マシュー・クラウド ④

 その日は突然やってきた。昼休み・・・特に親しい友人もいない俺は大抵旧校舎の中庭でシートを広げ、そこで休憩時間が終了するまで昼寝をして過ごす事にしていた。この頃は空気も冷たくなっていたが、半分魔族の俺にとっては寒さには強いので、別にどうという事は無かった。

そしていつものように昼寝をしていると、ふと人の気配を感じた。

「・・・?」

こんなへんぴな場所に俺以外の誰かが来るなんて・・一体誰だろう?

起き上がって、すぐ側のベンチを見て驚いた。

何と、あのジェシカ・リッジウェイがベンチの上で眠っていたのだ。

「う・・嘘だろう・・・?」

まさか、本物の彼女なのだろうか・・・?ゆっくりベンチに近付き、顔をじっくり覗き込んでみる。

間違いない、あのジェシカ・リッジウェイだ。


 一体何故だ?何故彼女がここにいるのだろうか?しかも初めて出会った時と同じように彼女は眠りについている。

「ふふ・・。幸せそうな寝顔だな・・・。」

彼女はまるで猫のように丸まってベンチの上で眠っている。それがまた何とも言えず可愛らしい。

「風邪・・・引くよ・・。」

俺は自分の上着を脱いで眠っている彼女にそっと上着を掛けてあげた。

彼女の寝顔を眺めながら暫く様子を伺っていたが、一向に起きる気配が無かったので起こすのも忍びないと思った俺は彼女を残したままカフェへ向かった。


 カフェで昼食を食べ終えた俺はテイクアウト用にスコーンを2個買って、先程の場所へ向かった。恐らく彼女はもう目が覚めて上着を残したままいなくなっているだろう。でもほんの少しでもジェシカ・リッジウェイの側にいられただけで幸せだった。

 けれど、俺はその場に戻って驚いた。だってまだ彼女がまだベンチに座っていたのだから。しかも俺の上着を持ったままで・・・!


「どうしようかな・・・。」


彼女が小声で呟いている。ああ、きっと俺の上着を借りっぱなしだったから、まだそこに留まっていたのか・・・。上着なんかベンチに置いておけば良かったのに。

そこで俺はさり気なく声をかけた。


「あれ?君、まだここにいたのか?」


すると弾かれたように俺の顔を見るジェシカ・リッジウェイ。・・・信じられない。あの彼女が俺だけを今見ているなんて・・・。


「あ、あの、上着をお借りしてしまったので・・・。」


申し訳なさそうに言う彼女。可愛いなあ。しかし、俺は努めて平静を装って話しかける。

「こっちも驚いたよ。まさか、あのミス・ジェシカがこんなへんぴな場所で居眠りしているんだからな。そんな俺の上着なんかベンチの上に置いておけば良かったのに。」


しかし、彼女は慌てたように言った。


「いえ、いえ。借りておいてそんな無責任な事は出来ませんよ。」


「そうか、君は律儀なんだな。でも勝手に貸したのは俺なんだから、気にする必要は無かったんだけどな。」

何てことも無いように話しているけれども、内心は誠実な彼女の姿に感動で胸が一杯だった。


 俺がお昼を食べてきたと聞くと、お腹を鳴らす彼女。途端に顔を真っ赤にする。か・可愛い・・・っ!

しかし、女性のお腹が鳴ってしまった事に触れるのは失礼だから、自分から何か話しかけるのはやめよう。

「「・・・・。」」


2人でしばし押し黙る事数秒、突然彼女が立ち上った。


「あ、あの・・・そ、それでは失礼します・・。」


え?そんな、もう行ってしまうの?だから俺は必死になって呼び止めた。

「き、君!もしかしてお昼ご飯食べていなかったの?どうして?」


すると、ごめんなさい、理由は聞かないで下さいと訳の分からない答えが返って来る。

駄目だ!まだ行かないで!

