勘違いしてもしょうがない……。

※3-3


 甘い──。心の底からそう思う。俺は未だかつてないくらいにそう思っている。

 何が甘いのかといえば、匂いも甘いし雰囲気も甘い。そして何より……口の中が甘い。


「甘い……」


 俺はチョコレートを試食しまくった代償を、現在進行形で味わっている。

 自販機で買ったお茶を口に含むが……甘い。ぜんぜん甘い。


 バレンタインにチョコレートは欲しいが、甘いものにそこまで耐性はない。

 女の子から貰うからいいのであって、直でチョコを摂取するのはそれほど得意ではないのだ。


「あ、甘いよ……」


 今更だが飲み物もコーヒーの方が良かったかな? 何故、お茶にしたんだ。ブラックコーヒーだろ!

 舐めていた。俺は甘く見ていたんだ。チョコレートを……。


 今日はもう甘いものはいい。見たくない。

 実は昼飯も店を決めていたんだが、パスだ。もう無理。今は甘いのも甘くないのも無理だ。

 時間的にもお昼を過ぎてるし、一食くらい食べなくても大丈夫だ。チョコレートでお腹いっぱいだし。

 しかし、今日は何も思い通りにならない日だなぁ。


「まだ甘い……。あっ、なんか今のバトルものっぽい」

「ねぇ、そろそろ次に行きましょ? 試食はまだまだあるわよ。いつまで休憩してるのよ」


 俺と同じように紅茶を飲みながら休憩していたお姫様だが、まさかのこんな発言をする。してしまう。

 俺が1つのところ彼女は2つずつ食べていたのだが、満足はしていないらしい。

 あれだけ試食してまだイケるのか。化け物め……。


「俺はもう甘いのはいい。試食なら1人で行ってくれ。ここで待ってるから」

「1人は嫌! それに、全部食べてみなくちゃわからないじゃない!」

「全部。だと?」


 この姫。全部って。何種類あると思っているのか……。

 このデパートのバレンタイン売り場は試食の種類が多い。本当に多い。たぶん全部いける。


 実際に食べてもらって気に入ったのを買ってもらうというのは、売り方としてはとてもいいのだろうが、もうちょっと試食の数を絞ってと俺は思う。

 でも、その大盤振る舞いがきちんと売り上げにもなっていて、ここでチョコレートを買う人は多い。仕組みは効果を発揮しているのだ。


「休憩はおしまい。さあチョコレートの続きを」

「いやー、それはちょっと。本当に無理かなー。それよりどうなんだ。協力してくれるのか?」


 だけど、俺はもう本当に付き合いきれないので、話を変えることにする。

 お姫様は1人で人混みに行くのは嫌らしく、ここでも俺は服の裾をずっと掴まれていた。つまり、俺が動かなければ試食には行けない。


 試食の全種類制覇は避けたい。そんなことをしにきたわけではないし、そんなことをしたら俺は死ぬ。

 ──食わなければいいだろって? 馬鹿を言うな。勧められれば断れない。断ったら失礼だろう?


