第2話 客引き

今日は、仕事が早く終わった。

 まだ、七時前だ。


 食事は毎日外食、あるいはコンビニの弁当だ。

 一時いっとき頑張って自炊もしてみたが、独りで作って家で食べる食事は味気ない。


 食べていても美味しいと感じない。

 外食でも同じだが、最近は特に食欲が湧かない。


 食べたいと思って食べるのではなく、『食べないといけないから仕方なく食べている』という感じだ。


 いつも、通っているラーメン屋に行った。

 定食を頼み、タバコをふかしながら待ち、食事を終えて、さっさと出て行った。


 店に入っても、他の客が、友人や同僚と酒を飲みながら談笑だんしょうしている姿を見るのも嫌になっていた。


 もちろん、会社の同僚と飲みに行くこともあるが、うちの職場はそれほど親しい関係ではなく、

 何か行事でもない限り、皆で出かけることはないし、個人的な付き合いは、それぞれが『遠慮』している。


 まぁ、一口で言えばビジネスライクな職場だ。


 だから、独りで飯を食うことがほとんどになる。

 ただでさえ孤独感を感じているのに、周りが楽しそうな雰囲気だと、余計に嫌になる。


 それほど、今の僕は「ひねくれている」のだ。


 食事を終えて、いつものように家への道を歩いた。

 職場から家へは徒歩で二十分。


 ちょっとした「散歩」だが、その帰り道に寄り道をすることはほとんどない。

 途中ちょっとした盛り場はあるのだが、特に酒が好きなわけでもない僕にとってはまったく魅力を感じない。


 もちろん、そういう盛り場だから、キャバクラとか風俗店とかの客引きもあり、

 店先に女の子が立っていて、かわいいコならちょっと行ってみたくなる気にならないわけではない。


 でも、すぐに終わった後のことを考えてしまう。

 結局は楽しいのはその時間だけのことで、金で買った時間が終われば、元の空しさが再び返ってくる。


 むしろ楽しい時間があると余計に空しさを増幅させる。

 そのことがわかっているので、あえて、そういう店にも立ち寄らない。


 では、性処理はどうするかというと、もっぱら自慰行為だ。

 普通は、ビデオやパソコン上でエッチなサイトとかを見つけて「おかず」にするものだが、


 妻の言っていたことがトラウマとなって、そういう映像を見ても興奮しなくなってしまった。

 だから、主に想像をしてやっている。


 「おかず」にするのは申し訳ないが職場のコであったり、テレビに出ているタレントであったりと様々だが、最近はそれも飽きてきている。

 まだ年は40過ぎたところなのに、ほとんど枯れてしまったのか、食欲同様性欲もすっかり息を潜めてしまった。


 本当に男としても終わってしまうのだろうか。

 そんな恐怖を感じることもある。


 いつものように繁華街を通り抜けていると、あっちこっちから客引きの声が上がる。


「お客さん、若いコいるよ。うちは全員が二十代だから、ハズレはないよ。」

 ソープの客引きだ。


「お兄さん、ちょっと飲んでいかない?あたしみたいなかわいいコが、大勢いるよ。六十分でたったの四千円だよ。どう?」

 キャバクラの客引きで確かに声をかけてくるコはかわいい。


 でも、たいてい声をかけてくるコはそれ専門のアルバイトで、中にいるコは全く違うことも多い。と聞いている。

 それに、酒は好きではないので、この手の店は全く興味がない。


 そんな声をかわしながら歩いていると、目深まぶかに帽子を被った初老の男が、僕のそばにスッと近づいてきて一枚のビラを手渡した。

 そして、一言も発することなく、通り過ぎていった。


 少し不気味な感じだが、どうせ風俗とかの客引きだろうと思い、それほど気には留めなかった。

 もらったビラも読まずに捨てようかと思ったが、道端みちばたにモノを捨てるのは好きではなかったので、

 家で捨てようと思いポケットにしまったまま歩き出した。


 途中コンビニで買い物をして、家に着いた。

 スーツを脱いでTシャツと短パンに着替えると、いつものようにテレビのスイッチを入れて、

 同時にパソコンのスイッチを入れた。


 いつもテレビはつけているが音がないのが寂しいだけで、ほとんど映像は見ていない。

 パソコンでは、株をやっていて、その日の値動きや関連の情報に目を通す。


 この株もただ、年老いていく自分の老後を考えて、少しでも投資とかをしなければと思い始めたためだ。


 そうこうしているうちにいつの間にか時間が経って、たいていは夜中の一時頃になり、そのまま眠ってしまう。

 しかし、今日は帰りが早かったため、いつもよりは、時間がゆっくりと感じられた。


 そろそろ、寝るための身支度みじたくをしようと思い、明日着ていくスーツやシャツを選んでいると、

