検査技師の柊さん

 昼間に聴く喧騒と、夜になってからの喧騒は音が違うように思う。

 普段の仕事中は、喧騒と言ったら子供達の声で、子供達のいない夜の喧騒とは違うのは分かる。それでも、休日の喧騒も、やっぱり夜の喧騒とは違うように思う。

 なんというか、音が遠い気がするのだ。

 知り合いに話をしても、気のせいとか、勘違いじゃないのと言われるだけで、誰も同意してはくれないけれど。

 薄暗い街に光が灯っていく。

 それぞれのお店から、自宅から、街灯も、見ている間にどんどん光が増えていって、街は夜の顔を見せる。

 夕日と街の灯りの両方があるこの時間は、夜よりも明るいはずなのに、なぜか夜よりも暗く感じる。不思議な時間。

 不意に、目の前の窓、その向こうに人影が立つ。

 店内の灯りと、外の夕日でサンドイッチにされていたのは、私の友人の一人。

 軽く手を振ってくる友人に、手を振り返してから、残っていたお茶を飲み干す。カップを手に席を立つ。ここには彼女との待ち合わせで居たのだから。


「さっきは、なんか黄昏たそがれてなかった?」

「そりゃあ、毎日毎日、元気一杯の子供の相手してんのよ。ぼーっとしたくもなるって」


 そんな会話をしたのは、レストランに場所を移してからだった。

 それほど洒落た、というわけでもないお店だが、手ごろな値段で美味しい料理が食べられるので結構気に入っている。繁華街の入口のほうにあるのも良い。繁華街の奥のほうだと、飲み屋が多くなるから、帰る時間によっては少しばかり治安が悪い。せっかく友人と楽しく過ごしても帰り道で酔っ払いに絡まれるなんてことになったら台無しだ。


「だってあいつら歩かないのよ。走ってばっかり。走り出したと思ったら急に止まるし。追いかける身にもなれっての」

「そりゃ大変だわ。うちは走るような元気のある人のが少ないけど」

「病院だしね~」


 友人は病院に勤めている。

 てっきり看護師なのかと思っていたが、少し前に技師だということが判明した。何をしてるかはよく分からないけど、技術系のお仕事らしい。患者を直接相手することはほぼなくて、検体相手ばかりだとは言っていた。検体って何のことかよく分からないけど。


「あ、でも、夜勤だとちょっとすごいかも。元気過ぎて血塗れになった人とか来るし」

「え? なにそれ、事件?」

「喧嘩。お酒飲んで喧嘩しちゃうの」


 あー、確かに繁華街だとたまにそういう話も聞く。


「でさ、お酒飲んでると、痛みに鈍感になるし、血が止まり難いのよ。だから本人も相手も血塗れでさ~」


 友人は当たり前のように言うけれど、なぜだか想像しただけで自分が痛いような気持ちになってくる。とりあえず話題を変えよう。


「でも怪我とか病気で弱ってる時って、惚れっぽくなるとか言うじゃない。病院でそういう話ってないの?」

「あー、どうだろ。こっちは仕事で相手してるだけだし、私の場合なんて技師だから、患者と直接話すこともないしね」

「そういうもの?」

「そういうもの。そっちはどうなのよ」

「あたし? あたしはほら、職場で出会いとかないし」


 職場で知り合いになれるなんて、子供達とその両親くらいなものだ。子供と恋人になるわけはないし、その父親と不倫だなんて不毛すぎる。それに……


「同僚って言ったって保母さんだもの」


 同僚は女性ばかりなのだ。職場自体が小さいというのもある。


「病院だったら、他の看護師とか、お医者さんとかはどうなの。いい男はいないの?」

「医者はね~。あれはダメよ。ズボラで、いい加減で、そこらの患者より不健康だもの」

「あっ、そうなんだ」


 そこまで会話をしたところで、頼んでいた料理が届いた。一旦は会話を止めて、料理に手をつける。


 私が頼んだのはチキンソテーをメインに、野菜とパンがセットになったものだ。チキンソテーの濃い目の味が、あっさりした野菜にも、固めのパンにもよく合う。見れば友人の前にあるのは、これでもかと言うほどに野菜が山盛りになったパスタだった。深皿に入っているからスープパスタかもしれない。おいしそうだ。今度はそれも頼んでみよう。

 食事を続けながら、さっきの会話で何か引っかかるところを考える。

 看護師とかお医者さんって言ったはずなのに、返ってきたのは『あれはダメ』だった。お医者さん全員がダメ、というには少し引っかかる。ちょっと探ってみようかな。


 パンとチキンソテーを食べ終えて、残っているのは付け合わせの野菜だけになったところで口を開く。


「それで、そのお医者さんってなんて名前なの?」


 友人は、きょとんとした顔で食事の手を止める。


「だって、さっきのお医者さんの話、誰か特定の人っぽいじゃない? あなたが気にしてるお医者さんとか、ちょっと気になっちゃうのよね~」


 きょとんとしていた友人の顔にさっと朱が差す。

 これは、当たりだ。

 私は珍しい友人の表情を眺めながら、残った野菜を口に入れた。どう持っていけば、詳しい話を喋らせれるとかと、考えながら。

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