第二章「東京に落ちて来た者」

第7話「壁の中には何があるのか」

 月野さんからの連絡は、珍しくメールだけだった。内容は近日決行される壁内での戦いについてだ。

 まず日時。クリスマスである25日が含まれる週の金曜日夜から。そこから何日かかるかの見通しは立ってないけど、日曜日には強制的に離脱する所までは決められている。

 次に参加者。これは誰にとっても既知ではあるけど、あの量産型ハルの仕様に関して簡単な説明がされている。どのような名前でどれくらい大きいのか、そんな感じだ。

 そして最後に警告文。

「この戦いで確実に生きて帰れる保証はない。最悪の事態になる前に、何よりもエスケープの使用を優先すること。可能であればわたしが退避させる……か」

 家族のある私やサチにとっては些事で済まされない事項だ。万が一死んでしまった場合に、月野さんから説明ができるかはわからない。

 そして今日はその決行週に入る一日前。

 本当の最後に踏み止まる機会だ。

「……ねぇ」

「ん?」

 父は豚汁を冷まさずに飲んでいた。

「今週末の金曜から、また友達の家に泊まっていいかな」

「ん!?」

「言っとくけど、男じゃないからね……」

「それならよろしい」

 気持ちはわかるけど、過保護が過ぎるだろ。

「何日泊まるんだ」

「二日」

「二泊三日?」

「多分、そう」

「友達はいいのか?」

「いいって。だからこれは、許可というか、予告」

「なるほど……」

 否定してもいいけど、あまり否定してほしくはない。逆に止められたら、行かない事にもできると思う。それは月野さん達が許すか許さないかではなく、私が死ぬのが怖くなったらだけど。

「ま、いいんじゃないか。やりたい事なんだろう」

「……。珍しいね」

「パパな」

 お椀も箸も置いて、私を見つめた。

「今だから言うけど、ママが死んでから、カオリがどこかに行ってしまう気がしてたんだ。今も。だけどそれはカオリを縛り付けてしまう事でもある。だから友達と遊ぶくらい口を挟まない」

「…………」

「怪我をしたら怒るけど、な!」

 普段は情けないと思ってたけど、珍しくかっこよくなっていた。目も口調も母から話だけに聞いた、漢らしかった頃の父の姿に同じだった。

 あくまで想像でしかないけど、時折見せるこういう所を、母は好きになっだんだろう。

「怪我をしたら?」

「怒る。それだけ。連れ戻したりはしない。怪我に納得してるならそれはそれでいい」

 納得、してるなら。

「そんな怪我なんてあるの?」

「あるとも。してみなきゃわからないけど……な」

 コーヒーを一杯飲んでそう言った。

 この間までの弱い部分が嘘みたいに鋭い眼差しだった。

「カオリは強くなったな」

「そんなことは……」 

 ほんとうにそんなことはない。

 私はまだまだ弱い。強くならなきゃいけない。

「ママを見てるみたいだ。何か決めたら絶対に曲げようとしない」

「そう、かな」

「宇宙に行かれると淋しいけど、その気持ちで引き留めたりはしない。それがパパだ」

「そっか…………」

 私が結婚でもしたらボロ泣きしそうだこの人。

 でも安心した。

 生きて帰ろう、それだけだ。




 夜が明けて、家を出るとサチがいた。

 そしてサチを我が子と言わんばかりに月野さんもいた。

「…………」

「待て、君の言いたい事はわかる。だが大事な話だから今の内に伝えておきたくてな」

「そうなの?」サチを見る。

「そうなんですよ」

「で、話なんだが」

 両手を大きく広げて、子供みたいに笑って言う。

「量産型晴の名前がハッツに決まった!」

 ああ、それねと。喜ぶって言われたけど、この顔を見ると嘘ではないとわかる。

「性能は突入前に一回テストすれば充分だろう」

「ん、まあ、そうでしょうね」

「突入前日に壁周辺のシンカーを一通り始末する。その時だな。完了し少し休憩したら作戦決行だが、いいか?」

「忙しそうですね」

「時間も残されていないだろうからな」

 それには同意する。

 どこからどのように奴らが壁から出て来てるのかわからないけど、あの壁がなければどれだけのシンカーが町に侵攻していたか。守ってくれているのは事実だけど、頼りきりのままだといつかは決壊する。

 壁が崩壊を迎える前に、勝たなければならない。

「一度に敗北したあの日から、わたしはリベンジの機会を窺っていた。やるしかない……!」

「因縁の対決! ってやつなんですね!」

 サチがしたり顔でグッと拳を握った。

 誇張なしで因縁の対決なんだよな。を倒す事は私にとっても月野さんにとっても復讐なのだから。

 負けるなどあり得ない、この戦いで母とも決別するんだ。

「可能であればわたしが強制離脱させる。それはメールで予め伝えたが……よろしいかね?」

「はい」

「はい!」

 駅に入るが、月野さんは私達と反対の線に向かった。

「そっちは学校じゃないですよ」

「いや、いいんだ」

 手を振りながら、階段へと消える。

「最近雰囲気のいいカフェを見付けてな」

「それって……」うちなんだろうな。

 最初の頃は出不精だかと聞いていたけど、そんな事はなくなったんだないつの間にか。月野さんは変わって、私も変われるだろうか。

 二人で反対側に降りて、電車を待つ。

 サチはマフラーにコートと重装備でタイツまで履き、聞くところによると全身にカイロまで完備しているらしい。

「すっかり寒くなりましたね」

「急にね。そんなに経ってないと思ったんだけど」

 ポイントカードを探すみたいにAカードをパラパラ見ている。もうそこまで堂々とされると突っ込む気にならないぞ。

「どうしますか、クリスマス」

「どうにかするために、帰らなきゃね」

「いい結果が出るのを祈ります!」

「他人事」

「他人事ですからね。あ、でも」

 カードをシュンと消した。

「バイトは一緒がいいですよね」

「……。……そうだね」

 折角なんて言わないけど、勇気を出してうちに来てくれたんだ。入れ替わりはしたくないし、卒業しても最後まで一緒に働きたい。

 列車が到着し、乗って、降りて、駅を出て学校に着くまで、何も話さなかった。

 決して嫌ってる訳ではないし嫌われてもいないと思う。まだ距離の取り方がわからないし、それはあっちも同じなんだろう。

 下駄箱で靴を履き替える間も黙ったままで。

 多分、おそらく、私が気を利かせて話を振るべきだとは思う。サチの家庭事情としてもそれが正しい気がする。

 ――この気持ちは。

「カオリ先輩」

「ん……」

「福井さんって、今もゲームセンターにいるんですか?」

「え、あー……いるんじゃないかな。ロイヤルニートみたいな奴だし」

 あの時、戦って、気になってたりするのだろうか。

 社会奉仕や学業に縛られない分は暇だろうし、戦いたいならまた行ってみればいい。

「それじゃあ……」

「はい、また、放課後にでも」

 別れてそれぞれの教室へ。

 授業の間は当然で、合間の休憩時間や昼食はサチと顔を合わせない。

 そのまま時間が過ぎてあっという間に放課後だ。しかしあちらから足を運ぶ様子はなく、即ちどうやら私から行くべきとでも云う状況である。おそらくサチは私のクラスを知らないし、私も反対に知らない。

 申し訳ない事をしてるなぁ。連絡先の交換もしてないので、呼び出しも呼び出されもできない。

 どこを捜せばいいやら。

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