第1話③「月からの侵略者X 後」

「何かあった?」

「へっ」

 昼食のお弁当を仕舞っていたら、ギターの女の子――新田さんが頬杖を突いていた。

 新田さんは顔が良い《いい》。かわいいというよりは、かっこいい系。

「何かあったって……そんな顔してる?」

「してる」

「ううん、そうか……」

 してるのか……。

 確かに五日前の事を気にしてるといえば気にしてる。あれから福井や月野さんから個人的な連絡は来てないとはいえ、シンカーが現れてないか気が気でない。信用はしていいんだろうけど。

「何か悩み事?」

「うーん」悩んではいるな。

「進路?」

「切実だなあ」

 事と次第によっては影響するんだろうな。

「……」

 知り合いとはいえ深い関わりがない。

 釘は刺されてないけど、奴らの事も彼らの事も話せはしないだろう。詳細に話せるのならば話したい。

「ところで今日の放課後にまた聞いてくれない?」

「ん、いいよ」

 聞いてっていうのは、彼女の演奏の事だ。

 彼女の所属しているバンドは本校の部活でも指折りで厳しく、例え無関係の人でもソロ練習に付き合ってもらわなきゃいけない。それだけ意識が高いおかげか、学内人気はトップクラスらしい。


 私は音楽とかよくわからなくて、ゴールデンタイムの番組とかを見ても、技術がとかは全く理解できない。コードとか覚えられる気がしない。

 でもこの子の演奏は好きだ。

 音が走りすぎてないと言えばいいのか。飛び出したり萎んだりしないし。アンプを通せば体が震えて気持ちが良い。楽譜通りだ。

 道を外さず、素直で律儀で、迷いがない。

「私は……」

「……どうかした?」

 ハッ、と楽譜ノートを落としてしまった。

 新田さんが……音楽プレーヤーを停止させている。

「いや……ごめん。演奏中に……」

「……昨日と比べてどうだった? 頑張ったかな」

 昨日は……どんな音だったっけ。

 楽譜通りなのは間違いない。

 遅れてた?

 早まってた?

 どこを見てた?

「……………………」

「コーヒー、奢る?」

「……ありがとう」

「いいよ」

「ごめん」

「……いいよ」

 ありがとう。

「よかったら話を聞くよ」

「なんかミュージシャンっぽいねそれ」

「何それー」

 椅子に座って足組んで、ギターを抱えながらだから余計に。

「もし、だけどさ」

「うん」

 言うべきか、言わないべきか。

 詳しく話さなければ大丈夫のはず。

 苦しいのは私で、口を噤みたくない。

「もし…………自分が、誰かの命っていうのかな」

「……」

「そういう大事なとこを左右する場面に出くわすとして……」

 何て言えばいいだろう。

「うん」

「その人は受け入れてくれるかわからないけど、もし、もし自分一人の力で……判断で、その人の人生が良くなったり、死んじゃったり、滅茶苦茶になったりしたら……どうしようって」

「すごい、いつの間にか壮大な悩みだね……」

「我ながら」

 本当に。

 これだけはいつまでも今でも、答えを出せないでいる。

 自分の欲望に従ったからムーンドライバーとかいうのを受け取って、戦いたいというところまでは決められた。

 なのに戦うのはいいとしても、じゃあその結果人を死なせてしまったら。それを繰り返しては、繰り返しては手すりを掴める気がしなくなる。

 私は彼のようには戦えない。

「うーん、難しいね」

 ギターをケースに収めながら唸ってくれた。

「ままならない悩みだなぁ。あたしみたいな人には無縁な話だね」

「そうだよね」

「手嶌さんもじゃない?」

「そ、そうかもしれない」

「でも道端で人が倒れてたら救急車を呼ぶし、AEDとか使うかもしんないよね」

 その言い表し方があったか。

「あたしがギターを……というか、最初は歌を歌いたいだったんだけど。ギターを始める切欠でさ。すっごい反対されたんだ。お母さんはピアノ教室の先生で、お父さんはバリバリの会社員。厳しくてさ」