「ミス・ジェシカ!」

驚いた様に振り向く彼女。しまった・・・つい名前を呼んでしまった。それを胡麻化すために、間髪入れずに彼女にテイクアウトしてきたスコーンが2個入っている紙袋を渡す。

すると、途端に目を輝かせるジェシカ。そしてあろう事か、今度お礼をさせて下さいと言って来たので、正直これには驚いた。まさか、たったこれだけの事でお礼なんて・・・。だからお礼なんかいらないよと伝えても彼女は引き下がらない。

そこで俺は言った。


「分かったよ、本当に礼なんかいいのに・・・。俺は大抵昼休みはここにいるから、ミス・ジェシカの都合の良い時で構わないよ。」


 それを聞いて、ようやく彼女は納得したかのうように笑みを浮かべてくれた。

その時、タイミングを見計らったかのように鳴り響く予鈴。先に彼女から去られるのは切なかったので、俺は自分から彼女に言った。

「それじゃ、俺はもう行くから。」


「はい、ではまたいずれ。」

彼女が俺に手を振ってくれる。

またいずれ。何て素敵な響きなのだろう。例え、社交辞令だとしても彼女からこの台詞を聞けるとは夢にも思っていなかった。



 けれど、彼女から再びこの台詞を聞く事は無かった。何故ならミス・ジェシカはその後この場所に姿を現す事が無かったからである―。


 仮装ダンスパーティーも無事終了し、再び彼女の周囲が不穏な空気になってきた。あれ程彼女の側から離れなかったアラン王子達が・・・今回はソフィーの方に熱を上げてきたからだった・・・。

けれども全員がソフィーに気持ちが傾いたわけでは無い。従者のマリウスはどんな時でもミス・ジェシカから離れる事は無かった。彼は・・それ程深く彼女を愛しているのだろう・・・。マリウスが側にいれば安心だ。何しろ彼は普通の人間でありながら、人一倍魔力も強く、剣術にも長けていた。本来なら聖剣士に選ばれてもおかしくは無いのだが・・・恐らく男爵という身分の為、選ばれないのだろう。

彼がミス・ジェシカの側にいれば、大丈夫だ・・。

彼女とはほんの一度会話をしただけの仲の俺にはどうする事も出来ない。だから俺は傍観者に徹する事にした。



 そして、少し時が流れ・・・・事態は大きく動いた。

この日俺は1人で『ワールズ・エンド』で魔界の門の見張りをしていた。

学院は既に冬期休暇に入っていたが、俺達聖剣士にはあまり関係ない。何しろ1年中、24時間ずっと魔界の門を見張らなくてはならないのだから余程の事が無い限りは帰省する事は無い。

そして、今日も俺は1人で門番をしている。

「交代の時間まで後3時間か・・・。」

いつもと変わらぬ景色。最近の俺のお気に入りの場所はこの高くそびえ立つ門の上に登り、景色を眺める事だった。高い所から見下ろす『ワールズ・エンド』も絶景である。

大きく伸びをした時に、風に乗って人の話声が聞こえてきた。え?何だ?誰かやってきたのか?俺の身体に緊張が走る。今まで門番をしてきたが、この場所に誰かが来た事は一度も無かった。魔族のフレアを除いては・・。


「うわぁ・・・・す、すげえっ!こんな巨大な扉初めて見たっ!」

突如、大きな声が足元で起こった。まずい!

俺は門の上から彼等に声をかけた。


「何でこんな所に来ているんだい?君達は。」

そして門から飛び降りると、侵入者の前に立ちふさがった。そして彼等を見た俺は驚きで危うく声を上げそうになった。

そこに立っていたのは全部で4人、そのうちの2名は見た事が無い少年と青年・・どうみても彼等はセント・レイズ学院の学生では無い。

そして残りの2名を見て、俺は我が目を疑った。何と彼等はミス・ジェシカの側にいるノア先輩とダニエル先輩だったのだから・・・。

この2人を見て、俺は瞬時に悟った。恐らくミス・ジェシカに何かあったのだと。


 俺の姿を見た少年は、何故自分たちがここにやって来たのかをペラペラと話し始めた。内心平静を保ちつつ、話を聞いていたが毒矢で死にかけているという話を聞かされた時はショックで目の前が真っ暗になってしまった。

そうか・・・だから彼等はこの門の先に咲いている不思議な花を摘みに来たのか・・。本来なら彼等を追い返すところだが、彼女が死にかけていると聞かされれば、そんな事は言っていられない。

気付けば俺は彼等にこう言っていた。


「よし、そういう事なら協力するよ。俺が魔界に行く。」

と―。








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