「…………。何の話?」

「バレンタインだよ! お前は何しに来たんだよ!」

「チョコレート食べにでしょ?」

「ちげーよ! 食わせるだけなら買っていくわ!」

「そうよね。買っていけばいいのよ。残りの全部買って!」


 確かに買っていくとは言ったが、そういう意味ではないし、ここのは高くて全部なんて1つずつでも買えない。

 服より金がかかるし、そもそもそんな金もない。


「高級なやつは予算の都合上ムリだ。ここのは高い。せめて普通に売ってるやつにしてくれ」


「……どういうこと? バレンタインだから、チョコレートなんでしょ?」


「チョコレートは別にこの時期だけ売ってるわけじゃない。年中売ってる。いつだって食える」


「……嘘よね。またからかってるんでしょ?」


 マジだと伝えるためにあえて語るまい。この沈黙が嘘ではない証として伝わるだろう。

 思った通り沈黙はすぐに効果があったらしく、お姫様の表情は疑いから驚きへと変わっていく。


「あれが……いつでも……食べられる? あんたたちズルい!」


 本当だとは伝わったが「ズルい」ときたか……。だけどそうなんだろう。存在しないものは食べられない。

 女の子は甘いものが好きというのも、どこの世界でも変わらないらしい。なら、話は簡単だ。


「俺に協力すれば、チョコレートがいつでも食べられるようになるかもしれないぞ?」


 この後、お姫様が即協力を快諾したのは言うまでもない。



 ※※※



 結局、お姫様のチョコレートの試食はあの後も続いた。

 バレンタインの売り場が混み出して、お姫様が人混みに負けなければ、彼女は試食を制覇していたことだろう。

 みなさんのおかげです。ありがとうございました。本当に助かりました。


 そんなふうにお姫様が試食を食べまくったので、お詫びにチョコレートを3つばかり買い、甘いものは見たくもないのでお姫様にあげた。

 なんか俺がバレンタインしてしまった……。


 その後は3階をぶらぶらして、2階の服屋を片っ端から付き合わされ、1階に着きデパートを出たのは夕方になってしまった。

 この時期は陽が落ちるのが早く、あっという間に暗くなってしまうから、そろそろ帰るべきだと話し、俺たちは帰路へとついた。


「本当にチョコレートが売ってるなんて♪」

「言ったろ。売ってるって」

「でも、同じチョコレートよね?」


 その帰り道。コンビニでチョコレートを買い込んだお姫様はご機嫌だ。

 俺は彼女に余計なことを教えてしまったようだ。


「デパートのやつはバレンタインに贈る用。コンビニのやつは普段食べる用ってところか? バレンタインは特別ってことだ。今度資料を作るから、バレンタインの歴史を学びなさい」


 これでお姫様の協力は得られたから、広告関係は大丈夫だな。あとはチョコレートそのものだが、仕入れるしかないのか?

 ……まあ、異世界では無理だよな。


 となると作るのが一番か。材料は向こうで用意してもらって……んっ? チョコレートってどうやって作るんだ?

 そもそもができてるやつしか見たことがない。

 俺にとってチョコレートとは売ってるものであり、作ろうなんて思ったことは一度もない。


 ……ネットで調べたらわかるかな? だいたいのことはネットで調べたら、


「ねぇ──」


 暗くなったが行きと同じ、我が家への帰り道を歩くその途中。街灯の下で不意にお姫様が振り返る。


「今日はありがとう。楽しかった。本当に。知らないこと、知らないもの。ばかりだったけど」


 突然のことに驚いた。考えながら歩いていたから、余計に驚いた。

 こんなことをストレートに言われるとは思わなかった……。


「あんたが一緒だったから。お礼を……」


 暗がりにいる俺にお姫様が近寄ってきて、その顔が息づかいすら聞こえるくらいの距離まで急速に近づく。


「お、お礼ってまさか? そんな急に!? な、なんの準備もないんだが!?」

「──なんかついてるわよ?」

「……」


 お礼にキスされるのかと思ったら、どこでついたのか前髪にゴミがついていたらしい。

 お姫様はそれをとってくれたのだ。


「あ、ありがとう」

「どういたしまして」


 焦ったー、心臓がバクバクいってる。本当に紛らわしい。簡単に勘違いしてしまう。

 ……男って悲しい生き物だね。あとお礼って今の?



 ※※※



 勝手な勘違いでドキドキしてしまい、恥ずかしいやらなんやらで、お姫様の顔をまともに見れない。

 そんなことには何も気づいていないご機嫌なお姫様は、帰り道に迷うことなく俺の前を歩いている。


「しかしあと少しだ。平静を装え、俺。もうすぐ家だ。そこまで頑張れ」

「ずいぶんと楽しそうだな。小僧」

「──セバス!? お前、な、なんでいるんだ」


 急にした声に驚き大きな声を出してしまった。だが、俺の隣にはいつの間にかセバスが並んで歩いていた!

 俺が大きな声を出したからか、「……セバス?」と前を歩くお姫様も反応して振り返るし。


「なんでも何も、最初からずっといたぞ」

「マジで!? 最初からってどのくらい最初から。家を出るところ。それより前。ずっとっていつから!?」

「途中途中、思わず手を出しそうになったがな……」


 セバスから昨日の不機嫌とはまた違い、身の危険を感じる雰囲気が出ている。

 これが殺気というやつなんどしたら、ヤられるのは俺じゃん。


「や、やめろよ。絶対。人前でそんなことすんなよ?」

「だから我慢したのだ」


 ずっと見られていたことにも、暗殺されそうになっていたことにも驚きを隠せないが、今は間近に危険が迫っている!

 セバスを問い詰めるどころではない。逃げなくては!


「ずっと我慢しろよー。手を出した方が悪いんだからなー」


 一歩一歩とセバスに気づかれないくらいのスピードで後ろに下がり、俺たちの方にきていたお姫様の背後にサッと隠れることに成功した。

 これならいくら悪魔でも手は出せまい?


「セバス。あなたずっといたの?」

「小僧では、何をしでかすかわかりませんでしたので。勝手ながらついて行っておりました。申し訳ない」


 お姫様に頭を下げたセバスは、顔を上げるとギロリとこちらに睨みを効かせる。こわっ! 悪魔こわっ!


「まあ、いいわ」


「──いいのか!? ずっと尾行されてたんだぞ。この場できちんと俺に絶対に手を出さないようにと、そこの悪魔執事に言ってくれてもいいんだよ! むしろ言って。で、俺に安心を与えてください!」


「今日はもう帰るわよ」


 セバスは「わかりました」と言い、俺からお姫様の荷物(みんな買ったのは俺だよ?)を奪い取る。そして、そのまま我が家へと向かっていく。

 俺は1人だけ置いてけぼりである。


「なんだろう。これは本当になんだろう……」

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