「なんか、想像できない」

「まあね」

 今日だけじゃなく平日は毎日のように練習している。

 この状況を許してる父と母は、今は相当に優しくなったんだろう。

「お母さんはピアノをやらせたがったし、お父さんは安定した職に就かせたかったんだな……って今なら」

「今はどうなの?」

「今は…………帰りが遅いって怒られる」

 たはと笑った。でも苦味のない顔だ。

「でも今日まで無事故、無事件、無トラブルだし、今は手嶌さんが一緒だし」

「……」

「ギターを弾きながら歌うのは大変だけど、文化祭のライブとかで聞きに来てくれた人達みんなを見てると嬉しくなるよ。自分で選んだ事がみんなの為になってるって思うし」

「そうなの?」

「そうそう。否定する訳じゃないけど、ピアニストとかサラリーマンを選択してたら、あたしはあたしじゃなくなってたかもしれない。死んでるみたいに生きてたかもしれないっ……と」

 アンプを両手に持ち廊下に運び出す。

 それから置いて私に振り返った。

 それすごい重いんだよな。

「まぁ高校大学出てバンドマンになるかとは別だけどね」

「ならないんだ?」

「どうだろうね」

 笑ってくれた。

「それで、何、手嶌さんは医者にでもなるの?」

「あ、どうだろう……」

 そういう解釈もあるのか。命を助ける点では同じなんだろうけど、私の場合はそうじゃない。

「なれるのかな」

「なれるよ。何度迷ったっていいんだよ」

 その言葉に救われる気がした。私も戦いながら答えを見つけるしかない。

 既に答えを掴んでる福井達を追いかけてみよう。

 あとはアンプを音楽準備室に返せば帰宅するだけ。演奏するのも機材の貸し借りも彼女の役目だ。

 いや今日は私が持ち運んでもいいんじゃないか。

「うんしょ」

 ああ新田さんがアンプを持ち上げている。

 やっぱり私が運ばなきゃいけない。自分の意志でやりたい事をやってるんだ、支えてあげなきゃ……。

『♪』

「! ……」

 スマホに電話の着信だ。確認すると見覚えのない番号だけど、非通知じゃないから身内の誰かだ。

 誰だっけ?

『やぁ』

「……」月野さんじゃん。

 電話番号を教えた覚えはないんだけど。

「どうかした?」

 姿は見えないけど新田さんが声をかけてくれた。

 手だけ廊下に出して、ごめん電話がちょっとだけとジェスチャーを送っておいた。

「なんで私の番号を……」

『すまない。だが我々と協力関係にある以上は必要な事だ』

「私の個人情報とプライベートが筒抜けなんだけど!?」

『安心したまえ』

 できるか!!!!!!!!!!!

「……それで、何の用ですか」

 こんな時間にしかも呼び出すのではなく個人に電話を。

 直接の連絡を寄越すという事はそれなりに重要な話なんだろう。

『悪い知らせと悪い知らせがある』

 どっちも駄目じゃねぇか。

『今週はリュウ君が休みでね。だからシンカーの処理は主に君が担当する事を伝えていなかった』

「早く言って下さいよ」

『悪いね。そしてもう一つは』

 クイズ番組の答え合わせのような間が空いた。

『現在シンカーの反応を確認している』

「えっ……いやそれ」

 もう私も戦わなきゃいけないじゃん。

 どうすればいい。福井が使うような武器は貰ってないし、そもそものドライバーの使用方法に関する初歩的な説明すら受けてない。

 耳じゃなくて、真正面にスマホを持った。

「なら早くドライバーの使い方を教えて下さい!」

『む。先日とは違うな……いいだろう』

 必要なら戦いたい。

 戦うしかない。

『ちなみに反応は近いようだが……』

「は?」

 近い……敵が?

