5.3話 想定外

「すまん、樹生……」

『なあに、いいってことよ。おおかた、志織ちゃんから電話がかかってきてたんだろうよ』

「うぐっ……な、なぜそれを」

 樹生から電話がかかってきた時に、咄嗟に電話を切っていて、慌てて電話をかけるも、案の定というか樹生から反撃を食らった。


 ベッドに横になっていた依吹は、慌てて上体を起こす。顔がまた熱くなってきた。自分でも最近なんだか志織を意識しすぎていると思う。いや、かわいいし好意を持ってはいるんだけど……。


『分かりやすいんだって、依吹は。俺から見ればどう見たって両思いなのに、変なところで意気地がないのな。

 依吹が志織ちゃんと電話番号交換したのだって、クラスメイト全員が知ってることなんだぞ?』

「……はっ? ……え、何だよそれ。嘘だろ……」

『いやな、志織ちゃんがみんなに、依吹と電話番号交換できたって、喜んで報告してたんだが。もしかしてその場にいなかったから、依吹知らないのか?』

「……ああ、知らない」

『マジか、そっちの方が想定外だわ』

 悲報、クラス全員にバレていた件について。

 いつの間にかクラス公認の仲になっていました。根性無いのはイブキだけだった模様。


 いかん、ちょっとだけ意識が飛んだ。


 何だか無性に喉が渇いてきて、スマートフォンを耳に当てたまま、依吹は部屋を出た。

 エアコンが効いた部屋から廊下に出ると、夏特有のもわっとした空気が身体に纏わり付いてくる。


「そっか、うわマジ何なの俺」

『いや依吹、落ち着けって。あとは普通に志織ちゃんに告白すればいいだけだろうに』

 依吹の部屋は二階だったため、階段を下りて一階に向かう。

 一応電話中のため、足下を見下ろしながらゆっくりと下りていくことにした。


「簡単に言うけどな、いざとなったらなかなか言いづらいんもんなんだぞ?」

『いつも通りでいいだろう。なに緊張してんだよ』

「だってなぁ、面と向かって志織に、付き合ってくださいなんて、そんなこと言う勇気なんて無いって」

「はい、依吹君。こちらこそ、よろしくお願いします」

「はえっ?」

『おい依吹、なに一人芝居やってんだよ。妄想も大概にしろよ』

「いや、俺じゃないっ……て……?」

 階段を一番下まで下りたところで、依吹は歩みを止めた。

 顔を上げるとちょうど目の前、玄関を入ったところに制服姿の志織が立っていた。ちょっと大きめの胸の前で、手を組んでいる。

 朱が差した顔には満面の笑みが浮かんでいて、眼鏡の奥が何となく潤んでいるような気がする。


 ちょっと待って。

 今の階段での会話、志織に全部聞かれてたってことなんだよな?

 って言うか、いつの間に玄関に立っていたんだよ。

 チャイムなんて鳴った記憶無いんだけど……。


「……えぇ、幻……じゃないんだよな……」

『おい、依吹どうした。何かあったのか? っていうか、自分の部屋じゃなかったのかよ』

「いや、あのな。志織がな――」

「志織ちゃん、いらっしゃい。こっちよ、さあ上がっていいわよ」

「あ、里奈おばさん。お邪魔します」

 リビングから出てきた里奈が、真っ赤な顔をした志織をつれて行ってしまった。それを呆然と見送っていた依吹は、しばらく経ってから耳元で騒いでいる樹生の声に気が付いた。

 慌てて意識を電話の相手に向けた。


「すまん、樹生」

『なんだよ、そっちに志織ちゃん来てたのか、いや何ちゅうタイミングだよ。ってことは、さっきの会話は……?』

「あ、ああ。志織のな、目の前だったんだわ」

『そっか、良かったな。いい返事だったんだろう?』

「おう、まあな。何だかそんな感じになった」

 正直、あれで良かったのだろうかと、首を捻りたくはなる。でもまあ、志織が満更でもない感じだったし、いいのか。いや駄目だろう。


 そのまましばらく階段に座って、樹生と今日の事故のこととか、樹生の彼女のこと、昨日のテレビの話とか、ほんともうどうでもいい話をしてから電話を切った。

 たぶん、樹生も目の前で起きた事故が、信じられなかったんだと思う。いつもよりお喋りだったからさ。


 実際、俺だってあの時の不思議な感覚で動いていなかったら、大型トラックの荷台と店舗に挟まれていて、間違いなく命がなかった。

 物心ついた時から、ちょっとした奇跡体験には事欠かなかったけれど、今回のは特別だったな。


 ちなみに志織は、俺の顔を見て安心したのか、里奈が作ったホットケーキに蜂蜜を大量にかけたのをしっかりと食べて、ついでに里奈から新しい本を借りて帰って行った。

 ついでに言えば、宿題のプリントマシマシ十枚は置いていって欲しくなかったよ。ちくしょう。




 翌日は、どんよりとした曇り空だった。

 いつも通り家を出て、いつも通り志織と挨拶した。昨日の事故の影響で通学路はちょっと大回りになったけれど、初めて握った志織の右手は凄く柔らかかった。

 何だか、顔がにやけてくるのを止められなかったよ。これがリア充か。やべ、恥ずかしすぎる。


 教室はいつも通りで、いつものクラスメイトと挨拶をした程度で、事故の話はしなかった。まあ、昨日のうちに話はしていたから、そんなに余計な情報とか無かったんだけど。

 あ、女子からは黄色い歓声は受けたよ、昇降口まで志織と手を繋いだままだったからさ。


「お、依吹。今日は早いな」

「昨日だけだよ、忘れ物しなけりゃこんなもんさ。樹生が遅いんだぞ?」

「俺はいいんだよ。重役だからな――」

 いつも通り片手をあげながら、樹生が教室に入ってきた。


 そこで、異変が起きた。


 忽然と窓の外が真っ黒く染まった。

 外だけでなく、廊下側の窓も真っ黒くなり、外の景色が何も見えなくなった。

 樹生が突然の変化に目を見開く。慌てて依吹が志織の方に顔を向けると、両手を口に当てて泣きそうな顔をしていた。

 あちこちで女子の悲鳴が上がる。


 何が、起きている?


 とっさに依吹が立ち上がった時に、床が光り始めた。

 クラス全員を覆うような形で、円形の魔方陣が描かれていくところだった。


 嘘だろ。

 これって、異世界召喚の魔方陣かっ!


 そう認識した時には既に、依吹の体は動いていた。

 周りの音がスッと遠くなった。ざわめいていたクラスメイトの動きが止まった。

 依吹は振り上げた拳を、一気に床に打ち付けた。


 ごっそりと体から何かが抜けていく感触と同時に、床に付いた拳から魔方陣とは違う光が迸った。

 依吹の拳から迸った少しだけ紫色の光は、床に広がっていた白い魔方陣に接触して、バチバチと青白い光を放って少し拮抗した後、魔方陣を描いていた白い光を一気に押し返した。


 恐らくそれは、一瞬の出来事だったんだと思う。


 気が付けば、窓の外にはいつもの明るさが戻っていた。

 曇天だったはずの空は、今は抜けるような夏の青空に変わっていた。

 いつもより、太陽の光が強いような気がする。


 確認できたのは、そこまでだった。


 そして床に手をついていた依吹は、そのまま意識を手放した。

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