6話 うわっ、何か獣が襲ってきたよっ
ゆっくりと、意識が覚醒してくる。
また今日も夢を見ていたような気がするんだけど、それがどんな夢だったのか全く覚えていない。
夢はきっと毎日見ているんだと思う。
思うって言うのは、一ヶ月に一回くらいしか、はっきりと夢の中のことを覚えていなくて、ほとんどが『夢を見た』っていう感覚って言うのかな? とにかく、もやもやした霞がかかった感じがするだけで、全然覚えていないんだ。
今日の夢も、覚えていない系かな。夢の中では、すごく穏やかで幸せだったような気がする。
「イブキちゃん、おはよう。わたしの知っているイブキちゃんかな?」
目の焦点が定まってくると、アンジェリーナが僕の顔をじっと見ていた。
そのタイミングで大きくあくびをしたら涙で目が滲んだので、咄嗟に両手で目をこする。
アンジェリーナの顔の向こう側では、天井にしたターフが風で少し揺れていた。
「お母さん、おはよう。僕はいつもの僕だけど、何かおかしなところがあるのかな?」
「いいえ、昨日のこともあって聞いてみただけ。大丈夫だね、いつものイブキちゃんだよ。
さあ、支度を着替えたら朝食にするよ。わたしは準備に行くね」
聞いてみただけって言ったけれど、もの凄く心配そうな顔をしていた。昨夜のナナナシアとの会話が、よっぽど堪えたのかも知れない。
僕は、ゆっくりと上体を起こした。大きく伸びをして、朝の冷たい空気をめいっぱい吸い込んだ。空は今日も気持ちいいくらいの青空が広がっていて、絶好の探索日和になりそうだった。
アンジェリーナは僕の頭をいとおしそうに撫でると、僕の側から離れていって、昨日作った簡易キッチンで料理を作り始めた。
じきにお味噌汁のいい香りが漂ってくる。
「おお、イブキ起きたのか。気分はどうだ? 何か体に気になるところはないか?」
「お父さん、おはよう。お父さんまでいったいどうしたの? 僕はいつもと変わらないよ、昨日の夜のこともちゃんと覚えてるし」
「そうか、それならいいんだ。ちょっと心配だったからな」
「うん、ありがとうお父さん」
車の屋根から飛び降りたレイジが近くまで来て、やっぱり眉をしかめながら僕の顔を覗き込んできた。
レイジは僕がいつもの僕であることに安心したのか、そのままアンジェリーナの元まで行くと、二人で仲良く朝食の準備を始めた。
僕も慌てて飛び起きると、リュックサックから服とズボンを取りだして着替えた。それから二人の側に行って、一緒にお皿を並べて朝食の準備をした。
いつの間に手に入れてきたのか、テーブルの皿の上には焼き魚もあって、いい感じの焦げ目がついていた。
ちなみに昨日のカレーは、作ったその日になくなっているよ。
鍋に目一杯あったんだけどね。僕やレイジもたくさん食べたんだけれど、一番よく食べたのはアンジェリーナだったりする。
あの華奢な体のどこにあれだけ入るのか、いつも不思議なんだけどね。
食事の後は片付けをして、再びレイジが車をリュックサックに収納した。
僕は昨日と同じ、胸当てにマント、それに小剣を腰に提げている。
「それじゃあ、行こうか」
「うん、準備はばっちりだよ」
「イブキちゃん、気を抜かないでね。ドラゴンが帰ってきたからと言って、全部の魔獣がいなくなったわけじゃないからね」
「はい、お母さん。ちゃんと周りに気を配ってねだね」
長い間放置されている地域だけあって、木々が建物を覆い尽くすように繁っていた。
道路だった場所も伸びてきた根っこで隆起していて、かなり歩きづらくなっている。こうなると、通行の邪魔になってくるのが、かつて人々が生活していた建物になってくるんだよね。
木造の建築物なら基礎が残っている程度で、僕の足でも乗り越えれば何とかなる。でも、ここの廃都トミジは都市部に進むにしたがって、レンガや石積み、果ては継ぎ目のない石の建物が増えてきて、どんどん進み辛くなって行ってる。
もっとも、風魔法で枝を払ったり、邪魔な樹なんかもレイジやアンジェリーナが剣に魔法を纏わせて切り倒しながら進んでいるから、時間はかかるけど進めないわけじゃないんだけどね。
「ところでお父さん、僕たちは今どこに向かってるの?」
「アンジェがな、都市の中心部からちょっと北寄りに進んだ辺りに、大きな図書館があったはずだって言ってるんだ。
そこに行って、ここの都市の情報を集める予定でいるよ」
「えっ情報って、そこからなの?」
「ちょっとイブキちゃん、さすがにわたしも五千五百年も前の事を覚えてないよ?
それに、あの時に住んでいたと所も今のお家の近くだから、そこまでここの廃都に詳しいわけじゃないんだよね」
ちょっと待って、時代計算がおかしいよ。
エルフの寿命は二千年から三千年って聞いたことがあるけど、それより遙かに年数が多い気がするんだけど?
