2話 あれれ、いつの間に出発したのさっ

「うわあああぁぁぁっ」

 起き上がろうとして、肩に食い込むシートベルトで僕の動きは止まった。


「おう、イブキ。やっと目が覚めたか。いくら起こしても起きなかったから、もう出発しているよ。

 っていうか大丈夫か? 何だかうなされていたみたいだけど」

 自分の部屋のベッドで寝ていたはずなのに、目が覚めると僕は車に揺られていた。隣の席では、黒髪黒目の優男がハンドルを握って運転している。

 ちょっと線が細いこの人は、僕のお父さんで名前はレイジって言うんだ。

 レイジは僕の方に片手を伸ばしてきて、僕の頭を優しくなでてくれた。大きな手の平でなでられて、なんだかすっごく幸せな気分になった。


 車は舗装されていない土の道を走っているようで、道に合わせて大きく揺れている。街の中はある程度舗装されていて、こんなにでこぼこしていないから、既に街から外に出ているみたいだった。


「うん、大丈夫……えっと、お父さん。おはようございます」

「ああ、おはよう。もう少し走ったら、朝食を食べるために道ばたに駐まるから、あとちょっとだけ待ってるんだよ」

「あ、うん。わかったよ」

 目が覚める前に見た夢があまりにもリアルで、何だかまだ頭がぼーっとしている感じがする。


 車は草原の道を走っていた。

 かなり遠くの方には森があって、そのまま奥に聳ある山まで繋がっているみたいだ。僕が座っているのは車の助手席で、草原をくねりながら延びる道がよく見える特等席だった。

 やがて、道の途中に丸く開けた場所が見えてきた。


 車は速度を落としながら、その開けた場所に停止した。


「よし、着いたぞイブキ。後ろで寝ているアンジェを起こしてくれないか。朝早くからみんなの朝食を作っていて、シートで横になって一眠りしているんだ」

「うん、わかったお父さん」

 助手席から降りて、すぐ隣のスライドドアを開けると、ベンチシートに耳の先が長く尖った、黒髪の女性が横になっていた。肌は白く透き通っていて、華奢な体つきと相まって神秘的な空気を醸し出している。

