調剤師の杉田さん2
キィっという小さな音を立てて扉を開ける。ベルは鳴らない。
このお店の扉には、どこのお店にも付けられているベルがついていない。それなのにカウンターに店員が居ることが稀だ。
『杉田調剤』。控え目に書かれた扉を開けると、目に入るのは誰もいないカウンターと、何も置いていない殺風景な部屋の光景。これでお店だと言うのだから面白い。
いくら店頭に品物を出していないからといっても、ベルは必要だと思う。
ベルが鳴れば客が来たことも分かるし、澄んだ音はそれだけで気持ち良い。一々、客のほうから声を掛けないといけないのは、お店としてどうなんだろう。一見のお客なんて、分からないまま
「こんにちは、杉田さん、居る?」
思うことはあっても、それを直接口に出さないだけの分別はある。
お店のことなんて、店主が好きにすればいいし、好きに出来ないなら店主なんて面倒なものをやっても仕方がない。それなら、どこかのお店に雇われていたほうがよっぽど楽ね。
「少々お待ちを」
声が聞こえた後で、何度か奥から光がこぼれる。
まあ、いつものことね。途中では手が離せない作業をしているらしく、客が来たからと言ってすぐには出て来ないもの。
何か置いてあれば、それを見ながら待つことも出来るのに、このお店は殺風景で仕方がない。いっそ花の一つでも飾ればいいのに。
「お待たせしました。ああ、尾華さんでしたか。」
やっと奥の扉から店主の杉田さんが出て来た。
元はどこかのお店に雇われて調合をしていたと聞いた。今は、自分のお店を出していて、調味料を売ってくれる。
「今日はどうしました?」
「この前にもらった
「あっ、はい。えっと、
ちょっと考える。
「そうね。
実際に試して、一番
手間がかかるということは、それだけ客を待たせるということだ。
待たせないためには下拵えが必要で、胡椒もその日の分は予め挽いておく。一日くらいなら風味も気になるほどには逃げない。
「量はこの前と同じくらい?」
「そうね。あとは、何か面白い調味料はないかしら」
杉田さんがちょっとへんな顔をする。笑わせようとしてるのかしら。
「尾華さん。うち、薬を売る店なんですが」
「あら、そうだったかしら。調味料しか売ってもらった覚えがないわね」
お客さんから面白い店があると聞いて、冷やかし半分で尋ねてきてからの付き合いだ。紹介してくれたお客さんからも「面白い調味料を扱ってる店」としか聞いてないし、実際に、調味料以外を買った覚えもない。
杉田さんが軽く溜息を吐く。
やーね、溜息とか、幸せが逃げるわよ。
「
「それってどう使うの?」
「薄くスライスして焼けば香りづけになりますし、油に旨味が溶けます。その油で焼けば、肉でも野菜でも香りと旨味が乗りますよ。あとは調味料としてじゃなく、そのまま焼いてもいけますが、匂いが強いんで好き好きってところですね」
「じゃあそれもちょうだい」
杉田さんが奥から持ってきたのは球根だった。実ではないのね。
「これが
「ええ、この周りの皮は剥いで捨てます。中に大蒜の欠片がいくつかありますので、一かけらずつ取り出して使ってください。量はほんの少し、薄く切ったのをニ、三枚から試してくださいね。あんまり量が多いと胃に悪いので、食べても一日で一かけらまでで」
「へー、結構面倒なのね。量が決まってるとか、お薬みたい」
「いや、だから、うちは薬屋なんですって」
もう調味料屋でもいいと思うんだけど。
「じゃあこれも何かに効くの?」
「薬の材料の一つですが、まあ、これだけでも風邪の予防とか、二日酔いには効きますよ。あとは血の巡りがよくなるので冷え性とか、神経痛にも良いです」
「へー、詳しいのね」
「ですから、うちは薬屋で……」
杉田さんの話を聞き流して、さっさとお金を払って店を後にする。
うちに帰ったら、まずはこの大蒜を使って肉を一枚焼いてみましょうね。
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