牧場の山浦さん

 ガタンゴトンと馬車が走る。

 街から出ると、まだ風の冷たさが身に染みる。

 馬達は並足で、別にスピードを出しているわけではない。

 それでも寒さを感じるとは。壁に囲まれ、家が立ち並ぶ街の中と、見通しの良い街の外では風の機嫌が違うらしい。

 馬車よりもよっぽど早いスピードで駆け抜けてゆく。

 俺はただ、御者台の上で身を縮めているしかない。


 緩やかな上り坂の向こうに、牧場の柵が見え出した。目的地も近い。

 柵の遥か奥には、毛が刈り取られ寒々とした姿をした羊たちが草をんでいる。

 そんな姿を見せられると、余計に寒い気持ちになってくるのだから不思議なものだ。

 一層、肩をちぢめ、首をすくめて、そろそろ首が無くなりそうな頃に建物が見えてくる。

 ここが寒々とした羊たちを飼っている、山浦さん家の羊小屋だ。


 小屋の中は、外とはうって変わって熱気を帯びていた。

 羊たちもまだ毛を刈られる前の、暖かそうな姿でうろうろしている。

 小屋の片隅では、山浦さんと子供たちが、哀れな羊を押さえつけて毛を刈り取っている。

 刈り取られ、寒々とした姿になると、外の寒風の吹く放牧地へ出されていく。

 寒くなるのを先延ばしにして逃げ回るのが良いか、食事のために早く毛を狩られるのが良いか、羊たちにとっては中々の難題だろう。羊たちに選択権はないが。


「こんにちは」


 刈り取りに集中して顔を上げない山浦さんに声をかける。


「おう、ちょっと待て」


 それだけを答えて作業を続ける山浦さん。

 手が空くのを待つ間は、なんともなしに毛を刈る作業を見る。

 ぱっと見た感じでは、毛の質は悪くないようだ。

 一頭から例年と同じくらいの量が刈り取られていく。

 刈られていく羊を見ていると、自然と山浦さんの姿も目に入る。

 全身が毛で覆われた獣人である山浦さんは、狼のような顔をしている。

 牙をむき出しにしてバリカンを使っている姿は、羊に噛みついてしまわないのが不思議なくらいだ。


 一塊の毛が羊の体から刈られていく。

 この春先に羊毛を仕入れたら、糸を紡いで、布に織って、それを売りに出す。うちの紡績工房で材料の羊毛が仕入れられるのは、春先の今の時期だけだ。仕入れが足りないと、年を越すのが難しくなる。

 たっぷりとした羊毛が小屋の床に積み重なる。

 柔らかい羊毛は、今年のうちの仕事量に足りるだろうか。


「おう、待たせたな。今日は何頭分だっけ」


 積み重なった羊毛は一頭いくらで取引をしている。

 小麦のように箱や袋の大きさで決めていないのは、どれだけ押し込んだかで羊毛の大きさが随分と違ってしまうからだ。


「今日は二十でお願いします」


 街に運ぶにも、一度に全てを運べるほどの馬車はない。それに街の工房で毛の質を細かく確認する必要もある。

 今年の初日である今日は尚のこと、数よりも品質の確認に時間が必要だ。

 一頭分づつ分けて入れられた袋を馬車に積み込んでいく。

 荷物を載せ終えた頃には昼に近い。


「ついでだ。昼飯を食っていきなよ」

「それはありがたい」


 山浦さんの提案ににこやかに答える。

 予定通りだ。

 御者台の下から、酒の樽を取り出す。

 一人で抱えられる小さな樽だが、中身の酒はこの春に出来たばかりの逸品だ。


「おっと忘れるところでした。ご挨拶代わりにお酒を持ってきたんですよ」


 山浦さんはニヤリと笑って受け取る。


「おう、いつも悪いな」


 山浦さんの笑顔は牙が怖い。


 羊小屋で作業をしていた全員で揃って移動する。

 母屋の前庭では、山浦さんの奥さんが中心となって、昼食の準備を始めていた。

 真ん中が高く盛り上がった独特の鉄板の上に、香草が敷かれ、その上に肉が並べられる。下のかまはすでに炎が燃え盛っており、すぐに肉が焼けるパチパチという音が聞こえてくる。

 ネギに似た香草は、ネギのような丸みはなく平べったい。

 春先に取れるこの香草は、独特の香りがあって、そのまま食べるには向かないと聞いている。

 だが、羊肉と一緒に焼くことでその評価は一変する。

 この香草は羊肉の臭み消しには抜群なのだ。

 羊肉には、こちらも独特の臭いがある。


 昔、山浦さんが、羊毛だけでなく、羊肉を売り物に出来ないかと調べたときの話だ。

 さばいてすぐはそうでもないが、日が経つにつれて臭いが強くなるのだそうだ。臭いの原因は羊肉に豊富に含まれる脂。

 では焼くときに脂が落ちてさっぱりするようにすれば、いや香草で臭みを消せば。そうして試行錯誤の結果辿り着いたのが、今使っている真ん中が高く盛り上がった独特の鉄板と香草だと聞いた。

 結局、羊肉のほうは、日が経つにつれて強くなる臭いで人気が出ず、あまり売れなくてやめてしまったらしい。


 売り物としてはイマイチでも、自宅で食べる分には鉄板も香草も十分な働きをする。

 焼けていく肉から溢れた脂が溶け出して香草に染み渡る。

 さらに溢れた脂は鉄板の隅に滑り落ちる。

 この程よい脂が肉の旨味を引き立てる。

 そして脂に残る臭いは香草が調和する。

 ぐつぐつと煮えるような音を立てて、肉の間から溢れた肉汁が鉄板の隅で踊っている。


「おう、向井、お前も一杯どうだ」

「いただきます」


 早速、手土産の酒を開けた山浦さんが、コップを渡してくれる。


 ゴクリ。


 喉が鳴る。

 春に出来たばかりのこの酒は、さっぱりした風味でとても旨い。

 それは分かっている。

 分かっているからこそ、もう少しだけ我慢が必要だ。

 すぐそこで山浦さん夫婦が「また昼間から」「今日ぐらいはいいだろ」と言い合う声を笑顔で聞き流す。


「いつもすいませんねぇ。気を使わせちゃって」


 奥さんがすっかり焼き色になった肉と香草を取り分けてくれる。

 礼を言って器とフォークを受け取り「冷めないうちに」の声を免罪符に、肉と香草を一緒に頬張る。

 口に入れる瞬間の羊肉の臭いも、香草のお陰で程よく抑えられ、寧ろ期待が増す。


 噛む。


 牛とも豚とも違う羊の味が、厚い肉からあふれ出す。

 旨い。

 美味しさに負けて早々に飲み込む。

 コップを手に取る。

 ゴクリと一口。

 口の中に残った羊の脂が、酒に流されていく。

 旨い。


「最高ですねー」


 思わず口をついた言葉に笑いが広がる。

 これがあるから牧場通いはやめられない。

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