永遠のタンデム

卯都木涼介

第1話 CB750FOUR

 憶えてるかい美紀子。ほら、二人で神宮のプールに行った日だよ。あれが初めてのデートだったな。あのプール、もうなくなっちゃったんだよね。あの夏はひどく暑かった。

 俺は日差しの眩しい窓外に視線を向けた。


「これ、あっちゃんのバイク?」

「そだよぉ」

「おっきい!」

「だから言ったじゃん、ホンダのCBナナハンだって」


 駅前に止めたホンダのCB750FOURは俺の自慢だった。親戚のバイク屋から中古で買ったものだったけれど、今現在中古で買おうとしたら人気の高さでン百万はするだろう。


 高校生だった俺が買うには高嶺の花だったモンスターバイク。死に物狂いでバイトも頑張って、バイク狂いが高じてバイク屋になったという親戚のおじさんにも値段を頑張ってもらって、ようやく手に入れたものだった。

「あつしの頼みならしょうがないな」と笑ったおじさんはハーレー乗りだった。


「CBナナハンっておっきいんだ」

「ていうか、CBは型番だから関係なくて、ナナハンが排気量750㏄って意味だから大きいんだよ。さ、出かけようぜ」


 ビーチサンダルに短パンにボーダーのTシャツ。そしてなぜだかおっきい麦わら帽子の君は、俺のバイクを驚きの表情で見つめたまま、黒目がちの目をしばたたいていた。


「帽子はバッグにしまいなよ」俺はその日のために買ったヘルメットを渡した。君は無理やり麦わら帽子をバッグに押し込んだ。俺の指定した通り、袈裟に掛けられるバッグだった。


「あっちゃん、短パンじゃないんだね」君は俺の足元を見た。

「エンジンが熱くなるから、短パンなんて穿いてたら火傷しちゃうよ」

「そうなんだ」君はちょっと痛そうな顔をした。


 こんな平日の朝っぱらからプールに人がいるの? 君はそう尋ねた。

 腕時計を見るまでもなく今は8時半ちょっと過ぎ。プールは9時にオープンする。


 夏休みだからいるんじゃないの。それにさ、水商売のきれいなお姉さんたちがいたりするよ。俺がそう答えると君は少し複雑な顔をした。口が滑っちまった。慌てて俺は言い足した。


 バスタオル敷いてさ、ちょっと泳いで音楽を聴いてさ、ウエストポーチからウォークマンを取り出した。それから読書するんだ。ほらほら、今日だって持ってるんだ。文庫本も引っ張り出した。


 でもさ、日差しの下で読んでると目がくらくらしてくるんだよ。美紀ちゃんはしない?

 ふーん、そうなんだ、俺だけかなあ……。


 俺はなんだか饒舌になったっけ。


「しっかりつかまって」俺の声に君は腰に手を回し背中にしがみついた。

 俺はクラッチを握ったままアクセルを回して空ぶかしをした。4本のマフラーから、ヴォン、ヴォンと腹に響く排気音が辺りに轟いた。

「すごーい! 怖ーい!」


 騒音規制なんてものがかかる前の国内販売初代のナナハンK1だったから、空冷4気筒・4本マフラーのエンジンはとてつもなく豪快な音がした。ちなみにK0と呼ばれる初代は輸出が主だった。そのK1はK0のマイナーチェンジだった。


「行くぜ美紀ちゃん!」

「はい」

 アクセルをゆっくりと回しながらクラッチを徐々に離すと、CB750は快調に滑り出した。そのパワーに腕だけが持っていかれる。


 Tシャツ一枚の背中に当たる君の胸は、想像していたより柔らかくはなかった。さては、もう水着を着こんでいるな。


「もっとぎゅっとしがみついて!」

「はい! あっちゃん、ゆっくり走ってね!」

「アイアイサー!」


 誰に話しかけられることもない。誰に邪魔されることもない二人だけの時間が始まった。けれど、見ていたものは永遠という名の幻想だった。

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