 どこに。

 もし近くにいるなら、私は良くても他の人が危ない。あのサラリーマンのように襲われてしまう。

 敵の居場所を知りたいはずなのに、既に廊下に飛び出していた。

 灯りが点いているので辺りは明るい。新田さんはもう準備室に行ってしまったようだ。他に生徒の影はないけど、ずっと向こうに誰かがいるのはわかった。ゆっくりこっちに歩いてきている。

 警備員ではなさそうだけど、教職員の人か?

『どうかしたかね』

「人がいます。それにどこかで見た気がする……」

 上下共にスーツを着ている。この季節だ、珍しくもない。でもうちの学校でキッチリした先生は殆どいないはず。

 向こうの歩く速さが段々と上がっている。

 声をかけてくる気配はない。

 異常だ。ここに勤めてる人なら声くらいかけるはず。

 嫌な予感。

 アイツは……。

「敵だ!」

『ドライバーを出すんだ!』

「出す?!」

 どうやって!

 いやていうかあんたが教えるんじゃないのかよ。

 出す。……この間と関係あるのか?

 腰に当てたあの月をもう一回手に取れれば、何かがわかるかもしれない?

『腹に手を、上からかざすんだ!』

 言われるよりも先に手をかざした。

 すると体が光を放ち始めた。

「な、何これ……」

 最初は光るだけだった。それが少しずつ形を成してきている。細い帯が腰を締め付けて、次は前面に鉄の塊が出来上がった。

 中央から右へ岩肌のように凹凸のある小さな装甲が。

 左へはケーブルが三本伸びて、脇腹の出っ張りに接続された。

 連絡通路の扉のガラスを見るとそれはよくわかった。ベルトのような物体が腰にガッチリと巻かれている。

「これが……ドライバー…………」

 ムーンドライバーと月野さんは言っていた。

 岩肌のようと思った右半分は、まるで視覚化された風みたいだ。シャンプーでぐちゃぐちゃにした髪の毛のようにも見える。反対側のケーブルに対して生物的で、生き物と機械マシーンが融合したかのようなデザインだ。

 そして中央は半分だけ削ぎ落とされた円盤だった。そこには明らかに

「それで! どうするの!」

 敵はすぐそこまで迫っている。

 そして間違いない。こいつは地下鉄で会った男と全く同じ顔だ。

『さっきのケーブルをセントラル・M・エンジンに接続だ』

「これか……!」

 左側のケーブルを手探りで掴んだ。

 既に繋げられているんじゃ、と思ったそれは腰の位置から下にぶらんと垂れていた。先端は半月を象ったコネクタになっている。

「挿せばいいんですね!」

 中央のセントラル何とかに接続。

『コネクティング!』

 電子音。あの日聞いたのと同じ声だけど、こっちの方が聞き取りやすい。

 ドライバーが黄金色に発光し、音楽を流し始めた。

 それでも武器すら出てきてくれない。

「そして!」

『右のアクティベーションスイッチを叩け!』

「叩く!」グガンと。

 その瞬間足元からオーラが放出された。服が激しくはためくほど強力で、接近していた敵は怯んで立ち止まり、両手で顔を隠した。

 あまりにも眩しいから、私でさえも私の身に何が起きているのかわからない。全身をキリキリと圧迫されて、両腕と両足だけ体重が増える感覚に襲われた。しかも冷たい。

『ムーンライズ!』

 温かくなって、一瞬で冷めた。オーラはもう消えていて、周りを真っ白な空気が包んでいた。

 窓を見ても上半身に目立った変化はなかった。肩と二の腕がちょっと窮屈だ。

 はっきりとわかったのは、いつの間にか私は分厚いタイツを履いていて、膝より下に装甲アーマーが装着されている事だった。

「何も……」

「ソノ力……同ジニオイヲ感ジル!」

『カオリ君! 彼女を見たまえ。戦闘態勢に入るんだ!』

 彼女?

