第9章 9 私が還りたかった本当の場所
「ジェシカ、ジェシカ・・・。」
誰かがすぐ側で私を揺すぶって名前を呼んでいる。
「う・・・ん・・・。」
ゆっくり目を開けると、真上に私を心配そうに覗き込んでいるマシューの顔があった。どうやら私は芝生の上で横たわっていたようだった。
「マシュー・・・?」
呼びかけると彼は黙って頷いた。
ゆっくり芝生から起き上がり、辺りを見渡してみるが、草原が広がるばかりで、私とマシュー以外人の姿は見えない。遠くの方には湖が見え、美しい城がそびえたっている。
「え・・・?ここは・・・?」
立ち上がって、再度じっくりと周囲を見渡す。何だろう・・・?この景色を見ていると何故か胸がざわついてくる。戸惑っている私にマシューが声を掛けてきた。
「ジェシカ・・・。どうやらエルヴィラの魔法が原因で俺達2人は別の場所へ転移してしまったらしいんだ。」
マシューが背後から声を掛けてきた。
「え・・?そうなの?」
「うん、この地に着いた時・・・エルヴィラが頭の中から語り掛けて来たんだ。君は・・・意識を失っていたからその声は聞こえなかったと思うけど・・。」
「そう・・・。でも転移魔法で学院へ戻ればいいだけの話じゃないの?」
「それが・・やろうとしたんだけども・・出来なかったんだ。」
マシューは視線を逸らせると言った。
「出来なかった・・?」
「ああ。君が意識を失っている時、俺は転移魔法を使おうとしたんだけど、不思議な力が働いているのか・・魔力が消されてしまうんだ。」
「消されて・・・しまう?どういう事なの?」
「・・・それが、俺にも分からなくて。それに・・・さっきまで聞こえていたエルヴィラの声も何故か今は完全に聞こえなくなってしまったんだ。」
何となく腑に落ちない。マシューは半分魔族なので『ワールズ・エンド』でも魔界でも魔力を使えたはずなのに・・・?
「マシュー・・・。皆それぞれ別々の場所に飛ばされたって言っていたけど・・何故私と貴方は一緒にいるの?」
すると私の質問に何故か深く傷ついた表情を見せるマシュー。
「ジェシカが・・・俺の事を不審に思う気持ちは・・良く分かるよ。だって俺は・・ソフィーに操られて、彼女の虜にされてしまったんだからね。しかも・・皮肉な事にジェシカと両思いになれたと思ったその直後に・・・。」
マシューは悲し気な瞳で私を見つめながら言う。
「エルヴィラが魔法を唱えた直後に突然大気が歪んだんだ。そして彼女は言った。『この大気が歪んでいる間に自分が還りたいと思っている場所・・・学院へ還る事を強く願えば、この城にいる全員が一瞬で学院へ戻れるって。恐らく・・その場にいた全員はセント・レイズ学院の事を強く願ったと思う。だけど・・・ジェシカ。君は・・・。」
「私・・・は?」
「今の話・・・聞き覚えはある?」
マシューが真剣な瞳で尋ねて来た。
「・・・無いよ。だって・・そんな話、今初めて聞いたもの。」
「そうだよね・・・。だってジェシカ、君は・・あの時気を失っていたから。あの時、俺はたまたまジェシカのすぐ側にいたから、咄嗟に手を伸ばして、君の腕を掴んだんだ。・・・そこから先は俺も気を失ってしまって・・・何も分からない。気が付いたら、ここにいたんだ。」
「そう・・なんだ・・・。」
恐らくマシューの言葉に嘘は無いのだろう。エルヴィラが使用した魔法は確かに戻りたい場所を思い浮かべれば、確実にその場所へ転移出来る魔法だったのだ。
だけど・・・私は・・・?私は何故か分からないが、エルヴィラの術が魔王城全体にかかっている時に・・・気を失っていた。その時、私は何を思っていたのだろう?何処へ行きたいと思っていた?