アンジェリーナっていったい何歳なの? そんなに昔から本当に生きていたって事なのかな。
「あー、俺ってその頃って確か、ドラゴンの胃袋の中だったんだっけ……」
「ええっ、お父さん? そもそもそれって、何の話なのっ!?」
だんだんに周りの景色が変わってきていた。
市街地を進むにしたがって、ビルが多くなって死角が増えてきている感じがする。昔は舗装されていたと思われる道路は、木の根っこに持ち上げられていて、ひび割れて隆起していた。
建物によっては、窓から木の枝が突き出ていて、中まで間で侵蝕されている感じだ。
「わたし達が今いる場所は、まだ探索者がほとんど来ていない場所なんだよね」
「それにここはドラゴンが引っ越してくる前は、かなり強力な魔獣が跋扈していた地域なんだ。魔獣を一体討伐する程度なら何とかなるが、それが何百体といて、そいつらを倒しながら進むなんてとても不可能なんだ」
「……ん? 何かが来るっ――」
アンジェリーナが突然、背中に背負っていた大剣を両手に構えて駆けだした。
建物の角で、足をしっかりと踏みしめて、横薙ぎに振り抜いた。空気を切り裂くような音とともに、大剣がその建物の陰から飛び出してきた大柄な獣の牙にぶつかって止まった。
「お、お母さんっ」
「レイジ君っ、イブキちゃんを抱えて建物の上にっ――」
「任せろ、ほらイブキ!」
「わわわっ」
レイジに抱きかかえられた僕は、次の瞬間にはレイジと一緒に近くにあった建物の屋上に飛び乗っていた。
着地と同時に、レイジは僕を床に下ろしてくれた。
「じきに終わると思うが、イブキはここでアンジェに援護射撃をしていてくれ」
「えっ、お父さんそっちは建物の中だよ?」
「ああ。さすがに、裏から襲われたらたまったもんじゃないからな。階下から駆け上がってきている殺気の相手をしてくるよ」
レイジは僕の頭を撫でると、細剣を抜いて階下に続く階段を飛び降りていった。
僕も屋上の縁から少し身を乗り出した。
「あっ、お母さんっ!」
地上では、アンジェリーナが大剣ごと反対側のビルに向かって吹き飛んでいく所だった。
僕は咄嗟に腕を伸ばし人差し指を獣の頭に向けた。
身体に縦の縞模様がある、巨大な猫に見える。体高だけでも立ち上がったアンジェリーナの頭上を超えていた。長身のエルフであるアンジェリーナは、身長は百八十はあるはず。これだけでも相手の獣が巨大だと言うことが分かる。
獣の口からは長く鋭い牙が生えていて、片方が中程から折れていた。
アンジェリーナの初撃が折ったみたい。
猫型の獣は、アンジェリーナに向かって突進しながら、その太い腕を振り上げた。
対するアンジェリーナやっと壁際で立ち上がった所だった。このままだと、アンジェリーナが危ない。
「間に合えっ!」
僕はレイジに教えて貰った、これでもかというくらいに圧縮した魔法の光を、指先から撃ち出した。
光は一瞬で僕と猫型の獣との間を突き抜ける。
直後に空気が、ゴウッと言う音を立てて激しく震えた。
僕の指先から放たれた光線は、狙い違わず獣の頭を撃ち抜いた。
フッと獣の力が抜けたのが分かった。
ただ、いくら力が抜けたからと行って、その突進している勢いは変わっていなかった。避けようとして身体を横に倒しているけれど、このままじゃ間に合わない。
その時、僕の足下で爆発的な魔力が迸ったのが分かった。
すごく暖かいその魔力は、僕が今いる建物を下りていったレイジの魔力だと思う。その暖かくも暴力的なまでの魔力が、一気に爆ぜたのが分かった。
知覚できた、だけなのかも知れない。
ずっと僕の視線はアンジェリーナの方に向けたままで、猫型の魔物との間に忽然とレイジが出現したように見えた。
レイジはそっと片手で猫型の魔物の軌道をずらし、アンジェリーナを大剣ごと抱きかかえて滑らかにその場を離脱した。猫型の魔物は横向きに壁に激突して、地面に崩れ落ちる。
「くはっ……」
無意識のうちに息を止めていたみたいで、息が苦しくなって僕は慌てて呼吸をした。酸欠に近かったんだと思う。少しだけ頭が痛くなった。
改めて地上を見ると、レイジがアンジェリーナを抱きかかえたまま、こっちに飛び上がってくる所だった。
そして僕は、その光景が異常だと言うことに気が付いて、その場で固まった。
考えてみれば、何でレイジは一飛びでこのビルの屋上まで飛び上がれるの?
向かい側の同じくらい高さがあるビルだって、十階くらいあるんだけど。このビルも同じだけ階層があると思う。
それをひとっ飛びって……。
僕の見ている前で、アンジェリーナを抱えたままのレイジがビルの屋上に着地した。そのままそっと、アンジェリーナを床に下ろした。
その時になって、初めてレイジが光を纏っていることに気が付いた。
「お父さん……その全身を覆っている光って、何?」
「ああ。これはな、魔纏鎧だよ」
「……ままといよろい……?」
「レイジ君、前にも『まとんがい』って読んだ方がいいって、言ったと思うよ」
「ははは、前にも言われたような気もするな」
アンジェリーナの言葉に、レイジは苦笑いを浮かべながら纏っていた魔力を解放した。
僕はといえば、その凄さが身に染みて分かって、再びその場で固まっていた。
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