第2話 神宮プール

「ここはさ、冬はスケートリンクになるんだよ。その時期に来たことはないけどね」

「へえ、そうなんだ」


 ひと泳ぎした後プールサイドに敷いたバスタオルに座って、青く揺らめく水面と、それよりもっと青い君の水着を見た。


「フジヤマの飛び魚って、知ってる?」

「何それ」

「古橋広之進って水泳の選手。その人がさ、世界新記録を連発した場所なんだ」

「へえ、あっくんここで見たの」

「ありえない。戦後まもなくの話だから」


「だったら、あたしがそんな時代の人知るわけないじゃない」君は俺の手を叩いて笑った。

 改めて神宮プールを見渡した君は、「だから観覧席があるのね」と頷いた。君の横顔はとても美しく輝いていた。


「昭和22年の日本選手権のことだよ。古橋は世界新記録を打ち出したんだ。その翌年だったかな、参加を許されなかったロンドンオリンピックの同日、同時刻に開催された日本選手権で、オリンピックの優勝者よりもはるかに上回る世界新で2種目を制覇したんだ。古橋は、手にしたはずの二つの金メダルを取れなかったんだ」



─古橋広之進回顧談─


 1949(昭和24)年6月15日をもって(財)日本水泳連盟は国際水泳連盟(FINA)に復帰を果たしました。


 まもなく、邦人の多いハワイから日本の水泳に招待が来たのです。それで日本は、「どうせならアメリカ本土(ロサンゼルス)にも行って、全米選手権に出られれば」と考えて先方へ電話すると、あちらは「ウエルカムだ」と。

 それで初の海外遠征が決まり、代表選考を兼ねた日本選手権の結果、日大勢(浜口喜博、橋爪四郎、丸山茂幸、私)と、早大勢(村山修一、田中純夫)の6選手が選ばれました。大会には天皇・皇后両陛下もお見えになり、私たちを激励してくださいました。

 地元紙は「日本の時計は周りが遅い」「プールが短い」など、私たちの記録にもケチをつけ、私たちを蔑称の「ジャップ」で呼びました。



「だからここは、水泳のメッカなのさ。球児たちの甲子園と同じようにね」

「そっかあ」観覧席を見つめる君の横顔は、やっぱりまぶしいぐらいに美しかった。

 俺たちの夏は、ふたりの人生は、この明治神宮水泳場から始まった。


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