第12話 医師が出会った本

「白石さん、魂が肉体に宿るという言葉はご存知ですか?」

「はい、耳にしたことはあります。にわかには信じられませんけど」

 医師は、それは仕方がないといわんばかりに、小さく何度も頷いた。


「私はね、魂というのは肉体より大きいと思っているんです」頭上から、両手で大きい半円を描いた。

「だから、心臓に宿っているわけでも、脳に宿っているわけでもないとね」


 いったい何が言いたいのだろう。俺は眼鏡の奥で少し細まった医師の目を見つめ、はい、とだけ応えた。


「脳死からもう三日が過ぎました。奥様は今、行き場をなくしているのではないでしょうか。あの世に戻ることも、この世で生きることもできない状態にあると思えて、しかたがないのです」


 だから早く殺せと言っているのか。俺は眉間を険しくして医師を見た。


「私は金儲けのために医者になったわけではありません。実家は貧しかったですけど、人の命を救いたいと思ってこの道を選んだのです。

 医者になってからも、人の痛みの分かる人間であろうとしました。救えた命もありましたが、力の及ばなかったこともありました。人はなぜ死ぬのだろうと、懊悩おうのうする日々を送りました。その問いはやがて、人はなぜ生まれ、なぜ生きてゆくのかというところにまで及びました」


 目の前に座る白衣のこの人は、医師としてではなく、人として、今何かを伝えようとしている。俺は険しい眉間を解いてゆっくりと頷いた。


「そんなときでした」医師は椅子を回し、デスクの抽斗ひきだしを開けた。

「この本に出合ったのです。どうぞ」

 医師の差し出した本を、俺は手に取った。


「生きがいの創造、ですか」

「ご存知ですか」

「いえ」

「私が追い求めて得た答えの多くを、この本は肯定してくれました。やっと、私を理解してくれる本に出合ったのです。お貸ししますから、読んでみてください」

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