幼稚園の夢咲さん

 ゆったりとしたハープの音が部屋に流れ、子供達は眠りにつきます。

 ふと目を向ければ、夢咲先生も子供達の隣で横になっています。

 魔力を込めて奏でるこの曲は、人を眠りに誘うのです。


 ハープで奏でる子守歌は、私の家に伝わる曲です。

 昔、私が子供の頃は、母がこれを奏でてくれました。

 セイレーンの家庭には、それぞれの家ごとに伝わる曲があります。

 それは子守歌であり、郷愁の曲であり、海のさざめきです。

 私はこの街で生まれ、育ったので、海のさざめきを聞いたことがありません。

 祖母によると、海のさざめきは、街の、どこから聞こえるのかも分からない騒めきに似ているようです。

 昼も、夜も、夏も、冬も。

 途切れることのない、音。


 祖母が故郷を離れ、海を離れた時、夜の静寂は酷く恐ろしいものだったと聞きます。

 この街、魔法都市とも呼ばれるこの街に着いて、夜にも騒めきが満ちたこの街について、やっと安心して眠れるようになったと聞いています。

 だから私の家は、繁華街のすぐ近く。

 昼も、夜も、夏も、冬も。

 途切れることのない、音が騒めく場所にあります。

 私にとっては、街の騒めきが故郷の音なのです。

 そして、私は今日も故郷の音に包まれて、保育士として働いています。


 起き上がる姿に目を向けると、夢咲先生が体を起こしたところでした。

 夢咲先生は、同じ幼稚園で働いている同僚で、サキュバスという種族です。

 夢を操り、生気を吸いとるという種族です。

 今は、私の演奏が続いています。

 眠りの魔力を込めた演奏の、魔力は弱めにしています。

 ですから、眠りに抗おうとすれば抗えないわけではありません。でもそれは眠りにつく前の話です。

 一度眠りについたのなら、演奏が途切れるまで起きることは出来ない。

 それは通説なのですが、夢咲先生は事もなげに起きてきます。

 体を横にしているだけで、眠ってはいないのかと聞いてみたことがあります。彼女の答えは「夢の中で起きようと思えば起きれる」でした。

 立ち上がり、部屋を出て行くのは、子供達が眠っている間に片付ける仕事があるからでしょう。

 私は演奏があって動けないので、とても助かります。


 お昼寝の時間が終わると、夢咲先生は年長組の子供達と一緒に、お昼寝に使ったマットとタオルを片付けます。

 私が楽器を片付け、年少組を移動させている間に、部屋はすっかり片付いています。

 夢咲先生は子供達を動かすのがとても上手です。

 私も同じようにしたいのですが、なかなか上手くいきません。

 夢咲先生によると子供達をよく見て、やりたいことをやらせているのだといいます。

 なんとなくイメージは分かるのですが、なかなかに難しいことです。

 表情が豊かな子、感情が表に出易い子は分かります。でも、あまり感情を表に出さない子もいます。大きくなるにつれて、我慢も覚えなければいけませんが、あまりに小さいうちからというのも少し心配です。

 そういう子は、出来るだけ注意して見ています。でもやっぱり難しいです。


 夕方になると、子供達は保護者に迎えられて帰宅していきます。

 子供達が全員居なくなった後は、事務の仕事です。

 ノートに子供一人ひとりのことを書いていきます。

 今日はどんなことをして遊んでいたか、お昼はちゃんと食べたのか、体調を崩してはいないか。

 保護者からの要望があったときも同じノートに書き込みます。アレルギーがある子や、病気のこと、種族によって気を付けなればいけないこと。子供達の保育のための大事なノートです。

 ノートを広げると、夢咲先生はすぐ隣に座って、同じようにノートを開きます。

 本当はもう少し離れて座ってもらえると、ノートが書きやすいのですが、それは夢咲先生が嫌がります。

 近くのほうが「安心する」と言います。

 それはサキュバスの種族特性によるようです。

 夢咲先生によると、直接肌に触れて生気を吸うことも出来るけど、それよりも自然と漏れている生気を取り込むほうが良いのだとか。

 それで、すぐ近くの、生気が届く距離が「安心する」のだそうです。

 子供達が居る時間は、子供達のだれかの近くにいますし、子供達が居ない時間は私の近くに居ることが多いのです。

 それはこの保育園に来る前も、誰かの近くで「安心する」生活をしていたようで、もしかしたら、子供達が何をやりたいか見抜けるのも、ずっと人の近くで生活していたからなのかもしれません。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る