 彼女ってあいつの事か。どう見ても男なのに、その体を操ってるシンカーは生物学的に雌なのか。

「同族ニ……牙ヲ向ケルカ!」

 男……いやおんなは炎を纏い服を焼きながらゆっくりと歩いていた。

 そして強力な爆発を起こした。

 近くの窓ガラスが割れた。他にもあらゆる物が吹き飛ばされて、ドカドカと次々に崩れて倒れる音もする。

 その異変に気付いた人がいたらしく、すぐに非常用のベルが鳴り響いた。

『わかっているとは思うが、騒ぎになった以上すぐに片付けるしかない』

「了解。……わかってる」

 奴の変態で床に散らばった炎が、教室に伝わっていく。

 火の海のど真ん中で、頭が蜘蛛に変化した男が私を見下ろしていた。ケンタウロスみたいに下半身も蜘蛛になっていて、非常に気持ち悪い。

「悪趣味なキメラフィギュアだよ……」

 よく見るとにも足が追加されている。

 こんな化物と戦う為の武器が欲しい。

 そう思うと同時に、手の中で何かが膨らんだ。

 手を上げて見るとオレンジ色のカードが収まっていた。

『早くも馴染んだな。Aカードは君の意思に応じて出現してくれる』

 そういう事か。

 角度を変えると、偏光するからか綺麗だ。

 腕には……うわ硬い。さっきので腕にも装甲を装着したのか。

「アトマイザーは?」

『君の場合はドライバーだ。左のAスロットにセットして、スイッチで発動する』

 確かに左の出っ張り――Aスロットがあって、上にカード一枚分の隙間が空いている。

 スロットにカードをセット。

『ナックルユニット、アクティベート』

 スロットが赤く発光し、カードが溶けるように消えた。

「ナックル?」

『データを解析しケーブルを――コマレールを通して、中央のコア・ムーンに情報が送られた。これで君は剛腕の戦士になる』

 セントラル・M・エンジンなのかコア・ムーンなのか、定まらない名前のソレから光が放たれ、両腕に直撃したかと思うと

「ヤルカァァァァァ!!」

 敵が鋭利な前足を振り上げて突撃してきた。

 だけどその動きはもう見ている。

 咄嗟に足を開いて重心を落として、上体を捻り右のナックルに力を込める。

 ヤツとの距離がわかる。バチバチ燃える音が近くなっている。

「こういうのは習うより慣れろだ……!」

 一気に拳を振り抜く!

 私の意思に呼応したナックルユニットが、ジェット噴射のように加速。

 前足を二本とも瞬時に砕き、その勢いを維持して、

「もう一発!」

 伸縮するバネのように、もう片方のパンチを顔面にぶちこんだ。

「ウグオォォッ!」

「やっ……」

 やった……!

 怯えて座り込んだりしないで戦えた。

『素晴らしいッ!!』

 賞賛。そうだ私は戦える。

 敵は吹っ飛び壁を破壊して、体が外へ宙ぶらりんになっている。今ならまだ倒せる予感がする。

「……」

『どうかしたのか』

 ところで新田さんは大丈夫だろうか。アンプを抱えたままじゃ、速く走れないはず。

 準備室は一階だから巻き込まれないと思うけど、ここまで大事になったんだ、来てしまうかもしれない。

「ごめんなさい。それよりまだ生きてるんですか」

『……。そのようだな。先日よりも頑丈になっている。パンチ一発でやられるようなではないだろう』

「……」

 ピクリとも動いていないけど、月野さんが言うならまだ油断はできない。死んだふりだったら、近付いて追撃するのは危険だ。

 距離を空けたまま攻撃する方法があれば。

「! カード……そうか」

 左手にまた一枚。意識すれば来てくれるというのは嘘じゃないみたいだ。

 このカードで――。

「手嶌さん!」

「えっ」

 すぐそこに来ていた。

 私が戻らず火災も起きたから、危険を顧みずに新田さんが戻ってきてしまったんだ。

 後ろで私を呼んでいる。

「手嶌さん! 危ないから戻ろう!」

「えっ……?」

 戦闘中は一般人に私の姿は見えないはず。

 なのに何故。

「もどっ」

「動クナッ!」

「!」

 おかしかった。

 動かないのではなく、最初から動けなかったのか?

