病院の綾小路さん

 深夜の時間帯。

 それはこの街が最も静かな時間、のはずだ。

 だが、今日もここは騒がしい。


「骨折、大量の出血、意識はある。治療魔法、応急処置急げ!」


 今夜運び込まれたのは怪我人で、喧嘩沙汰らしい。

 夜、喧嘩、怪我とくれば、酔っ払いなわけで、それはつまり……


「輸血部、血の用意!」


 私に声が掛かるわけだ。


 採血用の注射器を手に患者の前に進む。

 既に怪我をした場所は治癒魔法で塞がれ、出血は止まっている。

 しかし、基本的な治癒魔法で出来るのは「繋げる」ことだけだ。

 骨折ならば、骨を繋げる。

 切り傷ならば、皮膚を繋げる。

 怪我の深さに合わせて、筋肉も、腱も繋げる。

 だから、血は補えない。

 流れ出たものに繋げる力は無意味だ。液体だし。


 怪我が治ったことが分かっていないのか、飲み過ぎて気分が悪いのか。呻いたままの患者から手早く採血する。

 そこら中には流れ出た血がこびりついているが、それを使うわけにはいかない。何と混じっているのか分かったものではないからだ。

 血が足りない患者から、少量ながらも更に血を取る。

 ここからは時間との戦いだ。


 採った血をビーカーに入れて、錬金術で作った増加剤を入れる。

 もっと落ち着いてやれる環境であれば、鉄分などを主とした造血剤も入れるところだが、急な怪我人の場合にはなしだ。造血剤は種族によって種類も量も違う。

 ビーカーを攪拌かくはんし、中で血液と増加剤が十分に混ざったところで増強の魔法を唱える。

 本来は一時的に肉体的な能力を上げるために使用される魔法だ。

 これを増加剤と混ぜた上で使用すると血液が増える。

 増えた血液を輸血パックに入れて、準備完了の連絡をする。


 私が血液の用意をしている間に、患者には簡単な問診を経て患者衣への着替えが行われている。

 着替えてもらわないとベッドが血だらけになるし、一度服を脱いでもらって、怪我が残っていないか確認する必要もある。

 それらが終わっているのを医師が確認し、患者に点滴を繋ぐ。

 後は看護師が患者を病室まで移動させれば、この怪我人の処置は終了だ。


 と、いう作業を三度繰り返して当直の夜は明けた。


 この街の住人は喧嘩をしすぎだろう。

 疲れた頭で、機材の後片付けを行う。

 処置が続くと洗浄する暇もないが、引継ぎの時間までに終わらせないと、今度は昼間に使える機材が無くなる。

 カチャリと音がして、輸血部の扉が開く。

 見ると綾小路先生が入ってくる所だった。


「お疲れ様~」


 ちょっとゆるいところがある綾小路先生は今日の当直医だった医師だ。

 急患や、昨夜のような怪我の処置をするときは、とてもキビキビとした口調で話すが、普段はなんかのんびりしている。


「はい、お疲れ様です」


 輸血部に用事があるなんて、怪我人の血がまだ足りないのだろうか。

 造血用に採った血は足りない時に備えてまだ残してはいる。だが血というのは体外においては期限が短い、すぐにダメになる。今日の血も引継ぎまでの間に破棄する予定だった。


「どうしました? 怪我人の血、足りませんか?」


 だから、足りないならすぐに対処しないと、採血からやり直しだ。


「いやあ、そういうわけじゃないんだけどね~」


 眠そうな声の綾小路先生はいつもよりいっそうのんびりに見える。いや、疲れて見える、のほうが近いだろうか。


「あー、造血用の血って、まだ処分してない?」

「ええ、もう処分するところでしたけど、残ってますよ」


 必要ないなら、すぐに処分してしまいたい。

 他の人の血が混じったりすると使い物にならないから、器具は厳密な洗浄が必要か、そもそも使い捨てだったりする。


「じゃあさ、その血くれない?」

「あげませんよ。あげれるわけないじゃないですか」


 なに言ってんだこの人と思った。

 医療用に採血したものを、目的外に使うなんてもってのほかだ。しかも本人に無断で。


「血が欲しかったら買えばいいじゃないですか。いつもの人はどうしたんです?」

「んー、なんかね~、彼氏が出来たから終わりにするって」


 情けない顔でそう言う綾小路先生には、昨夜の処置現場での威厳は欠片もなかった。


 あー、と頭の中で次の言葉を探す。


「じゃ、じゃあ次の人を募集しないとですね。もう応募はかけたんでしょう?」

「それが、仕事が忙しくて、手続きが出来てないんだよね~」


 綾小路先生のような吸血鬼向けに、血液の提供者を募集する仕組みがある。

 ただ、それは犯罪防止のために、役所を経由して募集をすることが決まっている。個人で勝手な募集をするのは禁止。勝手な募集は違法な売春と同様に処罰の対象となる。

 吸血鬼と提供者双方で、金額や頻度などが折り合えば契約を結び、血を提供することになる。

 それだって直接ではない。

 交渉の時に顔合わせはするものの、血のやり取りは医療機関を経由する。

 契約にあった頻度で、提供者は医療機関を訪れ採血し、それを医療機関が吸血鬼に配達する仕組みだ。


 そこまでの仕組みがあっても、血は血だ。体液と言い換えても良い。

 誰かに体液を提供するのは本人が納得していても、親族を始め、反対する者は少なくない。


「役所の手続きは長いんですから、早くやらないと駄目じゃないですか。何日も待たされますよ」


 この病院でも、血液の提供において、採血等の業務を行っている。

 それだけに役所の手続きの遅さはよく分かる。

 そして役所の手続きが終わって募集がかかっても、いつ決まるかは運次第だ。


「そうなんだけどねぇ」


 医者の不養生とはよく言ったものだ。

 外来に来た吸血鬼の患者に、定期的な血の摂取を懇々こんこんと説いていたのは綾小路先生じゃないか。


「体壊しますよ。いつから飲んでないんですか」

「春からかなぁ」


 あまりのことに頭が痛くなる。

 吸血鬼は基本的に毎月血を飲む必要があるはずだ。それを怠ると倦怠感が続いたり、頭痛がしたりと日常生活に支障が出る。

 長期間になると症状は酷くなるし、病気にも掛かりやすくなるはずだ。

 それを春! もう夏も終わるというのに。

 それは、断られると分かっていても、血をくれないかと言いに来るわけだ。


「この血は駄目です。患者の血ですから」

「そうだよねぇ」


 困ったものだと思いながら、採血用の注射器を取り出す。


「だから、私の血をあげます。今回だけですよ」


 手早く自分の腕から採血をして、血をビーカーに移す。

 ああ、片付ける機材が増えた。


「今日の勤務が終わったらすぐに役所に行ってください。いいですね?」


 ビーカーを渡しながらそう言うと、綾小路先生は直ぐビーカーに口をつける。


 返事はどうしたこの野郎。

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