9話 びっくり、ずっとここを管理しているんだってっ

 ゴブリンのメイズについて、受付の少し奥にある階段を上って二階に着いた。

 そこは一面に本棚が並んでいた。高さはおよそ三メートル程か、そんな本棚が通路の遙か彼方までぎっしりと立ち並ぶ様は、まさに壮観だった。


 僕たちが二階に上がってきた階段は途中で一階折り返していたので、上がった正面は少し先が吹き抜けになっていた。その向吹き抜けのこうが、壁一面ガラス張りになっていて、正面の庭園に生えている木々が緑の葉を風で揺らしているのが見えた。

 外から見ると真っ黒な壁だったはずなのに、中がガラス張りなのは少し不思議な感じがした。


「国土地理の資料は、ここから北向きに三百メートルほど行った本棚列にあります。それではご案内いたします」

 その吹き抜けに背を向ける形でメイズが歩き始めたので、僕たちもその後について歩き始めた。


 しかしこっちの眺めはさらに凄い。


 本棚がたくさん並んでいるのは変わらないんだけど、通路の先が霞んでいて見えない。本を保護する為か、周りを照らしている照明は少し暗めなんだけど、それでも果てが見えないなんて完全に想定外だった。

 それにこの本棚がさっき言っていた国土地理の資料だとしたら、一体どの位の長い歴史が保存されているのか、想像すら付かなかった。


 そうして僕が周りを感心しながら眺めていると、アンジェリーナが歩みを早めてメイズと並んだ。


「メイズさん、ここには他にどんな資料が陳列されているのかな」

「我が国の地理を始めとして、皇国民の住民台帳、店舗や工場などの資料の他、災害の資料などが年代ごとにまとめられています。いわば国全体の記録になりますね。

 資料は一年に一度追加更新されていて、今は七割ほどの棚が使われています。

 ただ、ここ五千五百十八年は遷都の影響で更新されていませんので、五千五百十八年前の資料が最新の資料となっております」

 思わず、僕たちの歩みが止まった。

 メイズは数歩進んでから、やっと僕たちが止まっていることに気が付いて、その場で身体ごと振り返った。


「どうかされましたか。まだ資料はしばらく先ですよ?」

「いや……あの……」

 アンジェリーナが珍しく言葉を詰まらせている。

 でもそうだよね、何だか僕もかける言葉が出てこない。


 だって、ここのゴブリン達はトミジ皇国が滅び、廃都となってなお長い間ずっとここを守り続けてきた。それこそ、資料が更新されないだけじゃなく、訪れる人すらもいない。

 捨て石にされたわけじゃないけれど、完全に世界からも忘れ去られてしまっている。

 五千五百年って、とてつもなく長い時間だもんね。


「どうして――」

「陛下に、謝罪されました。ですから、わたくしたちはここをずっと維持管理しています。ここは人類の大切な資産ですから」

 ここから逃げなかったのか。アンジェリーナが言いかけたのは、その言葉だったんだと思う。

 メイズは笑顔で顔を横に振った。


「事前に一緒に退避するようにと、わたくしたちに勿体ないお言葉を頂きました。あの日もお声かけ頂いていたと思います。

 ただ、わたくしたちがここからいなくなってしまうと、ここの大切な蔵書を守る者が居なくなってしまいます」

「知ってる。私もあの時、一緒に居たから……」

「……ではやはり、あなたはあの時隣に居たエルフですか。当時はわたくしはただのレッサーゴブリンでしたから、司書の隣で佇んでいただけでしたが。そうですか、あなたが……」

 今まで冗談だと思って聞いていたんだけど、アンジェリーナが五千年以上生きているって、嘘じゃなかったんだってはっきりと分かった。


「さあ、お急ぎなのでしょう。資料のある場所まで向かいましょう」

「ありがとう。帰ったら必ず、あなた達が無事なのを伝えておくよ。

 といっても、もう何代目の天皇か分からないけれど、ちゃんと歴史は引き継がれているはずだから」

「ありがとうございます。よろしくお願いいたします……」

 僕は深々と頭を下げたメイズの目尻に、光る物があったように見えた。

 たぶんここのゴブリン達は、これからもずっとこのトミジ大図書館を守り続けていくんだと思う。

 って言うか、ゴブリンってそんなに長命種だったの?

 ゴブリンの寿命の方が、僕にとっては気になったりするんだけど。




 残っていた地理資料は、やっぱり五千五百十八年前の物が最後だった。でも、今の僕たちにはその地図はとてもありがたい物だった。これで目的の工場の場所がはっきりと分かるって、アンジェリーナが大喜びしていたし。


 メイズに断りを入れて、スマートフォンで地図と資料の写真を撮っていたら、思いの外メイズの興味がスマートフォン――魂樹に向いたみたいだった。

 ぜひ、その端末について教えて欲しいと懇願されたみたい。

 それからこの端末の説明をしていくと、自分たちも所持したいという話になった。いや正直想定外だったんだけど。

 そもそも魔獣って、魂樹持てるのかな?


 魂樹の複製って、複製先の素材に自分のスマートフォンを背面接触の後に、画面の確認ボタンをタップするだけみたいで、アンジェリーナは快くそれに応じていた。物は試しにって。


 結果、メイズは持っていたトミジ大図書館の入場カードを魂樹に変えていた。

 それから一階に下りると、さらに大騒ぎになった。

 実は僕たちが腰元に浮かべているスマートフォンが、何気にみんな気になっていたみたい。メイズが魂樹を取得した話をすると、我先にと複製を懇願してきたのには、さすがにびっくりしたよ。

 ただ残念ながら魂樹が取得できたのがゴブリンだけで、レッサーゴブリンには所持することができなかった。たぶんある程度知性があって、意思交流できることが魂樹所持の最低定条件なんだろうなって思った。


 さすがに進化種とはいえ、魔獣であるゴブリンが魂樹を取得できたことに、アンジェリーナだけでなくレイジもびっくりしていたけれど。




「それでは、道中お気を付けて。くれぐれも無理のない探索をなさってください」

「ありがとう。また今度は、ゆっくりと読書にでも来るよ。

 それで、もしメイズさんがよければだけど、今代の天皇にメイズさんの魂樹番号を教えてもいいかな?」

「……よ、よろしいのですか? 可能であれば、ぜひお願いいたします」

「わかった。帰ったらちゃんと話をしにいってくるよ」

 そうして僕たちは、たくさんのゴブリン達に見送られながら、トミジ大図書館を後にして、再び廃都トミジを北上していった。


 綺麗に管理された庭園を出ると、再び覆い茂った木々が行く手を阻む。何となく昨日と今日で見慣れた、廃都トミジの景色が戻ってきた。


 実際のところ僕は、あのトミジ大図書館は楽園なんじゃないかと思う。

 長い間凶悪な魔獣が支配していた地域のはずなのに、あそこだけはその魔獣の支配すら受けていなかったんだよね。ドラゴンが竜峰フジに帰ってきて勢力図が変わったけれど、やっぱり何も変わっている様子がなかった。

 ダンジョンの効果があるのか、すごく安らいだ空間だったからかな。


 願わくば、これからもあそこはあのままゴブリン達が、ゆっくりと平和に暮らせる場所であって欲しい。

 まあ、その辺はアンジェリーナの頑張りにかかっているんだけどね。皇族と知り合いみたいだから、たぶん何とかなるんじゃないかな。


 こうして僕たちは、枝葉を魔法で刈り払いながら、目的地である魔動機製造工場に歩みを進めた。

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