 あっさり死なないのなら、どうして。

 振り向けない。

 今わかるのは、目の前には事だ。

 そして今、ヤツは……。

「油断ハシタ……。確カニ、嘗メテイタ。ダガ次ハ当テラレルカナ?」

「て、手嶌さん……」

「しまった…………」

 新田さんは私達の可視領域テリトリーに引き摺り込まれている。

 そしてコイツは蜘蛛型だ。見た目だけじゃなく、能力だってそれらしいものを備えてるんだ。糸だって吐き出せるに違いない。おそらく壁や天井に貼り付く事だって可能なんだ。そうして死角から後ろに回り込めたんだろう。

 火とアイツの残骸ばかりに目が行っていた。スプリンクラーが作動しているから、視界も悪くなっていた。

「オ前ヲ確実ニ仕留メル為ダ。人質ヲ捕ルクライ戸惑ウモノカ!」

 コイツは私の見えない所で、友達を人質にしている。

「くそ……」

 ナックルユニットは既に解除してしまっている。このカードさえ使えれば打開できるかもしれないけど、少しでもその素振りを見せたら、もしかしたら新田さんは死んでしまう。

 どうする。どうすればいい。

 動かなければ私は間違いなく殺される。

 動けば新田さんが真っ先に死ぬ。

「ソノカードヲ、捨テロ?」

「……………………」

「ソウスレバ、コイツガ死ニ苦シム声ヲ聞カズニ済ム!」

 次の判断で誰かが死ぬ。

 今この手にあるカードは何だ。

「捨テロ!!」

「……………………。……!」

 視界に人が映った。

 いや正しくはだ。

 砂に息を吹きかけるみたいに、火の海のあちこちに連続して穴が空いた。

 それは段々とこちらに近付いている。

 今日は無風だ、風が吹いてるんじゃない。

 また空いた。

 穴が私の隣を通り過ぎた。

「……いや」

「何ッ」

「カードは捨てない」

『ローディング』

 能力の確認をしてる余裕はない。

 素早く振り返って、次の一手に備え、新田さんの無事を確かめるのが最優先だ。

「馬鹿メ! 死ンダナァー!」

 爪が彼女の喉に当てられた。おそらくコンクリートでも切り裂けるのだろう。

 でも人を殺す事は決してできない。


「死ぬのは貴様だ」


 足は瞬時に全て切り落とされ、

『ランスユニット、アクティベート』

 構える私の手から伸びた槍が、ヤツの胴体を貫いたからだ。

「ウグッ……ォォォ……」

 ほぼ賭けだったけど、何とかなった。新田さんは解放されて、敵もよろけた。

 彼女の体は、その時点で槍の射線から外れていた。

 反撃を繰り出す事のできないコイツは恰好の的だ。何なら目を瞑ってても攻撃を当てられる。

 そんな気持ちでいられるのも、

「全く……蜘蛛ならもっと上品に食事をするものだ。罠にかけるなら巣を張れ。それができないなら、お前は蜘蛛失格だ」

 月野さんが助けてくれたから。

「貴様…………」

「おっと喋らない方がいい。模倣する生物を間違えたな」

 鎌を構えながら飄々と挑発している。

 そして緑色のカードをこちらに投げて、ヤツを蹴り飛ばした。新田さんを抱き起こして、エスケープを使いすぐに逃げてくれた。

 渡されたカードには同じくエスケープの文字。

 このまま一旦逃げろという事か?

 今も学校は燃えている。消防車が到着するまでに絶対に始末しなければならない。

 これ以上被害者を増やす訳にはいかない。

「その選択は、ない」

「グッ」

 左手に最後トドメの一枚が現れた。

 これを使えば、終わる。

『ローディング』

「マ、待テッ! ココデ殺シテモ、情報データガ完全ニ抹消デリートサレナイ限リッ……私ハ何度デモ蘇ル……ッ!」

「……知ってるよ」

 槍を引き抜いて、自由にしてやった。

 しかし何だ今の命乞いは。死なないのなら必要なかっただろうに。

 生き返るのは一回だけか?