 この長耳族系の森エルフが、さっきお父さんがアンジェと呼んだ人で、名前はアンジェリーナ、僕のお母さんだ。


「お母さん、起きて起きて。お父さんが朝食にするって」

「……う、うん。待って、今起きるよ」

 アンジェリーナはゆっくりと起き上がって大きく伸びをすると、その綺麗な黒目を僕の方に向けてきた。優しく微笑みながら、手を僕の頭に乗せてきた。


「おはよう、イブキちゃん。やっと目が覚めたのかな、レイジ君が重くなったって喜んでいたよ」

「おはよう、お母さん。でも僕、そんなに重くなってないよ」

「うふふ、そういう意味じゃないと思うよ」

「そうだよイブキ、重くなったって言うのは、成長しているって言う意味なんだからな。五歳児としては理想的な体型じゃないか。

 そんなイブキは、後ろに着替えがあるから、パジャマから着替えておけよ」

 車のリアゲートを開けたレイジが、僕のリュックサックを振りながら笑いかけてきた。


 僕たちが乗っている車は箱形の車で、一般的にはバンタイプって呼ばれている車だよ。アンジェリーナが寝ていたシートから後ろは全部荷物室になっているんだ。

 その荷物室には折りたたみ式のテーブルや椅子の他には、テントを張るためのターフと支柱、地面に敷く敷物、あとはリュックサックが三つ載っている。

 今レイジが手に持っているリュックサックが、僕のリュックサックだ。


「うん、わかった。すぐに着替えるよ」

 自分の格好を見ると、黄色地に青い狸が書かれたパジャマのままだった。

 あの夢の中と同じ格好に、少しだけ身震いした。さっきの夢って、本当に夢だったんだよね……。

 テーブルを運んできたレイジと入れ替わりに、車の後ろに回って荷物室に飛び乗った。


 季節が夏に入ったばかりなので、パジャマを脱ぐとさすがに少し肌寒かった。半袖長ズボンに着替えて、薄手の上着を羽織る。

 椅子を取りに来たレイジと一緒に、僕も椅子を一脚持って車の横に向かった。




「しかしびっくりしたぞ。息はしていたけど、いくら揺らしてもぴくりとも動かなかったんだぞ? よっぽど深く眠っていたんだな」

 レイジが心配そうに僕の顔を見ながら、バスケットからサンドイッチを取り出した。今日の朝食は、ハムとレタスのサンドイッチに、四角い枠に嵌めて焼いた目玉焼きだ。

 アンジェリーナが、魔法で湧かしたお湯でお茶を淹れている。爽やかな紅茶の香りが漂ってきた。


「そうだよ、イブキちゃん。レイジ君が大変だったんだよ? 『イブキがぁ、イブキがぁ』って、泣きながらわたしのと所に飛んで来たんだから」

「……いや……さすがにそれは、言うなよ……恥ずかしいだろう」

「それなら昨日の夜も、僕が寝しばらくしてから、様子見に来たのも知ってるよ?」

「うぐっ……ああ、まあ。そんなこともあったかな」

 一瞬の沈黙のあと、三人で顔を見合わせて大声で笑った。

 何だか顔も青白かったから、余計に心配したって言っていたけれど……なんだろう。自分の寝ている時なんて、自分で分からないからなぁ。


 五歳の誕生日から、僕は自分の部屋で一人で寝ている。

 それから一ヶ月くらい経つんだけど、毎日夜中に二人が様子を見に来ていんだよねる。

 きっと心配で見に来てくれるんだけど、二人に愛されているなっていうのがすごく感じられて、思わず顔がにやけてくる。

 それまで三人で川になって寝ていたから、寂しいのかも知れないけどね。




「食器を洗って、机と椅子を片付けたら出発だ。順調にいけば、午後三時くらいには廃都トミジに着く予定だ」

 レイジが生活魔法の水流で流したお皿を受け取って、僕が同じ生活魔法の微風の魔法で乾かす。綺麗に乾いたら、横で待っているアンジェリーナに手渡すと、バスケットにしまっていた。


 その後、みんなで机と椅子を片付けてから、出発した。

 今度は僕は後ろのベンチシート席に乗って、アンジェリーナが助手席に座った。いつもはこの座り位置なんだよね。僕が寝ていたから、気を利かせて助手席に乗せてくれたみたい。


「ねえお父さん、廃都トミジってどういうところなの?」

「トミジはな、トミジ皇国と言って、竜峰フジの麓に大昔に栄えていた大都市だよ。ドラゴンの庇護の元に栄えていた国だって言い伝えられてる。

 当時竜峰フジを縄張りにしていたドラゴンが穏やかな性格だったらしくてな、トミジがある平地一帯は魔獣の被害が少ない広大な土地だったんだ」

「えっなんで? それがどうして、廃都になっちゃったの?」

 何だか話が気になってシートから腰を浮かせた僕は、レイジとアンジェリーナの間から顔を出した。


「竜峰フジが噴火して、噴石を受けて弱ったドラゴンの世代交代だったらしいぞ。その後交代したドラゴンが竜峰フジの反対側に居を構えたために、それまでの庇護がなくなって完全に空白地帯になったんだ。

 そこに強い力を持った魔獣が一気に押し寄せてきたらしくてな、当時トミジ皇国は滅亡の危機に晒されたらしい。竜峰フジの被害とかもあったんだろうし、かなり大変だったんじゃないかな」

 道が上り坂になり、山間の斜面に沿って上っていく。

 頂上にある開けた場所でお昼を食べて、今度は下り坂を走って廃都トミジを目指す。


「お父さん、どうしてそんなに詳しいの?」

「それはな、今俺たちが住んでいるオオエド皇国が、そのトミジ皇国の末裔が興した国だからだよ」

「わたしもね、実はオオエド皇国の建国に絡んでいるんだよ?」

「お母さん……さすがにそれは、無理だって思うよ……」

 そんなたわいのない会話をしながら、僕たちは廃都トミジに到着した。


「……ホントなんだけどな。やっぱ信じてもらえないね」

 ぼそっと、アンジェリーナの呟いた言葉に、レイジと僕は顔を見合わせて大声で笑った。

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