第1章第1話『無垢な少年と些細な変化』


 農作物がまともに育たない荒れ果てた野にある質素な村。優雅とはかけ離れた土地でそれでも活気に溢れた1人の少年が馬に乗って荒れた地を駆け抜ける。彼らが向かう先には一転して異世界に迷い込んだかの様な、荒野のオアシスとも言うべき大樹林が広がっていた。


 東の大陸西部レイグン地方。大樹林を除き広大な荒野に見舞われたその場所は、それでもかつては大陸1の炭鉱地帯として名を馳せていた。だが、1番の品質を誇っていた炭鉱が謎の土砂災害に見舞われ、それを機に名声は失われつつある地帯となったこの地の今を見てかつての栄光を語る人などいなかった。


 それでも彼らが今を無事に生きていられるのは偏にこの大樹林のお陰と言っても過言では無い。かつて、荒野を憐れんだとある魔女が生み出したこの大樹林は今尚沢山の生物の憩いの場として活躍している。また、食物だけでなく人間が飲んでも悪影響のない様な水が流れてたりと至れり尽くせりである。


 ともすれば必然的に出てくる疑問が何故彼らがこの大樹林に居を移さないのか。と言う事だが、どうやら魔女は人間に対する施しはあくまで副産物であり本来は自身が安らぎを求める為に生み出した聖域と言う面があってか、定められた時間以上滞在していると強制的に弾き出される様になっているらしい。しかもその際には大樹林があると言う事実を忘れてしまうだけでなく二度とたどり着けなくなるとか。事実にしろ虚実にしろ魔法と言った限られた存在しか使うことのできない力によって生み出された超常現象の塊には逆らう事が出来ない。故に荒野で生活をしている彼らは定められた時間を有効活用して施しを受けているだけに過ぎなかった。


 尤も、生み出した魔女と言うのは大昔の存在で、とうの昔に居なくなっているから生活出来るかもしれない。と言うのが最近の村長達の意見だが。調べる為に労働力を消費して噂通りになっても噂止まりとなったとしても周辺の村同士のパワーバランスが崩れかねないから下手を打てないのが現実と言うべきか。ともかく、限られた範囲でのみ行える補給と言う点で村同士がリスクをかけた行いを躊躇わざるを得ない状況である。


 その様な背景を煩わしく思いつつも少年が大樹林に入ると早速目ぼしい標的が現れる。人1人分はあろう大きな角を1対生やした体躯は2m程ある鹿だ。比較的穏やかな性格をしているこの動物は勿論草食であり人に危害を加える心配は少ない。精々自衛の為に角を使って突撃してくる位だ。だが、彼らには危険を察知する為に発達した耳と目がある。迂闊に近づけば返り討ちか逃走されるかどちらかだろう。

 故に少年は背中に背負った弓を番えて弦を絞る。目算5mと言ったところか。この距離ならば弓の到達の方が早い。鹿が足下の草に頭を伸ばした瞬間を狙って引き絞った弦から手を離す。勢い良く放たれた矢の風切り音に鹿が気付いた時には遅く、体勢を立て直して逃げ足を踏もうとした直後に矢が届き鹿の悲痛な鳴き声と共に倒れ込む音が聞こえた。


 手慣れたナイフ捌きで鹿を解体し有用な部分を頂戴した少年は、その後も食用として重宝される草や木の実、生活に必要な水を汲んだりと大樹林を散策している内に気が付けば定められた時間が近づいていた。手に入れた物を粗方馬に括り付けた少年がそれを確認すると馬に跨り荒野へと向かい始めた。



 馬を走らせる事半刻。丁度空から日出る光が傾き始めた頃。少年の目には砦の様に高く伸びる柵に囲まれた村が見え始める。現村長の先祖が築いたこの村は彼の名前から『エルファ村』と名付けられており、周囲の村に比べても忖度ない生活を送っていると自負できる。


『おう、帰ったか。首尾はどうだった⁇』


「特に変わりなく。いつも通り必要分は取れたよ。アムドおじさん。」


 その村の入り口。松明が取り付けられ柵同様木製の扉が備え付けられた門の前に立つ男に声をかけられる。彼は村の中で門番を任されている一家の父だ。大体昼から夜にかけて彼が担当しており、有事の際に動ける様にと日々鍛錬を欠かさない為隆起した筋肉が服の上からでもわかる。


「大樹林の方も問題なく資源はあったかな。凄いよね。6つの村が毎日狩猟をしているのに一切減る様に見えない。」


「それこそ魔女様々ってな。さ、疲れただろう。中に入って休んでこい。」


 ニッコリと笑顔を見せたアムドが2度門を叩く。すると、中に居た男達が門を開ける為に麻で結んだ縄を引く。人の手では簡単に開く事のないこの扉は村にとって最後の砦でもあった。


『お帰り。その様子なら狩りは上々だったみたいね。』


「ただいま、シフォン姉さん。問題無いよ。」


 扉を潜り馬からおりて引きながら歩いていると、籠にいくつかの食材を持った女性が声をかけてきた。彼女は服飾を担当している一家の娘。便宜上姉さんと呼んではいるが実の姉では無い。だが、この閉鎖的な村では年の近しい者ならある種兄弟の様な距離感になっていく。と言うか幼い頃から見知った相手しか居ないから仕方がないと言うべきか。


「そう言えばマールおば様が探してたわよ。早くお家に帰った方が良いわ。」


「母さんが⁇分かった。早く戻るよ。」


 短い会話のみで用件を伝えたシフォンは、そのまま手を振り少年と別れた後自身の家へと向かい歩き始める。少年も手を振り返した後に馬を引き、少し離れた所にある我が家へと足を早めた。

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