「何度も人を襲うのなら、その度に倒してあげるよ」

 もう今は誰かが傷付く事なんて考えていられない。

 あの子に手を出したのは絶対に許さない。

『フィニッシュアーツ! ヒッサツスタンバイ!』

 スイッチを叩いた。

 この音声は前にも一回電車で聞いた。足に少しずつ力が溜まっていくのがわかる。

「クッ……コノ!」

 立ち向かってくる。ならこの必殺技で迎え撃つのみ。

 だけど力は溜まりきっていない。なのに奴はもう足先の届く位置まで来ている。

 このまま横蹴りを入れてやるしかない。

「ウグゥオォッ……」

「暴れるなっ!」

 にクリーンヒットした。

 奴の背後に月が見えた。

 いや月なんてある訳ないけど、力が高まるにつれて、敵に流れ込むが可視化されたみたいだった。

 新月から三日月に。三日月から半月。

 そして満月。

 溜まりきった。

 ぶち抜かんばかりの勢いで力を込めた。


『デストロイ!』


 ヤツは叫び声を上げる事もなく爆発した。

『エクセレント!』

 薪はくべられず、火はスプリンクラーの水で勢いは弱まってきていた。撃破した事で散らばった炭はしけって燃える気配がない。

 サイレンの音はかなり近い。幸い他には誰も近付いていないから、これ以上人的な被害は増えないと思いたい。

「………」

 誰か怪我してしまったのだろうか。考えたくないけれど……。

『カオリ君。聞こえているかね』

 とりあえず、ここから離れなきゃ。

『奴のデータを二度に渡って回収できなかったのは残念だ。しかし君がどれだけ重要な戦力になるかがわかっただけでも大きい』

 エスケープで学校を出よう。

『ひとまず離脱だ。今回は座標を我が拠点に指定してある。来たまえ』

 髪がベタベタして気持ち悪いけど、後の事はそれからだ。




 瞬きをすると、そこは真っ白な部屋だった。

 どこまで移動するのか全く知らなかったけど、上の空の中で聞こえてた台詞は本当だったらしい。あの薄暗い空間とは違うけどよく見える。

 天井も壁も床も白い。ただベッドはあっても医療器具は見当たらないので、医務室のような役割を持った部屋ではないんだろう。

 宙のあちこちに、あのディスプレイが浮かんでいる。

「ここも、あの……あの部屋と同じなんですか?」

「いや違うな。デバイスやカードの開発室だ」

 月野さんが指をパチンと鳴らすと、切れ目すらなかった壁がめくれて、大量のカードがくるりと出現した。

 それだけじゃない。後ろにはアトマイザーやドライバーがあって、床からは機械のパーツを乗せた作業台がせり上がってきていた。

「今日のところは助かった。君がいなければあの子は死んでいたかもしれない」

「! 新田さんは?」

「心配ない。休憩室でリュウ君とテレビゲームに興じている。無傷だ」

「よかった……」

 ていうか至れり尽くせりだな。プールとかトレーニングルームがあっても驚かないぞ。

 この人は何者なんだ。

 シャツにスラックス、その上から白衣。絵に描いたような科学者っぽい出で立ちだけど、こんな変わった人物が日本にいたのか。

「改めて、お願いしたい」

 月野さんは椅子に座ったまま振り返って、私を見上げた。

 茶化そうともしない、真剣な眼差しだった。

「一緒に戦ってくれるかね?」

 答えは一択だ。

 私が戦わなくても福井が戦ってくれる。福井が戦わないなら月野さんだ。

 しかし私が戦える状況で戦わなかったら。もしまた迷ったら、人が怪我するだけでは済まないかもしれない。

 だから棒を握る覚悟があるのなら……。

「戦います」

 私がみんなを守れるようにならなきゃいけないんだ。

 夢を見失わない為に。


「……では、改めて説明をさせていただこう」





※本作はフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。

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