 先ほど貰ったビラが、スーツのポケットからはみ出していた。


「ずっとはみ出したまま歩いてたのか?コンビニの店員の女のコに見られたな。恥ずかしいな。」


 そんな独り言を言いながら、何気なくそのビラを捨てようとポケットから引き出してみると、

 なにやら細かい字でびっしりと書いてある。


 普通のビラなら、大きく「六十分 三千円!女のコは全員二十代前半のピチピチ」とか書いてあるだけなのだが、

 そのビラは何の見出しもなかった。


 そして、一番下のほうに店の名前らしきものが書いてあった。


有巣倶楽部ありすくらぶ


 かなり怪しげだ。


 アリスといえばロリコンの代名詞。

 もしや、援交の案内とか、その手の非合法な売春の案内か?


 あまりに字が細かいので、そのビラを手にとって改めて座って読んでみた。


 

『当店は限られたお客様だけが入店できる会員制の倶楽部です。

 お店の中ではゆったりとくつろいでお過ごしいただけるように、すべて個室になっており、

 さらに入り口から個室へはそれぞれ違う道を通っていただきますので、お客様同士が顔を合わせることは一切ありません。


 さらに、その中ではご家庭にいるのと同様、どんな食べ物や飲み物のご注文でも受けます。

 そして、個室の中で、あなたのお好きな「アリス」を選んで、お時間の許す限り、その「アリス」と楽しい時間をお過ごしいただけます。


 つまり、こちらからお時間の制限は一切ございません。

 場合によってはお泊りいただき、そこからご出勤されても結構です。

 個室にはきちんとした浴室やトイレ、寝室も完備しています。


 さらに、下着のお着替えやスーツやネクタイ等もお貸しいたしますので、お客様は何もご用意いただく必要はございません。

 お貸ししたお洋服は今度ご来店の際にお返しいただければ結構です。

 もちろんクリーニング等の必要もございません。


 また、お着替えいただいたご自分のお洋服、下着等はお預かりしてこちらはきちんとお洗濯をした上でお渡しします。

 つまり、第二のご家庭と考えていただければ結構です。


 それでは、会員になられるための条件を申し上げます。


 その一、毎日が孤独で、何度か「死にたい」と考えたことがある方。

 その二、毎日職場とおうちを往復されるだけの生活の方。

 その三、五年以内にご家庭を失っている方。

 その四、食欲がなく、食事をただ義務感だけで行っている方。

 その五、性欲も減退気味で、自慰行為のみで処理されている方。

 その六、生きていることに「意義が見出せない」方。


 以上の条件すべてに該当する方のみが会員資格を得られます。


 残念ながら一つでも条件が当てはまらない場合は、当店にお招きすることはいたしかねます。

 たいへん申し訳ございませんが、条件が整った時にもう一度ご連絡いただければ幸いです。


 それでは、皆様のお越しを心よりお待ち申し上げております。


 なお、当店にはあいにくお電話がございませんので、たいへんお手数ですが、

 下記メールアドレスにお客様のお名前とご連絡先(携帯可)をお知らせください。


 最後に大切なことをお伝えし忘れておりました。


 当店ではお費用は一切いただきません。

 つまり、無料でございます。


 私どもはただあなた様の人生に少しだけでもうるおいを与えて差し上げることができれば、

 それが一番の報酬になります。


 あなたの幸せが私どもの報酬です。


 あなたの心に空いた隙間すきまを埋めさせてください。

 ご連絡を心よりお待ちしております。』


 

 なんだこれは?

 ばかにしてるのか?


 無料ただ

 そんな店がどこにある。


 しかも、この会員条件はなんだ?


 五年以内に離婚?

 性欲も減退気味?

 生きていることに意義を見出せない?


 すべて俺のことじゃないか!


 その時、ビラを渡された老人のことを思い出した。


 まさか、俺への嫌がらせか?

 もしかしたら、元妻がまた探偵を雇って、自分が離婚したことの腹いせに俺への嫌がらせとして、

 あの老人を使って仕掛けをしてきたのか?


 畜生!馬鹿にしやがって。

 いい加減にしてくれ!


 怒りが沸々(ふつふつ)とこみ上げてきて、そのビラをクシャクシャに丸めてゴミ箱に放り投げた。


 こんな方法で嫌がらせをされるなんて。

 自分が離婚したいって言って勝手に離婚して、再婚して、その男に逃げられたのも俺のせいか?


 その日は、あまりの怒りに身体が興奮してしまい一睡も出来なかった。

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