からは、みんなが喋っている声が聞こえてくる。
「これって、テレビのドッキリか何かなのかな……?」
「違うんじゃないかしら。うちの学校のみんなが、騒がないで大人しく移動なんてできないと思うわよ」
「俺も香澄ちゃんに同意だな。俺がさっき教室に入るまで、普通に隣の教室にみんないたんだぞ? 廊下にだっていた。さすがにドッキリはあり得ないって。なあ依吹?」
「いやそこで、俺に振る?」
廊下の端にある誰もいない視聴覚室をノリで覗いて、自分たちの教室まで戻ってきた。
どうも、自分のクラスにだけ人がいるみたいだ。
ついでに何回か教室と廊下を行き来したけれど、何も変化がなかった。
その頃になると、さっきまで気絶していたクラスメイトもみんな気が付いたようだ。今は、いつものグループに分かれて不安そうな顔で周りを見ていた。
依吹は何気なく教壇に視線を向けると、教室の時計の針は八時四十分のままだった。
あれ? 時間が進んでいないぞ。
もしかして時間が止まっている?
「なあもしかしたら、時間が進んでいないんじゃないか?」
「え、嘘でしょ依吹くん? ……あれ、わたしのスマートフォンも時計が止まってる。ネットも繋がらないよ」
「俺のスマートフォンもだわ。腕時計も動いてねえ。どうなってるんだ?」
依吹の言葉に、クラスのみんなが騒がしくなった。
やっぱり誰のスマートフォンも、アンテナは立っているのに電波が繋がっていない感じだった。
『さっきのって、ラノベの異世界召喚とかだったんじゃね?』
誰かが呟いた。
「そう言えば魔方陣ぽいのを見た気がするぞ」
つられて別のクラスメイトが呟くと、教室の中が再び騒がしくなった。
ていうか、その魔方陣を咄嗟に破壊したのって、俺だったんだよな。身体が自然に動いていたからな……。
「確かあの時は、教室の外が真っ暗になっていたんだっけ」
「私が気づいた時は床から出た光が眩しくなって、すぐに視界が真っ白に染まったところよ」
「でも、俺たち召喚されてないぞ」
「召喚が失敗したんじゃないかしら」
教室のあちこちで、色々な憶測が飛び交っていた。
ふと依吹は、志織と香澄が床にしゃがんでいることに気が付いた。
「志織、どうした。何かあったのか?」
「あのね依吹君見て、ここ。白い光と紫色っぽい光がぶつかり合っているよ。これって何なのかな?」
「光って、もしかして話に上がっている魔方陣の残りか……?」
気になって覗き込むと、二色の光は誰かの机の下で樹夏至苦ぶつかり合っている所だった。
二色の光は依吹達が見ている前で、白紫の光が白い光をゆっくりと浸食していった。
そして白紫の光は、そのまま白い光を呑み込んで消えた。
キイイイィィン――。
同時に、甲高い音が教室に響き渡った。
「きゃああっ」
「うわっ、耳が痛いっ――」
耳を塞いでも頭に直接響いてくるその音は、直後に聞こえた『パリンッ』という音とともにすぐに聞こえなくなった。
教室が静まり返った。
そしてその直後にいつもの喧噪が、一気に音が戻ってくるのが分かった。
教室の外から、いつもの騒がしい声が聞こえてきた。廊下を、隣のクラスの男子が駆けていく。それを追い立てるように、隣のクラスの担任が廊下を歩いて行った。
そのすぐ後に教壇側の扉が開いて、担任の女性教諭が教室に入って来た。
「おはようございます、さあみんな席について。朝のホームルームを始めるわよ」
どうやら世界が突然元に戻って、当たり前のように動き始めたらしい。
担任は教壇まで来ると、教室の異常に気が付いたようだ。目を見開いて、静まり返った教室を見渡した。
全員が呆然として佇んだまま、完全に動きを止めていた。
「戻った……のか……?」
「……たぶん……な」
やがて、それぞれ思い思いに席に着く。ただ、誰もが言葉を失ったまま、茫然自失のままだった。
他のクラスから聞こえる喧噪が、どこか遠くに聞こえていた。
「……み、みんな。いったいどうしたのよ……?」
その担任の問いかけに、答えられる者は誰もいなかった。
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