そして、私自身が不思議な感覚に囚われていた。何故・・・?この景色を前にすると私の心はざわついてくるのだろう?そして・・どうしてずっとこのままこの場所にいたいと願っている自分自身がいるのだろうと―。
気付けば、私はふらふらと湖の方へ何かに引き寄せられるかのように歩いていた。
「ジェシカッ!何処へ行くんだ?!」
そんな私を見て、マシューは焦ったのか、背後から突然抱きしめてきた。
「駄目だ、ジェシカ。向こうへ行かないで。何故か分からないけど・・・この場所は・・・不安を感じてならないんだ・・・・。俺をここに置いて行かないで・・・。」
マシューは私を抱きしめたまま、髪に顔を埋めて声を震わせている。
「マシュー・・・。」
名前を呼び、何か話しかけようとした時・・・私は突然ある記憶を呼び起こした。
それは私が大学を卒業する年・・・3人の友人達と卒業旅行と言う事で、ヨーロッパの古城巡りをする計画を立てた時の記憶。
3人とも、中世のロマンス小説のファンだったので、トントン拍子に話は決まり、2月に友人達とヨーロッパ旅行へと出発したのである。
4人で有名な古城や、それこそ名も無き小さな城・・・私達はその城で様々な物語を空想した・・・。
あの湖の先に見える城は・・・私が一番気に入ったお城・・・!そして私はその城を写真に撮り、イメージを膨らませて・・小説『聖剣士と剣の乙女』を書き上げた—。
「ま・・・まさか・・・。」
私は声を震わせた。
「ジェシカ・・・?どうしたんだい?」
マシューが顔を上げて、私の耳元で語り掛けた。
「あの城へ・・・あの城へ私は行かなくちゃっ!」
私はマシューの腕を振り払うと、城へ向かって駆けだした。
「ジェシカッ!待って!何処へ行くんだっ?!」
マシューが慌てて追いかけて来る。
ハアハアと息を切らせながら古城を目指して走る。
そして、ついに私はその城の前に辿り着いた。城の入口には『Keep out』と書かれた黄色に黒字のテープがクロスして貼られていた。
「え・・・?これは何だろう・・?初めて目にするな・・・文字・・なのかな?」
首を傾げるマシューに私は言った。
「これは・・キープアウトって書かれているの。『立ち入り禁止』って言う意味・・・。」
「立ち入り禁止?この城が・・?」
マシューは不思議そうに城を見上げ・・・私に向き直った。
「ジェシカ。俺は・・・こんな文字初めて見る。この文字は何て言う文字なのか君には分かるの?何故・・?」
「この文字は、英語で書かれているの。そして、貴方達が住んでいる世界では使われない文字。だから・・・マシュー。貴方がこの文字を読めなくて当然なのよ。それに魔法が使えないのも・・・。」
私は城を見上げながら思った。
ああ・・・やはり、私は心の何処かで元の世界へ戻りたいとずっと願っていたんだ・・。
だけど・・・今居る世界にだって未練がある。その世界には大切な人達が沢山いる。
真っ先に頭に浮かんだのは公爵の姿だった。そしてアラン王子、デヴィット、ルーク、グレイ、ライアン、ケビン、レオ・・。
今迄この世界で出会って来た人達の顔が次々と思いうかんでくる。
それに・・・私は目の前に立っているマシューを見つめた。
マシュー・・あの世界の住人で・・・・かつて私が初めてあの世界で愛した男性・・・。
「ジェシカ・・・?」
マシューが不思議そうに首を傾げて私を見つめている。
ああ、そうだった。以前の私は・・・その優しい声が・・私を見つめるその瞳が・・そしてマシューの魔族の香りが大好きだったのだ・・。だけど・・・私はその思いを捨てた。
だって、マシューが私の事を好きになってくれたのは、魅了の魔力を持っていたから・・彼はその魅了の魔力にあてられてしまっていただけだと言う事に気が付いたから。
だからマシューが私の魅了の魔力を奪った偽ソフィーを愛した瞬間に、もうこの世界にはいたくないという気持ちが芽生えて、エルヴィラの魔法で現実世界へと来てしまったのだと思う。
よりにもよって、今の世界へ戻って来た原因となったマシューと一緒に・・・。
私は瞳を閉じて思った。
何て皮肉な話なのだろう―と。
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